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五輪出場後に“殺害予告”も。男女平等のために闘うアフガニスタンの女性柔道家の決意

自由に好きなスポーツをする。

そんな等しく守られるべき権利が保障されていない国がある。それも“女性”に限った話。

ただスポーツをしただけで男性から暴力を受け、家族からは絶縁される。街を歩くことすら危険が伴い、見ず知らずの他者から殺害まで予告される。

すべてアフガニスタンという国で実際に起きている惨状だ。

2月14日(日)深夜に放送されたテレビ朝日のスポーツ情報番組『GET SPORTS』では、そんなアフタニスタンの不条理と戦い、女性の自由と権利のための道を切り開いてきたひとりの柔道家に迫った。

◆女性が柔道をしただけで家族から死を願われる

物語の主人公は、フリバ・ラザイー(34歳)。2004年のアテネオリンピックにアフガニスタン初の女性選手として出場をはたした柔道家だ。

彼女のスポーツとの出会いは、活発だった少女時代にあった。

「私の家族は1990年代のタリバン政権のころ、パキスタンの難民の家に避難していました。そのときにレイラ・アリの試合を見て憧れました」

幼い少女の心をつかんだのは、テレビで見た女性ボクサー、レイラ・アリ。あのモハメド・アリの娘として知られるWBC初代チャンピオンだ。

フリバは「自分もあんな風に戦いたい」と憧れ、ボクシングのトレーニング場を探した。そしてたどり着いたのが道場だった。

はじめて見る柔道に一瞬で惚れ込み、はじめたのは13歳のころ。しかし、アフガニスタンという国は、それをよしとはしなかった。

すべてのスポーツは男性がするもので、女性たちはできないものだとされていました。少女たちに期待されるのは、幼いうちに結婚し、主婦となり、子どもを産むという伝統的な役割をはたすことだけでした

イスラムの教えを厳格に守るアフガニスタンは、男女隔離や家父長制の文化がいまだ根強く、女性の社会的地位は極めて低い国のひとつだ。

女性に対する暴力も日常的に蔓延し、スポーツをすることすら許されない現状があった。フリバも例外ではなく、想像を絶する悲痛な記憶が残っている。

はじめてインドへ遠征に行ったとき、兄弟のひとりが不吉な願いごとをしました。『飛行機が墜落しますように』と。『おまえのように伝統的でないアフガニスタンの少女は、家族・隣人・コミュニティーの恥だ』と言われました。思い出すと今でも胸が痛みますが、私はあきらめませんでした

好きな柔道をするだけで家族に死を願われてしまう。だが、絶望は社会への疑念をより一層強くした。自分にも男性と同じ権利があるはず。その一心で、フリバは柔道をつづけた。

◆オリンピック出場で殺害予告。新たな支援活動に突き進む

そして2004年のアテネオリンピック。当時17歳だったフリバは、アフガニスタンで初の女性選手として出場をはたした。

1回戦、フリバは開始10秒で寝技に持ち込まれてしまう。そのまま一本負けに終わったが、アフガニスタン女性としてあらたな歴史を切り開いた大きな一歩となった。

しかし、この一戦が母国でのフリバの立場をさらに悪くすることとなる。

私が頭を覆わずに出場したことに原理主義者たちはとても怒っていました。『世界の人がヒジャブを身に着けないアフガニスタンの少女を見てしまった』と。たくさんのひどい脅迫を受け、とても困難な状況に陥りました。私は生まれた町や国を自由に歩くことさえ危険な状況になりました

オリンピック後、殺害予告まで受けるようになったフリバ。帰国後は身を隠して生活するようになり、常に危険がつきまとった。そして国を追われ、難民申請を行う。

彼女にはどんな苦難を突きつけられても、柔道をつづけたい理由があった。

柔道をしているとき、私は私自身を見つけることができます。自信を感じ、自立し、人生をコントロールできると信じられる。私は私の人生を生き、自立できると、大きな力を与えてくれるのです

畳の上ではすべての選択肢が自分にある。フリバにとっては、柔道だけが唯一自由を手に入れられる場所だったのだ。

フリバが選んだ定住先はカナダ。柔道をつづけながら現地の大学を卒業した。そして、あらたにアフガニスタン女性の自立を支援する「GOAL – Girls of Afghanistan Lead」というプロジェクトを発足する。

