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金山一彦:芸能界入りのきっかけは、吉川晃司の家をいきなり訪ねたこと「1回目は怒ってました(笑)」

1985年、ドラマ『気になるあいつ』(日本テレビ系)で俳優デビューし、『イキのいい奴』(NHK)、映画『シャコタン☆ブギ』(中原俊監督)、映画『無頼平野』(石井輝男監督)など多くのテレビ、映画に出演している金山一彦さん

バンド「DogsBone」のボーカル・KINTAとしても活動。芸能界屈指の料理上手としても知られ、バラエティ番組などで腕前を披露し、2009年には『金山一彦流チャーハンの極意&おかずの素スペシャル』(実業之日本社)を出版。2014年に弁護士の大渕愛子さんと再婚し、現在は2男1女の3人の子どもたちのイクメンとしても話題に。2月5日(金)には映画『空蝉の森』の公開が控えている金山一彦さんにインタビュー。

 

◆小学生の頃、映画のパンフレットで漢字を勉強するほど映画館通い

大阪で生まれ育った金山さんは、中学・高校時代は流行(はや)りの不良スタイルの制服に身を包み、学校に通っていたという。

「一般的にやんちゃな子だったんじゃないかと思います。僕らの頃は流行だったんですよね、ヤンキーとか、学ラン着た『なめんなよ』の″なめ猫″とか。漫画でも不良がモデルの作品が多かったし、そういう時代だったので、僕はどちらかというとファッションで」

-いわゆるボンタン(昭和のツッパリ、不良の定番ファッションの一つ)というやつですか-

「そうボンタンとか、ドカン(ワタリ・裾ともにかなり広いズボン)。『横浜銀蠅』さん、杉本哲太くんがやっていた横浜銀蠅ファミリーのロックバンド『紅麗威甦(グリース)』とか、ああいうのが流行(はや)っていたんですよね。『ビー・バップ・ハイスクール』もそのあとできましたけど」

-じゃぁ、もうバリバリの?-

「バリバリというか(笑)。恥ずかしいですけど」

-芸能界に入ろうという考えは?-

「いや、とくにそんなふうには考えたことはなかったんですけど、母親が映画ファンで。僕はシングルマザーで育ったんですけど、母親がウィークデイは働きに出ていましたので、お休みの週末は、母も映画が見たいということで、僕もそれに付き合わされていたというか。

それで最初に僕が見に行ったのが、小学校1年生のときで、ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』という映画だったんですけど、『なんだ?これは』って思って(笑)。それから映画を見てパンフレットを集めるようになって。毎回映画を見に行ったらパンフレットを買って、夢中になって読んでいました。

だから、学校の勉強とかはおろそかだったんですけど、映画のパンフレットで漢字を覚えたり、母に聞いたり、辞書を引いたりしていたので、パンフレットを読んで結構勉強したという感じでした。何の勉強したかわからないんですけど(笑)。

そんな感じで小学校1年生から毎週末必ず2本映画を見て過ごして。それで、一応高校に行ったほうがいいだろうということで高校に入ったんですけど、あまり合わなくて、結局2学期ちょこっとだけ行ってやめてしまいました」

※金山一彦プロフィル
1967年8月16日生まれ。大阪府出身。1985年、ドラマ『気になるあいつ』(日本テレビ系)でデビュー。 『シャコタン★ブギ』(1987年/中原俊監督)、『稲村ジェーン』(1990年/桑田佳祐監督)などの映画で注目され、1995年の『無頼平野』(石井輝男監督)、『新・悲しきヒットマン』(望月六郎監督)でヨコハマ映画祭、大阪映画祭で助演男優賞受賞。 最近では『小さな恋のうた』(2019年/橋本光二郎監督)、『Fukushima 50』(2020年/若松節朗監督) 、『大岡越前』(2021年/NHK)などに出演。2月5日(金)には映画『空蝉の森』が公開に。

 

◆高校中退、中華料理店で修業することに

高校1年の2学期に中退した金山さん。まだ16歳。実家に戻り、この先どうするのか母親と話し合うことに。

「僕もそのとき自分なりにいろいろ考えたんです。僕の同級生が、これから高校3年間、大学4年間、合計7年間学業に専念している間、僕はもう外に出て働くわけですから、7年後、同級生が社会に出たときに、僕のほうが給料をもらっていないと意味がないと思って。

