螢雪次朗、妻が“ラブシーン”のアドバイス。滝田洋二郎監督との出会いは、ピンク映画の現場
中学生のときに俳優になる決意を固め、高校卒業後、新劇の世界に入った螢雪次朗さん。
26歳で劇団を辞め、30歳のときにヌード劇場に出演したのをきっかけに、ピンク映画、そして日活ロマンポルノに出演することに。
◆ピンク映画の現場で滝田洋二郎監督と出会い
螢さんにヌード劇場での仕事を世話してくれた方の紹介でピンク映画に出演することになった螢さんは、3本目の作品で助監督だった滝田洋二郎監督と出会ったという。
「滝田監督はそのとき、監督作品を1本撮った後で、次の黒田(一平)探偵シリーズという、知る人ぞ知る新しい『痴漢電車』シリーズの主役の役者を探していたんですよね。
『実は今、監督として次の作品の準備をしているので、螢ちゃんやってくれないか』って言われたので、『喜んでやりましょう』って言いました。ラッキーでしたね。
それを製作していたのが向井寛という監督が主宰する制作プロダクション『獅子プロ』で、向井寛が親分で、ほかの監督はみんな子分という感じの古臭いタイプの会社だったんですよ。
つまり、アーティストが集まるとかいうおしゃれな会社ではなくて、向井寛というボスの監督がいて、彼を慕っていろんな監督が入ってくるという会社。
監督やカメラマンたちと一緒に、『どうしたら映画として面白くなるか』ということを模索しながらやっていました。
スタッフは7、8人という少人数で、みんないろんなことを兼任してやっていましたから、全員で作品を作っているという感じでしたね。
5年間ぐらいは、その獅子プロを中心に僕はずっとピンク映画をやりながら、僕にヌード劇場とピンク映画の仕事を紹介してくれた人、番頭さんと呼んでいたんですけど、その番頭さんが『舞台もやろう』って言うので、ストリップ劇場の仕事もしました。
日活ロマンポルノの主役をやった女優さん、あるいはピンク映画で主役をやった女優さんをメインにして、男はいわゆる狂言回し。
ストリップ劇場ですから、主役をヨイショして、お客さんをいじりながらやるしかないんですよ。1日に4回やりますからね。
『お客さん、どうですか?きれいでしょう?じゃあ、ちょっとあなたも彼女とラブシーンの真似事してみましょうか』という感じで、お客さんを舞台に上げて、ちょっとラブシーンのまねごとみたいな、そういうおバカなショーをやっていましたね(笑)」
-ピンク映画、日活ロマンポルノからは色々な監督も出ましたね-
「そうですね。さっき言った獅子プロは、滝田監督を筆頭に、そのあと佐藤寿保とか、瀬々敬久もそうですね。瀬々は京大を出て助監督で来て(笑)。
僕ははじめて彼に現場で会ったときを覚えていますよ。ほかの助監督が、『螢ちゃん、こいつ京大卒業して来たんですよ。バカでしょう?』って言って、みんなも『親は泣いてるね』とかって言ってましたよ(笑)。
この間もそんな話をしたんだけど、僕は滝田組の作品にずっとレギュラーでほとんど出ているでしょう?
そうすると映画界って、なぜかほかの監督は、『あの人は滝田組の常連だから、自分はキャスティングしないでほかの人を』って、だいたいそういうものなんですよ。
だから、僕は瀬々の映画も1本も出たことがない。聞いたことはないですけど、それは瀬々のなかの仁義なんですよ。『螢さんは滝田組のレギュラーだから、私が声をかけちゃいけない』って」
-金子修介監督も螢さんにオファーしたのに、同時上映が滝田監督の作品だったので出演しないことになったそうですね-
「そうです。今はそんなことはないでしょうけどね。ただ、ピンクの世界は、妙に先輩後輩とか、結構体育会系だったんですよね、いろんな意味で」
◆奥様がラブシーンのアドバイス?
