テレ朝POST

次のエンタメを先回りするメディア
未来をここからプロジェクト
menu

波岡一喜、幼少期はいじめられっ子。「俳優になるため」大学進学、一橋大を蹴って早稲田大へ

映画『パッチギ!』(井筒和幸監督)のバンホー役で注目を集め、映画『クローズZERO』シリーズ(三池崇史監督)、ドラマ『遺留捜査』シリーズ(テレビ朝日系)、『火花』(Netflix)など多くの映画、ドラマに出演し、圧倒的な存在感を放っている波岡一喜さん。

2019年には高橋大輔さん主演のアイスショー『氷艶hyoen2019 ー月光かりの如くー』(宮本亜門演出)に出演。さらに自身初となるデジタル写真集『FOURTY』を発売。4月16日(金)には江戸川乱歩原案の主演映画『聖なる蝶 赤い部屋』(窪田将治監督)の公開が控えている波岡一喜さんにインタビュー。

◆幼い頃はいじめが原因で登園拒否に…

スクリーンでは暴れまくっているイメージがある波岡さんだが、意外なことに保育園でいじめられたことが原因で幼稚園には行かなかったという。

「保育園でいじめられて途中から行かなくなっちゃったので、幼稚園にも行きませんでした。小学校に入るくらいまでは気が弱くてそんなに社交的でもなくて内向的な感じで、活発ではなかったですね」

-そうすると小学校に入学したときに苦労したのでは?-

「引っ越して住んでいる区域が変わったんですよね。それで小学校に入るまでの間にちょっと(心身を)鍛えたといいますか、すごく強くなったんですよ。

親同士が知り合いの子どもが僕の一つ上とふたつ上だったんですけど、その2人がすごく強かったので、強くなるコツを教えてもらって。それで小学校1年生から急激に強くなったので、そこからは気も強くなって、すごく活発な男の子に変貌したんです」

-それで学校生活も楽しいものに?-

「そうです。小学生になったときは強くなっていたので何でもできたし、気も強かったですからね。幼稚園の頃から小学校の時期というのは、本当に気のもちようで、自分が弱いと思ったら弱いし、自分が強くなったと思った瞬間強くなるというか(笑)。

いじめていたような子、強そうな子に一回こっちが立ち向かって勝っちゃえば、そこからはもうコツを覚えるというか、何も怖くなくなるというか…そういう感じでどんどん強くなっていって(笑)。あまり強くなりすぎるのもダメなんですけどね(笑)。でも、小学生時代は本当に楽しく過ごしていました」

-俳優になりたいと思ったのも小学生の頃だったそうですね-

「そうです。小学生の頃はアニメしか見たことがなかったんですけどテレビっ子で、小学校5年生のときにはじめて見たドラマが『東京ラブストーリー』。とてもおもしろくて、『ブラウン管のこっち側でこんなにおもしろいんだから、向こう側はもっとおもしろいんじゃないか』と思って、俳優になりたいと漠然と思いはじめたのが小学校5年生のときでした」

-そのことはご家族には?-

「そのときにはまだ話しませんでした。僕は小学校と中学校でバスケットボールをやっていたんですけど、結構部活や日々の生活に追われていたりしていたので。義務教育が終わって自分で選択できるという状況になったときに、たとえば公立高校に行くのか、高校に行くのか行かないのか…いろんな選択肢があって。

学生の道に進むことの選択のほかに、みんなが(俳優には)なれるはずがないって言うし、僕も思っていたんですけど、そういう道に進んでみるのもいいのかなって思いはじめたのが中学3年生。

それで親に『高校に入ったら俳優の学校みたいなのに行っていいかな』みたいな感じで言って、高校1年から養成所みたいなところに応募して、学校に行きながら大阪の養成所に通いはじめました」

-ご家族は許してくれたのですか-

「何かやりたいことをやろうとしているのは別に嫌じゃなかったんじゃないですかね。夜中まで原付(バイク)に乗ってどこかに行っていたり、何時に帰ってくるかわからないとかそんなのよりはよっぽどよかったんじゃないかな。悪いこともしないし」

-養成所に通いはじめてどうでした?-

「あの当時は正直『こんなことが意味あるのか?』みたいに思っていましたね。大切なことはやっていたと思うんですけど、それが俳優に直結するかというと多分直結はしない。だから、『これをやっていて俳優になれるのか?』って。

例えば滑舌(かつぜつ)、『外郎売(ういろううり)』の日本一を取ったらドラマの主役をやらせてもらえるんだったら日本一を取りますけど、そうじゃないじゃないですか、この世界って。だから、手探り感がすごくありました。

僕は養成所では友だちを作らなかったんです。養成所に行っていることで満足していたら終わるなと思って。それで、やっぱり東京に行かなきゃダメだって。友だちにも『芸人になるんやったら大阪でもええけど、やっぱり俳優になりたいんやったら、需要は圧倒的に東京や。だから東京に行くことが、第一歩になる』と言われたので、高校卒業したら東京に行こうと思いました」

