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デビット伊東、とんねるずの“ひと言”でラーメン修行へ!「芸人を続けるか悩んでいる時期でもあった」

ヒロミさんとミスターちんさんと3人で結成した「B21スペシャル」として多くのテレビやライブに出演し、人気を博したデビット伊東さん。1990年代後半からは個々の活動も多くなり、デビットさんは俳優としても注目を集めることに。

◆俳優として衝撃的な役柄にチャレンジ

1998年、デビットさんは、ドラマ『聖者の行進』(TBS系)に出演。純粋な心をもつ知的障がい者が性的暴行をされていたという、実際にあった事件を基にしたドラマで、その衝撃的な内容が話題になった。このドラマでデビットさんは、障がい者に暴力を振るい虐待を繰り返す役を演じ、視聴者を震えあがらせた。

―『聖者の行進』のデビットさんは強烈でしたー

「本当に申し訳ない。でも、申し訳ないという気持ちで演じたことは1回もないんですけど、あの時期にNHKで子ども番組をやっていたので、そこの子どもたちの背景が見えたのが、やっぱりつらかったですよね。障がい者のお客さんもいっぱいいたので。

でも、そのときに勇気づけられたのが、普通だったら、『ふざけるな! ひどいことをやって』とかって言われると思うんですけど、『ありがとうございます。感謝しています』って言われることが多かったんですよね。

それは、僕たちには見えないけれど、障がい者に対する虐待行為が本当にあるんだっていうことなんです。『あそこまでやってくださってうれしいです』って言われましたからね」

―障がいがあったり、立場の弱い人は守らなければいけないというのが普通だと思いますが―

「でも、ドラマのなかでかなりひどいことをやっていましたけど、実際にあるんですよ。普通にあったんです。それを世間に知ってもらうきっかけにはなったのかなって」

-すごく迫力があって怖かったです-

「ほかの人がやるんだったら僕にやらせてくれって思っちゃうんですよね。障がいがある方の背景も含めて、悪い人を演じるんだったら、陰湿的なものでもなんでも僕に演じさせてくれって、本音では思っていますね、ずっと。僕が全部クレームを買うからって。

『聖者の行進』のときにディレクター、プロデューサー含めて全員に言っていたのは、『早く殺してください』って(笑)。

最初は、3話くらいで殺されるはずだったんだけど、結局、7話まで延ばされましたからね。もう暴力を振るう手がないんですよ」

-『聖者の行進』の反響は大きかったでしょうね-

「すごかったですよ。いまだに言われますもん(笑)。そのとき見ていた若い子たちは、直立不動になって言いますからね、『聖者の行進見ていました』って(笑)」

-このドラマをやったことで、悪役の依頼が多くなったということは?-

「たしかに。思ったことはないですけど、そうかもしれない。多いというよりも、いくつか役が来たときに、自分が選ぶのは悪い役が多いですね。

悪役のほうがおもしろいし、役者をいじめたくなるのかもしれない(笑)。今は役のなかで遊びはじめちゃうので、僕は。

だからこそ、『普通にセリフを言っているだけでいいの?』って思うのかもしれない。『段取り通りのセリフでいいの?』って思っちゃう。ちょっと変人なんですよね(笑)。

リアクションが見たくなっちゃうんですよ、相手の。それで、すごくいい感じだと、『今撮って、今いいリアクションしている』って(笑)」

-それに対応できる人と対応できない人がいると思いますが-

「できない人は目も合わせないです、僕と(笑)。僕もリハーサルをやっているときにムリだってわかったら、スーッとそのまま段取り通りにやっちゃいます。

でも、遊びたくなっちゃうんですよね。素晴らしい人だなあって思うと、どんどんどんどん遊びたくなってしまう。相手のリアクションが見たくなっちゃうんですよね」

◆テレビの企画で、ラーメン店で修業することに

デビットさんは、『聖者の行進』の後、『踊る大捜査線』(フジテレビ系)、映画『花より男子ファイナル』(石井康晴監督)、『図書館戦争 THE LAST MISSION』(佐藤信介監督)など多くのドラマ、映画に出演。お笑い芸人としてだけでなく、俳優としても幅広く活動することに。

