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人気作での怪演も話題に!大方斐紗子82歳、「美しくなきゃ呼ばれない」時代に人の何倍も努力した3年間

俳優座付属養成所を卒業後、劇団青年座で舞台女優としてキャリアをスタートし、テレビドラマ・映画に数多く出演するほか、高畑勲監督がはじめて長編動画を手がけた映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』で主人公ホルスの声を担当するなど声優としても活動している大方斐紗子さん。

2011年の映画『恋の罪』(園子温監督)の猟奇的な母親役や、ドラマ『あなたの番です』(日本テレビ系)での執拗に嫁いびりをする姑役の怪演も話題に。5月8日(土)には映画『なんのちゃんの第二次世界大戦』(河合健監督)が公開される、大方斐紗子さんにインタビュー。

◆戦争が終わって一番うれしかったことは…

福島県で3人兄姉の末っ子として生まれ育った大方さんは、からだが弱い子どもだったという。

「本当に生まれてすぐに死んじゃうんじゃないかというくらいからだの弱い子だったので、みんなが大事にしてくれまして可愛がられていました。でも、何とかここまで生きてこられたので子どものときにからだが弱くても関係ないんだなって思いました(笑)」

-戦争が終わったのはいくつのときですか?-

「戦争が終わったのは小学校1年になる年でした」

-戦争当時で覚えていらっしゃることはありますか-

「戦争中のことは山のように覚えていることがあります。毎日毎日空襲で怖くて怖くて…。寝巻きを着て寝たことがなかったです。戦争が終わって一番うれしかったことが寝巻きを着て夜眠ることができるということでした。

福島の田舎ですから、もんぺ姿ですよね。もんぺ姿にセーターを着て、日常と同じ格好で『おやすみなさい』と言って寝る。それが毎日でしたから」

-いつでも飛び出せるようにですか?-

「そうです。それでいつでも空襲警報がなれば防空壕に入るんですけど、防空壕での生活のほうが多かったかなというくらいでしたね」

-実際に空襲にあい危険な目にあったことはありますか?-

「わりと近くに母の実家があって、何か大事な忘れ物をしたというので母が夜実家に取りに行ったんですけど、実家から帰って来た瞬間にその実家に爆弾が落ちて、あわやというときに助かったんです。そんなことがありました」

-大変な思いをされてきて、戦争が終わったということがわかったのは?-

「玉音放送のときの声がいまだに耳に残っています。おとなたちが泣いている姿を見て、戦争が終わったんだなと思いました。あと、街中の風景でしょうかね。進駐軍が街中をジープで走っていまして、そのジープの匂いがはじめて嗅ぐガソリンのにおいで、ジープに付いて走っていたことがあって、そんなことでしょうかね。

それまで荷物を運んだりするというのはリヤカーしかなかった時代ですから、ジープが走るブーンというそのガソリンの匂いを嗅いで『何だ? このすてきな匂いは』って(笑)」

-ガソリンの匂いがですか-

「はい。すてきな匂いに感じたんです(笑)。それが終戦で印象深かったですね」

-終戦で大方さんの生活も変わったでしょうね-

「はい。戦争中は田舎の町に疎開していて、そこの幼稚園に行かなければいけなかったんですけど、やっぱりそこの場所から見れば私は都会の人間なのでいじめられたんです。

そのとき自分は賢明だったなと思うのは、『いじめられるような幼稚園には行かない』と言って行かなかったんです。それはいいことだなと思って(笑)。今もそんな子がいたら『いじめられるようなところには行くな』って私は言うと思います」

-小さいときからわりとはっきりと自分の意思を通していたのですね-

「そうでしょうね。からだの弱い子だったんですけれどもね(笑)」

終戦後、疎開先から戻って来て小学校(女学校)に入学した大方さんだったが、からだが弱くて学校にはほとんど行けなかったという。

「学校の先生がたは私が尊敬するような先生ばかりなのに、生徒を叱るときだけは軍人になるんです。たとえば、昔は爪をギリギリまで切らなきゃいけなかったんです。それがほんのちょっとでも伸びていたら、先生は竹製の定規でビシッと引っぱたくんです。もう赤いスジが出るくらい。

