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毒蝮三太夫、一目惚れした女性に猛アタックして結婚。今も妻に送り続ける“愛の手紙”

昭和、平成、令和の72年間に渡り、俳優、タレントとして活躍し、テレビ、ラジオ、映画に多数出演。高齢者を愛情込めて「ジジイ」「ババア」と呼ぶ毒舌トークでおなじみの毒蝮三太夫さん

聖徳大学の客員教授として介護や福祉の講義を受けもち、「サンデー毎日」ではコラム『マムシの小言』を連載中。著書も多く、幅広い分野で活躍中。


※『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語』(10月8日発売)
著者:毒蝮三太夫
発行:株式会社 学研プラス
お互いを「たぬきババア」「ゴリおやじ」と呼び、口は悪いが愛のある、天衣無縫(てんいむほう)で八方破れな両親のエピソードを軸にした、戦前戦後の激動の昭和史を生き抜いたユニークな一家のファミリーヒストリー。

◆両親は“たぬきババア”と“ゴリおやじ”?

毒蝮さんの母・ひささんは芝で生まれて神田で育った生粋(きっすい)の江戸っ子。父・正寅さんは4歳年下の大工さん。毒蝮さんは小さい頃、お互いを“たぬきババア”“ゴリおやじ”と呼ぶ両親と、ひささんの最初の夫との間に生まれた兄2人の家族5人で現在の東京都品川区にあった木造長屋に住んでいたという。

「鍵はあるんだけどかけないから、ご近所さんが路地に面した勝手口から勝手に入って来るんだよ。

鍵をかけると近所のババアから『鍵はかけるんじゃないよ。盗人(ぬすっと)に取る物があると思われちゃうからさ』って言われていたからね。今じゃ考えられないだろう?(笑)

おやじは大工だからしょっちゅう一人で家をリフォームしていたね。学校から帰ると玄関の場所が変わっていたりしてさ、一人でどんどんやっていた。巣作りがうまかったね。

おやじは昔からおふくろのことを“たぬきババア”って呼んでいて、俺のことは“子だぬき”。それでおふくろはおやじのことを“ゴリおやじ”って言っていた。ゴリラに似ているからって(笑)。

兄貴たちはおふくろがおやじと再婚したとき、『熊が来た』って思ったらしいよ(笑)。『とんでもない熊男が家に住みついちゃった』って。

だから、俺ができたとき、『生まれてくる子が今度来たおやじに似ないといいなあ』って思っていたみたいだけど、生まれたらおやじに似なくてとてもかわいい子でよかったって言っていたよ(笑)」

-『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語』という著書が10月に発売になりましたが、そのままドラマになりそうなほどおもしろいですね-

「もともとこんな本を出すつもりはなかったんだけど、学研に『親御さんおもしろいですね。この子にしてこの親ありですよ』っておだてられて、今回こうなっちゃったんだけどね(笑)。

そうしたら読んでくれたみんながおもしろいって言ってくれてね。少しでもこの暗い世の中、明るい気分になってくれたらいいなあって」

-今年はコロナで全体的に気分が沈んでいるので、この本を読むと元気になりますね-

「そうでしょう?要するに、俺たちは若い人と乖離(かいり)しては意味がないんですよ。

年寄りは年寄り同士集まっていればいいっていうもんじゃないの。

ゲートボールってあるでしょう? あれはもともとファミリーボールって言ったのよ。ファミリーでやるものなんですよ。子どもや孫、それに近所の若い人とかと一緒に。

だけど、今は年寄りだけのスポーツみたいになっていて、『ゲートボールやってくるよ』って言うと、『おじいちゃんおばあちゃんとの集まりに行くの?』なんて言われるようになっちゃった。

でも、本来はファミリーボールで、若い子と一緒にやるから年寄りのじいさんは、『今日は若い子が来るから俺は赤いセーターを着よう』とか言ってオシャレをしてやるぐらい、刺激のあるスポーツだったらしいんですよ。

