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ネオン管をリアルに描き出す 画家・横山奈美が「見向きもされないもの」をあえて描く理由

新感覚アート番組『アルスくんとテクネちゃん』、第2回の放送に登場したのは、キャンパス上で発光しているかのようなネオン管を描く、ペインターの横山奈美さん。背後のフレームや乱雑な配線、壁に反射する淡い光までを忠実に描きとり、平面とは思えない奥行きを生み出している。さらに別シリーズでは、くしゃりと潰れたトイレットペーパーの芯を描いた巨大な作品も。身の回りにある、何気ない“消耗されていくもの”に光をあてる、画家の思いとは。

◆ネオン管には裏側がある、ということ

LOVE(2018) 撮影:若林勇人

―どの作品も写真のようなリアルさで驚きました。この「LOVE」というネオン管の作品は、どのように描いていらっしゃるんですか?

自分でデザインしたネオン管を業者の方に作成していただき、実物を見ながら描いています。まずは白と黒の絵の具で下描き。グリザイユ技法という古典技法を応用して、色の陰影を使って下地を描いていきます。それが終わったら、薄い色の層を重ねるように着色していきます。色の層を重ねることで、目的の色に近づけていく感覚です。

―そういった行程を経てこの絵画が生まれているんですね。きちんと配線まで描かれているのがおもしろいです。

「ネオン管を想像してください」と言われたとき、多くの人が光っているネオン部分だけを思い浮かべると思うんです。でも実際にはその後ろ側に、ネオン管を支えるフレームや、光らせるための配線がある。そういう、誰もがあまり気づいていない部分を描きたいと思い、前面で光るネオン管と、背面のフレーム、ふたつの構造を同じ価値として描いています。

―最初はネオンに注目していたのに、視点が徐々に背面へと移っていく。そんな不思議な感覚があります。

まず「LOVE」という言葉が目に飛び込んでくると思うんですけど、絵に近づいていくと後ろのほうに黒いフレームが見えてくる、そしてそのフレームには光が映り込んでいるのがわかる。「LOVE」という言葉を導入として、後ろにある風景に気づいてもらえるといいなと思っています。

―背面の存在をあえて気づかせるように、という狙いもあるんでしょうか?

後ろの構造を描くことで、普段気づくことのない存在に気づいてもらいたいという気持ちはあります。でも、背面のほうが大事かというとそういうわけではなく、ネオン管も、背後の構造も、同じくらい大切に描きたいと思っています。

―この「LOVE」という言葉も印象的ですね。

今までの人生を思い浮かべたときに、そういえばTシャツとかキーホルダーとか、さまざまなアイテムに「LOVE」って書かれていたなあと思ったんです。でもLOVEという言葉は日本語訳では「愛」。考えれば考えるほど難しい言葉です。その反面、巷に溢れかえっています。それに気づいたとき、LOVEの意味が字体からすっぽり抜け落ちてしまったように感じたんです。本当の意味をどれくらいの人が考えているのかなって。それでこの言葉をテーマに制作してみようと思いました。

―歌詞でも何でも、簡単に使いがちではありますね、愛とかLOVEって。

もちろん歌でも映画でもさまざまなコンセプトで制作されていると思うので、すべてが消費されているとは思いませんが、世界で一番知られている英単語なんじゃないかと思うくらい使われている言葉ですよね。私が描く題材は、常に日々の生活のなかにある、“消耗されていくもの”なんです。物質的なモノだけじゃなく、言葉にも同じように消耗していく側面があるなと思って、「LOVE」という言葉を選びました。

◆“消耗されていくもの”を解放したい

左)逃れられない運命を受け入れること(2016) 撮影:若林勇人 / 右)最初の物体(2016)

―“消耗されていくもの”というと、このトイレットペーパーの芯や、フライドチキンの骨を描いた作品がそうですね。

はい。一般的には美しいとされていないものにもこんな一面があるんだな、こんな見え方があるんだな、というのが伝わったら嬉しいなと思っています。

―何気ない日用品なのに、一枚の芸術作品として見ると凛々しく見えますね。

私が描いているトイレットペーパーの芯やフライドチキンの骨という消費され、捨てられていく物は、人間に姿を現したら捨てられるという役割を与えられています。その構造は私たちが生きる社会にも通じる部分があると思うんです。

