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波乃久里子、ヌード撮影を前日にキャンセル!「今思えば、もったいないですよね」

歌舞伎俳優十七代目中村勘三郎さんの長女として生まれ、4歳で初舞台を踏んで以降、数多くの歌舞伎で父娘共演をしてきた波乃久里子さん。

初代水谷八重子さんに憧れて16歳のときに「劇団新派」に入団。『遊女夕霧』、『皇女和の宮』をはじめ、新派の古典から蜷川幸雄さん演出の『エレクトラ』や『女の一生』など多くの舞台に出演。2011年に「紫綬褒章」、2016年には「旭日小綬章」を受ける。

テレビドラマ、映画にも出演。芸能界屈指のきれい好きとして知られ、甥(おい)の中村勘九郎さんが撮影して8月に公開したYouTube「歌舞伎ましょう」の「波乃久里子(マロン)のお掃除ルーティーン」も話題の波乃久里子さんにインタビュー。

父と初舞台(1950年)

◆初舞台で転倒、満場の拍手に味をしめて…

1950年1月、4歳になったばかりの波乃さんは、「十七世中村勘三郎襲名披露初春大歌舞伎」で初舞台を踏むことに。

-歌舞伎の家に生まれたという意識はいつ頃からありました?-

「私は歌舞伎しか知らなかったので、みんな普通に歌舞伎をするんだと思ってたんじゃないかしら。学校の友だちもみんな歌舞伎役者の娘だと思っていたみたい(笑)。

それで初舞台が4歳で女小姓(めごしょう)をやったんですが、初舞台の初日に転んでしまったんです。

父の勘三郎襲名公演で大名に混じって私が後ろから太刀(たち)持ちで、稚児輪(ちごわ)のかつらをつけてついて花道に出て行くんです。初日に転んじゃって…(笑)。

そうしたらお客様が満場、もう立ち上がらんばかりに拍手してくださったのね。それで味をしめちゃって、次の日も同じように転んでみせたんです。

それで父に怒られて、それが一番の印象。わざとらしい芸、芸と言ったって意味もわからなかったけれど、『わざとらしいことは大嫌いだ。まじめにやりなさい』って」

-初日に転んでもそれで萎縮(いしゅく)するのではなく、拍手に味をしめたというのは、度胸がありますね-

「拍手をたくさんいただいてうれしかったから、明日もやってやろうと思っちゃったところがすごいですよね(笑)。度胸というより舞台の怖さをまったくわかってなかったんでしょう。

太刀をどこに入れて突いたらカクッとなって転ぶかわかっていてやったの。知能犯だったのね。いまだに覚えています。私は本当に悪知恵が働いたんじゃないかしら。その当時はよく頭が回ったみたい…(笑)。

私が最初に転んだときはアクシデントだから父は怒らなかったんですよ。でも、次の日に同じことをしたらわざとらしいですよね。ものすごく怒られました。

『昨日転んだのはしょうがない。不可抗力だけど、これだけはダメだ』って怒られたんです。だから、そのことはそれからずっと肝に銘じています。わざとらしい芸をしないことは(笑)」

-久里子さんは、話題になったドラマ『半沢直樹』(TBS系)はご覧になりました?-

「見ていました。私には逆立ちしてもできないわ。ものすごい。あれも歌舞伎ですよ、ザ・歌舞伎」

-歌舞伎の俳優さんたちもたくさん出てらっしゃいましたね-

「おもしろい。歌舞伎でやることをふんだんに使ってらっしゃるものね。あの方たちは本当に偉い。感動しますよ」

-お父様は久里子さんと舞台に出られてうれしかったでしょうね-

「私は当たり前のように感じてましたけどね。お弟子さんたちがちやほやしてくれるでしょう?

歌舞伎の小道具部屋とかそういうところが、私にとってはお砂場とか公園であり、幼稚園だと思っていましたよね。そうやって育ってしまっていたので、私のなかでは当たり前なんでしょうね、歌舞伎というのはそういうものだって」

-4歳のときに初舞台をされてからは?-

「15歳までは、父は私と一緒に舞台に出たいから、私が出られるような演目を選んでしまうんです。お客様や会社は迷惑だったかもしれません。子どもが必ずついて出るんですから」

-見に行く側としては親子共演も楽しみです-

「海老蔵さんのところの勸玄(かんげん)ちゃんみたいに有名ならばともかく、私なんて全然有名じゃないんですもの。

勸玄ちゃんみたいだったら売り物になるけど、私なんかはお弟子さん泣かせですよ。ピーピーギャーギャー騒ぐでしょう?

