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田口トモロヲ、試行錯誤の末たどり着いた語り口。『プロジェクトX』ナレーションは「みんなの共同作業」

主演映画『鉄男』(塚本晋也監督)が、第9回ローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞するなど海外でも高く評価され、国内外で注目を集めた田口トモロヲさん。

バンド活動に加え、俳優として映画・テレビに出演するようになり、1992年には続編となる映画『鉄男II BODY HAMMER』(塚本晋也監督)に主演。徐々に肉体が鋼鉄の銃器と化していく男を演じ、『鉄男』ファンを再び熱狂させた。

◆憧れの監督の映画で男優助演賞を受賞

2019年には生誕30周年を記念した″極上音響″上映も行われ、誕生から30年以上経った現在も根強い人気を誇っている映画『鉄男』。塚本監督がDIYで自分の思うまま作品を作るというスタイルを変えずに継続できていることは、表現する人間にとっての希望だと話す。

-『鉄男』に出たことによって変わったことは?-

「時間が経って変わりました。『鉄男』が日本で公開された当時は別に業界でも注目されていたわけではないので。のちのち映画にたくさん出る俳優になってから『鉄男』もだんだん浸透していって、あの映画が好きな人とあれは苦手だという人たちがハッキリわかれて、踏み絵のような強烈なインパクトを残したみたいで。

好きな人は猛烈に好きで、時間が経ってからスタッフさんとかに『鉄男、大好きなんですよ』と言われることが多くなりました」

-映画はもちろんですが、テレビにもいろいろ出演されるようになってご自身のなかで変化はありましたか?-

「ありました。『DIYのインデペンデントで、アングラでやっていた人間が、華やかな芸能界というやつに出てもいいものか?』という葛藤もありました。またそういう人種が『出てください』というふうに望まれる時代になったという意外な変化にはビックリしました。

テレビもドラマやバラエティ番組に出たりしていましたが、元気で華やかな世界が自分にはちょっとついていけないところがあって…。自分の向き不向きをいろいろ探りながら悩んで、それで最終的に映画の俳優というのが自分には向いているのかなと思うようになりました。

映画のほうが当時はまだ職人的なところがあったので、俳優として映画をメインにシフトしていって、それからまた時代がいろいろ変わったので、今は区別することなくテレビに出ているという感じです」

1997年、第50回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(作品賞)を受賞した映画『うなぎ』(今村昌平監督)に出演。田口さんは毎日映画コンクールで男優助演賞を受賞する。

「『うなぎ』の頃は気持ちの上ではもう映画に特化していたので、自分が学生時代に見ていた憧れの今村昌平監督の作品に出られるなんて夢心地でした」

-『うなぎ』はオーディションで決まったのですか?-

「はい。オーディションみたいな形の顔合わせです。今村監督の前で台本を読むという形でした」

-自信はありました?-

「いえ、オーディションはあまり受からないタイプだったので。見てくれが普通で昔の昭和の脇役、バイプレイヤーの人のように怪獣顔だったりとかしないし、タッパ(身長)もなくて目立たないのでオーディションでは落っこちてばかりだったんです。

でも、『うなぎ』のときは、なぜか監督とプロデューサーにも気に入られて受かったので、『ああ、このために今までオーディションに落ちていたんだな』って(笑)」

-憧れの今村監督との現場はいかがでした?-

「噂通りかなり粘着質でした。もう何度も何度もやって、僕たちの1シーン撮影だけでも午前中いっぱい使ったりしていましたし、前日にリハーサルもしっかりやっていましたし、本当に今では考えられないような贅沢(ぜいたく)な時間の使い方をしていました。

あと、細かいんですけど何も言わないんです。それがすごいなぁと思って。何度も『もう1回』とは言うんですけど、何も言わない。聞いても『それは各自が考えること。美術は美術さんが考えて、カメラマンは撮影のことを考えて、俳優は役のことを考えるべきでしょう?』と言うんです。

だからそれぞれの部署がある意味では自分で考えて作るという、パンクのDIYと一緒ですよね。そこで叩き込まれたものは大きいです。『これが今村イズムか』と、僕も全部出し切ろうと思って、クタクタになるまでやりました」

-田口さんは『うなぎ』で「毎日映画コンクール」の男優助演賞を受賞されました-

「うれしかったです。20代の頃は本当に何者でもない人間で、『自分には何ができて、世界とどういう接点をもてるのだろう』ということを迷走しながら何かをやっていたのが、きちんとした映画の巨匠の作品に出て賞をいただくなんてもったいないと思いました」