だから、要は年寄りが年寄りだけ佃煮みてえに集めちゃダメなんだよ」

-毒蝮さんのご両親も豪快ですね-

「明治生まれの、考えてみればわがままな親ですよ。好きなことをやって好きなことをして死んじゃったみたいなね。

おふくろもそうで、だったら現代でも通用するのかなって。明治生まれは、女性が男性に従うのが当然のようだったけど、おふくろは自分勝手だった。

でも、こんないい子ができたじゃないかって(笑)。そういうことでは、子育ては間違っていなかったんじゃないかなって」

-ご両親のファンが増えそうですね-

「そういえばおやじは結構モテていたよ。ふざけたことばかり言ってたけどね。談志がおやじに『いくつになりましたか?』って聞いたら、『毎年変わるからわからねえ』って言ったり、俺が食べ物をずっと噛んでいたら、『そんなにいつまでもクチャクチャやっていたら、口のなかでクソになるぞ』とかさ、汚ねえんだよ(笑)。

談志が『お前のおやじとおふくろを見ていると、お前が上品に見える』って言っていたよ(笑)。

でも、おふくろはおふくろで親身になって、人の話を聞いたりするのが得意中の得意でね。

いろんな人の世話をしたりしていたね。俺が大学生の頃、おふくろが『日本善行会』というところから表彰されることになったんだよ。

そうしたら、『賞をもらうためにやっていたんじゃない』って言ってね。俺が尊敬する聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が、『それがボランティアの原点ですよ』って言ってくれてね。

『ボランティアというのは任意という意味だから、人に頼まれてやるものじゃないんですよ。任意にやるもんだから報酬がないのが当たり前なんですよね』って。

『ボランティアをやらなきゃだとか、ボランティアだからいらっしゃいよって無理やりやらせるのは間違いだ』って、日野原先生が言ってましたよ。

強制じゃダメ。いい結果を生まないもん。来られた方もわかりますよ。仕方なく来たとかいうのはね。そういう意味ではおふくろはすごかったと思う」

◆一目惚れした女性に猛アタック、結婚へ

毒蝮さんが奥様と出会ったのは、1959年、まだ本名の石井伊吉という名前で三越劇場に出演していたときだったという。

「結婚したのは昭和38年(1963年)で、それまでに4年ぐらいあったかな。俺が三越劇場に出ていたとき、三越に勤めていた知り合いの女の子がカミさんを誘って差し入れに来てくれたんですよ。

そのときに、はじめて会ったんだけど、みんなが『きれいな子だなぁ。可愛い子が来た』って言っていて、俺もそうだなぁと思ったんですよ。嫁さんにいいなぁって。

カミさんを連れてきた女の子は、カミさんが年上だから、『お姉さん、彼氏がいないんだったら紹介してあげるわ』みたいな感じで連れてきたんでしょう。そのときやっていた芝居は野菜の話で、野菜が全部擬人化されている話だったの。

俺は『オレンジ男爵』という役で、オレンジ色のメイキャップをして、衣装を着ていたから、向こうは俺の素顔がわからないのよ(笑)。舞台衣装とメークをした格好のままで会っちゃったから。

でも、カミさんは俺が出た映画を見たことがあったから顔は知っていたらしい(笑)。

俺は最初に見たときに『この人がお嫁さんになる人だなぁ』って思った。そう思ったのは彼女だけ。今もってそうですよ。

当時は携帯電話なんてないから、職場の三越にせっせと電話するわけ。でも、役者なんて遊び人に違いないと思ったんだろうな。まともに相手してもらえない。

それでもせっせと連絡して何度か映画や食事に付き合ってもらって、そういう期間が2年ぐらいあった後、有楽町の駅の改札まで送って行ったとき、『これ以上ひとりで悩むのはイヤだから、俺を亭主として考えてくれないかな。1週間後に返事をくれ』って言ったんですよ」

-カッコいいですね-

「いや、そのとき、自分ではよく覚えていないんだけど、『はっきり返事してもらえないと、ほかの女を探す時間が減るから』なんて余計なことを言ったらしいんだよ。バカだよね(笑)。

でも、1週間後に会ったとき、『そのつもりでお付き合いしましょう』って言ってくれてね。うれしくて『ばんざーい』って大声で叫んじゃったよ(笑)」

-ご結婚されていかがでした?-

「テレビやなんかに一緒に出たのは、1本か2本だけ。

『もう私はテレビに出るのはイヤだわ。恥ずかしいし、割烹(かっぽう)着を着たまま隣近所を歩けなくなる。私は芸能人じゃないんだからもう出ない』って、今は一切出ていないんですよ」

