りゅうちぇる「戦争体験を受け継ぐのはとても勇気がいること」おばあが、一度だけ語った沖縄戦
10月24日(土)、テレビ朝日がオンラインイベント「“バーチャル修学旅行”で歴史を学ぼう」を開催する。中高生の修学旅行がコロナ禍で中止となり、広島や長崎、沖縄などでの体験や学習の機会が失われたいま、それに替わる学びの場をつくる狙いだ。
司会はノンフィクション作家の保阪正康、ゲストに広島被爆者で反核活動家のサーロー節子、サッカー東京五輪代表監督の森保一、タレントのりゅうちぇるを迎え、被爆や戦争体験を受け継ぐ人々の証言をZoomを通して学習し、質疑応答をおこなうイベントである。
沖縄出身で集団自決から生き残った祖母をもち、毎年SNSで「慰霊の日」に平和の祈りを投稿するりゅうちぇるに、平和への願いを発信し続ける理由と歴史や戦争体験を学ぶ意義について、話を聞いた。
ーーりゅうちぇるさんは毎年6月23日、沖縄県が沖縄戦などの戦没者を追悼する「慰霊の日」(※)に平和を願う投稿を続けています。その理由を教えてください。
沖縄ではそれが当たり前だったので、むしろ東京に来て「慰霊の日」をみんなが知らないことにびっくりしたんですよ。年に一度学校も仕事もお休みになって、沖縄全土で年齢も性別も国籍も関係なく、みんなが手のひらを合わせる「うーとーとー」して黙祷をします。TwitterやInstagramでハッシュタグをつけて投稿する。周りを見てもそれをしない人がいないくらい、当たり前な文化になっているんです。
※慰霊の日
1945年3月〜6月の沖縄戦で、住民を巻き込む壮絶な地上戦の犠牲となった20万人あまり(沖縄県民の4人にひとりと言われている)を追悼する日。全国で唯一、沖縄では公休日として国の機関を除く役所や学校も休みになる。
ーー2020年の慰霊の日には、2歳になるお子さんと一緒に黙祷する投稿をされていました。
僕の場合は、物心ついた頃から毎年黙祷をして、近くに基地があって、外国人もたくさんいて、不発弾のニュースもよく見ていました。その当たり前のことが、いつしか、そもそもなぜなのかって理由を考えるようになったんですね。
子どもはまだ2歳なので、「平和になるために、沖縄に住んでいる人たちはうーとーとーをするのさ。一緒にしようね」って伝えました。続けていくうちに、いつかいろんなことを考えるようになる日が来ると思います。
ーー沖縄では学校での平和学習も盛んだと聞きますが、どんな内容の授業があるのでしょうか?
一番印象に残っているのは、家族に戦争体験を聞いて文章を書く授業です。僕はおじいとおばあに聞いたんですけど、周りに体験者がいない人は老人ホームに行って聞かなきゃいけないくらい、厳しくて。
おばあに話を聞いたのは、小学校3年生の頃の一度きり。当時まだ10代だったおばあが、集団自決をする人たちから「アメリカ人に捕虜にされるのだけはダメ。あんたも一緒に入るね」って言われて、怖くて逃げたって話を聞きました。
万座毛(まんざもう)で飛び降りた人たちを見たとは言っていたので、米軍が上陸した読谷山(ゆんたんざん)に近い沖縄中部に住んでいたおばあが、とんでもない距離を歩いたんだな…って感じます。
子どもながら話す様子がつらそうなことはわかったし、「まだこんな授業あるのか」って本当に嫌そうだったので、それ以降二度と聞くことはありませんでした。
おばあのおかげで戦争体験を受け継ぐのはとても勇気がいることだとわかったし、それをしなかった人を責めてはいけない。体験をシェアしてくれる方に対しては本当に感謝をしないといけないと思います。
ーー戦争をテーマにした映画などの作品に触れる機会も多いですか?
授業でも見るし、慰霊の日には沖縄全土で『対馬丸-さようなら沖縄-』や『火垂るの墓』といった映画が放送されます。沖縄出身のミュージシャンは故郷について歌う曲が多いと思うので、モンゴル800さんの『琉球愛歌』やBEGINさんの『島人ぬ宝』などみんなが知っている歌を通して、歴史に触れる機会も大きいと思いますね。
その他にも、給食であわごはんが出て、「当時はこんなものすら食べられなかったんだよ。それが戦争なんだ」って教わりました。当時は本当に気が滅入っていたけど、それをきっかけに食について考えるようになったと思います。
ーーりゅうちぇるさんは楽曲制作やパフォーマンスの仕事もしていますが、今後故郷の沖縄をテーマに曲をつくりたい気持ちはありますか?
