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永島敏行、名だたる監督たちとのタフな日々。気温40度の撮影も「世の中にこんな楽しい仕事があるのか」

映画『サード』(東陽一監督)、『事件』(野村芳太郎監督)、『帰らざる日々』(藤田敏八監督)で第2回日本アカデミー賞の主演男優賞をはじめ、国内の新人賞を多数獲得して話題を集めた永島敏行さん。名だたる監督たちの作品に次々と出演することに。

◆個性的な監督とプロ意識の強い職人スタッフに鍛えられ…

永島さんが俳優になったきっかけはお父さまが映画『ドカベン』のオーディションに応募したことだったが、ずっと続けることになるとは思っていなかったという。

「僕がいろいろな作品に出ることになっておやじも喜んでいましたけど、ずっとやるとは思っていなかったみたいです。おやじに『あと2、3年して食えなくなったら役者を辞めろ』って言われたんだけど、食えるようになっちゃったので(笑)。もともとは『俺が旅館を継ぐ』って言っていたのにおやじが勝手に応募しちゃったんだから、文句は言えないですよね。

おやじはもともとそういうのが好きだったみたいで、男性モデルに応募したことがあるんですよ。それで最終選考まで残っていたんだけど落ちて、そのときに受かったのが菅原文太さん。文太さんとは『黒いドレスの女』(崔洋一監督)で共演させていただいたんですけど、父は『仁義なき戦い』が好きだったのでとても喜んでいました」

-お父さまは芸能界に興味があったのですね-

「そうだと思います。とにかく映画が好きだったので、おやじとは映画を見に行くかビリヤードをするかという感じでした」

-ご自身では次から次へといろいろな作品のオファーがくる状況をどのように感じていました?-

「全然芝居の勉強をしたり習ったことはないけど、東(陽一監督)さんとかいろんな監督によく『お前は芝居ができないんだ。そんなに考える必要はない。芝居をしようと思うな』って言われました。

『台本を読んで何を感じるかだろう? 演技というのは演じる技だぞ。お前に技はない。でも感じることはできるだろう? 主人公が何を思っているか。人間というのは感情で動く。その思ったことで動くんだから』って。だからそんなに細かいことも言われませんでしたけど、下手な芝居をしようとしたりして欲を出すと怒られました」

-名だたる監督たちとお仕事をされていますが、印象的だった方は?-

「出会った監督たちがすごく楽しい監督ばかりで。とくにパキさん(藤田敏八監督)とかね。監督としてはすごい人なんですけど、それ以外は人間失格だなと思うくらい何もできないんですよ(笑)」

-映画にも出演されていましたが、かっこいい方でしたね-

「そう、カッコよくて魅力的な人でした。昭和7年生まれで僕の父親と同い年だったんですけど、東大まで出ていて映画監督をやっているけれども普通のことはできないんだなあと思って(笑)。

撮影の合間に寒いからカップラーメンを食べようってことになって、僕が作ろうとしたんだけどパキさんが『俺もできる』と言うから見ていたら、お湯が溢れてもずっと注いでいるんです。『パキさん、それこぼれていますけど』って言ったら『こうやって作るんだろう?』って(笑)。ウケを狙っているんじゃないんですよ。本当にそういう人なんです、不思議なことに。

『帰らざる日々』の顔合わせのときにはパキさんが運転する車に乗って食事に行くことになったんですけど、話し出すとギアを入れられなくて、(ギアが)セカンドに入ったまま一般道をすごい音をたてながら行くんですよ。

それに口を開けないでモゴモゴしゃべるので何を言っているのかがわからない。だからプロデューサーの岡田(裕)さんが『永島、わからないだろう? パキさんはこう言っているんだぞ』って通訳をしてくれるんだけど、助監督の根岸(吉太郎)さんが『いや違う。パキはこう言ったんだ』って言ったりして(笑)。本当に冗談じゃなくそういう感じだったんです。

でもスタッフもパキさんが監督だとみんな一生懸命で。めちゃくちゃキツい現場だったんですけど、夜中の3時とか4時に撮影が終わっても必ず宴会をやるんです。昔はね。2時間宴会をしないと寝ないんです。コンビニもない時代でしたけど、制作部の人はどこかから氷と酒を調達してきて、パキさんは必ず宴会に付き合っていました。

僕はまだ若かったし、そんなに酒が飲めないから寝ようかなと思っても助監督さんが呼びに来て、『監督が飲んでいるんだからお前飲め』って言うんですよ。『でも2時間も寝られないんですよ』と言っても『いいから飲むんだ』って言われて、きつかったですけどとても楽しく仕事ができました」

-みなさん、タフですね-

「タフですよ。びっくりしました。真夏の飯田(長野県)のロケで、あそこは盆地だからめちゃくちゃ暑いんですよ。気温が40度近くまでなっていましたけど、撮影が楽しいから終わってほしくないと思いました。世の中にこんなに楽しい仕事があるのかと思いましたから、本当に(笑)。与えられた役のなかでずっと考えて、そこに乗っかってやるのはすごく楽しいなあって。現場でそれはすごく教わりました」

-みんなの熱い思いもあったでしょうしね-

「そう。昔は照明さんが怖かったので。『照明の当たるところに止まれよ』と言われるんですけど、自分の感情で動いていると止まれないんですよね。そうすると照明さんが、『もういい、俺たちが当ててあげる』と言ってちゃんと照明を当ててくれるんですよ、プロ意識があるから。そういう意味ではすごい職人さんたちの集まりという気がしました」

