絵の具は一切使わない 画家・淺井裕介が“泥”だけで描き出す生き物の循環と爆発する生命力
土は植物を育む場所であり、生きている画材でもある。そしてどんな場所にでもあり、誰にとっても身近で、世界と人間を繋いでくれる存在でもある。新感覚アート番組『アルスくんとテクネちゃん』、第20回の放送に登場したのは、いろいろな土地の土を画材として使い、大きな壁画作品を生み出す、画家・淺井裕介さん。大きな自然の生命力に抱かれるような絵画は、国や年代を超えて多くの人の心に温かな何かを芽吹かせていく。描くということは自然と対話し、その声を“翻訳”することであると語る淺井さんが絵を描き続ける理由とは。
◆完成はなるべく遠ざけたい、“泥”で描く絵
―淺井さんは泥で作品を描いていらっしゃいますよね。なぜ泥を画材に選んだんでしょう。
本当に自然な流れです。奇をてらって画材を探したわけじゃなく、どこにでもあるもので絵が描けるようになりたかったんです。このメーカーのこの色がないと描けない、みたいに画材に縛られたくなくて。土は、人間が生活しているところだったら、お金がなくても、海外で言葉が通じなくても、すぐそばにありますよね。
―たしかにそうですね。
考え抜いてそこに至ったというよりは、漠然といつか土で描けるようになりたいという気持ちでした。火とか水とか光でもよかったんですけど、最初に手にしたのが土だった。
―最初に土を使って描かれたのはいつだったんですか?
たしか2008年だったと思います。インドネシアに行ったときです。それまでマスキングテープとペンで絵を描く作品を作っていたんですね。それも、どこにでもあるもので絵を描く、という視点で選んだ画材だったんですけど、わざわざ海外に日本のテープをもっていくのもどうかなっていう気持ちがあって。でも現地のテープはベトベトだし、貼って剥がせる感じでもなかったので、このタイミングかなと思って。そこではじめて土を使いました。
―インドネシアは湿気が多いイメージがあります。
製作をした場所はジョグジャカルタっていう東京と京都みたいな立ち位置の古都で、熱帯雨林気候で、見たこともないような巨大な葉っぱや植物が生えていました。『天空の城ラピュタ』のラピュタみたいに緑が生い茂る場所で。僕の背丈くらいある大きな葉っぱが伸びる木々もあって、それを支えている地面を見たら、土との距離が東京にいるときよりもぐんと近づいた感じがあり今このタイミングだと思いました。
―その土をはじめて使ってみたと。いかがでしたか?
なんで誰もやってなかったんだろうって思うくらい、生命力のある素材なんですよね。バケツに土を入れて、水を入れて、ぐいぐいこねて泥にして、それで絵を描きました。あるとき、2日くらい現場を開けて戻ったら、展示用のライトがあたって、泥から芽が出てたんですよ。
―なんと! 乾いてカチカチになったという話かと思ったら(笑)。
水と光が入ることで変化が起きるおもしろさを感じました。と同時に、畏怖というか、恐れのような気持ちも湧いて。僕が土をもってこなければ、いずれでっかい木になったかもしれない。僕がその土を画材として使って5✕10mくらいの壁画を作ったとして、どちらが価値のあることなんだろう…とすごく考えさせられました。
それ以来、どこにでもあるし売ってないものだからこそ、ムダにしてはいけないなとも思いはじめたんです。そもそも彼ら(土)は絵になるものじゃないはずで。土とコミュニケーションをとりながら、絵を描くことをなんとか許してもらう、そういう感覚で描いています。
―描くモチーフは木のように見えますが、これはどういったものですか。
植物を手本にしているところが大きいですね。人間の顔も描きますが、それは植物の化身というか、生き物の形を借りている植物のような。仮に胴体を切っても、接ぎ木ができるようなイメージです。
―なるほど。
植物ってあらゆるものを飲み込んでいく力をもっていますよね。癒されるとか温かみがあるとかそういった側面だけでなく、人がいなくなった集落が緑だらけになっていたり、畳を竹が突き破って出てきたり。環境さえ揃えば爆発する生命力、そういった面も含めて描きたいなと思っています。
―壁画のような巨大な作品ですが、最初からゴールは決めて描きはじめるんでしょうか。
うーん、よく描いてるときに「この絵ってどれくらいで完成するんですか?」って聞かれるんですけど、僕のなかでは完成というのは、なんというか、いちばん遠くに遠ざけるべきものなんです。完成したら終わっちゃうというか……。逆にどうやったら完成しないか、考えて考えて考え抜いて、これ以上もう完成を遠ざけられないっていうときに完成するものなんです。
―なるほど、おもしろい考え方ですね。
僕は続けること、終わらないことっていうのに興味があって。完成しなければ、変化が続いていくじゃないですか。なんていうか、“循環”みたいなことを意識しているんだと思います。
―循環。
人間がつくる人工物以外のものは、循環する形で成り立っていると思うんです。植物も、「花が咲いたね」って喜んでいるのは人間だけで、本来は朽ちて種になって落ちたものが運ばれていくことのほうが大事で。僕の場合はそれを絵でやっているという感じなんです。
―というのは、たとえば絵を描くことによって環境が循環していくといいな、というような?
