テレ朝POST

次のエンタメを先回りするメディア
未来をここからプロジェクト
menu

「越えられない壁を越える」伝説のクライマーが語る、競技だけじゃない“クライミングの神髄”

プロフリークライマー・平山ユージ。

10代で海外に渡り、アメリカ・ヨセミテ渓谷やスペイン・ホワイトゾンビなど、数々の世界難関ルートを完登。ワールドカップでは日本人初の総合優勝を成し遂げたクライミング界のレジェンドだ。

1月25日(月)にCSテレ朝チャンネル2で放送する『平山ユージ オンサイトに挑む』の第1弾「トップクライマー 瀬戸内を登る!」では、平山が同じくプロフリークライマーの杉本怜、大場美和とともに、岡山・王子ヶ岳のボルダリングから岸壁連なる小豆島でのリードクライミングを実施する。

2日間のクライミングを終え迎える最終日には、平山が若きクライマーたちと熱いクライミングトークを展開。本稿では放送にさきがけ、その一部を紹介する。

◆「登って、生活できれば、それだけでいい」

10代でクライミングに魅せられ、すぐに渡米し、過酷な生活を送りながらフリークライミングのトレーニングを積んだ平山。そんなクライミング界のレジェンドは、なぜプロクライマーを目指したのだろうか。

平山ユージ(以下、平山):俺がプロクライマーになったのは、もう単純。メチャ単純。クライミングしたかったから(笑)。

ずっとアルバイトしてクライミングするための費用を稼いでいたんだけど、できればクライミングに集中できたらなとずっと思っていて。そんななか応援したいっていう企業が手を挙げてくれて、自分のクライミングをただただ表現していくだけで、生活していけたらいいなって真剣に考えるようになった。とにかく登りたかった、という

杉本怜(以下、杉本):登りたい一心でプロクライマーを選択っていうことですか。

平山:そうだね。極端な表現でいくと、それでお金を稼ごうとかじゃなくて、登って、生活できれば、それだけでいいから、それ以上望むつもりもなかった。だけど、プロとしての活動もだんだん増えていって、気づいたらなんとなくクライマーっていうと平山ユージみたいに思われるようになっていた。

杉本:平山さんらしい。10 代ですぐにアメリカに行ったとき、どんな生活をしていたんですか?

平山:超サバイバルだったな。アルバイトで貯めた貯金50万か60万円もって行ったんだけど、野宿がメインで、朝食はコーンフレーク、夕食はごはんかスパゲッティを一日おきぐらいに作って食べてた

大場美和(以下、大場):アメリカでは結構いろんな場所に滞在していたんですか?

平山:最初ヨセミテ(国立公園)に行って、そのままネバダに渡って、ユタに渡って、コロラドまで行って。そのあとワイオミングとオレゴンに、それぞれ1か月くらい滞在。その後、またヨセミテに3週間くらいいたのかな。最後は、ジョシュア・ツリー(国立公園)に1か月くらい過ごした。

杉本:半年くらいずっと旅するクライマーって、平山さんのほかにもいたりしましたか?

平山:高校生の年齢の人はいなかったかな。年に数人はいるんだろうけど、だいたい3か月くらい、大学の夏休みとかを利用して来ている人が多かったかな。

大場:すごい生活ですね。

平山:確かになかなかタフな感じだけど、高校生で無鉄砲で、男子だからできたのかもしれないね。

杉本:僕は小学校3年のときにクライミングをはじめたんですけど、その半年後くらいに平山さんが北海道にいらして、交流イベントをしてくれたんですよ。当時は僕もクライミングのことを詳しく知らなかったんですけど、そのときの平山さんのクライミングがすごくて、プロクライマーとして活動している平山さんてカッコいいなぁって思いました。

そのあと、自分の実力が足りないとか現実的な課題がいろいろ出てきて、プロクライマーの夢から少し遠ざかった時期があったんですけど、大学生のときにワールドカップで優勝してからプロクライマーになりたいっていう熱がまた戻ってきたんです。

そして最後のひと押しが、大学で会ったサークルの先輩です。民宿をやりながらすごく自由に生活している人で。お金をちゃんと稼がないと生活ができないっていうイメージがあったんですけど、やり方によってはクライミングを楽しんで、自由な生活をするのもありなのかなって思って、そこから完全にプロクライマーになるための準備に取り掛かりはじめました。かすかに残っていた自分のなかの種火が大学生になってボッと燃えてきた感じですね。

大場:私は、やっぱりきっかけは小さいときに見たプロクライマーへの憧れだと思うんです。私はまだ「自分はプロクライマーだ」って胸を張って言えないから、プロクライマーとしてもっと成長していかないといけないなって思っているところですかね。

◆競技だけじゃない。クライミングの魅力

つづいて3人は、「最近力を入れている活動」についてトーク。選手として、クライミングという競技を広める存在として、それぞれに思うところがあるようだ。

杉本:11年、ワールドカップ選手として出場しているんですけど、「そろそろ引退も近いなぁ」と考えはじめていた矢先にコロナのこともあって、より引退が現実味を帯びてきたなぁっていうのを感じています。

引退後もクライミングを通して活動していきたいっていうことは考えていて、2020年はイベントをコーディネートしたり、いろんなことにチャレンジしたりする年でしたね。選手から次の別の形に移っていくためのいい移行期間という感じでした。

平山:今、28歳だっけ?