◆ボイストレーニングを受けるためにイギリスへ

監督やスタッフの信頼も厚く、多くの映画やドラマ出演が続いていた永島さんだったが、演技を学んだ経験がないという思いは常に頭の片隅にあったという。そして30歳になったときイギリスに短期留学することに。

-ご自身のなかで行き詰まったような時期はありました?-

「一つは舞台に立てと言われたとき。舞台の仕事がきて、舞台はまた全然違う芝居の仕方だし、声の出し方も違うので。日本在住の中国系イギリス人で、日本で上演されるミュージカルのほとんどを買い付けてきている人がいるんですけど、その人が僕の出た芝居を見たときに『お前の声じゃ何を言っているかわからないぞ。ただ声が大きいだけじゃダメだ。ボイストレーニングしろ』って言われたんです。

どこでできるのか知らなかったので聞いたら、30年以上前の日本ではストレートプレイのボイストレーニングをするところがなかったんですよね。それで『どうすればいいんですか』って聞いたら、『イギリスに行ったほうがいい』と言われて。イギリスまで行くのかと思ったんだけど、なにごともやってみようかなと思って、イギリスにボイストレーニングに行くことにしたんです。3か月ですけどね」

-それまで英会話は?-

「全然。学校でほとんど勉強してないですからね。でもその前にアメリカで『ロングラン』という映画の撮影で約2か月間アメリカにいたんだけど、僕は日本人のバスに乗らずにずっとアメリカ人クルーの車に乗っていたので、なんとなく日常の必要な会話ぐらいはできるだろうなと思っていたんですよね。

それでイギリスに行って、アーノルド・ウェスカーさんという有名な劇作家のお宅にホームステイして英会話学校に行ったんですけど、文法から教えられて全然つまらなくてすぐに辞めちゃって(笑)。ローレンス・オリヴィエさんのボイストレーナーにすごい方がいて、その弟子の方がマンツーマンでボイストレーニングをしてくれることになったんです。

そうすると英語がしゃべれるようになるんですよね。なぜかと言ったら、『発音は筋肉だ。Lというのは歯と歯茎の境に舌の先をとんがらせてレレレレとやる。Lが出たら必ずそこに舌の先を当てろ』って言われたのでそれをずっとやっていたら、単語だけで通じるようになって、そうすると会話ができるようになるんです。

どうしても日本人は文法から考えちゃうから全然しゃべれないんだけど、そんな形で徐々にしゃべれるようになっていきました」

-3か月間日本を離れることに関して不安はなかったですか?-

「お金のことだけですね(笑)。3か月間日本をあけたら仕事もなく家賃もかかりますから。でも、僕は全然演劇に関して学ぶことがなかったので、そういう意味では必要なことでした」

-白いタイツを穿くのがイヤで演劇学校を辞めて以来ですものね-

「そう(笑)。本当に楽しかったです。僕は音痴だと思っていたんだけど、ちゃんとピアノの音を聞いてその音が出せるということもわかったし、教え方がうまいんですよ。『できるじゃないか』って言って褒めて伸ばす。

『それじゃあ、次に行くときにもっとうまくなっていよう』と思ってやるので。おかげで今まで声が潰れたことないんですよね。声の出し方というのがわかったので。簡単なことなんです。あまり緊張しないということ」

-イギリス留学はとても実のあるものになったと言うことですね-

「そうですね。やっぱり向こうで芝居などもいっぱい見たし、本当にそういう意味では有意義な時間でした。それと外から日本が見れるという体験も。自分も含めて一歩引いた目で自分やなんかを考えなきゃいけないと。ただ演技だけじゃなく、やっぱり島国で、ちっちゃな世界でちっちゃなことを考えているなあって。自分を含めてすごくそれは思いました」

-イギリスでの生活はどんなふうでした?-

「イギリスってめちゃくちゃ飯がまずいんですけど、ウェスカーさんの奥さんのダスティーさんが料理の先生で本を出すくらいの人だったんです。週末はよくウェスカーさんの家でホームパーティーを開いて、いろんな知識人の方がいらっしゃるんです。ウェスカーさんは有名な劇作家なので。それでいろんな話をして議論するんです。イギリス人は議論好きだから、次から次へとずっと議論しているんですよ。

たとえば日本人ということになったとき、日本人の考え方とか聞かれたんだけど、歴史とかについて答えられないですよね。英語も下手だし勉強もしなかったから『日本人とは何か』なんて考えられませんでした。

それで、『日本に行ったときには満員電車に乗ったり、人々がみんな無口で、決まりきったように動いていて気持ち悪い』とかって言われたりして、『日本人て何なのかなあ』と疑問に思ったんですよね。

日本に帰ってきて結婚して、『そうだ、日本人てコメだな』と思って。コメのことを知れば日本人が何なのか、その答えが見つかるのじゃないかなと思いました」

そして永島さんは映画祭を立ち上げるために行った秋田でコメ作りを体験したのを機に、農業に携わっていくことに。次回後編では秋田でのコメ作り、毎週金曜日に開催している「丸の内行幸マルシェ×青空市場」、4月2日(金)より全国順次公開になる映画『種まく旅人~華蓮(ハス)のかがやき~』を紹介。(津島令子)

©︎2020KSCエンターテイメント

※映画『種まく旅人~華蓮(ハス)のかがやき~』
2021年3月26日(金)より石川県先行公開
2021年4月2日(金)より全国順次公開
配給:ニチホランド
監督:井上昌典
出演:栗山千明 平岡祐太 大久保麻梨子 木村祐一(特別出演) 永島敏行 綿引勝彦
映画『種まく旅人』シリーズ4作目。石川県金沢市の伝統野菜「加賀れんこん」を題材に、後継者不在に悩む農業の現実を描く。

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