テレ朝POST

次のエンタメを先回りするメディア
menu

斉藤とも子、“優等生”のイメージが嫌で高校中退!28歳差の元夫とは「いつの間にか結婚していた(笑)」

中学3年生のときに医師である父親と5歳年下の妹と東京に引っ越すことになった斉藤とも子さん。

高校1年生で念願の女優デビューをはたし、ドラマ『青春ド真中!』(日本テレビ系)、『ゆうひが丘の総理大臣』(日本テレビ系)、『若い広場』(NHK教育テレビ)のなかの「マイブック」コーナーなどで“優等生の美少女”として人気を集めるが、実は優等生のイメージには抵抗があったという。

18歳

◆東京の中学校に転校して性格が激変?

中学3年生のときに東京に引っ越してきた斉藤さんは、都内の中学校に転校するが、神戸にいたときとはまったく違う学校生活だったという。

「当時は関西弁が珍しかったみたいで、いわゆるツッパリと言われている人たちに呼び出されて『なんかしゃべって』って言われたんですけど、そうするとしゃべれなくなっちゃうんですよね。

そういうことから引きこもりじゃないんですけど、友だちと伸び伸び話せなくなってしまって、すごくおとなしい子になっちゃったんです。

私より少し前に転校してきていた優しい子がいて、その子が唯一の友だちでした」

-神戸では家族ぐるみでお弁当を作ってくれるような人たちのなかにいたのが、いきなり環境が変わって-

「そうなんですよ。みんなで真っ黒になって遊んでいたような生活からいきなりですからね。

それと、私からすると東京と神戸では笑いのツボが全然違ったんですよ。私たちが神戸でゲラゲラ笑っていたようなことでは誰も笑わない、東京では。

逆に、東京の笑いに私がついていけなかったんです。笑いってすごく大事だなって思いました。

同じことで笑えると、すごく親近感がわくんですけど、それがズレていたということで、何か静かな子になっちゃって(笑)」

-中学3年生のときには、まだお仕事はされてなかったのですか?-

「はい、まだ仕事はしていませんでした。その頃、大竹しのぶさんがすごく人気が出られたときで、大竹さんが所属されていた事務所の養成所に通っていました。

中3の終わりぐらいにオーディションを受けて、最初に出たのは、『明日への追跡』(NHK)という少年ドラマです」

◆優等生だと思われるのがイヤで退学?

女優活動をするために三部制(午前・午後・夜間)の代々木高校に進学。先輩には原田美枝子さん、佐藤佑介さん、同級生には高野浩幸さんがいたという。

-高校時代はかなり忙しかったのでは?-

「はい。『青春ド真中!』、『ゆうひが丘の総理大臣』、そのあと『薔薇海峡』(TBS系)というドラマを神田正輝さんと一緒に出させていただいて、あと、『悪魔が来りて笛を吹く』、『わが青春のイレブン』と映画にも出させていただいたりしていたので、あの頃が一番忙しかったですね」

―歌手としてレコードも出されていましたね-

「恥ずかしいです。歌がすごく下手なので、歌手の方に申し訳ないし、人に聞かせられるような歌じゃないから出したくないって思ったんですけど、自分のこれまでの気持ちを、そのまま歌えばいいからって…」

-歌番組にも出演されて-

「はい。ガチガチで悪夢のようでした(笑)。関西の桂三枝(現・桂文枝)さんのテレビ番組に出たときに、終わった後、三枝さんに『お歌、もうちょっと勉強しようね』って言われて、『はい』って(笑)。すごく恥ずかしかったけど、本当のことを言ってくださったのがうれしかったです」

-『若い広場』(NHK教育テレビ)の「マイブック」コーナーにも出演されていましたね-

「はい。色々な作家の方に人生で出会った4冊についてお話を伺わせていただくコーナーだったんですけど、今だったら畏(おそ)れ多くできないかもしれない。怖いもの知らずだからできたという感じがします」

-利発そうで真剣なまなざしが印象的でした-

「いえいえ、何もわからないから真剣に聞いて、ただ聞いて終わってるんですけど(笑)。

今思えば、本当に貴重な、ありがたいお仕事でした」

-五木寛之さん、井上ひさしさん、黒澤明監督…ゲストの方々がものすごい顔ぶれでした-

「3年間、ほんとにすごい方たちに、お話を聞くことができて。ほとんどついていけてないんですけど、今でも覚えている言葉やシーンがあって。ドラマ以外にも、いろんなお仕事をさせていただいていたのが、まさに高校生の頃でした。

高校は三部制だったので、仕事しながらでも通えたんですが、結局、授業中に『マイブック』で紹介される本を読んでいたりして、ほとんど授業の勉強ができていなくて…。

そのときは『女優になりたいのになぜ勉強が必要なの?』と思っていたし、優等生と言われるのがイヤだったんです。

母がいなくて最低限の家事をしていることとか、ドラマの役柄で優等生だと思われて…。それで、優等生じゃないことを証明しようと思って、高校を2年でやめちゃったんです(笑)」

-優等生に見られるのがイヤでですか?-

「はい。それだけの理由でやめました。本当に単純というか、考えが浅かったですよね。

父は『とにかく学校だけは出ろ』って、あのときだけは猛反対したんですけど、『いやいや、そのとにかくみたいなのがイヤなんだ、私は』って(笑)。

言い出したら聞かないんですよね。私は頑固で『やる』って言ったら、いつも相談しないで決めるから(笑)」

◆写真誌に激写されたことがきっかけで28歳差の電撃婚?

