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アクション俳優・坂口拓、いじめられっ子だった小学生時代。血が出るまでカベ殴り、「絶対に強くなる」と誓った日

2001年、海外の映画祭でも高い評価を受けた映画『VERSUS』(北村龍平監督)で主演デビューを飾り、アクション俳優として注目を集めた坂口拓さん。

少林寺拳法、八極拳(はっきょくけん)、ムエタイ、剣術など多くの武道や格闘技を習得し、俳優としてだけでなく、アクション監督、映画監督、ユーチューバーとしても活躍。圧倒的な迫力とスピード感あふれるアクションで唯一無二のアクション俳優として熱狂的な支持を集めるが、2013年、突如として俳優業から引退。2017年、20年来の親友・下村勇二監督の映画『RE:BORN』で、戦う者を演じる「戦劇者」TAK∴(たく)として俳優業に復帰。

2019年には映画『キングダム』(佐藤信介監督)に残虐な元将軍・左慈役で出演。圧倒的な存在感でド迫力のアクションを披露。現在、公開中の映画『狂武蔵』では77分間ワンシーンワンカットで延べ588人もの剣士と死闘を繰り広げている坂口拓さんにインタビュー。

◆いじめが原因で転校、年下の子どもたちを従えて…

自らのアクション道を極めるために、武道、剣術に精通し、“ゼロレンジコンバット”という戦闘術・暗殺術の創始者である稲川義貴さんに師事して“ウエイブ”という技術を身に付けた坂口さん。

“ウエイブ”とは、肩甲骨をグルグルと回転させることによって生まれる体内のエネルギーの波動で相手を攻撃したり、攻撃を交わしたりする技術だという。圧倒的な強さで知られる坂口さんだが、子ども時代はまったく違っていたと話す。

「小さいときは勉強もできず、運動もできず、ボーッとしている子どもで、幼稚園の頃はよく誘拐されそうになったって聞きました。可愛らしかったらしくて、『持って帰りたい』って言われて(笑)」

-お顔整ってますものね-

「そんなことないです。子どものときは可愛らしかったらしいんですけど(笑)。詩的な感じで、朧月(おぼろづき)に雲がかかっていると、それが布団に見えたらしくて『お月さん、お寝んねだね』なんて言っていたみたいです」

-すてきですね-

「ありがとうございます。それで、小学校では『ブラックシール』って呼ばれていたんですけど、おふくろは(明石家)さんまさんがやっていたキャラの『ブラックデビル』のことだと思ったみたいなんです。

それが授業参観に来て、すぐにその答えがわかったんですね。当時はまだ競争社会だったので、1か月分の漢字テストの結果が教室の後ろに張り出されていたんですけど、100点取った子は金のシール、90点が銀のシール。

でも、僕だけ0点で、黒のシールが一直線に並んでいたんですね。だから『ブラックシール』っていうあだ名だったんですよ」

-お母さん驚いたでしょうね-

「はい。まあしょうがないです。『競争社会の申し子』と呼んでください(笑)。めちゃめちゃいじめられていたらしいです。

だけど、自分ではいじめられていた記憶は、実はないんですよね。いじめられたということを記憶するぐらいの脳みそもなかったと、そのように理解しております(笑)」

-いじめが原因で転校もされたとか-

「そうです。おふくろが学校にいじめのことを言ったのに改善されないから、買ったばかりの一軒家だったんですけれども売って、それで引越しをしたんですよね」

-転校されてからはどうでした?-

「結局、転校しても同級生となじめなかったので、家の近所にいる低学年の子たちと遊んでいました。

僕の家の斜め前に双子の兄弟がいて、その4軒隣にちょっと太っちょの男の子がいて、その隣にちょっとお金持ちの子、みんな低学年です。僕が小学校4年生のときに2年と1年ぐらいですね。

体格も違うじゃないですか。だから何をやっても『拓ちゃんすごいね、拓ちゃんすごい』ってなるので、ずっと低学年と遊んでいました。

同級生の友だちもいないし、おふくろが映画好きだったから、よくアクション映画とかを見せてくれたりしていたので、アクション映画の主人公が自分に乗り移った気がして、嘘八百なんですけど、自分はものすごく強いんだとかって言っていたんですね。

それで、ちょっと遠い公園にみんなで遊びに行ったときに同級生に出くわしちゃって、当時はやっていた銀玉鉄砲で拓を撃って遊ぼうぜみたいになったんですね。

僕は銀玉鉄砲で撃たれながら『やめろ、やめろ、やめてよ』みたいな感じだったんですけど、子分みたいに従えていた年下の子たちが『拓ちゃんに何をするんだ、やめろ』って言って彼らに立ち向かって行ったんです。