―なるほど。

人は生まれてから成長を続けるなかでさまざまな役割を与えられますよね。私だったら、女性、日本人、岐阜県人、ペインターという職業。誰しも社会における役割がありますが、その中で生きていくことに辛くなることがあると思います。元から決まっていて与えられている役割を超越できる人もいると思いますが、多くの人がその壁を乗り越えることを難しいと感じていると思います。

―どうしても役割という型にはめられてしまいますよね。

そうなんです。トイレットペーパーの芯が悲しいのは、ティッシュを全部使い切ったあと、はじめて世界に現れて誰かの目に留まったのに、すぐ捨てられてしまうところ。

―その発想はありませんでした! でもたしかにそうですね。

私は物を描くことによって、そのものに与えられた価値や役割から解放したい。だからトイレットペーパーの芯は大きな構造物のように、フライドチキンの骨は博物館に置かれている骨のように描いています。でも限定したイメージは持たないように、そのものの形、色、佇まいから感じる根源的な美さを表現したいと思っています。絵の中で、型にはめることができない、新しい存在として表現しています。シリーズのタイトルも、はじめからやりなおすという意味も込めて、「最初の物体」としています。

―そのおかげか、ちょっと威厳のある佇まいになっていますよね。

絵を観た人に、たいして美しくもないと思い込んでいたものにも、実はこんな姿があるんだな、こんな見え方があるんだなということが伝わったら嬉しいなと思っています。それは、自分たちが囚われている役割を見なおすきっかけにもなると思うから。

―写実的だからこそ、より真に迫るものがあるように思います。横山さんにとって“リアルに描く”ことの意味はどのあたりにあるのでしょうか。

必ず実物を見ながら描くのですが、描いていると見えていなかったものが見えてくるんです。描きながら「こういうところもあったんだ」と知る驚きも大きくて。それがつまり、役割を解放している行為なのかなあと。物をじっと見ていると、身の回りの物でさえ今まで気づかなかったことがたくさんあるんです。だから必ず実物を見ながら、目で見て描くということを大切にしています。

◆ブリトニーへの憧れが原動力に

―そもそも、小さい頃から絵が上手かったんですか?

それが、中学時代も高校時代も、そんなにしっかり絵を描いたことがなくて…。

―えっ、そうなんですか!

アーティストになりたいと思ったことも、絵をまじめに描いたこともありませんでした。美術の成績もたしか平均くらい。それがなぜか高校2年生の進路を決めるタイミングで、なんとなく美大の予備校に通うことになり、体験レッスンで先生に「上手いね!」って褒めていただいて。その言葉をまんまと信じてここまで来ているんです(笑)

―学校の先生は悔やんだでしょうね。才能を見抜けなかったって。

でも美大に進学したのは私がはじめてっていうくらい芸術には力をいれていない学校だったので、当然だと思います(笑)。

―とにかく普通の学生時代を過ごしていたんですね。

そうですね。多くの中高生と同じく、普通なものの感じ方をしてきたと思っています。学校の帰りにプリクラ撮ってミスド寄って帰る、みたいな。でも、そのごく普通な体験こそが自分の物づくりにおいての軸の部分だと思っています。

―当時憧れていた役者さんやアイドルは?

ブリトニー・スピアーズですね。女子校出身なんですけど、周りの子たちは彼女のダンスやファッションを真似していて、彼女が“かわいい”の基準でした。

でも、両親が厳しかったので髪の毛は染められないし、学校も厳しくて三つ折りソックスしか履けない。でもそれができたとしても彼女にはなれませんよね。好きだけど、私はどんなに頑張ってもブリトニーになれない。その頃から美さ、かわいさへの劣等感みたいなものを抱きはじめて、自分に自信がもてないという、コンプレックスを抱くようになりました。

―ティーンネイジャーの通過儀礼でもありますね。

でも、そうやってかわいさとか美しさの価値に苦しんだことが、今こうして絵を描くことに繋がっていると思うんです。だからこそ、とくに中高生の女の子たちに作品を観てほしくて。私のように悩んでいる子も、何に悩んでいるのかわからなくてモヤモヤしている子も、作品に触れて何かを感じてくれたらなと思うんです。

―ちなみに、ブリトニーへの憧れはどうやって解消されたんですか?