それとか中学のときの先生は、やはりこれは軍人の教えだなと今にして思うのは、私が友だちにノートを貸してくれと言われてノートを貸したんですけど、その子が学校に自分のノートだけをもって来て私のノートを忘れて来ちゃったの。

それで私はノートがないから忘れたというので立たされたんです。そのとき私は自分が偉いなと思ったのは、その子のせいだということを一言も言わずに立たされていたんですね。そのときに教師が『私は大方なにがしと大方なにがしとの間に生まれたバカ娘ですと言え』と言ったんです。

何か自分が叱られるのは構わないけど親を叱られるのはいやだなと思って、うんと屈辱を感じました。そのときに『ああ、この先生は軍人だったんだな』というふうにずっといまだにそう思っています。尊敬する先生だったのに、あのときの残酷さは絶対にイヤだと思いました。だからそんなことは言うもんかと思って絶対に言いませんでした」

-そうすると余計怒られたのではないですか-

「はい。でも言いたくなかったので、絶対に言わなかったです」

※大方斐紗子プロフィル
1939年3月9日生まれ。福島県出身。俳優座付属養成所卒業後、劇団青年座に入団。『街の灯』(ひとりミュージカル)、舞台『エディット・ピアフに棒ぐ』、連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)、『八重の桜』(NHK)、『あなたの番です』(日本テレビ系)、映画『葛城事件』(赤堀雅秋監督)、映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』(森ガキ侑大監督)など多くの舞台、ドラマ、映画、CMに出演。映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』のホルス役、映画『リメンバー・ミー』のママ・ココ役など声優としても活躍。パリ・モンマルトルでエディット・ピアフの名曲を日本語で歌い観客を熱狂させたこともあり、シャンソン歌手としても活動している。

◆千田是也さんに憧れて俳優座養成所へ

大方さんが具体的に俳優を目指したのは、高校生のときに見た千田是也さん(1944年の俳優座の創立メンバーの一人で、1994年に亡くなるまで俳優座の代表を務めた演出家・俳優)の舞台を見たことだったという。

-お芝居との出会いは?-

「小学校2年かな。岩間芳樹(いわま・よしき)という作家がいまして、その人が私たちのクラスの代用教員でいらしていたんですね。

それで、放送作家でもありましたから福島の放送局でドラマを書いていて、それに参加しろと言われて参加させてくれて。それがおもしろかったのと、いつも授業がはじまる前に宮沢賢治とか有名な作品を朗読してくれたんです。

その朗読のすばらしさに『なんて世界だ』と感激したのは、どこかで俳優になるきっかけだったかなあというふうに思います」

-それが小学校2年生のときで、具体的に俳優にと思ったのは?-

「高校生のときに俳優座さんが福島に地方公演で来て、千田是也さんが主演だったんですけど、それがすばらしくて千田是也さんに憧れて俳優座の養成所の試験を受けさせてくれって父親に言いました。

『新聞で見たらこういう養成機関がある。ここに入りたいと思う。何とか受けさせてもらえないか』って言って、絶対にダメだと言われると思ったのに、『若いうちから将来のことを決められるというのはすごいことだ。行って来い』と言ってくれたんです」

-それで高校卒業したら俳優座の養成所へ-

「はい。試験があるんですよ。私たちのときでもかなり狭き門でした。1000人以上いたと思いますけど、そのうちの50人しか取らなかったんです。ほんのちょっと」

-本当に狭き門ですね。福島だと訛(なま)りは?-

「ありました。それで、試験を受ける前に誰が貸してくれたのかわからないけど『日本語アクセント辞典』というのを福島ではじめて見て。

高いとか低いとか書いてあるんだけど、わからないからコップに少ない水を入れたのと多くの水を入れたのを置いて、ティントントントン、ティントントントンと叩いて、音楽みたいにして覚えてそれを丸暗記して東京で試験を受けて(笑)。だから耳はよかったんですね。それで覚えられたというのは耳がよかったんだなと思います」

-受かったと聞いたときにはいかがでした-

「自信はなんとなくありました(笑)。私は地方出身だから、とにかく努力せねばダメだろうと自分で思ったわけですよね。どこを見たってすごいセンスのいい人ばかりで、美男美女ばかり。こんなブスでチビでどうしようもないのがやっていくには、とにかく努力しかなかろうと思ってひたすら努力だけはしました。3年間人の何倍も練習して」