-もったいないですね。談志さんもすごく奇麗な方だとおっしゃっていたのに-

「だけど談志が言うにはね『お前、出たがる女より、よっぽどいいよ』って。だから今もって写真も出てないですよ」

-奥ゆかしいですね-

「その辺は俺の目が確かだったんでしょうね。本当に料理は好きだし、掃除も大好きだし、洗濯もね。だから俺が、清潔にしていられたり、一応外に行くんだから恥ずかしくない格好でというのは、カミさんのおかげだね。

ほとんどうちのが用意してくれるから。今日の洋服もうちのがコーディネートしてくれたんですよ」

-すてきですね-

「そう?毒蝮三太夫という芸名に変えたとき、うちのが記者に突撃されたことがあってね。

そうしたら『別に。毒蝮だろうと何だろうと、石井伊吉に変わりはないんですし』って、サラッと言ってね。『この人と結婚してよかったなあ』ってあらためて思いましたよ。

よく芸能人がスキャンダルで写真を撮られたりして、奥さんがインタビューで直撃されるでしょう?

『もし自分がその立場になったときには、芸能人なんだからモテたっていいんじゃないですか。家を空けて1年も2年も帰ってこないんじゃなくて、毎日帰ってくるんだから、いい旦那じゃないですかって私は言うようにしているの』なんて言ってるよ(笑)。度胸はいいんでしょうね」

-お話を伺っていると非の打ちどころがないですね-

「まぁ、あえて言えば、俺のことを気にしすぎだよ。もっと放っておいてくれてもいいのになって思うよ(笑)。

でも、やきもちなんかを焼く人ではないんですよ。こういう仕事をしていると女の子と二人でメシなんかを食う機会がありますけど、そういうのは気にしない。

俺もそういうときに、つい奥さんの話をしたりするんですよ。『ああ、このフォアグラ、うちのも大好きなんだよ』とか『この色はうちのがとても好きな色なんだよ』とかってね。

普通は奥さんの話なんてしたら相手も嫌がりますよね。でも、俺だとイヤミには聞こえないって(笑)。

それで、町で俺のガールフレンドにバッタリ会ったりして、カミさんに紹介したりしますよね。もともと俺の友達とかファンとかなんだけど、そうすると、みんなカミさんのファンになっちゃうんだよ(笑)。

うちのカミさんはすごいよ。結婚してからも10年以上仕事を続けて経済的にも支えてくれたしね。

結婚当初、仕事がないときは俺が家にいたりするじゃない。俺が寝ているうちに三越に働きに行って、帰ってきたときも俺は家にいるのよ。

それで料理を作ってくれて9時過ぎに寝て、朝早くまた起き、メシを作って俺に食わせて三越に行くんだよね。

俺はまた家にいて、カミさんが帰ってきたときにも家にいるんだけど、『なぜいるの?』って言ったことない。

『あなた仕事ないの?』とか『もっと仕事をしてください』なんて言われたことがない。

これサラリーマンに替えると、『あなたの同期生は部長になったじゃない』だとか『お友だちは出世したじゃない』なんていう嫁さんがいるじゃない?

それは旦那にとっちゃつらいよね。そんなことを言われたって、自分がなりたいって言ってなれるものじゃないからね。

俺たちだって自分でこの役をやりたいって言ったって、やれるもんじゃない。だから、言われたらそこで凹むよ。でも俺はそれを言われたことないね」

-『笑点』を辞めたときにも何も言わなかったそうですね-

「言わなかった。今でも俺に家にいてほしいって言うんだから。『あなたが家にいることが、私は一番好きなのよ』って。『仕事に行かなくていいわよ』って言うんだよね。今日だって、『行かなくていいわよ』って(笑)」

◆愛妻に毎月愛情タップリのハガキをしたためて

2020年3月『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際には、奥様に月に2、3度、愛情タップリのハガキをしたため、ポストに投函していることを明かして話題に。

「『寒くなりましたね。お互い風邪をひかないように気をつけましょう』とか、『〇〇に行きましょう』とか、日常のちょっとしたことなんだけどね。

うちのカミさんが結婚前に入院したことがあって、お見舞いに行くときってアイスクリームとか花とか手土産をもって行くよね。それに毎回手紙を付けたんですよ。

手紙は残るじゃないかって思って。そうしたらうちのが、『あの手紙が私にとっては最高のお薬だったわ』って言ってくれたんだよね。今でもその手紙をジュエリーボックスにとってあるみたい(笑)。