-お笑いだけでなく、俳優活動もということで、スケジュールが大変だったのでは?-

「それができちゃうんですね。だって1日24時間あるんですよ。それで、遊ぶ時間もあるんです。余裕ですよ。ただ、セリフが入る、入らないは別としてね(笑)」

-仕事は比較的順調にずっと?-

「順調でしたね。仕事がなくて生活に困るというような状況は、1回もなかったです。何か知らないけど、誰かが救いの手を差し伸べてくれていました」

2000年、お笑い芸人、俳優として多忙な日々を送るなか、テレビ番組の企画でデビットさんをラーメン屋さんに修業に行かせるという企画が。

「芸人としてレギュラー出演していた『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)の企画です。

その企画のお話をいただいた頃は、バラエティ番組をたくさんかけもちしていたんですけど、芸人を続けるかどうか悩んでいる時期でもあったんです。

ちょうどその頃、プライベートでケガをしてしまって、左足の膝から下がまったく動かない状態で、腓骨(ひこつ)神経麻痺(まひ)だと言われました」

-ドラマの撮影のときには特殊な装具をつけてやっていたそうですね-

「はい。ちょうど『月下の棋士』(テレビ朝日系)というドラマをやっていて、正座をしているときはよかったんですけど、歩くのは不自由だったので装具を付けていました。

正座は大丈夫だったんですけど、膝から下がブランブランで。今でも痺れていますよ。

足はそういう状態だったんですけど、ラーメンの企画は、多分、ほかの方はみんなお断りしたんでしょうね(笑)。

『ちょっと待ってくれって。普通に撮影するならいいですけど、今やれって言われて、すぐにわかりましたとは言えないです』って言ったんですけど、とんねるずさんに『いいからやるべ』って言われて(笑)。

足のケガもいつ治るかもわからないし、だったら芸能人として何かチャレンジできるんだったら、やらせてもらおう。一念発起してラーメン店をやろうと思いました」

-実際に修業してみていかがでしたー

「楽しかったです。それまでアイスクリーム屋さんとか喫茶店でちょっとアルバイトをしたことがあるだけだったので、めちゃめちゃ楽しかった」

-修業は厳しいのでは?-

「厳しいと思うでしょう? でも、僕はそれが厳しいとは思わなかった。コントをやっているときのほうがよっぽど厳しいと思っていたので。

あと、プラスに切り替えられたのは、お客さんがいるからですね。お客さんがいるということは、もうそれはエンターテイナーじゃないですか。それで切り替えられたんですよね」

-修業期間はどれぐらいだったんですか?-

「半年間です。半年間ですけど、朝8時から深夜の3時、4時まで働いていました。それで寝て起きて、また朝8時からですからね」

-修業期間の半年間、他のお仕事は?-

「密着取材がついていましたから、半年間はそれだけです。最初はホテルを取ってくれたんだけど、修業中なのにホテルから出てきたらおかしいでしょう?

それで、『ダメダメダメ! テレビをおもしろくするんじゃないの? アパートからやらせて』って言って。

芸能界でずっとやってきているので、いくら自分が修業してそれを密着したとしても、どこかでおもしろくなればいいなって思っている自分がいるんですよね」

2000年、7月にラーメン店「でび」を渋谷に開店(2001年に店名を「でびっと」に変更)。最初の1か月間はスープをとるために厨房(ちゅうぼう)で寝起きし、3か月間はスタッフと24時間一緒にいてラーメンの作り方を教えたという。

「店を出して1年間は、テレビ局がついていて期間限定だったんですけど、その期間が終わるとすぐ、社長に『独立します』って言って、各所に全部あいさつをして、独立させてもらいました。

それで、渋谷店を閉じて、自分で中延(東京・品川区)と札幌、小樽、そして大和(神奈川)に店を出したんです」

ラーメン店を経営する実業家としても幅広く活動することになったデビットさん。一時はラーメン店経営に徹していたが、いかりや長介さんの勧めで芸能界復帰を決断することに。次回後編では、恩人・いかりや長介さんへの想い、2月13日(土)に公開される映画『かくも長き道のり』(北村優衣さんとW主演)の撮影裏話も紹介。(津島令子)

©︎2021『かくも長き道のり』

※映画『かくも長き道のり』
2021年2月13日(土)より池袋シネマ・ロサほか全国順次公開
配給:ナインプレス
監督・脚本:屋良朝建
出演:北村優衣 デビット伊東 真瀬樹里 坂本充広 宗綱弟 沖ちづる
2017年伊参映画祭シナリオ大賞、審査員奨励賞受賞作を映画化。
孤独に生きてきた駆け出しの女優・遼子(北村優衣)は連続ドラマへの出演が決まり、4か月ぶりに故郷の田舎町に帰って来る。故郷には25歳年上の元賭博師の恋人・村木(デビット伊東)が。所属事務所からは別れろと迫られているが…。