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プラモデル好きの少年が現代美術家に 多田圭佑が絵の具で作り出す現実と虚構の狭間

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第8回の放送に登場したのは、現代美術家・多田圭佑さん。多田さんの作品は一見すると木材や鎖を組み合わせてできているように見えるが、実は「絵の具」で作られた造形物だ。年輪まで浮かび上がる朽ちた木材や鎖の質感を「絵の具」で表現し、観る人を現実と虚構の狭間へと誘う。フィクションに触れたときにも心は揺れる。そんな気持ちを肯定する、多田さんの創造の源を覗く。

◆“フィクションと現実のあいだ”を表現したい

trace / dimension #4 撮影:木奥恵三

―多田さんの作品を観た人は、皆さん「本物?」と驚かれませんか?

最後まで信じてくれない人がいますね。「絶対本物だ!」って。すぐ隣に本物を置いて比べたら絶対にわかると思うんですけど。

―その気持ちもわかります。使っているのは“絵の具”なんですよね?

正確には絵の具になる前の素材ですね。モデリングペーストという白いメディウムで、ここに顔料を加えるといわゆるアクリル絵の具になります。

―そのモデリングペーストを塗り重ねて立体にするんですか?

まず実際の木の板や窓枠から型をとって、そこにモデリングペーストを流し込んで固めています。固まったら剥がして、さらに上から色を塗ったり、劣化したような処理をしていきます。

ーでも、パッと見るとやっぱり木ですよね。どういう着想で作られたんでしょう。

絵を鑑賞したときに、奥には空間があるし、まるで存在するように見えるけれど、実際にその場所にはいけないなあという物足りなさがあったんです。それでいうと自分の作品というのは、絵の具そのものがぐぐっと飛び出してきている状態。絵を取り囲んでいる空間自体が自分の作品になる感覚です

―なるほど。それでリアルな立体作品を作ろうと。

いえ、スーパーリアルなものを作りたいというよりは、“フィクションと現実のあいだ”を表現したいと思っています。作品を観て、映画やドラマのセットみたいに「フィクションだけどリアルだね」と感じてもらえたらなと。

―リアルを追い求めているわけではないんですね。

リアルにしようとしたらもっとできるんですよ。ちょっとセーブしているくらい。絵のデフォルメで留めているというか、あえて過剰に汚したりもしています。

たとえば、オンラインゲームのなかで得る体験って、風景はCGだし、アバターだってモデリングされていて、なかは空洞だけど知らない誰かが操作している。実在していないってわかっているけど、明らかに存在している。

頭ではわかりつつも、僕はその体験に心を動かされるし、体が反応してしまう。そういう感覚や体験を絵でやりたいんだと思うんです。だから、現実なのか虚構なのかは、自分にとってはあまり関係ないというか。

―初音ミクとか、ポケモンGOとか、今はまさにそういう時代でもありますもんね。

今はもう二項対立で、リアルなのかフィクションなのかをうたう時代ではなくなってきている感覚はありますね。

いわゆるVTuberでも、ボイスチェンジャー機能がすごく高性能なので、おじさんが女の子の声を出すこともできるじゃないですか。ああいうのもすごくいいなあと思うんです。なかの人の性別もキャリアも関係なくて、キャラクターとして成立してればいいって。

―多様性の証でもありますね。『残欠の絵画』シリーズもまた、少し古びた独特な雰囲気がありますね。

残欠の絵画#46 撮影:木奥恵三

主に本とかインターネットで買ったオブジェを見ながら油絵の具で描いて、その上から劣化させる表現を加え、まるで作品が生まれてから数百年経ったような絵画にしています。

古い絵のように見えるけれど、なかに描かれているモチーフは現代のものという。

残欠の絵画 撮影:木奥恵三

たとえばこの作品は、実はゲームの風景なんです。フィールドを歩いて撮ったスクリーンショットをもとに描いたもので現実には存在しないんですが、全体がボロボロに古びているから本当に存在した風景のように見えてくるんですよね。「この作品は数百年の時間を経たものなんじゃないか」という錯覚を呼び起こします。