土を使うのは、作品を観た人に、僕自身がどういう思いで絵を描いているかを伝えるための手段なんだと思っていて。たとえば環境を守りましょうとか、環境問題みたいなことを表現したいというより、この地球環境のなかで僕自身が生きていくこと、その循環のなかに人それぞれのやるべきことをどうしたら組み込めるのか、それを考えたり、感じてもらうためのひとつの手段として絵を描いているっていうか。
◆絵を描くのは翻訳する行為
―淺井さんにとって絵を描くことってどんな行為なんでしょう。
僕の絵ってビジュアルアートで、目があって葉っぱがあって耳があって、という感じで伝わりやすいものだとは思うんですね。でも、自分の内側から出てくる自己表現っていう感じはあんまりしていなくて。どちらかというと翻訳みたいな感じ。
いったん描きたいものを自分のなかに入れて、自分をくっつけずに外に出したときに、いいものができている気がしてるんです。翻訳ってAをBにするじゃないですか。けど、なるべく自分が単なるフィルターになれたときに、うまくいったなと思うんです。なるべくこう、翻訳するべき対象を上手に捉えようっていう感じはありますね。
―なるほど、翻訳している感覚なんですね。
そういうことに気づいてきたのは土で描きはじめて5〜6年経ってからで。その前はコミュニケーションツールになっている感覚がありました。
絵描きの古典的なイメージって世捨て人みたいな偏屈な人じゃないですか。だから自分もそうなろうと思って、一大決心をして絵を描きはじめてみたんです。実際、人付き合いもできなかったし、アトリエに籠もって。
でも、描けば描くほど人に会える。いろんな人と一緒に描くこともあるし、絵を描くことが自分にとって最大のコミュニケーションツールになっていて。わりと描きはじめてすぐ感じましたね。
―とてもいい話ですね。いろんな人と一緒に描くというのは?
僕は壁に描くから、アトリエの外で描くことが多いんです。壁をアトリエのなかに入れることもできるけど、植物の感覚とズレてしまうし、何か違う。そうなると、必然的に外で描くことになりますよね。
その空間っていうのは僕だけの空間ではなくて、そこを生活圏にしている人なり、仕事場にしている人なりがいる。たとえば海外で描いていると、僕が描いているのを見ている人というのが常にいて、「段々こいつ疲れてきてるな」って伝わるわけですよ。僕が筆をポロッと落とすと拾ってくれたり、脚立の上にいると「あの色欲しいのかな?」ってもってきてくれたりして。
―関係性ができていくんですね。
そうなんです。多くの場合が、子どもとか、美術教育を受けていない普通の方々。同業者とか常識ある大人は遠慮して「集中させてあげよう」って近づいて来ないんですけど、そうじゃない方ですよね。
そのうち「やる?」って聞いたら「やる」って言ってくれる人も出てくる。僕の絵は、線があって色を塗るという繰り返しだから、塗るのはそんなに難しくないんです。その人ができる最大限丁寧にやってくれれば、はみ出していても何の問題もなくいい絵だなと思うし、「やりたい」っていうその気持ちがすごく大事で。やらされてるんじゃなく、自分から「やりたい」と思うなら、むしろいい絵になっていくと思うんですよね。
―おもしろいですね。
与えられる空間が段々大きくなってきて、でも時間と予算はそんなに変わらないので(笑)、人手があると単純にありがたいというのはあります。あとやっぱり人って、本質的に絵を描くのが好きなんですよね。
上手に描けなくてコンプレックスをもってる人はいるかもしれませんけど、真っ白い壁に土をベチャベチャッてぶん投げていいよっていったら、やっぱりなんかやりたくなるっていうか。
その壁の形を元に僕が生き物を描き出すと、「私もやりたい」っていう人が結構いるんです。いろんな土を使うので、同じように土地の人の手も入ると思い通りにはいかなくなる、つまりいい感じに完成が遠のくわけで、その期待感もありますね。
―外で描く醍醐味がありますね。
外だけでもないんですけどね。自分がコントロールできる状況でアトリエで描く絵と、そうじゃない環境で描く外での絵と、両方のバランスを取っていきたかったというか。僕自身がどんな状況にあっても描けるほうがおもしろいのかなとは思ってますね。
―さきほど、マスキングテープで描いていたと仰っていましたけれど、それはどういう作品だったんでしょう?