それで私なんてチャカチャカしているから、いろんなお部屋に行っちゃうんですよ。楽屋でもなんでも。だからお弟子さんも付いて回らなくちゃいけない。

一番偉い幹部の中村歌右衛門さんというすごい方のお部屋にだって、どんどん入って行ってしまうんですもの、私は。『おにいちゃまー』とか言って(笑)」

-可愛いかったでしょうね-

「ものすごく可愛がってくださってました。最後には『養女に欲しい』っておっしゃって。私は『歌右衛門のおにいちゃまのところにお嫁に行く』って言っていたの、4歳くらいまでは。私の初恋ですよね」

※波乃久里子プロフィル
1945年12月1日生まれ。神奈川県出身。1950年、4歳のときに父の『十七世中村勘三郎襲名披露初春大歌舞伎』で初舞台。以降多くの歌舞伎の舞台に出演し、1961年から「劇団新派」に参加し、初代水谷八重子に師事。1962年に正式に入団し、新派の古典から『華岡青洲の妻』、『女の一生』など数々の舞台に出演。2011年に「紫綬褒章」、2016年には「旭日小綬章」を受ける。『赤穂浪士』(NHK)、『あにいもうと』(TBS系)、映画『三文役者』(新藤兼人監督)、『トワイライトささらさや』(深川栄洋監督)などテレビ、映画にも多数出演。2020年芸能生活70周年を迎え、12月13日(日)には新橋演舞場で新派朗読劇場『女の決闘』(石井ふく子演出・八木隆一郎作)に出演する。

22歳(左から2番目)両親と妹弟と

◆両親から「ヌード写真を撮っておくれ」と言われて

4歳で初舞台をはたして以降、15歳までは歌舞伎の舞台に出演していたという波乃さん。父・勘三郎さんにはほとんど怒られたことはなかったという。

「15歳くらいまでは歌舞伎の舞台に立てるんです。松たか子ちゃんも16歳のときに歌舞伎座で『人情噺文七元結』をやっていましたしね。海老蔵さんの妹の牡丹ちゃんも10代半ばくらいまではやっていますよ。

『出雲阿国なんて女優に替えたっていいんじゃないの? 私もできる役がいっぱいあるじゃないの? おばあさんとかさ、初老の役をやらせてよ』って弟(18代目中村勘三郎)にも言ってました。

父は新しかったですよ。新派の女優さんをたくさん起用してました。阿部洋子さん、市川翠扇(すいせん)先生、八重子先生も。『だから私も使ってくれたっていいんじゃない』って…。

父とか弟は新しいというか、ジャンルは無いんですよ。ただの演劇になるの。私はジャンルがあると思っているんですが、それなのに自分はいろんなものに出たいんです(笑)」

-本当に勘三郎さんは色々な試みをされていましたね-

「弟は私が『ジャンルがある』と言うと怒りましたよ。『演劇はひとつだ。だから男だって、女だってやればいいんだ』って言うんだけど、それには私は反対でしたけどね。

女性が15歳過ぎても歌舞伎に出てもいいかもしれませんが、女性ではあの歌舞伎の衣装を着れませんよね。着こなせないです。だけど八重子先生たちは立派につとめてらっしゃいました。

私は『見るのは女の人が出ないほうがいいけど、私は出してちょうだい』って、そんな勝手なことないわよね(笑)」

-お父様は久里子さんにはものすごく大甘だったそうですね-

「私は父と42年間一緒にいましたけど、怒られたのは1年に5回ぐらいしかなかったんじゃないかしら。1年365日のうち360日は褒められていました(笑)。

歌舞伎の舞台稽古でも大勢のお弟子さんの前で『お姉ちゃんくらいいい女優はいませんよ』って褒めるんです。誰も『違います』とは言えないですよね(笑)。でも、弟は365日怒られていました」

-それは自分の跡を継ぐということで?-

「それと女優という仕事を知らないし、わからなかったから、父は。『女優というのはきれいでフワーッとしてればいいんだよ』って。

それから『ヌードの写真を撮っておくれよ』って。そういう家だったんです。一生の思い出だからって。きれいなときもあったじゃない? 私にも(笑)。

20代のはじめの頃、立木義浩先生が『遊女の格好で撮らせてくれ』っておっしゃってくださって、父も母も喜んじゃって。やるつもりだったんです。

普通は親が止めるでしょう? 娘がヌードになることになったとき。うちは逆なの。何なんでしょう。うちの親は(笑)」

-ものすごく発展的な考え方ですよね-

「日本人ぽくなくて、外国人みたいな考え方ですよね。私もそうだけど」

-それで撮影はされたのですか?-

「やらなかったんです。撮影の前日に美容院に行ったら、先生が『あなたさ、アンダーヘアはちゃんとお線香で焼いて整えておきなさいよ』って言ったんですよ。それを聞いて泣きそうになっちゃって、怖くてやめたんです。