 

◆独特の穏やかな語り口でナレーターとしても話題に

2000年からはじまった『プロジェクトX~挑戦者たち~』(NHK)で、5年間ナレーションをつとめた田口さん。歯切れがいい独特の穏やかな口調が人気を集め、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)や『ドクターX ~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系)など多くの番組でナレーターとしても高く評価されている。

-俳優としてだけでなく、ナレーションの仕事もされていますが、ご自身のなかではどのように?-

「今はとくにそれぞれをわけていないです。時代が変化したのは大きいですね。もうジャンルがないじゃないですか。ボーダーレスな時代になっているので、そこで何かひとつに固執するのは難しいと思っています」

-いろいろ多方面で才能を発揮されていて-

「いえ、全然多才じゃないです。才能じゃなくて、やりたいと思ったことをやるということだけなんです。だから自分で本当に納得できるものは少ないですし」

-主演映画もいろいろありますし、『弾丸ランナー』(SABU監督)などを拝見していると、ものすごいほとばしるエネルギーを感じます-

「若いときはありました。マイノリティー意識があったので、世の中で常識と言われるものにバズーカ砲で無茶撃ちする、デタラメ撃ちするみたいな、そういうやんちゃな人たちと出会いましたから(笑)。

塚本(晋也)監督だったり、三池(崇史)監督であったり、廣木(隆一)監督も。廣木監督は全然作風が違いますけれども、世間に対して公序良俗(こうじょりょうぞく)みたいな権威に対してアンチであったりとか、そういう反抗心をもっていた人たちと出会えて、賛同して盛り上がって…そのパワーが作品に息づいたのではないかなと思います」

-2000年から『プロジェクトX~挑戦者たち~』のナレーションも担当されて話題になりました。あのお話が来たときはいかがでした?-

「あれも試しにみたいな感じだったんです。何人か候補がいて『読んでみませんか』と言われて読みに行ったら、『じゃあ田口さんで』と決まったので意外でした」

-バラエティ番組などでも「プロジェクトXふうに」と言われるほど、広く知られるようになって-

「そうですね。自分では思ってもいなかったです。あれは番組を作る方々自身も迷いいろいろ紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、みんなで試行錯誤しながら作っていったんです。それで最終的にああいう形になったので、みんなの共同作業の賜物(たまもの)でした。

語り口も最初からではなくて、試行錯誤の末にああいう形に落ち着いたということだったので、国民的番組だとおっしゃってくれる人もいますけれどもそこまで注目されるとは本当に思ってもいなかったです。

最初は情報量がものすごく多くて僕の語りが追いつかないので、ディレクターとプロデューサーが相談しながらどんどんカットしてくれて。一度言った言葉はもう出ている情報だからカットして、行間を大切にしていこうということになってああいう形になりました。

だから自分1人で作り上げたものではなくて、本当にみんなで作っていったという感じです。見ている人にはそこにある無名の人々の偉大なドラマを想像してもらいたいという思いを込めて、毎回読んでいました」

-『ドクターX ~外科医・大門未知子~』シリーズや、ほかにもたくさんのナレーションをされていますが、聴き心地がよくて印象的ですね-

「ありがとうございます。僕は『X』が付くと呼んでもらえるみたいです(笑)」

2003年には映画『アイデン&ティティ』で監督デビューもはたし、これまでに『色即ぜねれいしょん』(2009年)、『ピース オブ ケイク』(2015年)の3本の映画を監督。映画監督としても才能を発揮している。(津島令子)

©︎2021「映画 バイプレイヤーズ」製作委員会

※映画「バイプレイヤーズ~もしも100人の名脇役が映画を作ったら~」
2021年4月9日(金)より全国公開
配給:東宝映像事業部
監督:松居大悟
出演:田口トモロヲ、松重豊、光石研、遠藤憲一、濱田岳、柄本時生、菜々緒、高杉真宙、芳根京子、岸井ゆきの、でんでん、北香那、木村多江、北村一輝、有村架純、天海祐希、役所広司ほか
田口トモロヲたち100人を超える俳優たちで賑(にぎ)わう撮影所で、濱田岳を中心とした若手役者たちが″犬″を主役にした映画を撮影することになるが、ベテラン俳優たちをも巻き込んださまざまなトラブルが勃発して大変なことに…。