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広瀬香美、“冬の女王”でヒット連発するも「スキー場に1回も行ったことなかった」

7月12日(日)に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』特別授業SPに“冬の女王”の異名を誇るシンガーソングライター・広瀬香美が登場。

同番組で、“冬の女王”とよばれていた当時、「歌手になる気ゼロなのになんで私、歌ってるんだろう?」と葛藤し続けていたことを打ち明けた。

『ロマンスの神様』『ゲレンデがとけるほど恋したい』など冬のヒットナンバーで知られる広瀬香美。

子供の頃から絶対音感を持ち、音楽のスパルタ英才教育を受けてきた広瀬は、将来はクラシック音楽の作曲家になるという夢を抱き超難関の国立音楽大学作曲学科に進学した。

ところが、全国から逸材が集まる音大だけに落ちこぼれてしまい、ストレスで激太り。その経験から、まずは「世の中にはスゴイ人がいる。グレずに現実を受け入れよう」という教訓を伝授した。

◆広瀬香美、衝撃デビュー秘話

大学で挫折したものの作曲家になる夢をあきらめなかった広瀬は、アメリカ・ロサンゼルスの友人のもとへ遊びに行った際、マイケル・ジャクソンのコンサートに衝撃を受け、「マイケルに曲を提供したい!」と目標をシフト。

マイケルに近づくため彼の知り合いを探しに探し、マイケルと同じボイストレーナーのレッスンを受けることにした。

しかし、歌は上達するものの、高い授業料がかさんで家計がピンチに。レッスン代を稼ぐため日本の歌手に曲を提供しようとレコード会社に売り込んだところ、「声がいいから自分で歌ってデビューしたら?」と言われ、貧乏だった広瀬は「ゲレンデがとけるほど」大喜び。“お金のために”歌手デビューしたのだという。

◆「しくじりの神様どうもありがとう~」と熱唱

こうして1992年にデビューを果たした広瀬香美。

翌年、『ロマンスの神様』が170万枚を超える大ヒットを遂げ、その後も次々とヒット曲を放ったものの、まだ「自分は作曲家だから…」というこだわりを捨てきれずに葛藤。大ヒットの陰でしくじりを連発していたと振り返る。

当時の知られざるしくじりは…

「歌詞が全然書けずに泣きながら考えていた」
「真夏に冬の歌詞を書くためまったく気持ちが入らなかった」
「スキー場に1回も行ったことがなく、気持ちが一切わからなかった」
「ライブのオファーに対して、『私、歌手じゃないんで』と断っていた」

など、スタジオの“生徒”たちも驚くものばかり。

しかし、デビューから6年後、ベストアルバムが190万枚のメガヒット。次第に作曲家へのこだわりが消えていった広瀬は、ずっと拒んできたコンサートをデビュー10周年でようやく初開催する。

以降もコンサート活動を続けた結果、「歌手・広瀬香美を求めてくれる人がこんなにいるんだ」と感じられ、デビュー以来の葛藤がなくなったと打ち明けた。

そんな広瀬が学んだ最大の人生の教訓は、「やりたいこととできることは違う。人の評価や意見を素直に聞いて、自分の才能を好きになる努力を!」というもの。

「大事なことを“しくじりの神様”に気づかせていただきました」という広瀬は最後、『ロマンスの神様』をパワフルに弾き語り、「しくじりの神様どうもありがとう~」と熱唱し授業を締めくくっていた。

なお、「ABEMA」では地上波放送直後から、この広瀬香美先生、そして武田真治先生の授業“完全版”を1週間無料配信中だ。(※その後は1年間、有料にて配信)

※番組情報:『しくじり先生 俺みたいになるな!!』
毎週月曜日 深夜0:15 〜深夜0:45、テレビ朝日

※放送終了後から「ABEMA」でも配信