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自分そっくりのアバターを自在に操る メディア・アーティスト、谷口暁彦がみせるバーチャルとリアルの境界線に潜む“ズレ”

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第13回の放送に登場したのは、自分そっくりのアバターを自在に操りながら、インタラクティブな映像作品を生み出すメディア・アーティスト、谷口暁彦さん。仮想空間で踊る分身は生々しくもどこかぎこちなく、バーチャルとリアルの境界に潜むズレをユーモラスに提示してくれる。大きく変動するこの時代に、谷口さんは世界や未来をどんなふうにとらえているのか。

◆バーチャルな世界とリアルな世界のズレとその隙間

―谷口さんご自身がアバターとなって登場するパフォーマンス作品『やわらかなあそび』を拝見したんですけど、アバターの動きに目を奪われました。

パフォーマンス作品『やわらかなあそび』の1シーン 2019年

英語のタイトルは「ソフトプレイ=子どもの遊び場」で、よくショッピングモールに設置されている、やわらかいクッション素材でできた子どもの遊び場のことを指します。

コンピューターでシミュレーションされるバーチャルな世界と、子どもの遊び場を重ね合わせて、ケガはしないけれど危険な遊びが繰り返される場所としてバーチャル空間を捉えた作品です。

―途中、小さなお子さんがバスのおもちゃで遊ぶ実写映像と、そのなかでアクロバティックな動きをしている谷口さんのアバターが交互に映し出されます。

おもちゃで遊んでいるのはうちの息子です(笑)。子どもがバスで遊ぶのを見て、もしもあそこに本当に人が乗っていたら大惨事になるなと想像したことが、この場面を作るきっかけです。コンピューターで描かれる、バーチャルな世界は、しばしば事故や災害を防ぐためのシミュレーションとして使用されます。そうしたシミュレーションは、現実に起こりうる事故や悲劇をあらかじめ繰り返すことで、現実に起きる被害を最小限にとどめようとするものです。

パフォーマンス作品『やわらかなあそび』の1シーン 2019年

でも、見方を変えると、バーチャルな世界は現実世界での事故を未然に防ぐために、何度も何度も悲劇が繰り返される悲しい場所に思えてきたんですね。そのことに気づいて作った作品です。

バーチャルな空間は現実に似せてシミュレーションされるけど、現実には関与しないので、直接的な被害は一切起こらない。だからこそ、大変な事故も、過剰な暴力も、延々と繰り返されてしまいます。

―お子さんを登場させたことにも意味はあるんですか?

子どもって、成長して発達していく段階でいろんなことを試すんですよね。はじめて気づいたんですけど、生まれた直後って思った以上に乱暴なんです(笑)。

でもその乱暴な行為が、人間として世界を理解する方法のひとつでもあるんだなと。

ものをわざと落としたり、怪我をするようなことをしたりしながら、世界がどのように出来ているのかをとい捉えて、理解していく。そうやって世界の解像度が高まっていくんです。そうした遊びを、安全に行える場所としてクッション素材の子どもの遊び場があるわけです。そして、僕たちはこの子どもと同じことをシミュレーションとしてやっているんですよね。

―ああ、たしかに!

ここまでやったら建物は壊れるよ、車が壊れるよ、ということをシミュレーションして、建築や工業製品にフィードバックしているわけですよね。子どもの様子を眺めているうちに、遊び場とバーチャル空間が繋がりました。

―ものすごく大変な事態なのに、どこかユニークでもあります。

舞台で上演したときも、アバターが事故に遭うところで笑いが起こるんです。でもそれは、コンピューター上のシミュレーションだと思っているから笑えるわけで、実際に起きたら笑えない。その紙一重なところってなんだろうなと思いながら見てもらえたらいいなと。

バーチャルな世界とリアルな世界って、すごく似ているけどどこかズレていて、その隙間に僕らが見落としている悲劇というか、コミュニケーションの齟齬の問題があるような気がするんです。

―作中でも紹介されていた、心臓発作の件もそうですよね。

そうですね。実際にあった話で、VRチャットという仮想空間のなかでユーザー同士がコミュニケーションをとるオンラインサービスのなかで、あるユーザーがリアルに持病の発作を起こして倒れてしまった事件がありました。他のユーザーがその苦しむアバターを助けようとしたけれど、当然、実際に本人に触れることはできません。

仮にアバターというキャラクターを助けても、現実に倒れてしまったプレイヤー本人を助けることにはならない。倒れている人の姿だけが、目の前で生々しく再現される。そこに悲劇があるというか。

―しかも連絡先も知らないから、何もできないという。

同じ時間と場所を共有していたと思っていたのに、実はみんなバラバラだったという事実が強烈に明らかになる瞬間だったと思います。そういう新しいリアリティが目の前に立ち上がっているんだ、ということを考えていました。

―バーチャルがもつ悲しみを感じさせますね。

でも、ネガティブな側面ばかりでもないと思っていて。たとえば、バーチャル空間は、同じ存在が複製される場所でもある。データとしての私の存在さえあれば、条件を変えて違う存在が何度もあらわれる。

それは新たな記憶の保存方法でもあるなと思ったんです。新しい遺影になり得るなというか。

―遺影ですか!