-ヌード劇場やピンク映画に出演されることについて奥様は?-
「『仕事があるんだったら、何でもやりなさい』って言ってました。僕はピンク映画もヌード劇場もカミさんに全部見せましたから。
初号(試写)のときにはカミさんも呼んで一緒にみんなで見て、そのあと居酒屋で打ち上げとかやるんですけど、そのときも来ていたし、ヌード劇場のショーも、僕は結構あちこち呼びました。
九州とか大阪、仙台とかにカミさんが見に来て、2、3日近くのホテルに泊まって、照明室みたいなところから見て、『あそこはもう少しこうした方がいいんじゃない?』とかって言ってましたよ(笑)。
もともとそういうものに対する偏見がない人なんですよ。普通はありそうなものじゃないですか。『ピンク映画だとかストリップ劇場のショーだとか、なんだか怪しいなあ』って(笑)。それがないんですね、うちのカミさんは」
-すてきですね-
「はい。それはよかったですね。実際に見ればくだらないことをやっているわけで(笑)。裸の女性と一緒に仕事をしているって、それだけを聞けば、どんないやらしい世界かって、普通は思いますよ。
僕はやっぱりある種偏見なんてもってましたから。でもカミさんに会って、そういうのがない人がいるんだなって思って。
だから、全部見せちゃえば、実にくだらないバカなことをやっているなってわかるし、そこそこお金をいただけて。ピンク映画とヌード劇場の仕事で貯金して、カミさんとふたりでヨーロッパ旅行に行きましたからね(笑)。
貧乏旅行ですけど1か月位。彼女はイギリスのロイヤルバレエのファンなので、ふたりでロイヤルバレエを見て、その前にイタリアからスペインを回ってロンドンに行くとかっていう、そういう旅行をしたりしてね。
30代で若かったし、カミさんも僕が楽しそうにやっているのを見て、『新劇をやっているよりこの人はこっちの方が楽しそうだな』ってわかったんじゃないですか。事実僕は新劇をやっているより、よっぽど面白かったですからね(笑)。
『水を得た魚』という言い方がありますけども、ヌード劇場で、バカな芝居だけどそこをいろんなことを自分なりに演出したり、自分でアドリブをやったり、お客さんをいじったりして、ワーッとウケるじゃないですか。それがやっぱり面白かったですね。
1日4ステージそれがあるんですよ。とっても楽しかったしね。そこで学んだことは、やっぱり一番大きかったなぁ。20代前半の新劇時代と、30代前半のヌード劇場の実演ショーの時代とピンク映画で映画の芝居というのを勉強したという感じですね。
主役だと60分の映画でほとんど出ずっぱりでしょう?4日間、連日朝から夜まで、いろんな芝居をやるわけですよ。
しかも、ピンクは大体暗くてジメーッとしたものが多いけど、僕は滝田監督のおかげで、あと獅子プロにはもうひとり、渡邊元嗣(わたなべもとつぐ)という、滝田監督の後輩で、もっとバカな映画を撮るやつがいたんですよ。
『ピンク映画でこんなバカなことをやっていいのかよ?』って、こっちが心配するくらいばかばかしいことをやっていた(笑)。今でもやっていますけど、そういう監督がいたんですよ。
だから、そういう仲間だったから僕は5年も6年もピンク映画をやれたんですよね。暗くてジメーっとした映画ばかりだったら、とても5年も6年もできなかったと思います」
-滝田さんの「黒田一平シリーズ」をはじめ、いまだに語り継がれている作品がありますね-
「やっぱり、あの当時の滝田組の面白さといったらすごかったからね。みんな若かったせいもありますけど、滝田監督も若かったし、高木功というシナリオライターも天才的でしたけど、彼も若かったし、僕も若かった。
いわゆる30代前半ぐらいの体力も気力もあるときに、おもしろい仲間と出会えたことは、かけがえのない財産だと思いますね」
◆映画『病院へ行こう』で話題に
1984年にはヌード劇場で知り合ったルパン鈴木さんとコントグループ「螢雪次朗一座」を結成して「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日系)に出演。11週勝ち抜いて話題になるが、1990年にコンビを解消。本格的に俳優として活動をはじめる。