高校を中退した斉藤さんは本格的に女優として活動をはじめ、ドラマ、映画、舞台の仕事で多忙な日々を送ることに。仕事は順調で多くの作品に出演が続いていたが、心のなかは不安な思いでいっぱいだったという。

「『これでいいんだろうか?』って、すごく不安でした。『自分の居る場所じゃないなぁ』っていうか、なんとなくこの世界になじめないというのがずっとあったんですよね。

役柄は演じているんだけど、本当にその役をわかっているわけでもないし、その経験をしたわけでもない。自分なりに想像して演じているけど、自分ではない。

でも、テレビを見ている人はその私を見て、『斉藤とも子というのはこういう人』って、全然違うもう一人の自分が一人歩きをしていくわけですよね。

自分の知らない人が自分を知っていて、自分ではない自分を重ねているというのが、怖い感じがしました。

かと言って、『本当の自分』が何なのかわからなくなるような不安、地に足がついていない感じというか…。

演ずることは好きだけど、下手だということだけはわかるんですよ。何か違うということが。上手ではないということが。

役を生きている天才みたいな人とか、女優になるために生まれてきたような人もいるなかで、自分がこの仕事を選んだことは正しかったのかという不安が大きくなって…。

そんなとき、(芦屋)小雁さんと出会っちゃったんです(笑)」

-28歳年上の芦屋小雁さんとの結婚、あれは驚きでした。小雁さんはとても優しい方ですけど-

「そう。ほんとそうです。ずっと不安を抱えていたときに小雁さんと出会って。芦屋雁之助さんの『娘よ』という歌がヒットして舞台になって、全国を回ったんですけど、そのときにはじめて知り合って。

私は関西の出身にもかかわらず、実は小雁さんのことをよく存じ上げてなくて。全国巡演だったので、移動時間も結構あったんです。

夜間にホカ弁を買ってバスで移動するんですけど、私と小雁さんはあったかいご飯に生卵をかけて食べるのが好きで、その趣味が合ったんですよね。

あと、お酒を飲む方はみんなホテルに着くと夜中でも飲んで、ギリギリの時間に楽屋入りするみたいな感じだったんですけど、私はお酒が飲めないので、ホテルに着いたらすぐに寝て、午前中は町をブラブラ散歩してから楽屋入りをしていたんですね。

そうすると、小雁さんといつも会うんですよ。小雁さんもお酒が飲めない人なので、私と同じようなタイムスケジュールで、朝起きて町を散歩するのが好きだったんです。それで、いつも向こうから誰か来るなあと思っていると小雁さんで(笑)。

じゃあ、一緒にモーニングを食べようかみたいな感じになって。それまでは好きな人といると緊張してご飯も食べられないタイプだったんですね、好きすぎて(笑)。

だから、恋はいつも切なく終わっていたんですけど、小雁さんとは全然緊張せずにバクバク食べられるし、スウェットでお化粧も落として、一番自分の素じゃないですか。

全然気を使わずに素で居られて、おもしろくて、いつまで経っても少年の夢みたいなのを持っているのもいいなあって。

『この人といるとすごく楽だなぁ』って思って結婚しちゃったんです(笑)」

1987年1月に二人は結婚。二人の仲は、1985年6月に「FRIDAY」に記事が掲載されたが、そのときにはまだ交際がはじまっていなかったという。

「本当に笑い話なんですけど、たまたまオフのときがあって、妹が小雁さんに会ってみたいって言ったんです。妹がSF映画のファンで、SFやホラー映画の収集家として有名な小雁さんの話を聞きたいって。

小雁さんはホラー映画以外の映画、ミュージカルなどもすごく好きな人で、とにかくおもしろい人だったんです。それで、3人で食事をした後、妹を送って、私が住んでいたマンションに小雁さんが送ってくださったところをいきなり撮られて、『FRIDAYです』って(笑)」

-それで記事は出ましたけど、年齢差もありましたし、3人で食事しただけで交際はしていないということだったので、ノーマークだったんですよね-

「はい。あのとき深いお付き合いではなかったけど好感を持っていたのは確かなので、逆に『FRIDAY』に撮られたことで、結婚に繋(つな)がってしまったみたいなところはあるかもしれないです。

はっきりプロポーズをされたという記憶がないんです。いつの間にか結婚していたみたいな感じというか(笑)。

それに、女優の仕事にも自信をなくしていたときだったので、とにかくちゃんとした家庭を築きたいと思ったんです。

だいたい私は色気もないし、不器用だし、お嫁には行けないと思っていたので、小雁さんを逃したら、いつチャンスが来るやらって(笑)。

それに当時は26歳の結婚ってそんなに早い方でもなかったんですよ。神戸の親友も結婚して子どももできていたので」

-年齢差もありますし、お父様は驚いたでしょう?-

「はい。何も相談せずに『結婚します』って報告したので、すごく驚いていました。だけど、私は言い出したら聞かないだろうっていうのと、小雁さんに会ったらすごくいい人だったので父もすっかりファンになってしまって、『よろしくお願いします』って(笑)」

結婚後、斉藤さんと小雁さんは神戸で暮らしはじめ、1男1女にも恵まれるが、1995年、突然離婚することに…。次回後編では、離婚、人生を変えた海外ロケ、一念発起しての大学進学、被爆者の方々との触れ合いなどを紹介。(津島令子)

※映画『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』
2020年7月25日(土)より新宿K’s cinemaにてほか全国順次公開
日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨(せいさん)な戦闘を沖縄戦体験者12人の証言と専門家8人による解説、米軍が撮影した記録映像を駆使して克明に描いたドキュメンタリー。
配給・宣伝:渋谷プロダクション
監督:太田隆文
ナレーション:宝田明 斉藤とも子