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波乃久里子、洗面器を抱え屋上で号泣!憧れの水谷八重子さんに弟子入りするも…先輩の嫉妬&陰口

歌舞伎俳優十七代目中村勘三郎さんの長女として生まれ、15歳のときに「劇団新派」に参加、16歳で正式に入団した波乃久里子さん。

初代水谷八重子さんに師事し、新派の古典から『華岡青洲の妻』、『女の一生』など数々の舞台に出演。2代目・水谷八重子さんとともに「劇団新派」を支える看板女優の波乃さんだが、入団当初は十七代目中村勘三郎さんの長女であるがゆえの苦労もあったという。

◆15歳で「劇団新派」へ、憧れの水谷八重子に好かれようとコマネズミのように…?

15歳のときに作家・川口松太郎さんの勧めで「劇団新派」に参加することになった波乃さん。水谷八重子さんの舞台を見て魅了された波乃さんは、水谷八重子さんがいるというだけで参加することに決めたという。

「八重子先生のことは運命としか思えません。最初に舞台を見てあまりの美しさに椅子から転げ落ちて、スクラップブックをつくっていたくらい好きでしたからね。八重子先生のそばにいられるだけで幸せでした」

-「劇団新派」に参加された当初はどんな感じだったのですか?-

「特別扱いはしないということになっていたので、私はいろいろお手伝いしなくてはとわざわざたすき掛けをして、朝早くから劇場入りしてました。

すると、八重子先生は自分に付いている男衆さん(男性のお付きの方)に、『勘三郎さんのお嬢さんに、そんなことをさせちゃいけないわ』って言って絶対にやらせてくれなかったんです。

だから、私は先生が来る前に全部やっていました。それもお手伝いさんを連れてですが…(笑)」

-お手伝いさんを連れてですか?-

「そう(笑)。自分では何もできませんから、本当は。前掛けをしていろいろやっていたら、みんなに『気障(きざ)、気障』って言われてしまって。

お嬢さんらしくしてればよかったんです。でも、自分だけはコマネズミのように働こうって思ったんです。

好かれたかったんです、先生に。そういうことをするほうが嫌われるということがわかってなかったんですよね。先生は嫌だったんだと思います、そういう私が。『やめて』っておっしゃいました」

-久里子さんより前からいるお弟子さんたちの反応はいかがでした?-

「逆に特別扱いをしてお嬢さんらしくしてくれたほうがよかったみたい。前掛けして掃除したり、色々やったりすることがわざとらしく見えたのかも。それはわかります。

お嬢さん育ちで今まで楽屋仕事なんてしたことないのだから、急にやっていたら気持ち悪いですよね(笑)。

私はうちのおばあちゃまが芸者さんだったから、その当時(明治)の半玉のような仕込まれ方をしたんですよね。

お風呂に入ったら、『お姉さん、お座敷かけてくださいって言って、からだを洗え』っていうんですよ。要するに、芸者の下地っ子。芸者さんの半玉のような育て方をされてしまったんです。

私はそれをちゃんと真に受けて『可愛がってください』とか平気で言っていたから、『気味の悪い子だね』って言われていたみたい(笑)。相当評判悪かった。

今、もしその頃の私みたいなのがいたら、私も怒ってると思います。『何やっているの。どこの娘だかわからないけど、卑屈になっちゃって』なんて(笑)。だからやっぱり自然体がいいですね。私は自然体じゃなかった」

◆洗面器を抱えて屋上で大泣き?

-いじめられたりはしませんでした?-

「いじめというより陰口。お風呂場に行ったら、みんなが言ってるんです。ザーザーお湯をかけながら、久里子がどうのこうのって…。洗面器を持って屋上に行ってわんわん泣いてました(笑)」

-直接何かをされるわけではなく、陰口ですか-

「そう。直接何かしたら、父に言いつけられると思ったんじゃないかしら。陰口は山のように言われましたけど、それは当然。私でも言っていると思いますよ。私みたいなのがいたらね(笑)」

-でも、当時はまだ16歳ですからきつかったのでは?-

「そう。それでわんわん泣いて父に言いつけたら、父は偉いなあって思ったんですが、『お前がいじめているんだよ。後に入ったお前がいい役がついて看板にも名前が出るんだから、お前がいるということは、お前が皆をいじめているんだよ』って言ったんです。