-俳優座の養成所というと授業料は?-

「ありました。その頃にしては高かったので、お客様にお酒を出すバーみたいなところ2か所で歌を歌うアルバイトをしていました。18歳ぐらいから、カウンターがあるお店でアルバイト。お客さんが要望する曲をすぐに歌わないといけないんです。それを毎晩やっていました」

-歌のレパートリーは結構あったのですか?-

「ありましたね。家の前が松竹の映画館で、小さい頃から映画を見に行くと1回で覚えて、家に帰ってからコタツの上に立って『愛染かつら』なんかを歌っていたらしいです(笑)。

だから歌うことは好きだったんですけど、何時間も歌いっぱなしですからノドをやられてしまってあまりよくなかったかなと思います。ノドを潰してしまったこともありましたからね。でも、それがあったから発声とは何かをずいぶん研究しました」

◆憧れの千田是也さんの指導に反対意見

舞台俳優を目指していた大方さんにとって、俳優座養成所で学んだ3年間はとてもエキサイティングだったという。

-最初から舞台をメインでと考えていらしたのですか-

「それしか選択肢がなかったですね。美しい人しかテレビ局から呼ばれないとか、映画から呼ばれないということがありましたから。俳優座の養成所のときからスカウトにいろんな人がいらっしゃるんですけど、みんな美しい人を女優さんとして引っ張っていって使っていたんです。だから美しくなきゃ呼ばれないんだというのがあって」

-舞台は1年目から役がついて、千田是也さんも大方さんをよく起用されていたそうですね-

「はい。千田先生はよく私をご自身の演出作品に出演させてくださいました。先生は指導するときに非常に説明っぽいやり方をされるんですよね。ある芝居のときに『怒るときにはな、相手をこうしてああしてやるんだよ』と指導されたんですけど、私は『ここはこういう場面なので、そういうふうにはやりたくない』って言ったことがあったんです。

そうしたら周り全員が『大方さんたら、千田先生に対して何てことを…』ってびっくりして、みんなもう口をあんぐりでした(笑)。千田先生はとてもお怒りになって、『お前なんか養成所に戻れ』と言われました。つまり自分のやるようにお前はしないって。

自己主張が強かったんですね。『私だったらこうこうこうする』って今考えたら非常にリアルな方法だったと思うんですけども、千田先生やあの頃の先生たちはみんなドイツ表現主義から学んできた先生たちが多かったものですから、表現するということをすごく芝居がかったやりかたでやっていて。それがとてもいやだなと思ったんですね。

その本質を調べもしないで自分はそんなふうにはやりたくないって、ハッキリ言ったんです。信じられない子ですね(笑)。若い頃は傲慢でした。

でも、千田先生はとっても可愛がってくださったんですよね。先生がご病気になってお見舞いに行ったときにも演劇の話をいっぱいしました。先生がお亡くなりになったとき、ご親戚の方が『大方斐紗子は大好きな俳優だと言っていたよ』と伝えてくれました。とてもうれしかったです」

その後、フリーになった大方さんはさまざまな舞台に出演するようになり、外国人演出家の厳しい舞台も経験。テレビや映画にも出演するようになり、高畑勲監督がはじめて長編動画を手がけた映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』で主人公ホルスの声も担当することに。次回はその舞台裏も紹介。(津島令子)

 

©︎なんのちゃんフィルム

※映画『なんのちゃんの第二次世界大戦』
2021年5月8日(土)より渋谷ユーロスペース
2021年5月22日(土)より名古屋シネマテークほか全国順次公開
配給・宣伝:なんのちゃんフィルム
監督:河合健
出演:吹越満 大方斐紗子 北香那 西めぐみ 西山真来 髙橋睦子
平成最後の年。太平洋戦争の平和記念館設立を目指す市長(吹越満)の元に一通の怪文書が。送りつけてきたのは、BC級戦犯遺族の南野和子(大方斐紗子)。そこから市長vs.南野家の攻防劇がはじまることに…。