それで、何がいいのかって考えたら、手に職をつけるのがいいんじゃないかと思ったんです。ちょうど僕の知り合いの従兄弟(いとこ)が中華料理のコックをやっていたので、そこで働かせてもらって中華料理のコックになろうと思って。

それで、7年後に店でも構えれば、すごいだろうと。高校をやめたかいがあったやろうと(笑)。そういう目論見(もくろみ)というか、そういうことで中華料理のコックになろうと」

-実際にお店に入ったときはどうでした?-

「料理を覚えるのは楽しかったですよ。マスターは、料理を基本、教えてくれないんです。たとえば餃子っていうと、材料を切るにしろ、鍋の振り方、調味料は何を入れるかというのも、すべて見て覚えるんです。

だから、ずっと見て自分でまねしてやって、それで仕事を覚えていくという感じで、それはすごく楽しかったです」

-それまでは家でお料理することは?-

「全然まったくありませんでした。だからはじめてだったんですけど、何か覚えることと、覚えたことが実践してできたときにすごくうれしかったんですよね。それで、もうちょっとこの味が足りないなとか、マスターが味付けをしているところをジーッと見ながら自分のご飯とかを自分で一生懸命作っていました」

-テレビなどで拝見していても見事な腕前ですが、中華料理店にはどれぐらいの期間いらしたんですか-

「1年ぐらいです。僕も飽きっぽい人間なので、1年ぐらいまじめにやっていたんですけど、結局、毎日同じことの繰り返しなんですよね。

朝何時に起きて、朝ごはんを食べて店に入って、米2升炊くんですよ。まず1升炊いて、1升は冷蔵庫に入れてとか、あと材料の足りないものがあれば切って、餃子を包んで、それで店を開けて…。その店はランチが11時半から2時半までで、夕方5時まで休み。そして5時半から夜の10時まで営業していたんですね。それが毎日同じなんですよ。

休みの日以外は10時にお店が終わって、それから遊びに行こうという気なんて毛頭なく、住み込みで働いていたので、同僚とちょっと一緒にご飯を食べに行って銭湯に行って寝るという毎日だったので、つまんないなあって(笑)。『俺はこれを繰り返して一生終わるのは嫌だなあ』と思って」

-まだ16歳ですものね-

「はい。それで店を辞めて家に戻るんですけれども、うちの母親に『お前はこれからどうするんだ?』って聞かれて、とりあえず、まだ10代ですし、二十歳までは、可能性の低いところから攻めてみようと思ったんですよ。

何ができるかわからないじゃないですか。最初から頭で『できない』って考えると、もうそれで終わりだし、ずっと大阪にいるのもつまんないと思って。

『可能性が低いところから攻めるよ。とりあえず、映画は人よりぎょうさん見てると思うから、ちょっとあのスクリーンにアップで顔が出てみいや。カッコええやん』って言ったら『ムリ、ムリ』って言われて(笑)。『いや、ムリってわからんやろ?』って言ったら、『まあまあ、そりゃそうやけど。ほな行っといで』って言って送り出してくれたんですよね」

◆16歳で単身上京、吉川晃司さんの部屋を毎晩訪ねて…

16歳で大阪から単身上京した金山さん。東京には何年か前に一度遊びに来たことがあり、そのときに泊まったことがある新宿のサウナにまずは向かったという。

「最初はそのサウナに泊まっていたんですけど、うちの母親の知り合いがいるって聞いていたので、そこを訪ねてみようと思って訪ねて行って。そこでバイトを探すお手伝いをしてもらったりしていました。大阪から現金7万円しかもって来なかったので、バイトをしてお金がある程度たまったら部屋を借りるとして、それまでは家に泊まっていていいと言われたので、そこにお世話になって」

-アルバイトは何をされたのですか?-

「いろいろやりました。近所の地中海料理屋さんのキッチンに入ったり、ガソリンスタンドで働いたり、中華料理屋でウェイターをやったり。コックはもうやりたくなかったので(笑)。

2つぐらいバイトをかけもちしていたので2か月ぐらいで部屋を借りるお金もたまって、4畳半で1万2000円の部屋を借りました。キッチンもトイレも共同で、部屋だけだったんですけど、バイトしていたガソリンスタンドの社長がタンスをくれたりして、それはそれで楽しかったですね」