―たしかに、どこかの海外の風景かなと思いました。

美術館で観る絵って、ぼろぼろだったりめくれあがったりしていますよね。僕たちはその経年も込みで、いいなあと鑑賞する。

でも作ったときはもっと鮮度があって綺麗な色だったはずで、作者は古びた絵を見せようなんて意図していませんよね。そこから「絵はいつ完成するのか」という興味が湧いてきて。もしかしたら“自分が生きていない未来”を感じさせる作品が作れるんじゃないかなと思ったんです。

―そんな気持ちにさせられますね。

よく、ヨーロッパの聖堂に描かれている絵を地域の人が復元したら、変なことになっちゃうケースがあるじゃないですか。ああやって、意図しない形で新しい文脈や歴史がつくられていくのを想像するとおもしろいんですよね。時間はもう戻せないので、新しい未来がそこから生まれていくという。

◆創作の潮流にある、プラモデルづくり

―こうした現実と虚構を行き来する作品をつくるようになった、多田さんの原点はどこにあるんでしょう?

僕は典型的なオタクなので、学生時代はずっとプラモデルとビデオゲームを嗜んでおりました(笑)。小さいときに父親が名古屋城のプラモデルを買ってきてくれて、ふりかけみたいな緑の芝を振るところからはじめて。

そのうちガンダムを作るようになり、箱の横の参考写真に近づけたくて、『ホビージャパン』を読んでどんどんマニアックな方向に……。そのときからやっていることは変わっていない気がします。組み立てて、塗装して。今作っているのも大きなプラモデルみたいなものですから。

―そう言われてみるとプラモデルかもしれないですね。小さい頃の体験が反映されているわけですね。

そうですね。高校時代はずっと、ゲームセンターに行って格闘ゲームをプレイして。家でも幅広くいろんなゲームをやっていました。人とコミュニケーションをとるのがあまり得意じゃなかったので、ゲームを通して友達と遊ぶことが自分にとってすごく大切な体験だったんですね。

それもあって、ゲームのキャラクターデザインや設定を手がける仕事に就きたいと思って、高校を卒業したらゲームの専門学校に行こうと。

―最初はゲームを目指したんですね。

はい。説明会に行ったら、「キャラクターを作るにはデッサン力が必要だから、入学する前に覚えておいたほうがいいですよ」と担当の方にアドバイスをもらったんです。

当時、絵を描くのは人並み以上に上手かったんですけど、デッサンのノウハウなんて全然知らなかった。そうしたらタイミングよく、自宅の真裏に美術予備校ができたんですよ。歩いて5秒しない、ベランダから僕の部屋が見えちゃう近さ(笑)。

―すごい!神がかっていますね。

親に頼んで通うことになって。そこが現代美術というか、芸術との最初の接点です。

僕の家はいわゆる一般的な中流家庭で、姉の部屋にラッセンのパズルが飾ってあるみたいな世界観で育ってきたので、はじめて芸術作品を見て「なんだこれは!」っていう衝撃はありました。

学校に通ううちに美大に入りたいと思うようになって、愛知県立芸術大学の油絵科に入りました。

―彫刻などではなく、油絵だったんですね。

油絵の具って、受験に必要だからやむなくインストールする感じで、すごく使いにくい素材だなと思っていたんですよ。自分の創作の源流はプラモデルにあるので、やりづらいなって。

でも美大芸大には「自由にやりたいなら油絵科だよ」っていう風潮があったんです。日本画や彫刻科は表現の指向性が明確ですけど、油絵科はみんな油絵を描いているわけじゃないんですよ。なんというか、総合格闘技みたいな感じ。とくに僕の少し上の世代なんかは「絵画は死んだ」なんて言って、インスタレーションとか映像とか立体みたいな絵以外の表現をするのがアーティストとしてのアティテュードみたいなところがあって。

◆バイト先で感じたフィクションの世界

―多田さんはどんな作品を作っていたんですか?