でも、みんな上級生だから、投げ飛ばされるじゃないですか。めちゃめちゃやられちゃって、それを見て、自分も向かって行きたいんですけど、足が震えちゃって動けなかったんですよね。

同級生たちがいなくなった後、彼らに顔向けできなくて、帰り道は無言のままずっとうつむいてトボトボ歩きながら、『どうやって嘘をついたら、彼らともう一回友だちになれるかな』ということばかりずっと考えていたけど、何も思いつかなかったんです。

それで、最初に着いたのが僕の家だったんです。そのとき、みんなもうメタメタにやられているから本当にボロボロの顔をしているんだけど、ニッコリ笑って、『拓ちゃん、また明日遊ぼうね』って言ったんですね。

自分の家の玄関の前に立ったときに、涙がボロボロこぼれて、家の土壁を何回も何回も、血が出るくらいまで殴っていました。

そこからですね。『強くなりたい。絶対に強くなる!』って自分で思って。彼らについてきた嘘が本物になるぐらい強くなりたいって思ったっていうのが、今の自分の強さの根源になっているのかもしれないですね」

-それが小学校4年生のときですか-

「はい。それで次の日からすぐに少林寺拳法を習いはじめました」

-それからはもう強くなりたい一心で?-

「そうです。昔のことなのでケンカをするときとかもありましたけど、怖くて足も震えたんですよ、いじめられっ子なので。

でも、そのたびに、あのとき前に進めなかった一歩を踏み出すというか、怖いんだったら一歩前に出るというふうにして、あの小4のときから1回も下がったときはないですね。今はもう進んで前に出るようになりました(笑)」

-少林寺拳法をはじめたときはどうでした?-

「優しい先生でおもしろかったんですけど、小学校4年から6年まで習いに行って辞めました。格闘技には向き不向きもあるし、いろんな格闘技を習得したかったので。

あとは図書館で武術の本を借りて読んでという感じで、今度は自分に合っているスタイルにしたいなあと思ってやっていました」

※坂口拓プロフィル
1975年3月15日生まれ。石川県出身。2001年、映画『VERSUS』で俳優デビュー。映画『地獄甲子園』(2003年)、映画『デッドボール』(2011年)、映画『RE:BORN』(2017年)、映画『キングダム』(2019年)、映画『狂武蔵』(公開中)、『仮面ライダー カブト』(テレビ朝日系)など映画、ドラマに多数出演。映画『魁!!男塾』(2008年)で映画監督デビュー。アクション監督、ユーチューバーとしても活動。アクションチーム「ZEROS」、伊賀忍術と現代戦闘術を融合させたネオ忍者集団「雷風刄」のプロデュースなど幅広い分野で活動。

◆ホームレスのおじいちゃんから教わった「八極拳」

中学校時代は陸上部に所属、高校では弓道部に所属。高校は山の頂上にあり、通学には片道3時間もかかったという。

「高校には初日だけ電車で行ったんですけど、めちゃめちゃ怖い先輩たちが乗車賃を巻き上げていて、電車に乗るときに電車賃を払っているのに、さらにひとり100円ずつ集めていたんです。

めちゃめちゃカラダが大きいんですよ。それで怖くて100円払ったんですね。払わなきゃ殺されると思ったんで。

それで、ずっと悩んだんですよ。この人たちに毎日100円取られるのかなって。それはいやだから自転車で通おうと思って。

それで、朝6時半に起きて、3時間半くらいかけて山道を自転車で通うようにしたんです。3年間無遅刻無欠席で。金沢ですから雪も降るんですね。山だったから2メートル以上積もるんです。

それで高校生がみんな賭けをしていたんですね。雪が積もるたびに、僕が自転車で来るか来ないかって。そうしたら雪が積もっているときに、(坂道から)僕の自転車のハンドルだけが見えるって言って。

それはなぜかって言ったら、雪が積もりすぎて自転車に乗れないから、僕が自転車を担いで歩いているということなんですよ(笑)。

3年間そうやって学校に通っていました。それが多分、僕の今の足腰を作ったんじゃないかなと思うんですよ。足腰を鍛えるいい修業でしたね(笑)」

-毎日が肉体鍛錬ですね。高校時代に武道は?-

「武道もやっていました。高校時代、『拳児』という八極拳の漫画がはやっていたんですね。それで、金沢の河川敷に行ってひとりで練習していたら、ホームレスのおじいちゃんが、『そうじゃないよ、八極拳は』って言って教えてくれて。

その人が、食パンと牛乳をくれるんだったら教えるというので、2年間教えてもらっていました。

これだけ言われたんですね。『たくさんの技なんてやらなくていいんだ。本当に実戦になったら悩むだろう? 相手がこう来たからこの技だ、こう来たらこの技だって悩むだろう? だから、1個でいい。1個だけ覚えろ』って言われて、1個だけ覚えて、それを2年間ぐらい、ずっと繰り返してやったというのは覚えています」

◆俳優を目指したきっかけは失恋?