杉本:29歳になりました。選手としてはもう数年がんばりたいって思っています。

平山:自分が29歳のとき、はじめてワールドカップで総合優勝したんだけど、振り返ると確かに先のことを考える年齢でもあったなぁ。

杉本:そうですね。10年ぐらいやっていると結構長くやってるなぁって思いはじめました。

平山:20代後半は、ホントそういう年だよね。美和ちゃんは?

大場:私が最近力を入れていることは、クライミングの普及活動ですね。数年前までみんな働きながらやっていたけど、最近はクライミングの知名度が上がって、クライミングだけに集中できる人がちょっとずつ増えてきているから、クライミングを広める活動を通してクライミングに全力で向き合う選手の力になれたらなと思います

あと、クライミングって大会だけじゃなくて、いろいろな付き合い方があるということも、もっとたくさんの人に伝えたいなと思っています。

平山:そうだよね。クライミングのいろんな価値観を伝えて広めていくのは本当に大事だね。今のクライミングの見え方って競技一辺倒なところがあるから、美和ちゃんがクライミングのおもしろさや魅力を伝えていってくれると、若い人や女性にも伝わっていく気がするよね

ファンとクライミングをする企画でも、僕らの登りを見ていて「山登りってこんな楽しいんだ」って伝わっているような気がするんだよね。「兄さんどうやってやってるの?こうやったらいいんですかね~」ってすぐ話しかけてきてくれる。

平山:最近自分のなかでは年だからとか、「俺がクライミング界引っ張らないといけないな」とか、どこかでそういうのを背負っていて、「やらなきゃ!」と思いすぎていた。オリンピック競技になるというタイミングで、スポーツクライマーやクライマーに少し協力してほしいという世の中の流れみたいなのがあって、「がんばんなきゃ俺も」と思ってやりはじめたんだけど、やっぱり登りたい気持ちはすごくある。

杉本:ユージさんが登っている姿に憧れるクライマーがたくさんいるから、登りつづけてほしいですよ。

平山:登りたいっていう気持ちは自分らしいと思うし、怜君が言うみたいにカッコいい姿を見せるのは、みんなのためにもなっているのかもしれない。まぁ、でもあと4年くらいかな。

55か56歳になったら、今までの知識をふんだんに使って、旅といろんな岩の魅力などを併せたプロジェクトを作ってもいいのかな。「限界」っていうのはなかなか難しい歳になってくると思うから、クライミングの別の魅力を、プロクライマーとして見せられたらなと思う。クライミング界に恩返しして、その後にまた少し登ろうかな。

杉本:僕も力入れなきゃ。登ること。

平山:本当だよね!今日もやっぱり怖くてドキドキしたりとかさ、難しくてもう「あー!!」とか言いながらやっているけど、ああいう無になって夢中になっている瞬間ってすごくうれしいね。

杉本:楽しいですよね。

平山:そこが僕らにとって、生きていくうえでの軸になっていると、心身ともに健康でいられるのかな。

大場:どんなクライマーもそこは一緒ですね。

平山:そうだね。多かれ少なかれやっぱり登って爽快になったり、怖い思いをしてそれを乗り切ったときに充実感や乗り越えた感覚があって、そういうのがクライマーとして「越えられない壁はない」みたいなところだと思う。

人生にも通じるような気もするしね。越えられない壁を越えるみたいな。

杉本:人生そのものになっちゃってますよね。

平山:なってるね。これ、70歳になっても80歳になっても登ってるんだろうなぁ。

◆オリンピックを入口にクライミングの魅力を広めたい

2021年に延期となった東京オリンピックでは、オリンピック競技としてはじめてスポーツクライミングが実施される。クライミング界にとっての転機といえるこの大イベントを、3人はどうとらえているのか。

杉本:やっぱりワクワクしますよね、オリンピックって。オリンピック(競技)になる、なるって言われているなか、ついに東京で「来たか!」って。クライミング業界全体の盛り上がりもかなり加速しましたし、僕がプロとしてやれているのもオリンピックのおかげみたいなところもあります。

大場:やっぱりオリンピックのおかげで一気にクライミングが広まったと思うし、私自身も競技で活躍しているクライマーをすごく尊敬しているから、私が知っているカッコいい人たちをもっといろんな人にオリンピックを通して知ってもらいたいなと思います。

そうやっていろんな人にクライミングが広まって、クライミング界が盛り上がって、クライミングが好きな人たちがクライミングをたくさん楽しめるようになっていったらいいなと思います。

杉本:オリンピックを通してクライミングの文化が地域に根付いてほしいですよね。

平山:確かにね。きっかけとして、オリンピックっていうのは人の心に入りやすいかもしれないよね。

実際自分も小さいころ、オリンピックの選手になりたかったの。マラソン選手になりたくて。もし自分が20代後半くらいでそういう適性があったら目指していただろうね。

そのくらいオリンピックって、言葉ひとつで人の心を動かせるくらいのパワーがある。そのパワーみたいなものを利用できる部分もあるだろうし、ひとつの入口としてより深いクライミングのおもしろさに導くポイントなのかな。

杉本:そうですよね。東京があって、パリもあって、ロサンゼルスも多分ある。

平山:それこそもう夢は、道は開けているぐらいに見えるもんね。3種目(リード、ボルダリング、スピード)それぞれで金メダルが獲れそうだよね。そのころにはパラリンピックもクライミング種目になっていて、もう立派なオリンピック競技として認められる、みたいなね。

※番組情報:『平山ユージ オンサイトに挑む 第1弾 トップクライマー 瀬戸内を登る!
2021年1月25日(月)よる7時~、CSテレ朝チャンネル2にて放送

はてブ
LINE
おすすめ記事RECOMMEND