「ポンと売れちゃえばいいんですけど、売れないまま3年目、4年目、5年目を迎えたコンビというのは本当に難しいですよ。新ネタを作っていこうという気力がなくなっていきますね。
僕らも、新ネタを作ろうという気力みたいなものは、お互いのなかにちょっと薄れていったので、ここは一回別れて、それぞれ役者になるとか、他のところでお笑いをやるとか考えて、また一緒にやるときがきたらやろうかってコンビを解消したんです。カッコよく言えば発展的解消。年齢も40歳になるというところでしたからね」
-滝田洋二郎監督の映画『病院へ行こう』に出演されたのは?-
「コンビを解消した直後でした。ピンク出身で一般映画を撮るようになったら、声がかからないとかそういう人もいるんですけど、滝田監督はそうじゃなかったからね」
-オファーされたときはいかがでした?-
「実は、僕は最初、あの定(さだ)という役ではなくて小さい役だったんですよ。だけど、最初決まっていた役者さんは、ちょっとイメージが違ったみたいで、監督とプロデューサーと、その俳優さんとのあいだで、『違うなあ』っていうことになったんじゃないですか。
それで、滝田監督が、『螢ちゃん、定役をやってくれないか』って言って、僕は最初小さい役だったのが、ずっと大きい役をやることになったんです。
そういう経緯がありましたからね。多分、監督の意向で役を替えたということもあるので、僕も撮影中は何とかしておもしろくしようと必死でした。
監督の意向でキャスティングを替えて、その役があまり面白くなかったら、監督としてもちょっとまずいじゃないですか。それも僕は感じていたので、僕なりにちょっと頑張りましたけどね」
-螢さんの定役はとても印象的で話題になりました-
「おかげさまで、いろんな方に『おもしろかったよ』って言っていただきました」
-大地康雄さんとのキスシーンも強烈でした-
「エレベーターのところで別れるあのシーン、実は長いセリフを僕が言ってるんですよ。それを全部切られちゃった。お別れに際して告白しているんですよ。
それで最後に『バカ』って言って大地にチュッてキスするんだけど、滝田監督がその前半の長いセリフを全部切っちゃったんだよね(笑)。残念でした。
よくあることなんですけどね。そうすると監督が『螢ちゃん、悪いね。ちょっと尺の都合でね』とかって言うんですよ、だいたいね。
『他に切るところがあるだろう』って、いつもそうやって怒るんですけどね。『あれ切るなよー』って(笑)。まあしょうがないですよね」
-公開されて話題になってホッとされたのでは?-
「そうですね。あれは名作ですよ。真田(広之)君と薬師丸ひろ子、大地康雄でしょう?キャスティングもよかったですよね。それと一色伸幸のシナリオがいいです。一番いいときの一色伸幸ですね。
実は、『病院へ行こう』と同時ぐらいにNHKで今でも付き合っている片岡敬司というディレクターの処女作『ネットワークベイビー』というドラマをやったんですけど、これも一色伸幸なんですよ。
これがまた実に素晴らしいドラマで、単発ですけど、僕は1年のうちに2本、一色伸幸のおもしろい本をテレビと映画でやって、そして、もう1本、雨宮慶太監督の映画『ゼイラム』もその時期にきて。40歳のときのその3本は、僕にとってのターニングポイントだったなあと思います」
『ゼイラム』で初タッグを組んだ雨宮慶太監督作品にも、『ゼイラム2』、『牙狼<GARO>』シリーズなど多く出演しており、自ら「雨宮組の番頭」と言っているという。次回後編では『ゼイラム』の撮影裏話、公開中の映画『リスタートはただいまのあとで』の撮影エピソードも紹介。(津島令子)
※映画『リスタートはただいまのあとで』
シネ・リーブル池袋ほか全国順次公開中
配給:キャンター
監督:井上竜太
出演:古川雄輝 竜星涼 村川絵梨 佐野岳/中島ひろ子 螢雪次朗 甲本雅裕
上司に人間性を否定されて会社を辞めた光臣(古川雄輝)は、10年ぶりに故郷に戻り、近所で農園を営む熊井のじいちゃん(螢雪次朗)の養子・大和(竜星涼)と出会い…。