高校卒業後、「手取フィッシュランド」(石川県能美市)という遊園地に就職。商事部に配属され、平日は遊園地が経営するペットショップにペットフードなどを届ける仕事などをしていたのに加え、土日は遊園地のキャラクター、テドリン君の着ぐるみのなかに入る仕事もしていたという。

-どのぐらいの期間、働いてらしたのですか-

「18歳から19歳のはじめぐらいまでの1年ぐらいです」

-俳優になろうと思ったきっかけは?-

「手取フィッシュランドで60歳をこえたおじいちゃんたちを雇っていたんですけど、その人たちとたまに段ボールとかをペットショップで片付けるときに一緒になっていたんですね。

そのときにその人たちが、『俳優をやればいいのに。新選組の沖田総司をやったらいい』っていうようなことをずっと言っていたんですけど、僕は聞き流していたんです。

その頃、アルバイトで来ていた高校生の女の子がいたんですけど、夏休みが終わったら来なくなっちゃったんですね。そのときに何か寂しい気持ちになって、『俺恋してるじゃん』って(笑)。

でも、どうしようもないなあって思っていたら、その子が土日だけ手取フィッシュランドで働いていたんですよ。

それで俺は社長に、『テドリン君の募集してましたよね。俺テドリン君に入ります』って言って、その子に会うために土日も働いていたんです」

-彼女に会うのが目的で-

「はい。それで告白をしようと思ったんですけど、できなくて。告白しなかったら腕立て伏せをするって決めてやっていたんですけど、腕立てが結局460何回までになっちゃったんですよね。

告白も何もできないまま、彼女は先輩に告白されたかなんかで結婚することになっちゃって、それを聞いたときに悲しくて…。

何も言えないじゃないですか。告白も何もしてないし、告白する勇気もないので。『告白できなかった』って落ち込んで、パッとガラス窓を見たときに映っていた自分の顔を見て、『俳優になろうかな』って思ったんですよね(笑)。

それで、吉本興業に出す履歴書とJAC(ジャパンアクションクラブ)に出す履歴書を並べて、どっちに行くかを考えていたんですけど、おふくろが真田広之さんが大好きだったのでJACの養成所に応募してJACに行くことになったというわけなんですよね。それが19歳の夏でした」

-JACに入ったときにはどうでした?-

「やっぱり基本はすごくためになったので一生懸命やっていたんですけど、自分が思っていたのとは違っていました。何か全然アクションってリアルじゃないんだなぁと思って。

いきなりアクションになったら、『やー』って構えて、『やー』って段取りでやる。『アクションってこんなものなのか?』って思ったんですよね。

芝居にはリアリズムとかがあるのに、アクションにリアリズムは存在しないのかって思ったので、半年で辞めて、そこから自分のアクション道をやりはじめたという感じです」

-自分のアクション道というと、実際の武道をということですか?-

「そうです。ムエタイ、ボクシング、いろいろな格闘技をやったりして、それも別に格闘技をやって強くなりたいのではなくて、自分のアクションにどう活かせるかとか、リアルで闘うことはどういうことなのかというのを追求することに、結構時間を費やしました」

-俳優としてのアクションをということですね-

「そうです。だから実際に戦うというのは、自分のなかではなかったんですね。『結構優秀だからプロになったほうがいい』と言われたんですけど、自分のリングはやっぱり映画でありたいと思っていたので」

自分のアクション道を追求しながら自主映画も製作。そして20歳のとき、親友となる下村勇二さん(映画監督・アクション監督)と出会い、『RE:BORN』、『キングダム』、『狂武蔵』など多くの作品でタッグを組むことに。次回は修業時代の熊との壮絶な戦い、主演デビューを飾った映画『VERSUS』、俳優業引退と復帰などについて紹介。(津島令子)

(C)2020 CRAZY SAMURAI MUSASHI Film Partners

※映画『狂武蔵』
出演 : TAK∴(坂口拓) 山﨑賢人 斎藤洋介 樋浦勉
監督 : 下村勇二
原案協力 : 園子温
企画・制作 : WiiBER 、U’DEN FLAME WORKS、株式会社アーティット
配給 : アルバトロス・フィルム

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