※波岡一喜プロフィル
1978年8月2日生まれ。大阪府出身。2004年、ドラマ『プライド』(フジテレビ系)で本格デビュー。2005年、映画『パッチギ!』で注目を集め、映画『クローズZERO』シリーズ、映画『ドロップ』(品川ヒロシ監督)、主演ドラマ『ライオン丸G』(テレビ東京系)、連続テレビ小説『わろてんか』(NHK)、『火花』(Netflix)など映画、ドラマに多数出演。主演映画『聖なる蝶 赤い部屋』が4月16日(金)に公開。5月15日(土)~17日(月)まで高橋大輔さん主演の新アイスショー『LUXE』公演(横浜アリーナ)に出演。

◆浪人生活の1年間、毎日10時間勉強

俳優になるために上京しようと決めた波岡さんだったが、それだけではダメで大学に入ることを条件に上京を許されたという。

「僕はすごくアホで、高校時代遊びすぎていて勉強ができてなかったんです。それで、自分でいろいろ調べて横浜にある学習塾の寮に入ることに決めて、1年間お金だけ出してくれと土下座して母ちゃんに頼みました。確か学費込みで…まあ、だいぶ高かったと思うんですけど、1年で大学に入るからって言って家を出たという感じです。

そこはすごく厳しくて、寮の門限が6時、6時から8時の間に食事と風呂を済ませ、8時になったら自分の部屋から一歩も出ちゃダメという寮で、すごくしんどかったんですけど、毎日10時間勉強すると決めて毎日ひたすらやっていたら、偏差値がどんどん上がっていって。

『この1年だけ頑張れば大学に入って、大学に入れば晴れて俳優の道を模索できる』という思いがあったので、1年間だけは俳優になりたいということは一言も言わず勉強ばかりしていました。

1年間毎日10時間勉強すれば、誰でもどこでも入れます。それは自信があります。ただ、毎日毎日10時間やるということは、1日中もうほとんど勉強しかしないということですからね。塾の授業抜きの10時間なので、もう頭がおかしくなりそうでした(笑)」

-よくやりましたね-

「僕は高校のときにはもう母ちゃんしかいなかったので、母ちゃんがお金を出してくれて1年間予備校に入れてもらったのに勉強して落ちましたはね、ちょっとかっこ悪いなぁと思って。

それに、大学の学歴というものがおそらく一生ついてくるだろうと思っていたので、この1年間ぐらい勉強というものを真剣にやってみるのもいいんじゃないかなと思ってやりました。それで全部受かりました。早稲田、慶應、上智、一橋、立教。

合格結果が高校にいくみたいで、高校の先生から電話がかかって来て、『一橋に合格おめでとう。当然一橋に行くやろ?』って言われたので『いえ、早稲田に行きます』って(笑)

吉永小百合さんだとかタモリさんとか、早稲田は有名な人がいっぱいいたので、早稲田に行って中退すれば売れるみたいなイメージが漠然とあったんですよね(笑)。俳優になることが目標なので、自由がきくというか、演劇に打ち込みやすい環境の早稲田を取ったという感じです。

はじめは『早稲田大学演劇研究会』、通称早大劇研に入りました。先輩には『第三舞台』の勝村政信さんとか、僕が1年目に入ったときに堺雅人さんが『東京オレンジ』という劇団でいて、『早稲田のなかで演劇と言えば劇研だ』と言われていたんです。

劇研は100人ぐらい入って5人ぐらいしか残らないんです、しんどすぎて。そこでいろいろやっていたんですけど、『ここにずっといても少なくとも俺は世の中に出ていけないんじゃないか』と思って、それでちょっと違う道を探してみようかなと。

僕は松田優作さんが好きだったんですよ。それで松田優作さんの足跡を追ってみようと思って、大学2年のときに文学座の養成所を受けて合格しました」

-授業料が結構高かったのでは?-

「僕にとって安くはなかったですね。だから学校に行かずにずっとバイトしていました。僕は夜間部だったんですけど、昼間にバイトして、夜は稽古をしてという毎日だったので、学校にはほとんど行ってないんです」

-アルバイトはどのようなことを?-

「イタリアンレストラン、パチンコ屋さん、共同通信の外信部や出版社でも働きました。アンケートを集計したり、電話番、ライターさんにものを届けに行ったり、原稿を受け取りに行ったり、バイク便も兼ねてやったり、景品を詰めたり…大学の3、4年は学費もほとんど自分で払っていたので、いろんなことをやっていました」

-文学座にはどのくらい通っていたのですか?-

「それが1年で終わっちゃったんです。まず1年間やって、そこから上がっていくんですけど、上がれなかったんですよね。『お前みたいな不良はうちには合わない』って言われたのを覚えています。反骨心、反発心が結構強かったので、ここには合わないということだったんだと思います」