絵を描くようになったときに、あらためて似たような思いを抱いたんですよ。予備校時代は現代アートという言葉も知らない学生で、フェルメールが好きだったのでポストカードを集めていました。いつか彼のような絵が描きたいと思っていたけれど、もちろん描けなかった。大学に入って現代アートという世界を知ってからもそのような叶わない憧れを抱き続けてきました。

そもそも絵画というもの自体、西洋で生まれて日本に入ってきたものじゃないですか。そこに高くて分厚い壁を感じていたんです。どうしたら、日本に住むごく普通の一人の女性として自然な絵画を描くことができるんだろう。そう考えつづけて、あるときふと「身の回りにあるものを描いたら、自分にしか描けないものが描けるんじゃないのかな」と思ったんです。

憧れて何かを描くのではなく、足元に落ちているものや、手に触れるものを描くことによって、自分にしか描けないリアルが描けるようになるんじゃないかって。

―それは大きな気づきですね。

あと、学生の頃、岸田劉生(※)の展覧会を観に行ったことも大きかったです。彼は写実的な作風で知られる画家ですが、もとは西洋絵画に傾倒して、初期の頃はゴッホやセザンヌのような絵を描いていたんです。それって私がブリトニー・スピアーズに憧れているのと同じだなって。日本の美術の教科書にも載るような画家ですら憧れていたんだ、だったら、そのなりたいけどなれない気持ちを受け入れよう。憧れていた西洋絵画の歴史の壁をただ見上げるだけではなく、自分の足下をしっかり見つめてみようと。そこから、消耗されていくものとか、捨てられる寸前のものを見つけて描く制作スタイルが生まれました。

※1891年生まれの洋画家。大正から昭和初期にかけて活躍した、日本の近代美術に大きな功績を残した画家。写実的な作風で知られ、親交のあった建築家のバーナード・リーチや、『白樺』を創刊した武者小路実篤らの肖像画を数多く残した。代表作に風景画『道路と土手と塀』(1915)や愛娘を描いた連作『麗子像』(1917〜)などがある。

―すべてが繋がってきますね。“消耗されていくもの”をその役割から解放することで、私たち自身の役割を問うて、かつ解放する。横山さんが大事にされているテーマは常に一貫していると思うんですが、作品を作るうちにご自身の変化はありますか?

軸は変わっていないんですが、少しずつ、作家として発する言葉は変わっていっているように思います。それに伴って作品にも変化しているように感じます。自分でもまだ、これからどうなっていくかはわからないです。今はただ、作りたいものがたくさんあるので、それをなんとか形にしている段階です。でも体力面は今がピークだと思うので、大きい作品を今のうちにたくさん描いておきたいと思っています(笑)。

―大きな作品も多いですからね。それに、本来小さいはずのものを意図的に大きく描かれていると思うんですけど、そのサイズによって考え方は違うものですか?

たしかにすごく変わりますね。大きい作品を描いていると、絵画という歴史に対して挑んでいるような気持ちになるんですよ。その無謀な戦いを挑んでいる感覚が好きです。だから、大きい作品に関しては自分のアーティスト人生に残したいような絵画を、腰を据えて描くことが多いです。もちろん小さい絵も描きます。そちらでは大きい作品のために実験的に描くことが多いかもしれません。

―これからもいろんな絵画を描いていってほしいなと思うんですが、今興味をもっていることはありますか?

強いて言えば教育ですね。私自身、美術に出会い大きく人生が変わりました。ただ絵を描くことだけで、自分自身について考えること、世界を考えることに繋がってきました。それは、美術にどう触れるかが重要です。実際に3年くらい前まで、高校の美術の非常勤講師をしていましたが、そこで生徒と関わったことや経験が制作活動にも活きていると思います。生徒に対しては、自分の感覚に少しでも自信をもってもらえるように努めてきました。機会があったらあらためて教育の場に足を踏み入れたいなと思っています。

―横山さんに教わっていたなんて、当時の生徒さんは幸せですね。

でもみんな、私がどんな絵を描いているか知らなかったと思います(笑)。今も知らないんじゃないかなあ。

(文:飯田ネオ)

横山奈美
よこやま・なみ|ペインター。1986年、岐阜県生まれ、茨城県在住。愛知県立芸術大学大学院卒業。日産アートアワード2017 オーディエンス賞受賞(2017年)、第8回絹谷幸二賞 奨励賞受賞(2016年)などを受賞。2020年6月に個展「誰もいない」を開催。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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