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俳優・永島敏行、農業と関わって28年。農業をしていなければ「多分嫌なやつになってた」

映画『ドカベン』で俳優デビュー後、数多くの映画に出演し、日本アカデミー賞主演男優賞をはじめ、多くの賞を受賞している永島敏行さん

30歳でイギリスに短期留学したことで「日本人とは何なのか」考えるようになった永島さんは、秋田でコメ作りを体験したのを機に、農業に携わるようになり、コメ作りをはじめて28年。毎週金曜日に東京駅の行幸広場で「丸の内行幸マルシェ×青空市場」を開催するなど農業コンサルタントとしても活動している。

©︎2020KSCエンターテイメント

◆映画祭を立ち上げるために秋田へ

映画で数多くの賞を受賞し、テレビや舞台へと活躍の場を広げていた永島さんは、37歳のときに農業と関わることになったという。

「故郷の秋田に帰っていた大学の野球部の仲間が、『秋田で映画祭をやりたいから手伝ってくれ』と言って来たので、『あきた十文字映画祭』の立ち上げを手伝うことになったんです。それで何度か秋田に通っているうちに、コメどころだし果樹園もあってすごくいいところだなあと思って。

娘がまだ小さかったので、こういう自然のなかで泥だらけにして遊ばせてやりたいなあって。東京ではなかなかそういうことはできないじゃないですか。それで秋田で知り合いになった農家の人に、『コメ作りを教えてくれない?』と頼んでみたんですけど、最初はダメだと言われて(笑)。

『俺たちはプロだ。なんでお前たちが遊ぶためにコメを作らなきゃいけないんだ?』と言われたんだけど、何回か行っているうちに教えてもらえるようになって。『そのかわり、やるには全部手作りだよ』と言われました」

-実際にやってみていかがでした?-

「よかったです、本当に。僕が生まれ育った千葉は、子どもの頃は周りが農家で田んぼがあったり、友だちの親が漁師だったりというのが多かったんだけど、実際に自分でやってみると『こんなに大変なのか』って(笑)。

最初にはじめたときには、『やるなんて言わなきゃよかった』って思った(笑)。一反300平米ぐらい、あれを手で植えていくと全然進まないんですよ。いくら野球で足腰鍛えているといっても、10分も中腰でやっていたら膝が笑ってくるような感じで(笑)。

『やるなんて言わなきゃよかった。こんなことするんじゃない』って思ったけど、やり終えたとき、植え終わったんだという達成感がすごくあって。自分が植えた苗がコメになるということ。そういうことも教わったり、やっぱり都会とは違う価値観、役者の世界とは違う価値観とか食文化とか、そういういろんなことを楽しく体験できましたね。

だから、うちの娘が2歳のときにはじめて秋田に連れて行って、それから25年間、娘の友だちや子どもたちをずっと連れて行っていました」

-コメ作りもやるとおっしゃったときに奥様はどのように?-

「女房は最初嫌がりました。『なんで泥のなかに入らなきゃいけないの?』って(笑)。でもやりはじめたら、モノを育てるという意味では農業って女の人に向いているのかなあって。

女性のほうがすごく丁寧にやっていくんです。男はすぐあちこちに頭が動いちゃって、草取りをしていてもずっと草取りをしてはいないんですよね。すぐあれもしなきゃとか、こっちのこともやらなきゃという感じで(笑)。

女性は本当にすごいなと思ったのは、草取りをはじめたらずっと草取りを続けてやり遂げるんですよ。それも、おしゃべりしながらね。ずっとおしゃべりしながら、きれいにやり遂げる。やっぱり女性と男性は、全然ちがうなあって(笑)。

だから見ていると、農家では女の人がだいたいお金を管理していますよ。男は投資したりなんかして失敗することがよくある。(農家の)女の人は取っておくものは取っておく、使うものは使う、旦那にはこのくらいとか、そういう采配ができるんですよね。そういうのをすごく農家で教わりました。うちのおふくろはバンバン使うほうで、入ってきたら全部使うというタイプでしたけどね(笑)」