手紙だといろんなことが書けるんですよ。口で言えないこともね。うちのが俺の手紙のおかげで病気が治ったって言うのを聞いて、『見舞いに行くんだったらちょっとした手紙を添えるのがとてもいい見舞いになりますよ』って人に言ってあげたりしてるんですよ。

電話だとかメールとかは残らないじゃない。手紙と違って筆跡がないでしょう? 手紙だったら残るからね。それに手紙を書いている時間は、その人のことを思って書いているわけだからさ。

今は、毎月カミさん宛てにハガキを書いてポストに投函しているから、消印が付いて家に着くの。

だから、配達の人は『てめえで渡しゃいいじゃねえか』って思うかもしれないけどさ(笑)。

そういう些細(ささい)な行為、いまハガキは63円だよ。63円で機嫌が半年もつんだからさ、安いもんだよ。

カミさんもうれしいみたいで、冷蔵庫の脇に何枚か貼ってあるんだから、それはとっても夫婦のいいツールですよって言いたい。

俺が大学の講義でもこういう話を学生に話すと、『おばあちゃんに電話をしたい』とか、『おばあちゃんに手紙を書こうと思いました』ってレポートに書いてくれる子もいますよ。今は書くということが少なくなっちゃったからね。

『親しき仲にも礼儀あり』じゃないけど、親しければ親しいほど、そういうことが粗末になっちゃうんですよ。

人間として、ひとりの個人として、ちゃんとした扱いをしていくということが大事。それは昭和だろうが、平成、令和だろうと、きちんとやっていかなきゃいけないことだと思うよ」

-それにしても奥様は本当にできた方ですね-

「そう。本当によくできた人ですよ。だから1日いくらって報酬を払っていたら、何十億って払ってなきゃなんないね(笑)。

洗濯したり、料理作ったり、それから俺のおやじとおふくろのことも介護して看病してくれたからね。

だから1日でも俺より長く元気でいてほしいと思うね。俺が先にあの世に行きたいなと思うんだけど。まぁ俺も元気だからね(笑)」

-一番いいじゃないですか-

「1日でもいいから俺より長く生きて欲しいなぁって思いますけどね。まあ、クジで言えば大当たりですよ(笑)」


※『桂米多朗プロデュース 第一回たかつ寄席』
2020年11月27日(金)開場:18時 開演:18時半
出演:三遊亭小遊三 桂米多朗 桂笹丸 立川幸吾 毒蝮三太夫

-今もかなりお忙しそうですね-

「84になって仕事をやって、いくらか税金も納めてるというのは、国からしても生産性があるわけだからね。

俺は幸せだなぁって思うね。ラジオは50年以上続いているしさ、それからテレビをやったり、講演会とかトークショー、寄席にでたり、大学で講義をやったりしてね。サンデー毎日にコラムを連載したり、このステイホームでは写経もはじめた。

今月は桂米多朗プロデュース『第一回たかつ寄席』に出るんです。三遊亭小遊三さんと一緒に。

俺は16年前に腸閉塞で40日間入院したことがあるんだけど、そのときに代役をつとめてくれたのが小遊三さん。だから縁があって、一緒にできるのが楽しみなんだよ。

仕事があって、人に必要に思われているというのは本当に幸せなことだと思う。カミさんに『あなたは何もしなくて家にいていいのよ』って言われるのは、『働け』って言われるよりよっぽど幸せだよね(笑)」

-今後何かやりたいこと、楽しみにしていることは?-

「俺ははやく90になってみてえなと思う。90になったジジイが『ババア』って言うのもおもしろいなって。100になって、『汚ったねえババアだな』なんて言うのもね(笑)。

だから、年をとるのが楽しみなんですよ。年が増えることをイヤがっている人が多いからね。だからはやく90になってみてえなって(笑)」

豪快に笑いジョークを交えながらユニークなエピソードが次から次へと飛び出す。一目惚れした奥様に出会って61年間愛し続けて大切にされているところもすてき。これからも老若男女すべての人を元気にしてほしい。(津島令子)

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