僕が死んでしまっても、僕の身体データがデジタル空間に残っていれば、リアルタイムで生き生きと動くわけですよね。死んでいるけれど死んでいない、そんなリアリティに繋がってくるというか。

―なるほど、たしかにそうですね。

SNS上に亡くなってしまった人のアカウントが残っていることってありますよね。誰かが故人の過去の投稿をRTすると、フォローしている人のタイムラインに流れてくる。そうすると、なんだかその人がまだ生きているような気がするんです。

そうやって過去の記憶の再生が多様な形で行われると、死が薄まるというか、違う形になるんじゃないかなという気がするんですよね。

―死への意識が変わる、ひとつのきっかけになるという。

反対に、生への意識もどんどん変わっていくと思っています。もはや自己というのは肉体をともなうだけじゃなく、さなざまなメディアや情報空間のなかに離散して、バラバラに存在している気がするんです。

―そういった考えをもちながらも、表現におかしみがあるのが谷口さんの作品ならではですよね。

そこはある程度無意識にやってしまっているところがありますね。何か新しい技術や方法を使うと、子どもみたいにいろいろと遊びたくなっちゃうんです。(笑)

意図していないんですけど、結果、作品を観る側からすると、そこにユーモアを感じるのかもしれないですね。

◆バーチャルだからこそ可能な表現

―Cumhur JayさんのPV『On&On』は、複数人の谷口さんが踊る姿がおもしろい作品でした。

On&On

―これは、実際に谷口さんは踊っている?

いえ。僕は踊ってないです。アバターにいろんなモーションとかダンスの動きを付けられるインターネット上のサービスがあって、それを使って作りました。

そのサイトには、大勢のプロのダンサーが踊ったモーションデータが保存されていて、イタコみたいに別の体に乗り移らせることができるんです。

―谷口さんだけれど谷口さんじゃない、その感覚がなんともいえませんね。

僕の身体は3Dスキャンでリアルに記録されているけれど、表面の情報だけなんですよね。内側に肉や骨があるわけじゃないし、薄っぺらいから簡単にすり抜けることができる。そんなバーチャルな身体だからこそ可能な表現を追求しようと考えたときに、ああいう形式になりました。

いろんな人の動きやデータがごちゃ混ぜになって一つの体で再生されるわけで、僕のアバターはキメラみたいな存在というか。

―発想とアウトプットが最高におもしろいですね。マルセル・デュシャンの『泉』の便器にタイヤを付けて、サーキットを走らせる『Art Speed』もおもしろいです。

Art Speed

これはですね、「Art Review」というロンドンの大手アートメディアが毎年「Power100」というランキングを発表するんです。第1位はこのアーティスト、2位はこのコレクター、3位は社会問題になったキーワードとか、その年にアート界で影響力があった人や出来事をベスト100まで発表するんですね。

それを見たときにちょっと変だなと思ったんです。アートの価値ってランキング形式で発表できるものなのかなって。「Power」という言い方をしているけど、物理学的に捉えるなら「Speed」でもいいんじゃないか。それなら、いっそ現代美術の作品を「速さ」で競わせて、アートの価値を決めてしまうとしたら…? と思ったんです。

―なるほど、それで『ArtSpeed』なんですね(笑)。

そうなんです。現代美術界のルールを、別のルールに入れ替えることで解体するというか、批判することができないかなと思ったんです。

◆鑑賞者に錯覚を感じさせたい

―谷口さんの作品はすごくインタラクティブだなと思うんですが、その裏にはどんな影響があったのでしょうか。

もとは現代美術からこの世界に入ったんですが、徐々にメディア・アートのほうへとズレていきました。僕が学生だった頃は、“インタラクションアート”というものが盛んだったんです。平たく言うと、“鑑賞者が作品に関与することで作品自体が変化する”というのが一般的な解釈になりますが、僕のなかでは「鑑賞者の感覚も変えたい」という意識が強かった。

作品が変化するということは、同時に鑑賞者の側も作り変えられるはずで、変化は同時に起こるはずだと。

―相互に関係するわけですね。

そのうち「鑑賞者に錯覚を感じさせたい」と思うようになっていきました。「今の自分は、持続している主体としての自分じゃないかもしれない」と。僕たちは自由意志で生きているんじゃなくて、過去に誰かがやったことを再生しているだけかもしれない、繰り返しているだけかもしれないと感じてもらえたらなと。

「あなたには自由意志はないですよ」と言いたいわけじゃなくて、「あなたは過去を生きた人たちの束のなかにいて、そうした歴史や社会とともに生きている」ようなことを示唆するような感じかもしれません。

最初の頃に作っていたスーパーマリオブラザーズをモチーフにした『jump from』は、そういうことを考えながら作った作品です。

―ゲームの要素は谷口さんのなかでは大きいわけですか?