それはそうですよね。私がいるだけで、いじめられているんですよね、みんなも。『人に傷つけられたって言っても、お前が傷つけているんだよ、みんなを』って。それっきり。

『愚痴(ぐち)をいうならやめろ』って言われました。それなのに、『久里子にいい役をつけろ』とか言ってくる。親バカですね(笑)。

川口先生が書いてくれて、毎月主役がくるんです、私に。当時は毎月先生がお書きになって、ありとあらゆるもので八重子先生の娘役をやらせていただいてました」

-2代目水谷八重子さんとなった良重さんは?-

「お姉ちゃまは、その頃東宝に行ってらしたんです。川口先生は何しろ私を新派でスターにしたかったんじゃないでしょうか。八重子先生の後にいかせようと思って。

だけど、川口先生が書いてくださった作品、全部当たらなかったんです(笑)。

1時間くらいの作品を書いて私と水谷先生にやらせるんですけど、私は勘三郎の娘ということだけでしょう? まずいし、魅力はないし、写真見たって変に写っているし。だからもう本当にご迷惑をおかけしました」

-毎回主役だと嫉妬されたでしょうね-

「もちろんです。『1日ぐらい休んでくださいよ。あなたよりよっぽどうまくやってみせるから』って言われたこともありました。『久里子よりよっぽどうまくやれるわよ』って。

ダブルキャストをやったことがあるんですが、勘三郎の娘だから初日は私なんです。でも、舞台稽古は同時じゃないですか。

稽古をやっていたら隣で『ちょいと、初日は勘三郎のお嬢ちゃんだってよ。こちとらは二番手だもんね』っていうのが聞こえてきたんです。

それでベソかきながら『先生、初日はどうぞ譲ってあげてください。初日やりたいみたいですから』って言ったんですけど、『私が決めたんだからいいの』って。

どうでもよかったんです。私は先生のそばにさえいられればよかったんです。『鹿鳴館』の顕子という役なんですけど、向こうのほうがずっとうまいんですもの」

-初日は自分がやろうというような欲は?-

「全然ありませんでした。先生のそばにいられればいいんですもの。先生のそばにいて先生に好かれればいいんです。だから、全部先生に好かれようという芝居しかやってなかったんです」

-そこまで惚れ込むというのはすごいですね-

「あんなに惚れた人って世のなかにいない。本当に好きでしたね。あんな人がいたら、みんな惚れるんじゃないかしら。

八重子先生は本当にきれいでした。先生の美しさは写真とかビデオじゃわからない。あんなにすごい人は写真やビデオだとオーラがなくなっちゃうのかもしれません。すごすぎて。

どんなにうまい絵描きさんでも、あれだけきれいに描けない。きれいな人ってたくさんいると思いますけど、上等な人ってあまりいませんよね。先生には高貴さがありましたしね」

-水谷八重子さんは公演中、必ず久里子さんと良重さんに代役をさせたそうですね-

「本当はお姉ちゃまだけにやらせたかったんだろうと思いますが、父の手前、わたしにもやらせてくれました。先生は必ず二本おやりになるんですが、昼間は私、夜はお姉ちゃまという具合に」

-ご自分の後継者として考えられていたということでしょうね-

「先生の本心は、一番はお姉ちゃまに継がせたいだろうけど、久里子と二人でやってくれればという思いももってくださった。それで3日間やらせて、その間にビデオを撮らせるんです。

よかったらそのまま代役にやらせて、悪かったら自分が出て行くという方針でした。

私はずっと先生に付いているから一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)見ていて全部覚えているわけです。だからすぐにいつでも代われるんです。

だけど、お姉ちゃまはちゃんと見てないから、『どうやればいいの? 私、どうすればいいの?』なんて言ってるんですが、お姉ちゃまはすごい。

そんなこと言いながら、見事にやってのけてました。度胸が違いました、私は努力家(笑)。

本当に努力しました。努力というより好きだから。先生に褒められることしか考えてなかったんです。

だから、先生が死んだら死んじゃおうと思っていたくらいです。32歳のとき、先生がお亡くなりになった。

私が先生にお会いしたときにはもうガンに蝕まれてらっしゃいました、20年間ずっと。我慢強い先生でしたし、ものすごく自分を律してらっしゃるし…。

樋口一葉みたいな人という感じがします。樋口一葉の作品は八重子先生もたくさんやられましたし、偶然にも八重子先生のお墓と樋口先生のお墓は目の前なんですよ。私も大好きです、樋口先生」