-奥様は永島さんが農業をされていてよかったとおっしゃっているそうですね-

「そう。『もし農業をやっていなかったら、傲慢(ごうまん)で嫌な奴になっていたと思う』って言っています。自分でも芸能界だけしか知らなかったら、多分嫌なやつになっていただろうなって思う(笑)」

◆生産者と消費者をつなぐために青空市場を開催

米作りをはじめて全国各地の農家と交流が広がるようになった永島さんは、生産者の手伝いをするため、2005年に「有限会社 青空市場」を設立。同じ思いをもつ仲間たちとともに、生産者と消費者をつなぐ活動をはじめることに。

ヨーロッパなどでは週末になると都会でも街中に市場が立つことから、東京にもそういう市場をと、マルシェ(フランス語で市場という意味)をはじめたという。

毎週金曜日に開催している東京駅(行幸広場)での青空市場・マルシェをはじめ、全国各地での青空市場・マルシェや移動販売などで、生産者自ら販売も行い、食材の産地などの説明や郷土料理の作り方も教えている。

「農業をやりはじめてびっくりしたのは、農家には価格決定権がないんです。今は直売場とかマルシェみたいな青空市場ができたからありますけど、20年位前は結局全部農協側が買い取って、自分たちで値段を決められない。

それと農家の人たちに、自分が作ったものの評価も実際に聞くことができないと言われて。秋田はとくにリンゴもおいしいので、『こんなおいしいリンゴは直接売ったほうがいいんじゃないですか?』ということで、15年以上前にマルシェをはじめたんです」

-最初は大変だったのでは?-

「でも、農家の知り合いが結構多かったですし、大学時代の友だちも農業をやったりしていたので、協力してもらいながらはじめました。東京駅の行幸広場で開催しているマルシェは、はじめてから10年近くになります」

-毎週開催されているのですね-

「はい。最初は月に1回ぐらいだったんですけど、今は毎週金曜日にやっています」

-2020年からはコロナもありますからいろいろと大変でしょうね-

「そういう意味では本当に大変です。先も見えないんだけど、需要はあるんですよ。移動販売もやっているので、タワーマンションでマルシェをやってくれないかとか、需要はあるんだけれど、なかなか売り上げが上がらないという感じで(笑)。そこらへんが難しいですね」

-俳優業と農業コンサルタントの両立は?-

「コンサルタントと言えるのかどうか(笑)。マルシェはやっている人がいなかったので、そう意味ではよかったんですけど、時代がどうなっていくのか。でもネットの時代になってもやっぱりリアルが欲しいという人が多いので、やりようによってはね。大手ネットショッピングでも、リアルショップを作りはじめているじゃないですか。リアルと組んで。

リアルがないとネットで売れていかないという意味では、みんな農家の人たちもネット販売を自分たちでやっているけれども、やっぱりここでリアルに実際にというのがね。

人間はやっぱりface to faceがね。コロナ禍だけれども感染拡大に注意してface to faceで信頼関係を作っていくというのが、すごくあるなあと思うんです」

-継続は力なりと言いますが、マルシェのように長く続けていると信頼性、信用性は生まれますね-

「そうですね。マルシェで1番売れているのは、コロナ禍で今は来られませんが、福島の人ですからね。震災の後、原発の事故もあって大変だったんだけども、あきらめずにずっと来て『安全なものを作っています』ということを伝えてきたんです。

それで、最高に売れるときには1日に40万円売っちゃいますからね。すごいんです。どんなに高くたって500円位のものですから、それだけお客さんが付いてくれたんですよね。

どんなに白菜やなんかを作ったって、1個150円から200円くらい。自分の手元に入ってくるとしたら何十円なわけです。10円稼ぐことがこんなに大変なんだということは、農業をやってみるとわかりますよね」

-農業をやり続けていてくじけそうになったことは?-

「くじけました(笑)。大学時代の野球部の仲間が遊休農地、休耕地があるからそれをやろうというから行ってみたら5反あるんですよ、5000平米。友だちと何人かで行ってやってみたら強制労働みたいで(笑)。サツマイモができるときなんてすごいんです。

あれは蔓(つる)を切るのが大変でジャングルのようになるんですよ。上に伸びないけど下に伸びる。9月の暑い日にそれをみんな手で切っていたのでクタクタになって。 5年やったんですけど、死ぬかと思いました(笑)」