マネキンとかにエアブラシを吹き付けて、死体のような塗装をして、教授にものすごく怒られて……。そんなのばっかりですね。大学在学中はぜんぜん、今みたいな作品は作っていないです。むしろ影響が大きかったのはアルバイトのほうですね。彫刻家の先輩から受け継いで特殊造形業のバイトをしていて。テーマパークの建物とか遊具、コマーシャルで使うセット、映画のちょっとした小道具なんかを作っていました。

―いろんな技法が身につきそうですね。

そうですねえ。バイト先の方針が「リアルよりリアルに」だったので、とことん過剰にリアルをやるんです。

作業していると虚構が現実世界に立ち上がってくる感覚があって。想像のもの、架空のものをリアルに見せる方法を学んだことで、少しずつ自分のテーマが出来上がっていったというか。実際には存在しないほど大きな岩とか、ありえない形の木って、まさにフィクションじゃないですか。

―繋がってきましたね。それで大学を卒業したあとは?

在学中に作家になりたいと思うようになって、それなら関東に行ったほうが手っ取り早いのかなと、卒業して茨城に移り住みました。

その頃はCGで作ったグラフィックを、絵に置き換えるような作品を作ってましたね。コンピュータで3Dでモデリングして、風景のテクスチャを貼ってぐじゃぐじゃになった作品を作って、絵に置き換えて現実に出現させるという。

―そのときも“絵を描く”という方向には行かないわけですね。

うーん、キャンバスにむかって筆をもってがーっと描いていくということにリアリティがもてなかったんですね。

西洋から輸入されてきた絵画という考え方、そこに完璧に没入して、俺は画家だぜっていうスタンスで描いていくのは何か違う気がして。もっと自分の源流にある創作体験を作品化したいと思って、手探りで作るうちに方向が見えてきた気がします。

―それで『trace/wood」のような作品が出来上がっていくと。

自分にとってこれは絵で、これは彫刻でっていう差がなかったんです。絵って、厚みのある支持体があって、そこにペタッて絵の具の厚みがある。

すなわち立体物ともいえるわけですよね。それと自立している立体物の違いが、自分にはあまり感じられなかったというか。

よく絵画なのか彫刻なのか、と聞かれるんですけど、どっちでもいいじゃんって思うんですよ。

曖昧な状態というのは自分にとってはすごく新しい感覚だと思っているので、そういう体験を呼び起こさせるような作品を作り出したいと思っています。

―カテゴライズをせずに感じてほしいと。

そうですね。あと、絵画や彫刻をとりまく環境に、特権的な意識が生まれている現状もあると思うんですね。

なので、ド直球に現代アートをやろうとすること、僕はどうにも、そっち側に染まりきれないんですよ。

西洋由来の超ハイコンテクストな文化に行けない。どこか心のなかで「ガンダム作ってたしな」っていうのがあるんですよね(笑)。

―でも、そこが多田さんのよさだと思います。

トレンドや付加価値ばかりが注目されて、ものをつくることに集中している人が評価されなかったり、賢くない表現だとみなされたりしてしまうのは貧しいことだと思うんです。

だからこそ、自分は手を動かしたものづくりをやっていきたいなと思いますね。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>

多田圭佑

現代美術家

ただ・けいすけ|1986年、愛知県生まれ。愛知県立芸術大学美術研究科大学院博士前期課程修了後、茨城県の共同スタジオ航大を拠点に活動。『trace / wood』シリーズや『残欠の絵画』シリーズなどの作品を手掛ける。最新作は作品を斧で打ち割った『Heaven’s Door』や『trace/dimension』 (2020)。現在群馬県高崎市の『rin art association』で個展『CHANGELING』(12月27日まで)、東京都渋谷区の『MAHO KUBOTA Gallery』で個展『Beautiful Dream』(12月26日まで) を開催中。過去の展覧会に『エデンの東』(2018)、『BORDER』(2018)、『forge』(2017)など。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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