父も母も怒ってました。『お前みたいに勇気のないやつはいない』って。『役者は晒(さら)していいんだ。晒し者になることがいいことであって、じゃあお前には何があるんだ?』って。『きれいじゃなきゃダメなんだから整形でもしろ』って言うの。ひどいでしょう?」

-立木先生の撮影は全部用意もされていたのにドタキャンですか?-

「そう。撮影の前日に美容院に行ってお線香の話をされて、その日にやめたの。だから立木先生もあきれたでしょうね。

あのときどう思われたのか、お会いして聞いてみたいわ。『とんでもない女優だ』って思われたかな?今思えば、もったいないですよね。撮っておけばよかった。親の言うことは聞くものですよね。バカよね(笑)」

◆憧れの水谷八重子さんに師事することに

15歳まで歌舞伎の舞台に出演していた波乃さん。クリスチャンでシスターになりたいと思っていたそうだが、作家・川口松太郎さんの勧めで「劇団新派」に参加することに。

「川口先生が家にいらしたんですよ。『新派にこないか』って。私は新派を知らなかったので、『何ですか?』って聞いたら、『すごいところなんだよ』って延々としゃべられたんだけど、『なんでそんなところに行かなくちゃいけないんだろう』って思ってたんです。

そうしたら『水谷八重子という女優がいる』って言うから、それを聞いて『行きます!』って即答して(笑)。

東宝歌舞伎で長谷川一夫先生の舞台に出てらした水谷八重子先生を見て、私は椅子から転げ落ちたんです。あまりにきれいで、『あんな人が世のなかにいるのか』って思って。

天女だと思った。それで、わたしはすごいおしゃべりなんだけど、父たちも私が病気になったのかと思ったくらいしゃべれなくなっちゃったの。学校に行っても黒板に八重子先生が浮かんで出てきちゃうんです(笑)。

それで家のお蔵に行ったら父が持っていた雑誌なんかに八重子先生の写真とか記事がいっぱいあるんですよね。だから切り抜いてスクラップブックにしていたんです。父の記事が裏に出ていても八重子先生の記事を切り抜いて」

-それは川口松太郎さんに誘われる前からですか-

「そうです。だから川口先生から八重子先生の名前が出たときには、『えっ? 今なんておっしゃいました? 水谷八重子? それだったら絶対に行く』って(笑)。

そうしたら『なんだ、八重ちゃんに惚れていたのか。じゃあ行かせてもらいなさい』って。それで16のときに入ったんです」

-何か運命だったような感じですね-

「そうですね。だから私は八重子先生のことはもう運命としか思えない。昨日、八重子先生の祥月命日だったんです。お昼ぐらいにお墓に行ったら、きれいになっていました。今の八重子さん偉いなあと思って。きっと朝いらしていたのね」

-水谷八重子さんは久里子さんをお弟子さんにするということに関してはいかがでした?-

「明治座に川口先生が連れて行ってくださったんだけど、20分くらい押し問答してらっしゃいましたよ。

『勘三郎さんのお嬢ちゃんはイヤ。預かれないわ』『そんなこと言わないで。好きなんだって。惚れてるんだから、お前さんに。やってやってくれよ』『だめなの。若い子たちがかわいそう』って。

あとから来た私が入って行っちゃったら嫌がられますよね。勘三郎の娘ですから。それと私を預かるのがめんどくさかったんでしょう。自分の娘の良重(現・水谷八重子)さんもいらっしゃるし。

結局預かってくださることになったんだけど、条件がふたつありました。学校にちゃんと出るということと、父に口を出させないということ。ふたつとも破りました。学校は嫌いで行かなかったし、父はどんどん口を出すしね(笑)」

明るくユーモアたっぷりに話す姿が粋でカッコいい。次回は「劇団新派」での日々などについて紹介。(津島令子)

※新橋演舞場『新派朗読劇場』
2020年12月13日(日)午後2時開演
『女の決闘』
石井ふく子演出 八木隆一郎作
出演:水谷八重子・波乃久里子ほか
チケットは11月22日(日)より
チケットホン松竹 またはチケットWEB松竹まで