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俳優・近藤芳正「東京はヤバイ!」簡単には食えないと覚悟…三谷幸喜との出会いが転機に!

映画『ラヂオの時間』や大河ドラマ『真田丸』(NHK)、舞台『笑の大学』など、三谷幸喜監督作品には欠かせない俳優・近藤芳正さん。

15歳のときに『中学生日記』(NHK)でデビューし、芸歴は実に40年以上のベテラン。コメディーセンスを発揮したコミカルな役柄から悪役まで幅広く演じわけ、ドラマ、映画、舞台に多数出演。新型コロナウイルス感染拡大防止自粛期間中はZOOM(ウェブ会議システム)を利用したリモート朗読劇「『12人の優しい日本人』を読む会」や無観客生配信一人芝居『DISTANCE』に出演。ワークショップで後進の育成にもあたり、7月11日(土)には映画『河童の女』の公開が控えている近藤芳正さんにインタビュー。

◆小学校6年生で人生最大の岐路に?

近藤さんが俳優を目指したきっかけは、小学校の学芸会で『夕鶴』の与ひょう役を演じたときだったという。

「クラスで選ばれてやることになったんですけど、父兄や先生たちにすごく評判がよかったので、中学校に進学するときに児童劇団に入れてくれって親に頼んで。

それで、『中学生日記』(NHK)のオーディションが地元名古屋でありまして、中学3年生のとき、それに合格してやっていくうちに、『演技するのは楽しいな』って思ったんです。

それで、高校を卒業したら東京に行きたいと強く思うようになって、そこからですね」

-撮影はいかがでした?-

「ちょうど『中学生日記』に出ているときに親の離婚があったので、撮影は夜の学校みたいな感じだったんですよね。

それで、かなり自分の寂しさは軽減されました。自分はここに行けば必要とされているんだという場所があったというのは、すごく大きく影響していますね」

-まさにもうひとつの学校ですよね-

「学校でしたね。学校よりももっと目標がはっきりしていて、ひとつの作品を作るためだということで、ディレクターを中心にやっていましたからね。それで、みんな仲間意識が学校よりも強くなったので、それも楽しかった理由のひとつですね」

-スケジュールはどんな感じだったのですか-

「火曜日が本読み、水曜日と木曜日がリハーサル、金曜日がセットリハーサル、土曜日と日曜日、休みの日に収録。

子どもなので学校が終わった後、夕方5時とか6時に集合して、10時くらいまでやっていました。今の時代ではあり得ないですけど、その当時は児童の労働時間にはそんなに厳しくなかったので」

-それで、中学生のときにはもう進路は俳優ということに?-

「はい。そのときにはもう役者しか考えていなかったですね。とにかくもう高校に行くのも嫌だったくらいですから。

高校に行ったっていい役者になれるわけじゃないし、『高校って何のためにあるのかなぁ』って思いながら通っていたので、高校を卒業したら東京に行って役者になろうって決めていました。

なぜそれを『中学生日記』のときに思ったのか、その当時はわからなかったんですけど、30年後に僕が出ていた『中学生日記』のフィルムが発見されて、その30年後を描いた『僕は、ここにいる。~父と子の闘争日記~』(NHK)に企画にも加わって出演したんです。中3の息子をもつ父親役で。

そのときに30年前の映像も回想シーンとして使われたので、あらためて30年ぶりに見たら、ディレクターや共演者の先生役の大人たちが、真剣に僕と向かい合ってやってくれていたことを思い出したんですよね。

ディレクターは、よければ褒めるし、悪けりゃ怒るし。で、学校の先生役の人は、本当に1役者として僕を扱って真剣に対応してくれていたことがわかって、『あぁ、何か大人に混じって人と物を作るのは楽しい』と思ったんだって。

なので、それまでは有名になりたいとか、そっちかなと思ったんだけど、原点は違ったんだなということがわかったんですよね。僕は人と物を作るのが好きなんだということがハッキリわかりました」

-芝居をやることに対してご家族に反対はされなかったですか?-

「とりあえず、やりたいことはやらせようということで。僕は、本当は絵を描くのと児童劇団と両方やりたかったんですよね。だけど、『どちらかにしなさい』って言われて、本当にハムレットのように悩みました。悩みに悩んだ結果、児童劇団にしたんです。

だから、おもしろいもので、そのときに絵の方を本格的にやりたいと言っていたら、もしかすると、違う人生になっていたかもしれないですね。もしかしたら画家になっていたかもしれないし(笑)。今思えば、僕のなかで一番大きな岐路はあそこだったなって思います」

※近藤芳正プロフィル
1961年8月13日生まれ。愛知県出身。1976年、15歳のときに『中学生日記』で俳優デビュー。高校卒業後、湯浅実さんのもとで俳優修業をはじめ、翌年、「劇団青年座」の研究所に入所。その後、「劇団七曜日」に入団。1991年、三谷幸喜脚本の映画『12人の優しい日本人』に出演。1996年、舞台『笑の大学』で読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞。映画『ラヂオの時間』、『有頂天ホテル』など三谷幸喜監督作品の常連。2015年には『野良犬はダンスを踊る』で映画初主演。ドラマ、映画、舞台に多数出演。7月11日(土)から映画『河童の女』が公開予定。