「ずっと教育とスポーツを通して、女性の権利を守るためのプログラムをはじめたいと思っていたのですが、アフガニスタンでは性差別や文化的・宗教的な障壁があり、実現できませんでした。カナダでは自由があり、やりたいことはすべて実行できます。柔道は私にパワーを与えてくれたので、柔道に恩返ししたいのです。私は、自分自身の体をコントロールできれば、人生におけるたくさんのほかのこともコントロールできるし、達成できると信じています」

カナダに移り、より自由を手にすることの大切さを実感した。だからこそ、スポーツには人生を照らすチカラがあるということを伝えていきたかった。

フリバはオンラインでアフガニスタンの女性たちと直接会話を重ねるとともに、世界に向けてさまざまな形で支援も呼びかけてきた。

するとそれは少しずつ形となる。フリバが柔道をはじめたとき、アフガニスタンでわずか3人しかいなかった女子選手が、今や200人以上にも増えているというのだ。

◆井上康生の招待で日本へ 帰国後に変わった世界

フリバの活動は日本にも届いていた。

2020年、アフガニスタンの女性選手、ザケラ・ホセイニ(23歳)とパーウィン・アスカリ(21歳)とともに、東海大学での合宿に招待されたのだ。それはNPO法人JUDOs(ジュウドウズ)を立ち上げた井上康生による呼びかけだった。

井上はフリバたちに声をかけた理由について、次のように語る。

「柔道を通じて培ったもの、養ったものを社会に還元できる人材になっていく。これが柔道の究極の目的でもあります。柔道着を着ている以上は柔道ファミリーですから。ファミリーが手と手を合わせてより発展していけるように、お互いに協力し合っていければ、これほど幸せなことはないと思っています」

アフガニスタンから来た2人の選手にとっては、はじめての異国での合宿。憧れの存在だという井上との交流や、日本の選手たちとの練習はとても貴重な経験になったという。

だがそんな2人もまた、母国では日常的に暴力を受けている現実があった。なかでもザケラは、兄弟から暴力によって柔道を禁じられ、今回が初の海外にもかかわらず、黙って日本へ出てきたという。

そんななか、この合宿で大きな変化があったと、のちにフリバが教えてくれた。

日本に来てから4日目に、ザケラは朝起きてストレッチをしながら私にこう言いました。『4日間連続で殴られず、とてもいい気分』と。彼女は日本からアフガニスタンに帰ることをとても心配していましたが、日本から帰国後、兄弟たちは彼女に丁寧に接するようになったと話していたんです。なぜなら、今もし彼女にひどいことをすれば、彼女はいつでもどこへでも行って自立して生きることができるとわかったから。日本での研修によって、彼女は自信と家族からの尊敬を得ることができたのです

彼女たちがスポーツをする理由。それは、ひとりの人間として、自らの意志と成し遂げる知恵を身につけるため。そんな女性がひとりでも増えていくことで、その連鎖はきっと社会を変えていく。

帰国後、ザケラとパーウィンが取材に答えてくれた。

「アフガニスタンの女性たちは、スポーツで世界の表舞台に出て、社会にとっての大きな成果を上げたいと思っています。ほかの女性にとってのよいお手本にもなれる。私たちは幸せで、フリバやコーチに感謝しています」(ザケラ)

「私の目標は、いつかチャンピオンになり、世界でアフガニスタンの旗を掲げることです。柔道によって、私は勇敢で忍耐強くなりました。そして、自分の環境についてより気付くようになりました。私たちの社会で生きることは非常に困難ですが、柔道を通して、私自身の人生も変えるために、辛抱強く変化をもたらし、努力するようにもなりました。いつか私の目標を達成し、夢を実現するために」(パーウィン)

アフガニスタンで生きる女性たちの未来を、人生をかけて切り開いてきたフリバ・ラザイー。その活動と言葉は、世界に蔓延している女性差別の問題が誰にとっても他人事ではないということを教えてくれる。

最後に彼女は、自らの決意をこんな風に語った。

これまでたくさんの脅迫と困難がありました。でも振り返ってみるとその価値はあったと思います。誰かが男女平等のために闘わなければなりませんから。人が生まれながらにしてもつべき権利のために、私たちは闘わなければなりません。権利なくして人生はありません

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜日夜25時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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