マスキングテープは僕にとっては本当に大事な強い味方です。いかにして描くかっていうことを考え続けてたときに行き着いたんですけど、2001年からやっていて、もう20年近く経つけどいまだに飽きない。ポケットにマスキングテープ一個いれてペンをいれておけばどこでも作品にできる。剥がして消してしまうこともできる。
―いわゆる翻訳的な考え方は、マスキングテープの頃からおもちだったんでしょうか。
そのときは、そこまで深く考えていなくて、とりあえず電信柱に絵を描きたかったんです。電信柱って無限にあるじゃないですか。歩きながら、あそこに絵を描こうと妄想して、シャドーボクシングみたいに描くんですよ。
グラフィティをやる勇気もないから、貼って剥がせるマスキングテープというのを考え出して。実際に電信柱に作ってみると、イメージしてるほど楽しくないんです。植物を描くから下から伸ばすと、なんとなくおしっこくさい感じがするし(笑)、円形なので平面に比べて効率が悪いし、出来上がりの見栄えもあんまりしないなあって。でもそれもいい学びになりました。頭で考えるより、実際にやってみると、空間とか環境に対するハードルはすごく低くなる。
―貼ったものは一旦剥がすわけですよね。
描く行為にのみ興味があったので、完成したら10分くらい自分で見て、写真もとらず剥がしてたんです。そして、剥がしたテープはゴミ箱に捨てずにスクラップブックに貼ってたんですね。それを“標本作り”、剥がすことは“収穫作業”って呼んでいて。撤去するっていうよりは、実ったものをもち帰っているっていう感覚がありましたね。貼って剥がすところまでがマスキングテープだなって。
◆鹿の血から感じ取る生命力
―それもある種の循環なのかもしれないですね。そこから泥で絵を描くという方法に出合って、今はより生命に近づいている感じなんでしょうか。
2019年からは鹿の血を使って絵を描きはじめています。血っていうのはある種禁じ手だと思っていたんです。何もない極限の状況ではじめて使うものというか。そんなタイミングは来なければいいけれど、あらかじめ考えておくことは大事だなと。
そうやっていろいろと考えを巡らせていたときに、自然な流れである猟師さんと出会ったんですね。その方は獣肉を解体してできるだけおいしくして出したい、という信頼のできる方で。でも、肉は食べるけど、血は流れて処理されてしまう。もしかして血で絵を描くのは今なんじゃないかなと。
―時が来たと。
でも、血だけ送ってもらって描くわけにはいかないなから、猟に同行させてもらって、撃って捌くところを見て、血を分けていただいて。そうしたら、体温とおなじ温度というか、すごくあったかいんです。もっといえば、血というのは水と土の関係よりももっとすごいスピードで変化する素材なので、その翻訳作業はすごく難しいし、苦しかったです。絵を描いてて苦しいっていう体験は今までになかったんですけど、生き物が死んで、腐っていくなかで描くので。
―ものすごい重責があるというか……。
そうですね。今までは水と光、みたいな生命力を感じていたんですけど、血っていうのはもう少し脂っぽいっていうか、水性だけれどまとわりついてくる感じがあって。マスクや手袋をして描くっていうこともはじめてでしたし。
苦しいけれど新鮮な体験でもあって、だからこそ悲しみとか間違っても呪いみたいな絵には絶対したくなくて。簡単に死が連想されてしまう素材だからこそ、土とかテープでやっていたことを強く表現できるようになればいいなあと思って頑張っています。
―ある意味それも、生を強く意識して、翻訳する作業ですよね。長くそういった製作を続けてこられて、感覚って変化してきましたか?
描くことを経て、自分のなかでいろいろなものを再確認している感覚があります。僕はもともと高校で陶芸を勉強していたんですけど、最近立体作品を作りはじめたので、陶芸も再開したんです。そうしたら、平面や四角いもの以外の形をより自然に作れるようになっているなあと感じました。
―平面の絵を描いてきたのに不思議ですね。
おもしろいですよね。僕自身、肩書きはなんでもいいと思ってるし、平面に限らず立体作品だけの展示もしていきたいなと思っています。
あと、僕の作品は言葉を介さずに伝わるものだと思っているので、今はコロナ禍でなかなか海外に行きづらいですが、もっといろんな土地へ行って、その土地に暮らす人と素材とで、いろいろ描けるといいなと思ってます。
<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>
淺井裕介
画家
あさい・ゆうすけ|1981年、東京都生まれ。1999年、神奈川県立上矢部高等学校普通科美術陶芸コース卒業。2003年からマスキングテープに耐水性マーカーで植物を描く『マスキングプラント』の製作を開始。主な個展に「淺井裕介 ― 絵の種 土の旅」(2015〜2016)。アートプロジェクトへの参加としては、「ピュシスとピュシス - テープと旅のドローイング」(2020〜2021)、「なんか/食わせろ」(2020)、「生きとし生けるもの」(2016)、「瀬戸内国際芸術祭」(2013〜2016)、「越後妻有アートトリエンナーレ2015」、「yamatane」(2014年)などがある。
※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん』
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)
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