東京五輪の選手村で生まれた“伝説のカレー”。今なお愛されるその味を守りつづける親子の想い
テニスの現役を退いてから「応援すること」を生きがいにしている松岡修造が、東京オリンピック・パラリンピックや未来に向けてがんばる人たちを応援する「できる宣言」。
今回紹介するのは、石川県・加賀市の住宅街にある、アメリカンなたたずまいの洋食店「パインダイナー」。
店内には「1964年カレー」というポスターが掲げられていた。
「実は1964年の東京オリンピックの選手村で提供していたカレーを、今この店で作っております」
そう語るのは、店主の横山修さん。
選手村のカレーとはいったいどんなものなのか。特別に厨房に入らせてもらい、作り方を見せてもらった。
修さん:「このカレーの特徴のショウガが入るんですよ」
修造:「ショウガはそんなにいれるんですか?」
修さん:「そうですね。選手の消化のこととかいろいろ考えていたらしいです」
最大のポイントは、選手を思ってたっぷりと入れたショウガ。
さらに、玉ねぎと小麦粉、秘伝のスパイスを加え混ぜ合わせる。仕上げにリンゴと人参のすりおろし、火を通した牛バラ肉などを豪快に加え煮込めば、スタミナ満点な東京オリンピック選手村の味のできあがり。
「びっくりですね、おいしい!これを選手村で食べたら、『絶対勝てる』って気持ちになりますよ」(修造)
◆「誰が食べてうまいなというものにしたい」
実は「パインダイナー」の先代・保さんは、東京オリンピックの選手村で腕を振るった料理人のひとり。一線を退いた今でも、このカレーを作るときだけは味見をかかさないという。
その理由は、1964年カレーの誕生に携わった人たちの思いを大切にしているから。
57年前、選手村には全国から300人もの腕利きシェフが集められた。当時はまだ洋食がそれほど日本に普及していなかった時代。外国人選手にも受け入れられる料理を作らなければならなかったため、シェフたちは互いに知恵を出し合い、メニューを作り上げていった。
そのなかでもとくに保さんの思い入れが強かったのがこのカレー。
「やっぱりこれが一番落ち着いた、万人に向くカレーだなと思った。誰が食べてうまいなというものにしたい、その一心でした」(保さん)
大会後、保さんは地元で店を開き、31年前に息子の修さんにレシピを引き継いだ。
「父はやっぱりすごいことをやってたんだなって。当時のカレーをもう一回作れるみたいなわくわくした気持ちで、すごくうれしかったことを覚えています」(修さん)
修さんは昨今、各地のイベントなどにも参加。この味を広めるため、腕をふるっている。
修造:「オリンピックで戦ったこのカレーが、息子さんとともにつながっているって、今どんな思いでいらっしゃいます?」
保さん:「やっぱり幸せやね」
そんな横山さん親子のできる宣言は、「1964カレーを親子で守りつづけたい」。修造は「2人ならできる!」とエールを送った。
※番組情報:『TOKYO応援宣言』
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系