いつか絶対につくりたいです。上京してから、沖縄だと当たり前だけど、東京ではそうじゃないことがたくさんあると感じていて。文章や言葉だけで伝えるより、歌を通して心に入ってくることもあると思うので、沖縄の素敵な文化をテーマに歌いたいです。
ーーたとえば、どんなところで沖縄と東京の違いを強く感じますか?
東京では、ある程度人と人の間に壁をつくったほうが人間関係がうまくいく場合が多いけど、沖縄では「いちゃりばちょーでー」っていう言葉があるんです。出会えばみんなきょうだいって意味で、縁を大切にする文化。本当に昔からある言葉で、見ず知らずの人と助け合って生きてきた歴史がある島だからこその言葉。「ゆいまーる」っていう、みんなひとつになって助け合うって意味の言葉も同じです。
「なんくるないさー」って言葉も、どうにかなるさって明るい気持ちで使うけど。おとなになったいまは、すごくツライ思いをした人じゃないと考えつかない言葉だと思うんですね。
米軍の基地や不発弾の問題など、いまでも沖縄は悲しみと隣り合わせ。その一方で、悲しみを乗り越えてきた島だからこその素敵な文化も、たくさんあるのかなと思います。
ーーさまざまな方法で受け継がれている文化を、SNSでの発信を含めて継承されているんですね。
親の世代もみんな歴史を知っているから、なにかきっかけで疑問や興味をもったとき、それに応えてくれる大人が多いのが重要だと思います。
それこそ、あそこの地域にいた人は助かったけど、あそこの人はダメだった。あの防空壕でみんな亡くなったとか。いまと変わらない具体的な地名を聞くと、その場所を通ったときに、ここでたくさん人が亡くなったんだなって思い浮かべてしまいます。
ーー危険と隣り合わせというテーマでいえば、りゅうちぇるさんは2004年に起こった沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事件を間近で見た経験がありますね。
当時は小学校3年生で、みんなで遊んでいたら近くに落ちてきたんです。大人たちが道路に車を停めて出てきて、人だかりができていたのを覚えてます。
ーーあの事件を経て、周囲の人たちの変化を感じましたか?
僕も実際にすごく怖かったし、基地が近くにあるのは怖いことなんだってあらためて感じた人が多かったと思います。街のどこへ行くにも基地のある道を通るし、軍に関係するお仕事をされる人も多い。共存関係だから「米軍の人たちが起こす事件が注目されすぎるけど、同じ人間なんだから……」って思う人が多かったと思うんですね。
でもあの事件以降は「沖縄を守るためにいるはずなのに……」って意見が増えた気がします。
ーーそういった経験を経て情報発信をしていますが、反響はいかがでしょうか?
ずっと当たり前に続けてきたことで、「大切なことを知らなかったことが恥ずかしい」「知るきっかけになった」っていう声がすごくたくさん届いています。
若い人たちが戦争に対する意識が低いといわれてしまうのも、教えてくれる場がなかったんじゃないかって気づいたんです。テレビをきっかけに注目してくださる方が増えたからこそ、続けたいって変な使命感もあって、これからもどんどん発信しようと思います。
ーー“バーチャル修学旅行”に参加する学生たちに、どんな姿勢で臨んでほしいですか?
戦争の歴史を知ることで、目の前の景色を見る角度が大きく変わると思うんです。いまの生活が当たり前じゃないんだ、幸せには自分で気づかないといけないと思えるようになる。
慰霊の日のように年に一回必ず考える機会があれば、年を重ねるごとにまた感じることも変わっていきます。米軍から防空壕に逃げ込んだ先で、泣き声でみつかってしまうからと赤ちゃんを日本兵に殺されてしまったという話に対しては、子どもができた後にはまた違った感想が浮かぶはずですよね。
一年に一度、自分の成長に合わせて歴史を見つめなおすことで、自分の人間力や幸福度も上がる。いろんな角度で幸せを感じる心がもてるようになると思います。
もう一つは、コロナ禍の影響がおさまったら沖縄に実際に行ってみて、楽しい思い出をつくってほしいと思うんです。平和学習ばかりじゃなくて、楽しい体験をするからこそ、こんなに素敵な島であんな悲惨なことがあったのかって考えるきっかけになると思うので、ぜひいつか沖縄に足を運んでみてください。
<取材・文/森ユースケ>
※概要:『テレビ朝日ライブシンポジウムプロジェクト バーチャル修学旅行』
開催日時:2020年10月24日(土)10:00~12:00