◆とてつもなく「芸事」に厳しかった母は商才もある天才だった

お母様の父親は大正から昭和にかけての名優・六世尾上菊五郎さん。1年365日のうち360日は褒めてくれた父・勘三郎さんと対照的にお母様は厳しかったという。

「母はものすごく厳しかったんです。『娘道成寺』なんて最初から最後まで何度も稽古して、朝の3時くらいまでになっても、それからもう一回やらせるんですから。

『もういい』って言ったら、『おみおつけで顔を洗っていらっしゃい』って怒られるんです。

『おみおつけで顔を洗うってどういうこと?』って思いますよね(笑)。それぐらい厳しかったです。それは弟にも父にも私にも」

-お父様にも芸に関しては色々とおっしゃっていたようですね-

「すごかったです。晩年、父は『娘道成寺』を踊りたかったんですが、父は体つきがごつくて女形に見えない。

母が『まず女に見えるようになるために衣装を借りて、1か月稽古してください!』って言ったんです。自分の家の舞台で。それで父は『やる、やる』って言ったのに、3日で終わっちゃったんです。

1か月練習してくれっていう母の言葉を3日で終わらせてしまって。稽古中『ハーハー、ゼーゼー』言ってるんです。

舞台稽古を見ていた母が途中でパッと立ってサーッと帰って行ってしまったんです。それをそのまま花子の格好でずっと目で追って行った父の姿は忘れられないです(笑)。

見た目も女形には見えないですし、そりゃあ怒りますよね。母が怒った、怒った。救急車を呼ぶ一歩手前までケンカ。すごかったですよ。ガラスのテーブルは割っちゃうし、大ゲンカ。激しいですよね、芸にたいしては」

-お母様はとても厳しくて久里子さんの舞台を見たときも激怒されたことがあったとか-

「私に対してもすごかったですよ。亡くなった市川團十郎さんがまだ海老蔵さんだった時代、『滝口入道の恋』というお芝居をやらせていただいたんです。そのときにはもう怒られたなんてもんじゃありませんでした。

『あんたなんて魅力がない。きれいならまだいいけど…。下手、どうにもなんない。もうやめてちょうだい! 私はお金があったらお客様に切符代と辨松(べんまつ)のお弁当を付けて返す』っていうんです。舞台の途中の休憩20分で。

もう私はヒックヒク泣いてパンダのお目めになっちゃって。早ごしらえだから泣きながら着替えていたら、隣で團十郎さんも着替えてらして『怖いお母さんですね。家へ泊まりにいらっしゃい。離れが空いてますから』って言ってくださったことを覚えています。行きませんでしたけどね(笑)」

-お母様は激しいですね-

「おごってますよね。自分のお腹(なか)から出てくる子どもは絶対にいい役者だと思っていたんですね(笑)。

それはすごく自惚(うぬぼ)れていると思います。菊五郎の娘だというプライド、自信があったんでしょう。

お芝居がいいときは食事のときにおかずが一品増えました。それぐらい激しくてはっきりとした人でした。

お芝居でよし悪しになっちゃう。お芝居がよければ何しても怒らない。『お芝居がよければ人殺しと泥棒以外、何をしてもいい』っていうくらい極端な人でした。

でも、母は商才もありましたね。歌舞伎俳優というと安定した職業だと思われる方もいらっしゃるみたいですが、実際には何の保証もありません。

その月々の出演料だけが頼りですから、病気になったら一銭のお金も入って来ないんです。

父が勘三郎を襲名して舞台の評判もよくなり、跡継ぎの弟も生まれて順風満帆だと思われたときに体調を崩し、5回も手術をすることになってしまって、母は『うさぎ』という小さなバーを開店しました。

商売なんてまったく知らないお嬢さん育ちなのに繁盛させて、その後も100人近いホステスさんがいるクラブやお蕎麦屋さんもはじめました。

そのおかげで、父は生活のために自分が納得できない芝居や役を引き受けなくて済んだんでしょうね。そういう意味ではやっぱり母はすごいと思います」

次回後編では、弟・勘三郎さん、家族の絆、コロナ禍での日々についても紹介。(津島令子)

※新橋演舞場『新派朗読劇場』
2020年12月13日(日)午後2時開演
『女の決闘』
石井ふく子演出 八木隆一郎作
出演:水谷八重子・波乃久里子ほか
チケットは11月22日(日)より
チケットホン松竹 またはチケットWEB松竹まで

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