-芸能界入りのきっかけは?-

「母親の知り合いの家にお世話になっていたときに、その家の方が、『2階下に吉川晃司が住んでいるらしいよ』って言ったんですよ。ちょうど『モニカ』のシングルレコードをもっていたので、何とか友だちになりたいなあと思って(笑)。

別に芸能界入りの下心があるとかそういうのじゃなくて単純に、スターですからね。映画にも出てらっしゃるし、ちょっと話が聞きたいなあって思ったりして。それで訪ねて行ったんですけど、1回目は結構夜遅かったので怒っていて」

-吉川さんご本人が出てらしたんですか-

「そうです。怒っていました(笑)。それで2回目に行ったときもちょっと怒っていて(笑)。3回目に行ったら怒ってなくて、『また来たね。だったら入りなよ』って入れてくれて、いろいろ話をして、それから毎日行くようになって」

-いきなり訪ねて、毎日行くようになったのですか?-

「そうなんです。いろいろこんなバイトをしているんですとか、自分の報告をしたりとかして、とにかく毎日行っていました。吉川さんが『夜のヒットスタジオ』が終わって帰ってきたら、僕が夜食を作ったりして(笑)。そんなことをやっていました」

-吉川さん、すごいですね。逆のパターンで、もし金山さんが住んでいるところに、知らない人が訪ねてきたら部屋に入れますか?-

「いやですね。入れない(笑)。だから吉川さんはすごいです。今ももちろん付き合いがありますけど、やっぱり変わらないですよね。懐が深いのは昔から一緒で、今も全然変わらない。だから、懐が深い人というのは、若い頃から懐が深いんだなぁと思って」

-金山さんが映画好きでスクリーンに顔がアップで映りたいというお話はされていたのですか-

「一応目指していますけど、どうなるかわからないって言ってました。それで毎日毎日通っていたら、吉川さんも僕よりふたつ上で、まだ19歳だったので、マネジャーさんと一緒に暮らしていたんです。それで、ある日行ったら、吉川さんがいなくて、マネジャーさんだけいて。『晃司から話を聞いているよ』って言われて、いろいろ話をしたんですよ。

そうしたら、吉川さんの映画デビュー作の『すかんぴんウォーク』の話になって、『あれで気に入ったセリフある?』って聞かれたから、山田辰夫さんが言ったこのセリフいいですねって言ったら、『覚えているの?』って。

だから、『映画を見たら印象的なセリフは覚えています』って言ったんです。そうしたら、今までどんな映画を見たのか聞かれたので、『聞きます?』みたいな感じで(笑)。

小学校1年生から毎週末映画を見ていたこと、どんな映画を見ていたのか、気に入った映画のシーンやキーポイント、好きなところなどをいろいろ話して…というのを1年間ぐらいしていたんですよ。

そうしたら、そのマネジャーの方が、『渡辺プロでやってみないか』って言ってくれて、それで紹介していただいて、新人養成期間みたいなのがあったんですけど、入ってすぐにオーディションがあるから行こうって駆り出されて日本テレビに行って。

僕よりも先に湯江タケユキくんとか中山秀征くんとかが事務所に入っていて、僕より先輩だったんですね。僕が一番下っ端だったんですけど、楽しそうだなあと思って見ていました(笑)。彼らもオーディションを受けに行っていたんですけど、なぜか僕だけ受かって、ドラマをやることになったので、どうしようかなあって(笑)」

まだ事務所とも契約をしていない状態でドラマの撮影に入ることになったという金山さん。何もわからないまま、俳優生活がスタートすることに…。

次回は俳優生活のスタート、初主演ドラマ「イキのいい奴」(NHK)の撮影裏話なども紹介。(津島令子)

 

©︎『空蝉の森』製作委員会 NBI

※映画『空蝉の森』
2021年2月5日(金)よりUPLINK渋谷ほか全国順次公開
配給:NBI
監督・脚本:亀井亨
出演:酒井法子 斎藤歩 金山一彦 長澤奈央 角替和枝 西岡德馬 柄本明
行方不明になって3か月後、警察に保護された加賀美結子(酒井法子)は帰宅するが、夫である昭彦(斎藤歩)は妻とは別人だと言い放つ。外見も体の傷も妻と同じであるにもかかわらず、昭彦は結子をニセモノだと言い張り、やがて衝撃の事実が明らかに…。

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