『青いベンチ』で大ヒット!サスケの驚きの解散理由と、再結成後の「地獄」
過去に大きな失敗を体験した“しくじり先生”が、「自分のような人間を増やすまい!」という熱意とともに自身のしくじった経験を教える反面教師バラエティー番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)。
6月18日(日)に放送された同番組には、2004年に発表したデビュー曲『青いベンチ』がインディーズ年間シングル売上1位・オリコンチャート62週ランクインを記録し一世を風靡した男性フォークデュオ・サスケの2人が登場した。
『青いベンチ』で大きな注目を集めたものの、2009年には解散してしまったサスケ。その後、“過去の栄光にすがって”2014年に再結成することになるが、そんな彼らがしてしまった“しくじり”とは?
◆地元にこだわっていた本当の理由
2000年、高校の同級生である奥山裕次(上記写真・左)と北清水雄太(同・右)の2人で結成されたサスケ。
彼らは当初、埼玉県は大宮の路上で活動しており、メディアなどでは、「地元にこだわって活動するデュオ」「地元大宮を愛する人気フォークデュオ」として取り上げられることが多かった。
しかし、大宮にこだわっていた本当の理由は、「都内でやる勇気がない」ことにあったという。そして、この「勇気がない」という言葉は、彼らにこの後も付いてまわることとなる。
◆顔を出す勇気も、本音を言う勇気も「ない」
2004年、大ヒット曲『青いベンチ』でCDデビューしたサスケだが、ミステリアスなイメージをつけるためにCDジャケットでは顔を出さなかった。
しかし、そこにあった本当の理由も、「顔を出す勇気がない」というもの。“こんな顔してるんだ”などと思われるのが嫌だったという。
また、「スベるのが怖い」「他人の反応が気になり本音が言えない」という理由から、音楽番組やインタビューなどでは当たり障りないことしか言わなかったため、ネット上には「サスケのトーク、ゲロ吐くほどつまんねぇ」などと手厳しいことも書かれた。
そしてさらに、『青いベンチ』の次回作へのハードルを自分たちの中で勝手に上げてしまい、1年半もCDをリリースしなかった彼ら…。そうして大事な場面で勇気を出せず、完全燃焼できないまま、2009年に解散した。
そのときにも世間的には“かっこつけた”解散理由を発表したが、実際には曲が売れないので事務所をクビになっただけだったという。
◆再結成後の「地獄」
後悔を残したままの解散…。その後何をやってもうまくいかず、彼らは5年後の2014年、再結成をした。しかし、2人はこの再結成について、「自分勝手に舞い上がって再結成なんてするもんじゃない」と、その現実を語った。
彼らは再結成後、「再結成しても世間は“そんなに喜ばない”地獄」、「今更新曲を歌ってもヒット曲以外“盛り上がらない”地獄」、「ひらすらビジュアルの“劣化をいじられる”地獄」の三大地獄に陥ったという
さらに、再結成後にはさっそく、約27万枚売れた『青いベンチ』の10周年ということで同曲の“10th Anniversary”バージョンを発売したが、売れたのはたったの232枚。そして、過去には3000人規模のキャパでライブをしていたが、再結成後は50人規模のカフェがライブの場所に…。
そうして、理想と現実のギャップでどんどんと迷走することになる。
◆“音楽”に好きと言えばよかった
そんな再結成後の生活を経てサスケの2人が抱くに至ったのが、「この声が枯れるくらいに“音楽”に好きと言えばよかった」という気持ち。これは当然、代表曲『青いベンチ』の歌詞にかけた言葉だ。
2人は、大事な場面で勇気を振り絞ることができず、結果的に音楽と全力で向き合うことができていなかった自分たちを反省したうえで、視聴者に向けて「“好きなもの”を“好き”と胸を張って全力で言える強さを持とう」とメッセージを送った。
そして、歌詞にかけてもうひとつ、「それでもライブに来てくれるファンが、声が枯れるくらい大好き」とファンに対してもメッセージを送り授業を締めた。
最後は涙ぐみながらファンへの感謝を語り、過去の自分たちのように言い訳をかさねることなく完全燃焼して授業を終え、ラストに『青いベンチ』を歌ったサスケ。
その歌声に、スタジオも感動に包まれていた。
◆次回はMr.マリック先生が親子で授業!
・サスケ先生の“授業”は、テレ朝キャッチアップで無料で視聴可能!
・『しくじり先生 俺みたいになるな!!』次回の放送は、6月25日(日)よる9時58分から! Mr.マリック先生&LUNA先生が登場し、番組初の親子先生による授業を繰り広げる!