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佐野史郎、“冬彦さん”との出会い。「状況劇場」を辞めた後…好青年、癖のある役を経てマザコン男に

子どものときからドラキュラや妖怪、怪談話や江戸川乱歩が好きで、世のなかでよしとされているアカデミックに評価されているものとは真逆な価値観に惹かれていたと話す佐野史郎さん。

19歳のときに劇団「シェイクスピア・シアター」の旗揚げに参加するが、3年過ぎたあたりから、歴史劇が増えてだんだん重厚な感じになっていき、自分が思っていたものと、ズレが生じてきたという。

◆念願の唐十郎さんが主宰する劇団「状況劇場」に入ったが…

1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」の旗揚げに参加。準備期間を含めると5年目に佐野さんは退団し、「状況劇場」に入ることに。そこで奥様の石川真希さんと出会う。

「その後何十年か経って、退団後ほとんど見ていなかった『シェイクスピア・シアター』を見るようになったんですが、素晴らしかったんです。

座長の出口典雄さんと2人だけで話す機会があったんですが、舞台に対するストイックなものの捉え方が、本当に素晴らしいなと。現代能としてのシェイクスピアとでも言えばいいのか…。

けれど、結成当時の僕はといえば若気の至りというか、エネルギーに任せて暴れてるばっかりでね。次第にまじめになっていくシェイクスピア劇にズレを感じて、この先続けていくのであれば、総本山を叩かねば!ということで、『状況劇場』に入団しました」

-実際に入った「状況劇場」はいかがでした?-

「いやあ、もうボコボコでしたよ。あまりにもとんでもない日々だったんで、かえって楽しかったですけどね。

仲間もみんながみんな同じことを考えているわけじゃなくて、それぞれで。何しろ新宿梁山泊の金守珍と飴屋法水氏たちとが一緒に芝居やってたんですから。

先輩もそうだし、後輩もそうだけど、何を求めて唐さんのもとに集っていたのかというのは、十人十色なんだけど、それでも気の合う仲間がいて。

唐さんや李礼仙(現・李麗仙)さんはもちろんのこと、四谷シモンさんや篠原(勝之)さん、山崎哲さん、亡くなった金子国義さん、若松孝二監督、を含め、唐さんをめぐる先輩たちのなかにいたこと、今でもそういう人たちとの出会いがやっぱり大きかったと思いますね。

『状況劇場』を辞めた後、映画の世界に入っても若松監督作品に呼んでいただけたし、現場に行くと石橋蓮司さんがいたり、唐さんとの交流も途切れたわけではなかったんです」

-「状況劇場」を辞めた理由は?-

「いらないって言われました。全然使い物にならなくて。まぁその頃は劇団の事情も色々あったし、劇団員の空気も変わってきたこともあったんですけどね(笑)。

でも、はっきり言われましたね。『そんな演技じゃ映像では絶対に通用しない。お前なんか、もういらないんじゃないか?』って。

何で唐さんがそんなことを言ったのかということは、わからないんですけど(笑)」

-それまでは舞台だけだったのに、それから間もなく『夢みるように眠りたい』のお話が?-

「そうなんですよ。唐さんに言われたときには、映像のことなどはまったく考えてもいなかったんですけどね。

先輩の山崎哲さんがおっしゃってたんですけど、僕はさておき、唐さんはとにかく人を見抜く力というのが、自分でどのぐらい意識しているのかわからないけど、若いときからスゴイと。

根津(甚八)さんの起用にしても小林薫さんの起用にしても、金子(国義)さんとか四谷シモンさんを『おもしろいからちょっと』って誘い込むような感じにしてもね」

-タイミングがスゴいですよね-

「そうですね。『状況劇場』を辞めたとき、僕は29歳。劇団生活も10年になっていたんですけど、『10年経ってもこのザマか』って思って。

あるとき、役者として行き詰まっていたときに、劇団では音響効果部でもあり、劇中歌を作曲したりすることもあったのですが、がなり散らすばかりの演技より、部屋でギターをポロンと奏でてたときの方が、よっぽどリアルだなと感じたんです。

