金山一彦、俳優を辞めようかと単身アメリカへ。4000キロ旅して見つけた自分の存在理由
吉川晃司さんと知り合ったことがきっかけで、夢に見た俳優生活を送ることになった金山一彦さん。まだ事務所と契約を交わす前にドラマ『気になるあいつ』(日本テレビ系)のオーディションに受かり、何もわからないまま撮影がはじまったという。
◆ファンレターが段ボール箱で届くように
はじめてのドラマ撮影に戸惑いながらも、とにかく言われるがまま、一生懸命臨んでいたという金山さん。雑誌やスポーツ新聞の取材も受けることに。
「よくわからないので、取材では言いたいことをバンバン言って、ファンレターの宛先とかも出ていたんです。それで1日に1通とか2通、多いときでも5通くらいファンレターが来るようになったので、自分で返事を書いていたんですよ。『ありがとうございます。よろしくお願いします』みたいな感じで。そのことを取材のときに言ったんですね。
そうしたら、翌々日ぐらいから、毎日100通から200通ぐらいファンレターが来るようになっちゃって(笑)。それで1週間にいっぺんぐらい事務所に顔を出していたんですけど、行くたびに段ボールが積まれていくんですよ。『金山ファンレター』って書かれた段ボールが。
『また増えていますね』って言ったら、『お前、勢いが止まらへんよ』って言われて、それから1か月後くらいに会社が『契約しよう』って言って契約することになりました」
-そのときにはバイトはもう辞めていたのですか-
「忙しかったのでバイトをする時間がなかったんです。テレビの収録があったり、取材があったり…ものすごく忙しくて」
-いきなり生活が変わったと思いますが、いかがでした?-
「ジェットコースターに乗っているみたいでした。1日にたくさんの人と会いますし。ドラマの撮影に行けばスタッフが何十人もいますし、毎日違う人と会うので新鮮でした。取材も1日に5本とか6本とかあって、もう何をしゃべっているかわからなくなっちゃったとか(笑)。
2時間ドラマがあったり、その当時ファンレターがいっぱいきたので、『バンドもやらないか』って言われてバンドもやっていて、渋谷のライブスタジオでライブをやって800人ぐらいお客さんが入ったりして。会社の人も『行け!行け!』みたいな感じで、忙しくて忙しくて…(笑)」
◆中華料理店当時の修業話で主演ドラマのオファーが
ドラマ、映画、バンド活動で多忙な日々を送るなか、取材で中華料理店の修業時代の話をしたことがきっかけで、主演ドラマのオファーがあったという。
「中華料理店でどんな修業をしていたのかという話になって、僕のときは言葉より拳で教えるというか、拳というよりお玉ですよね。お玉でカーンと殴られたり、包丁で材料を切っているとき、やり方が悪いと、マスターが左側にいて、『お前、それちゃうやないか!』って包丁(の柄)で殴られるんですよ。
そういう感じで仕事をしていたみたいなことを言っていたら、NHKのプロデューサーの方が『ぜひ話をしたい』ということで、『こういうドラマを作ろうと思っているけど、髪の毛を切らなきゃいけない』って言われたんです。
だから『いやですね。断ってください』ってマネジャーに言って。そのときバンドをやっていたので、髪の毛が長かったんですよ。だから『髪の毛を切るなんて冗談じゃない』って思っていたんですよね(笑)。
それで1回断ったんですけど、『もう1回お願いされたよ。どうする?』ってマネジャーに言われて。NHKのドラマの主役だっていうので、『えーっ!? じゃあ、NHKのドラマに主演したらライブにもお客さん来てくれるかな?』とか思って。
NHKで主役って言ったら、やっぱり全国区だし、『じゃあ、やりますか。やりましょう』って言って『髪の毛切るのも大丈夫だな?』って聞かれたから、『大丈夫です』って言って(笑)。
それでやったのが『イキのいい奴』というドラマで、それが視聴率がよかったので、やってよかったなあって思いました。続編の『続・イキのいい奴』も作られましたしね。今考えると、よく最初に断ったなあって(笑)」
※『イキのいい奴』=戦後間もない東京柳橋の鮨屋に弟子入りした青年が職人として一人前に成長していく姿を描いたドラマ。金山さんは小林薫さん演じる頑固一徹の辰巳鮨の親方の弟子・平山安男を演じて話題に。