-それでもやり続けるところがすごいですね-

「言い出したらやらなきゃいけないじゃないですか。でも、さすがにもうちょっと体力的にきつかったです」

©︎2020KSCエンターテイメント

※映画『種まく旅人~華蓮(ハス)のかがやき~』
2021年3月26日(金)より石川県先行公開
2021年4月2日(金)より全国順次公開
配給:ニチホランド
監督:井上昌典
出演:栗山千明 平岡祐太 大久保麻梨子 木村祐一(特別出演) 永島敏行 綿引勝彦

◆亡き友の遺志を継いで映画に

農業や漁業に従事する人々をテーマに描く『種まく旅人』シリーズ4作目、映画『種まく旅人~華蓮(ハス)のかがやき~』(井上昌典監督)が、4月2日(金)より全国順次公開(石川県先行公開)に。今回は、石川県金沢市の伝統野菜「加賀れんこん」を題材に、後継者不在に悩む農業の現実を描く。永島さんはシリーズ1作目から全作品で農林水産省の次官をリアルに体現している。

「このシリーズは最初、僕と同い年で同じ事務所の塩屋(俊)がやっていて、ずっと農業をテーマにロードムービーみたいなのを作りたいと言っていたんです。それも寅さんみたいな楽しい作品を作ってみたいって。そのときに『永島はいろいろ経験があるんだから話を聞かせてくれ』と言われていたんですよね。

僕が実際に農業をやっているので、結構歴代の農水省の次官とかにも会うんですよ。そういう人を実際に見ているし、農家側の気持ちもわかるということで出演することになったんですけど、塩屋が1作目の『種まく旅人~みのりの茶~』が公開された翌年に突然亡くなってしまって…。

でも、プロデューサーやスタッフの方たちが塩屋の思いを継いでやってくださっていることと、もしかしたらこれからもっと、この映画が必要になってくるのかなと思うんですよね。農業のやり方が変わってきているし、どんなことがあっても食べることはやめないわけですからね。

とくに今、都会で働いていた人たちが地方に行って農業をしたりする。松山ケンイチ君がやりはじめたというんだからすごいですよね。この間知ってビックリしました。そういう意味では農業というものが日本を変えて行くことになるのかなという気はすごいします」

-大地康雄さんとか、俳優の方で農業をされている方は結構いらっしゃいますね-

「そうそう。大地さんは映画もフィリピンで作りましたからね」

-永島さんは実際に農業をやられているのでリアルですね-

「それはずっとやってきましたからね。自分で農業をやりたいなあと思ったのも、マルシェをやっていくのも、たとえば昔の役者さんというか、戦争を体験した方々というのは、やっぱりセリフを言わなくても存在感があるんですよね。

本当に大変な時代を生き抜いてきた人たちは、言葉に出さなくても見えるものがある。だからそういう意味では、『役者は何でも経験だよ』と言うけれども、本当にそうだと思う。

人それぞれに経験してきたことや何かがその人の音色になっていくと思うんですよね。だから僕は自分の音色というか、歳をとったら歳をとったなりの音色というのが出せればいいなあと思っています」

-この映画の撮影で印象的だったことは?-

「僕はいつも農水省の次官だから、口で言うだけなんだよね(笑)。でも、まだまだいろんなテーマがいっぱいあるので、もっとこの映画もシリーズ化が続いてくれるといいなあと思っています。そうしたら、いずれ僕も農水省を定年になって、畑に出て農業をやるほうに回れるかなって(笑)」

-今後はどのように?-

「今は苦しいけど、マルシェに出てくる生産者の人たちも、やっぱりマルシェがあるから、一般のお客さんとつながっていけるんですよね。だから、今はみんなコロナで大変なんだけど、やっぱりみんなでまとまって、いろんなアイディアを出し合いながらやろうということになってきているんです。

でも、マルシェを運営するのはできないから僕らにやってもらわないと困ると言われているので、そういう意味ではマルシェをどうにか続けていければなあと思っています」

俳優として忙しい日々のなか、農業と関わって28年。継続は力なり。どんなに困難な状況でもやり続けているところがカッコいい。(津島令子)