で、劇団を辞めた後、バンド『タイムスリップ』を組んで活動をはじめました」

※「タイムスリップ」は佐野史郎さんと奥様の石川真希さん、嶋田久作さん、夢野ワンダさんが在籍した伝説のバンド。

(C) 映像探偵社

※映画『夢みるように眠りたい』
2020年12月19日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
配給:ドリームキッド、ガチンコ・フィルム
監督:林海象
出演:佳村萌 佐野史郎 大泉滉 あがた森魚 十貫寺梅軒 遠藤賢司 吉田義夫 深水藤子 ほか
林海象監督のデビュー作がデジタルリマスター版で34年ぶりに公開。
当時29歳、まったく無名で現場経験もゼロだった林海象が、モノクロ・サイレントの手法を用いて撮った昭和30年代頃の浅草を舞台にした探偵物語。

◆いきなり映画の主演オファーが…

1985年、「状況劇場」を辞めてミュージシャンとして活動をはじめて間もなく、佐野さんはライブハウスで運命的な出会いをはたすことに。

「林海象監督と会ったのは、劇団を辞めて逃げ出したのが夏だったから、2か月くらい経ってですね。

遠藤賢司さんが『タイムスリップ』を気に入ってくださって、一緒に演奏させてもらうようになったんです。

で、あがた森魚さんとのライブのときに、林監督があがたさんのスタッフとしていて」

-その年は激動の年だったわけですね。「状況劇場」を辞めてバンドを組んで、映画に主演、そして結婚-

「そうでしたね。唐さんにダメ出しされて、映像の演技のことを考えるようになり、がむしゃらに古い日本映画を見まくってました。

唐さんには別に深い意味はなかったのかもしれませんけどね(笑)。誰にでもそんなことを言っていたかもしれないし。だから、こっちの受け手の問題ですよね。

僕は昔から結構そういうのが多いんですよ。高校時代から仲のよかった友だちに『お前、役者になったほうがいいんじゃないの?』って言われて、『そうかな?』って。友達が言ったからってちょっと思って(笑)。

自分がやりたいというより、友だちが言うから『そうかな?』って。『シェイクスピア・シアター』を辞めるときも、当時付き合っていた彼女が、別れた後『状況劇場に行ったら?』って言うから『そうかな?』って(笑)。

辞めるときも唐さんに『お前なんか、もういらないんじゃないか。そんな芝居じゃ映像できねーぞ』って言われて、『そうかな?』って(笑)」

-映像がやりたいという思いはあったのですか-

「いやいや、とにかく目先のことしか考えないできていたんで、映像やりたいなんて考えたこともなくて、ただ舞台を10年やってましたからね。10年やってこのザマかというのはありましたよね。

それで、引導を渡されて、『じゃあ、映像の演技ってなんだ?』ってことを考えて。はじめて演出家に言われるままじゃなく、自分で探り出したのがやっぱり大きかったでしょうね。

今でもそうですよね、撮影監督、照明監督、美術監督と同じように俳優監督という技師でもあるのだから、自分で考えないとね。そういや唐さんにも、しょっちゅう『自己演出しろ!』って言われてましたっけ。

『状況劇場』を辞める前後に、小津安二郎さんや成瀬(巳喜男)さん、清水宏さん、川島雄三さん……順を追ってサイレント時代から見はじめたんですよね。

『並木座』や『高田馬場ACT ミニシアター』にもずっと通って、東銀座の松竹の銀座の劇場でもちょうど小津さんのプリント、当時見られる全作品を上映していたんですよ。

それを全部見て、そういう作業をとにかく続けていたときに、当時はまだ監督じゃなかったけど林海象氏と会って『映画に出てくれないか』って言われて。

シナリオを読んだら(江戸川)乱歩だし、モノクロ・サイレントだし、『おー、まさに今、ずっと見ていたやりたい世界だ』っていうので、それでもう意気投合して(笑)。

唐さんに『映像の演技なんてできないぞ』って言われたこともあり、『じゃあ、どうすればいいんだ?』って、唐さんのダメ出しに応えたい気持ちもあったのかもしれません。

監督も初監督だし、『こういう演技をしろ』とかっていうのは、一言も言わないし、こっちも映像の演技って何だ?って、小津のサイレント映画を思い出しながら、もう必死ですよ」