-一度は断ったのに、そのままにならなくてよかったですよね-
「本当にそう思います。小林由紀子さんという、『はね駒』だとか『おしん』とかをやられていた方がプロデューサーだったんですけど、『あなたしかいないというふうに私は思ったから。あなた1回断ってきて生意気だなとも思ったけど、でもあなたしかいないと思ったの』って、あとで言われました」
-髪の毛を切ったご自分をご覧になったときいかがでした?-
「意外とイケるなと(笑)。今はもうずっと髪が短いからいいんですけど、当時は長髪でバンドをやっていましたからね。それとショーケン(萩原健一)さんが好きで『前略おふくろ様』(日本テレビ系)での短髪姿を見ていたので、生意気にもそれを自分に重ねてみたり…。でも、意外と大丈夫だったなぁと(笑)」
-主役をやったことによって周りの方の反応とかいろいろ変化もあったと思いますが-
「毎日恐れ多かったです。みんな気を遣ってくれるし。『いやいや、ちょっと勘弁してくださいよ』という感じでしたね、僕は」
◆調子に乗らないように、謙虚にと…
-結構すごい勢いで出ていましたね-
「最初はね(笑)。だから、調子に乗らないようにしようと、いつも思っていました。僕だけの力ではなく、周りの人がいて僕が神輿(みこし)に担(かつ)がれるみたいなことですよね。
僕が表に出ているんだけど、マネジャーさんがいたり、プロデューサーさんがいたりとか、みんなのおかげで僕が出させていただいているので、調子に乗るのだけはやめよう、人に嫌われないようにしようとか、そんなことばかり思っていました(笑)」
-若いと冷静さを失ったり、舞い上がってしまう人もいますが、冷静だったのですね-
「いや、でも舞い上がりますよ。やっぱり現場とかに行って『金山さん、どうぞ』とか主演の人に言われたりすると、『あっ、どうもすみません』とか(笑)。
だから気を付けていないと、うっかりしていると、調子に乗っちゃうなと思っていたので。僕は劇団出身者でもないですし、演劇学校に通って俳優になったわけでもありませんし、日々現場で先輩から教えてもらうことばかりで、俳優という仕事をやっているわけですから。
別にそんなに技術があるわけでもなく、そんな才能があるわけでもないので、謙虚に行かないといけないなと思って」
-実際に現場でお芝居をされていかがでした?-
「現場で小林薫さんだとか若山富三郎さん、松尾嘉代さん、かたせ梨乃さん、石田えりさん…そういう諸先輩がたにリハーサルが終わって一緒にご飯を食べに行ったり、撮影が終わって薫さんと飲みに行っていろんな話をしたりとか。
最初は『しっかり準備をしてきなさい』って言われても、何を準備したらいいのか、意味がわからなかったんですよ(笑)。朝早く起きて、いつもより長く歯を磨いたりして(笑)。そんなことばかり思っていたんですけど、やっていくうちに、『なるほど、台本をよく読めということか』ってわかってきて。
『本のセリフの裏側を読め』って言われたときも、『裏ってなんだろう?』って思っていたら、『どういう気持ちでこういうふうに言っているのか、自分が、そして相手が。それを読んでこい。そこを読め』って言うんですよ。『えっ? 文字書いてないですよね?』みたいな感じで(笑)。『気持ちを自分で繋げてこい』とか、そういうことをいろいろ教わりました。もう必死ですよ。
セリフも長いですし、すごい大量のセリフがあるので、しかもそれを3日ぐらいの収録で撮るわけで。1日リハーサルがあるとはいえ、朝から晩までですからリハーサル。それで丸3日撮影。
そのほかにもバンドをやったりもしていましたし、毎日必死でした。その当時はあんまり遊んでいた記憶もないし。遊びたくても遊ぶ時間がなかったという感じで。お金も使いませんし。使う暇もなかったですね」
-お仕事をはじめてすぐにレギュラーが決まったり、ドラマの主役をされたりと順調なスタートでしたが、うまくいかないと時期はありました?-
「だいぶ物事がわかりはじめた頃というか、俳優という仕事がどういう仕事なのか、本の読み方にしろ現場での芝居の作り方など、いろいろなことを教わって、節目節目でいろいろな方に会うんですね。