はい。僕が学生とか子どもだったころ、伊藤ガビンさんや、岩井俊雄さんといったアーティストがゲームを作る動きがありました。その実験的なゲームのあり方というのが新鮮で、影響を受けたところがありますね。

今もゲーム制作に使われているゲームエンジンを使って作品を作っています。

―小さい頃からゲームが好きだったんでしょうか。

よくやっていました。ちょっと変な、誰も知らないようなゲームが好きでしたね。変わったインターフェイスのゲームってわりとたくさんあって、昔ナムコが出していた『リベログランデ』っていうサッカーゲームは、一人称のサッカーゲームだったんです。普通、サッカーゲームって11人の選手を切り替えてプレイするんですけど、一人しかプレイできないんです。斬新だなと思ったんですけど、現実の世界でサッカーをするってそういうことですよね。自分自身の身体を動かすわけだから、視点は絶対にひとつじゃないですか。だから本当は、ボールの近くにいる選手だけを次々とプレイするほうがおかしいんです。常に幽体離脱を繰り返しているってことですから。

―そう言われてみるとそうですね(笑)。

ちなみに『リベログランデ2』ではゴールキーパーもプレイできるようになりました。ずうっとボールを待っているんです(笑)。最高だなと思いました。

◆未来はバックミラーを通じて見えるもの

―(笑)。ゲームをしていても、そういった視点があるのが谷口さんらしい気がします。ところでコロナ禍の今、展示もMTGもオンライン化されることが増えました。“バーチャル”に触れてきた谷口さんのなかで、どんな思いがありますか?

いろんな思いがありますね、そこに関しては。可能性を感じるところもあるし、危機も感じているし、結構複雑というか…。

まずひとつは、ライブハウスやクラブでDJとかVJをする場所が失われつつあること。その文化的な損失は、かなり大きな問題だと思います。

一方で、イベントや展覧会がオンライン開催になったことで、あらためてイベントや展覧会とは一体なんだったんだろう、このミーティングってどういう意味があるんだっけ、と考えざるを得なくなった。誰もがこれまで当たり前だったことに批評的なまなざしをむける契機にもなったといえます。

―技術的な部分ではバーチャル化が進んだような気がしますが、その点はいかがですか?

新しい技術というのはいきなり登場するわけじゃなくて、想像力が外在化しただけ、という可能性もあるんですよね。

たとえばVRだって、そんなに目新しい技術ではないんです。目をつぶって頭のなかで別の世界を想像すれば、それがもうVRなんです。技術や想像力自体はすでにあるものです。でも、“機械が代わりにやってくれる”から、意味があるんですよね。

代わってやってくれるから余剰が生まれて、人間は別のことができる。だからいまオンライン化が進んだことで、きっと何かの余剰が生まれているはずなんです。その隙間のほうに可能性があるような気がしますね。もちろん、同時に失われているものもあるとは思いますが。

―何事にもふたつの側面があるわけですね。谷口さんのお話を聞いていると、常に未来予測をされているように感じるんですが、5年後や10年後、世界はどうなっていると思われますか?

実はそんなに未来のことは考えていなくて、むしろ過去の歴史を参照していることのほうが多いです。批評家のマーシャル・マクルーハンが「私たちはバックミラーを通して現代を見ている」と言ったように、未来は前方にあるんじゃなくて、バックミラーを通じて見えるものだと思います。通りすぎたあとに過去の歴史との連続を見てしまうというか。ただ、作品が生まれるその瞬間においては、ちょっとだけ未来が生まれていて欲しいなと思うんですけどね。

<文:飯田ネオ>

谷口彰彦
メディア・アーティスト

たにぐち・あきひこ|1983年、埼玉県生まれ。2008年、多摩美術大学大学院美術研究科デザイン専攻修了。多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース講師。2007年に『jump from』を発表し、2019年にフェスティバル/トーキョー19のプログラムとして劇場作品『やわらかなあそび』を発表。主な個展に「超・いま・ここ」(2017)。展覧会に「SeMA Biennale Mediacity Seoul 2016」(2016)などがある。
1月16日よりNTT ICCで開催の「多層世界の中のもうひとつのミュージアム——ハイパーICCへようこそ」 にアーティスト、共同キュレーターとして参加。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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