(C) 映像探偵社

-斬新な作品でしたね-

「今思うとね(笑)。その後バブル経済に突入していくわけだから時代と逆行していましたよね。

世界の映画祭にもいろいろ招待されて、『ヴェネツィア国際映画祭』にも招待されましたけど、撮影中は、公開されることさえ考えずに、ただ、撮っているだけですから。狙ってできることではなかったですよね。

そのわりにスタッフ、キャストが豪華で。美術の木村威夫さん、撮影の長田勇市さん、照明の長田達也さん、キャストも深水藤子さん、吉田義男さん、大泉滉さん……映画人の嗅覚だったんでしょうね?」

-監督はあの原節子さんにオファーされたそうですね-

「そう言ってましたね。スタッフがいろんなルートをたどってお願いしたら『映画界を引退しているので』と丁重に断られたそうですが、そのあと『フランス映画社』の川喜多かしこさん、和子さんが原節子さんと親交が深かったので、間接的に『よろしく、皆さん頑張ってください』とおっしゃっていたというのは聞きました。

『頑張ってください』って言われたはいいけど、監督ははじめてだし、なんだかわからない人だし、怪しいしね(笑)。

原節子さんは引退なさっているからにしても、普通は警戒しますよね。でも、吉田義夫さんや深水藤子さんはやるんですよね。そこですよ。映画人の勘なのかなあ?

後に唐さんも林監督の『海ほおずき』で主演を務めたし、そのために先に派遣されてたのかも(笑)」

『夢みるように眠りたい』は「ヴェネツィア国際映画祭」で上映されることになり、佐野さんはエキストラ出演していた奥様の真希さんとともに、新婚旅行も兼ねて映画祭に出席することに。上映終了後、2000人もの観客全員によるスタンディング・オベイションに感激したという。

-『夢みるように眠りたい』の前はずっと舞台をやられていたわけですが、生活はどのように?-

「当時、劇団の休みは年末年始の5日しかなく、劇団員の生活はみんな同じサイクルでしたから、よく一緒にバイトしてました」

-テレビ局のセットも作られていたとか-

「そうそう。『さんまのまんま』(カンテレ/フジテレビ系)とか、『渋谷スタジオ』にはよく通っていましたし、晴海の展示場とかね。ビルの掃除とか、窓拭きもやっていました。

劇団の人たちは図面を読めるので、大道具のセットのたたきが多かったですよね。自分たちでセットを作るし、建てるし。とくにテント芝居は劇場から作るので、へなちょこな僕なんかでも一通りやりました」

-『夢みるように眠りたい』が公開されてからは?-

「ヒットしましたしね、評判にはなりました。ただ、サイレント映画だし、セリフがしゃべれるかどうかもわかりませんしね(笑)。

林監督も僕が役者だとは知らずに声をかけてきたぐらいですから。ミュージシャンだと思っていて。すぐに仕事があったわけではありませんでした。

業界の人も、とくにテレビの世界では、知っている人は知っているけど、『急に出てきたこの俳優は何者だ?』っていうので、すぐに声をかけるという感じじゃなかったんじゃないですかね(笑)」

-佐野さんが広く知られるようになったのは、92年の『ずっとあなたが好きだった』(TBS系)ですね-

「そうですね。それまでは映画中心で。それまでは映画、黒木(和雄)組、実相寺(昭雄)組、篠田(正浩)組、五社(英雄)組……巨匠たちばかり(笑)。

TBSのタイムキーパーさんが、あの『夢みるように眠りたい』が好きで、何本か映画に続けて出ているうちに、『あの人どうかな?』って言ってくれてドラマに出るようになって」

-インパクトのある役が多いですよね。『ぼくらの7日間戦争』(菅原比呂志監督)とか-

「北野武監督の『その男、凶暴につき』の警察署長役とか。あの辺からちょっとエキセントリックな役が増えていったんですけど、それまでは『TOMORROW 明日』(黒木和雄監督)みたいに好青年役が多かった。『夢みるように眠りたい』の流れなんでしょうけど」

-好青年からちょっと嫌な役になってマザコンに-

「『ぼくらの7日間戦争』の大ヒットで、宮沢りえさんが国民的な人気を得たこともあり、僕の役もキャラクターがはっきりしていたから、テレビドラマの人たちも声をかけやすくなったのかな。今振り返ればね」