原田芳雄さんの場合は、仕事ではなくプライベートだったんですけど、息子の喧太と知り合いになって、喧太が『家に遊びにおいでよ』ということで芳雄さんとプライベートでお会いして、それから何回もお会いするようになったんですけど。
あと緒形拳さんと共演させていただいたときも、息子の直人と知り合いだったので、さらに緒形拳さんとメイク専用の車両で2人でよく移動していたときもありまして。緒形さんによく鍛えられましたね。2人でずっと話していましたので(笑)。
監督で言えば市川崑監督とか、節目節目というか、自分が何か危機感を感じる時期に、そういう方々とお会いしていろいろ助けていただいたというか、何かパッと橋を渡してくれたというか…。何かそんな感じがしないでもないですね、今考えれば」
-辞めようと思ったことは?-
「あります。僕は映画というのは、寓話(ぐうわ)とリアリズムという両極端なものがあるとすれば、リアリズムに寄ったものだと思っていたんですね。
だから、それぐらいのリアリティを出さないと、あの大きな画面でたくさんの人たちの心を動かすことはできないだろうというふうに、僕は映画を見て思っていたので。
たとえば、ブルース・リーだとかもそうですけど、やっぱりちょっと違った部分を芝居で見せなきゃいけない部分があったりだとか。そういうところにちょっと疑問をもったときがありまして。そのときに辞めようかなと思ったことはあります」
◆アメリカ一人旅で決意したこと
23歳のときに俳優をやめようかと考えたと話す金山さんは、スケジュールが空いたところで単身アメリカに旅立ったという。
「1人でレンタカーを借りてずっと2か月ぐらい旅をしていました。英語はしゃべれなかったんですけど、単語を並べて、一生懸命話すと一生懸命聞いてくれるので。『あっ、こいつしゃべれないな』って思うと、一生懸命聞いてくれてすごく親切にしてくれるので、なんでも一生懸命やっていました」
-その2か月間の旅でご自身のなかで変化はありました?-
「常に四六時中そういうことを考えていたわけじゃないんですけど、本当に何キロも砂漠で、何もないところもあるんですよ。俺はここで殺されて埋められたら、多分見つからないだろうなっていう不安なところに止まって、外に出てボーっとしていると、いろんなことを考えるわけですよ。
いろんなことを考えて、そのときに4000キロくらい旅をしたんじゃないかな。そのあと2週間ぐらいロスにいたんですけど、結果、やっぱり頑張ってみようとあらためて思いました。
諸先輩がたもいろいろ教えてくれて、そういう方々からお言葉をいただくなんてことはないわけですから、日常では。僕のためを思ってというか、頑張ってがむしゃらにやっていたので、教えてやろうと思って教えてくれたことを僕がムダにするのも失礼なんじゃないかと思って。
緒形拳さんとか、原田芳雄さんとか、そういう偉大な先輩方の言葉を、僕に後輩ができたら、伝えていくだけでも俳優を続けていく存在理由があるんじゃないかとか、いろんなことを考えていました」
-そういう意味ではすごく有意義な2か月間を過ごされたのですね-
「そうですね。だから、それ以降も2週間仕事が空いたとか、1か月空くとかなると、すぐに『アメリカに行ってきます』って行っていました。本当にしょっちゅう行ってました。楽しくて(笑)」
アメリカ一人旅で俳優として生きていくことをあらためて決意したという金山さん。ドラマ、映画、Vシネマなどで幅広い役柄を演じることに。次回後編では、プロ級の腕前の料理、5歳、4歳、2歳の3人の子をもつイクメン生活、撮影から6年の時を経て今月5日(金)に公開される映画『空蝉の森』の撮影裏話も紹介。(津島令子)
※映画『空蝉の森』
2021年2月5日(金)よりUPLINK渋谷ほか全国順次公開
配給:NBI
監督・脚本:亀井亨
出演:酒井法子 斎藤歩 金山一彦 長澤奈央 角替和枝 西岡德馬 柄本明
行方不明になって3か月後、警察に保護された加賀美結子(酒井法子)は帰宅するが、夫である昭彦(斎藤歩)は妻とは別人だと言い放つ。外見も体の傷も妻と同じであるにもかかわらず、昭彦は結子をニセモノだと言い張り、やがて衝撃の事実が明らかに…。