錦鯉、最大の転機は先輩ザコシからのアドバイス「バカなんだから、バカを前面に押し出せ」
過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが自らのしくじった経験をさらけ出し、人生の教訓を伝授してくれる反面教師バラエティー『しくじり先生 俺みたいになるな!!』。
4月5日(月)の放送では、史上最年長で『M-1グランプリ』のファイナリストとなった漫才コンビ・錦鯉(長谷川雅紀、渡辺隆)が登壇。
ダラダラと芸人を続けてド貧乏生活を送っていた過去を明かし、“無気力で今の仕事をダラダラつづけてしまわないための授業”を行った。
◆20年のド貧乏生活の間に歯を8本失う!?
教室に現れるなり、「こ~んにちは~~!!」と大声で陽気にあいさつする長谷川に、ビシッとツッコむ渡辺。
錦鯉は2012年、長谷川が40歳、渡辺が33歳のときに結成。現在はバラエティー番組でも引っ張りだこの2人だが、長谷川は23歳から42歳くらいまでの20年間、渡辺は22歳から30代中盤までの12~13年間、ダラダラと芸人をつづけ、超ド貧乏生活を送っていたと告白。
しかも長谷川はその間に歯を8本失ったと明かした。
◆長谷川は信号の光でひげをそっていた!?
長谷川は23歳だった1994年、“札幌吉本”からデビュー。しかし、芸人になったことに満足してまったく努力をせず、ダラダラ貧乏生活をスタート。弟のデスクトップパソコンを勝手に売って実家を追い出されたこともあったと打ち明けた。
当時のコンビはいちど解散したのだが、30歳のとき、元相方から再結成を誘われ、2人で上京。当初はやる気満々だったものの、生活費を得るためにアルバイトとギャンブルが生活の中心になり、芸事は二の次に。
しかも、相方と一緒に貯めていた40万円の貯金をこっそりギャンブルに使い、補填するためにさらにバイト三昧になってしまったとか。
長谷川は当時のド貧乏生活を振り返り、「貧乏芸人の番組のオーディションに金欠で行けなかった」「電気を止められて信号の光でひげをそっていた」という極貧エピソードを激白。
このころ、虫歯になってもお金がなくて歯科医院に行くことができず、歯が4本抜けてしまったのだ。
一方、渡辺も22歳のとき、“東京吉本”からデビュー。当初は「先輩を追い抜いてダウンタウンみたいになる」と鼻息荒く意気込んでいたものの、わずか1年で自信喪失し、ダラダラ生活をスタート。
当時の彼女に毎日500円をもらって生活し、近所の河川敷で酒を飲みながら中学生の野球部の練習を見て勝手にスタメンを考えていたと振り返った。
◆人生を変えた最大の転機は先輩芸人からのアドバイス
やがて売れない芸人同士、知り合って遊ぶようになった2人。
「辞める勇気がない」という理由で芸人をつづけていた2人は当時、後輩に抜かれても何も感じない“無”の境地に達していたと話す。
そんな2人に人生を変える転機が2度訪れた。そのひとつが2012年、渡辺の誘いでコンビ結成したこと。
しかし、このときは「まだ芸人がつづけられる」という状況に満足してダラダラ貧乏生活は相変わらず。錦鯉結成後も、長谷川は『R-1ぐらんぷり』のエントリー代を後輩にカンパしてもらったり、「バイト歴30年」というギャグをやったら同情した後輩に号泣されたりしていたと語る。
そしてまたしても歯が抜けたのが、この頃。ここで4本抜けて、合計8本が抜けたことに…。
しかしその後、最大の転機がやってくる。それは、先輩芸人・ハリウッドザコシショウからかけられたひと言。彼から「長谷川はバカなんだから、バカを前面に押し出せ」とアドバイスを受け、長谷川がおバカなキャラを打ち出してみたところ、ネタがウケるようになったとか。
このとき長谷川はすでに42歳だったが、ここから2人ははじめて本気を出し、徹夜でネタを練り、月に5本新ネタを見せるライブをつづけたという。
その結果、『M-1グランプリ2020』で決勝進出。しかし、結果は4位。このとき2人は人生ではじめて「心から悔しい」という気持ちが芽生えたと振り返る。
そんな2人から伝授する教訓は、「悔しいと思えるくらい本気で生きた方がいい」。
2人は、「目的に向かって本気で努力しないと悔しさは生まれない。その悔しさがないと人間は成長できないのではないか」とまっすぐに語っていた。
次回4月12日(月)の放送は、お笑い研究部の最新作『ラフレクランがいまいちハネないを考える』を放送。
そして地上波放送直後、毎週月曜深夜0:45からお送りしている『ABEMA』では、錦鯉先生の授業完全版のほか、『ザブングル加藤の今後を考える』第2弾を配信中だ。
※番組情報:『しくじり先生 俺みたいになるな!!』
毎週月曜 深夜0:15~深夜0:45、テレビ朝日
※放送終了後から「ABEMA」でも配信!
(※1週間無料配信。その後は1年間、有料にて配信)