◆“冬彦さん”役との出会い

1992年放送のドラマ『ずっとあなたが好きだった』で演じたマザコン男・冬彦さんが強烈なインパクトを与え、注目を集めることに。

「冬彦」という役名は、『ずっとあなたが好きだった』の貴島誠一郎プロデューサーが、佐野さんと先輩プロデューサーの田代冬彦さんが劇団で同期だったとは知らずに名づけたのだという。

-「冬彦さん」と同名のTBSプロデューサーの田代冬彦さんは、劇団でご一緒だったそうですね-

「最初の『シェイクスピア・シアター』の同期です。僕に声をかけてくれた貴島(誠一郎)プロデューサーの先輩になるんだけど、貴島さんはそれをまったく知らずに僕に声をかけてくれたんですよ。

冬彦とは親友だったからね。劇団のときは僕たち二人が他のメンバーより若かったから、いつも一緒にいたんですよ。そのことを貴島さんは知らなかったんです。

貴島組の連続ドラマ『ダブルキッチン』などを演出した吉田秋生さんなんかは、シェイクスピア時代の舞台も見てくれていたんですけどね。

それで、純愛、初恋をテーマにしたドラマをやろうと思っている。ヒロインの結婚した男がインテリ系のマザコン男で、とんでもない結婚生活になってしまうが、高校時代の恋人に救われ、愛を再燃させるというストーリーだけど、そのマザコンの男がキーポイントだと思うので、その役をやってほしいって。

『新婚のかみさんが、初恋の人を忘れられずにそっちの方に行ってしまう。普通に考えたらどうしてもかみさんの方が悪い。これを悪くないようにみせるにはどうしたらいいんでしょうか?』って言われたんですよ。旦那が悪役になって、みんなが納得するにはどうしたらいいだろうって。

普通に考えたら、初恋の男だとしても妻を奪う男の方が悪いわけでしょう?それを、そう見えなくするにはどうしたらいいか。これは大変だぞって(笑)」

-木馬に乗って「ほかの男に僕の子どもを抱かせるなんて……あああ~許さないぞ~」というシーンはとくに有名で、今でもよく目にしますね-

「あのシーン、リハーサルでは木馬はなかったんだけど、収録日にスタジオのセットに置いてあって(笑)。山があれば登る。あったら乗るしかないということで、急に乗ることになったんです」

-トレンディードラマ全盛のときに斬新でした-

「ゴールデンタイムの連続ドラマでアンダーグラウンドな演技をノビノビとやってやろうと思った。普通はそんなものは世のなかに受け入れられないんでしょうけどね(笑)。

このドラマでなら、唐さんのところではやり切れていなかった芝居ができそうだと直感していたのかもしれないですね。

考えてみれば、久世光彦さんのドラマやウルトラシリーズの伝統がTBSにはありましたからね。アングラ、シュルレアリズムとの親和性は局に元々あったのかもしれません」

『ずっとあなたが好きだった』は毎週視聴率を伸ばし、“冬彦さん”はマザコン男の代名詞となり、社会現象と呼ばれるほどの状態になっていく。次回、後編では“冬彦”さんを演じたことで生じた変化、18日(金)に公開される映画『BOLT』などを紹介。(津島令子)

(C)レスパスビジョン / ドリームキッド / 海象プロダクション

※映画『BOLT』
2020年12月11日(金)よりテアトル新宿、12月19日(土)よりユーロスペース他全国公開
配給:ガチンコ・フィルム
脚本・監督:林海象
出演:永瀬正敏 佐野史郎 吉村界人 堀内正美 月船さらら ほか
日本で大地震が発生し、原子力発電所のボルトが緩み、圧力制御タンクの配管から高放射能冷却水が漏れはじめた。男(永瀬正敏)は仲間たちとともに命懸けでボルトを締めに向かうが…。

(C)2020「日本独立」製作委員会

※映画『日本独立』
2020年12月18日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ他全国順次公開
配給:シネメディア
監督:伊藤俊也
出演:浅野忠信 宮沢りえ 小林薫 柄本明 渡辺大 松重豊 伊武雅刀 佐野史郎 石橋蓮司 ほか
第2次世界大戦直後のGHQ占領下の日本を舞台に、一刻も早い日本の独立を求めて尽力した吉田茂(小林薫)と白洲次郎(浅野忠信)を描いたヒューマン・ドラマ

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