-1年で?-

「はい。でも1年で上に行ける人はわずかなんです。そこから準座員というのになって、そこからさらに上がると座員になるんですけど、上がれないとわかったときには『あぁそういうことなんだな』と思っていました。それで、そのときも『俺、文学座で上がっていって準座員、座員になっていっても松田優作さんみたいにはなれないな』って。

ここにいても映画とかテレビに出てそれでご飯を食べていけるようにはならないなと思っていたので、上に上がれないと言われたときは、『よし、じゃあ探そう、次を』と思って探しはじめました。でも今、僕が文学座で教えてもらったことはめちゃくちゃ役に立っています。新劇を勉強した1年間というのは絶対ムダになってないです」

◆木村拓哉さん主演ドラマで本格デビュー

文学座の養成所を1年で退所した波岡さん。事務所にも入り、年に3、4本舞台をやりながら自主制作映画に出演したりしていたという。

「予備校の寮で一緒に住んでいた友だちが、実は監督志望で1年遅れて早稲田に入ってきて、彼が監督、僕が俳優、2人でコンビを組んで自主映画を撮っていました。

舞台とバイトをやりながら自主映画も撮っていたので、大学にはあまり行けなかったんですけど、ゼミに入ったらみんなが助けてくれたので単位が取れるようになっていって、卒業も見えてきて4年で卒業しました」

-いろいろやりながら4年で卒業できたのはすごいですね-

「はい。もう亡くなってしまったんですけどゼミの先生が、『波岡君は俳優を目指していて自主映画をやったりしているから卒論は書かなくていい』と言ってくれたので、僕は卒論を書いてないんです(笑)。大学は本当にみんなに支えてもらって卒業できたという感じですね。

結局、俳優の人生もいろんな人に助けてもらってただただやってきている感じがあるので、頑張ってきたのは浪人の1年間だけだったんじゃないかと思うくらい(笑)」

転機となったのは25歳のとき。今の事務所に移ってから半年あまりが経った頃、木村拓哉さんの主演ドラマ『プライド』のオーディションを受けることに。

「『アイスホッケーが題材なので、滑れたらいい』みたいな感じで。僕はちょっと滑れたんですよ。それで、そこから1か月間、得意の毎日何時間と決めて練習して、そうしたらオーディションでどんどんどんどん人数が減っていって、僕はどんどんスケートが上手になっていって、スケートの技術だけで受かったという感じでした(笑)。

それで結局、木村さんのチームメートになって、はじめてやったドラマが月9の『プライド』で半年間。そして『プライド』の最終話ぐらいを撮っているときに、映画『パッチギ!』のオーディションがあるということで受けたんです」

-『パッチギ!』の波岡さん、印象的でしたね-

「ありがたいです。あの映画がとてもおもしろかったし、若いパワーが溢れていたというか、当時は無名のメンバーばかりで。今は有名人ばかりですけど」

-井筒(和幸)監督ですから、オーディションのときも大変だったのでは?-

「オーディションのときはまだマシでした。オーディションのときも毒舌はすごかったですけど、僕の生い立ち、母ちゃんしかいないとか、いろんな悪いことをしたとか、ケンカもいっぱいしたけど母ちゃんは大事にしたいみたいな…そういう思いを三次審査のときだったかな? お芝居とかもせず、そういう話をしたら監督が最後に『ほー、そうか。こいつはモトキ・バンホーがええんちゃうか?』って言ったのを覚えています。

それですぐにバンホー役に決まったんですけど、大変だったのはそこからですね。撮影現場はもう地獄だったので(笑)」

波岡さんの代表作の一つとなった映画『パッチギ!』だが、2か月間の撮影は地獄の日々で、毎日「明日の撮影なくならないかな」と思っていたという。次回は『パッチギ!』の撮影裏話、『クローズZERO』シリーズの撮影エピソードも紹介。(津島令子)

※波岡一喜写真集『FOURTY』(デジタル限定)
集英社刊 全撮影:岡本武志
ハードボイルドな演者の表情と、3人の子をもつ父でもある素顔、ロングインタビューも収録している自身初の写真集。

©️2021『聖なる蝶 赤い部屋』製作委員会

※映画『聖なる蝶 赤い部屋』
4月16日(金)~29日(木)シネマート新宿にて2週間限定レイトショー。
配給:キングレコード
監督・脚本:窪田将治
原案:江戸川乱歩『悪魔人形』
出演:栗林藍希 波岡一喜 柾木玲弥 柳憂怜 草野康太 木下ほうか
女子生徒への盗撮が発覚し、すべてを失った元高校教師・杉浦(波岡一喜)の前に現れた女子高生ルミ(栗林藍希)。2人は愛欲に溺れていくが…。

LINE はてブ Pocket
関連記事
おすすめ記事