◆「東京はヤバイ!」…簡単には食えないと覚悟

高校卒業後、近藤さんは『中学生日記』で先生役だった湯浅実さん(劇団青年座)のもとで1年間レッスンを受けてから上京し、「劇団青年座」の研究所に入所する。

「父親が『4年間だけ大学に行ったと思って、月に4万円出す』って言って仕送りしてくれていましたけど、家賃や光熱費で終わっちゃうので、バイトを探さなきゃいけなくて、ホテルの配膳を紹介されたんです。

いろんな人との出会いも多いからって言われて。それでやることにしたら、最初の日に、『劇団青年座』の入所式のときに『青年座の有望な演出家です』って紹介された方が、そこでバイトしていたんですよ。

『えーっ、有望な演出家が同じバイト?これは、東京はヤバイなあ。簡単には食えないぞ』って思った(笑)」

-アルバイトはどのくらいされていたのですか?-

「僕は配膳が向いてなくてすぐにやめて、皿洗いが空いているっていうから、皿洗いにいったんですけど、それもあまり続かなくて。

一番長く続いたのがふたつあって、ひとつは『劇団青年座』の研究所の近くの焼鳥屋。そこは青年座の人たちも来たりとか、同じ研究所に行っている人たちもいたりしたので、そこでのバイトが結構長く続きましたね。

そのあと、25、6歳のときに出会った清掃業のバイト。そこの社長さんが昔女優さんをやられていて、舞台をやるたびにバイトをやめなきゃいけないし、舞台が終わるとまたバイトを探さなくちゃいけない。

それがきつかったというので、バイトを探さなくてもいいように、芝居のない期間だけ働けるようにするって言って、役者をやっている人ばかり雇ってくれていました。それが長く続いて、最後のバイトでしたね。7、8年お世話になりました。

自由に休ませてくれるというのは、すごく大きかったですね。その社長には本当にすごく感謝しています」

「劇団青年座」の研究所に通いながら、色々なオーディションを受けてみたものの、なかなかうまくいかない時期が続いたという。「劇団青年座」の研究所に2年間通った後、レオナルド熊さんが、作・演出をしていた「劇団七曜日」のオーディションに合格。「コント赤信号」の3人(渡辺正行さん、ラサール石井さん、小宮孝泰さん)が作った「赤信号劇団」にも出演するようになり、経験を重ねていったという。

「『劇団七曜日』は座員がいっぱいいたので、年に2、3本芝居をやりながら、一応その座員をまとめるような役割のような幹部になって。

たとえば制作業務的なことをやったりだとか、デザイナーの人とお話をしたりとか、あとチケットの割り当て。チケットはみんなのノルマ制にしていたので、役がいい人にノルマを多くしたりとか、誰々には何枚というようなこともやっていました」

-プロデュース能力もありそうですものね-

「まあ、たしかに。その頃、サンシャイン劇場の人に、『お前、制作をやらないか?』って言われたことがありますよ。

今思えば、子どもの頃、学芸会とかで、誰にも『やれ』って言われていないのに、勝手に催し物を考えて人を集めてやったりしていたので、自粛期間中の『12人の優しい日本人』の読み会もその延長線上ですね。そういうのが好きなんですよ」

◆三谷幸喜さんとの出会いが転機に

アルバイトをしながら劇団の舞台に立っていたが、なかなか生活ができるところまではいかなかった近藤さんは、いろいろな劇団に客演をするようになっていく。芝居を見て、おもしろいと思ったら、自分から「出させてください」と言いに行くようになったと話す。

-三谷さんとの出会いは、どのように?-

本当の最初は、『東京サンシャインボーイズ』が、まだそんなにお客さんが入ってない頃から人に勧められて見ていて、『おもしろい本なんだけど、真剣に稽古をしていないなあ』と感じて、『もったいないなあ』と思っていたんですよ。

でも、『おもしろいなぁ』と思って見ていて、『劇団七曜日』では渡辺正行さんやラサール石井さん作・演出でやっていたんですけど、それ以外のものも何かやりたいという話になって。

『じゃあ三谷さんの脚本がおもしろいから、ちょっとお願いしに行こう』ってなって、そのとき演出希望の劇団員もいたので、2人で三谷さんのところにお願いに行ったのがはじめてでした。

それで、『新作を書いてくれませんか』という話をしたら、『うちは劇団だから新作はほかで書くわけにはいかないけど、過去の作品だったら使っていいよ』って言ってくれたんです。

それで、いくつかいただいたんですけど、どれをやるか決めようとしていたときに、その演出家志望の劇団員の親が具合悪くなって田舎に帰ることになっちゃって、三谷さんの作品をやる話がなくなったんですよ。

それから、三谷さんが脚本を書き下ろした舞台劇『12人の優しい日本人』が再演されたとき、それがあまりにもよくて。

そのときに相ちゃん(相島一之)とか、照明の人も知っていたので、『出させてもらえないか』って言ったんです。

それで、たまたま『12人の優しい日本人』の映画化の話もあって、ラサール石井さんがその当時もっていたスタジオで稽古をするっていうから見に行ったら、ピザ屋の役者がまだ決まっていないということで、その場で出られることになったんです」

以降、近藤さんは三谷作品に欠かせない俳優となり、舞台劇『ラヂオの時間』を三谷さんが初監督で映画化されるときには、鈴木京香さん演じるヒロインの夫役で出演。次回はその『ラヂオの時間』の撮影裏話も紹介。(津島令子)

(C)ENBUゼミナール

※映画『河童の女』
7月11日(土)新宿K’s cinema、7月18日(土)池袋シネマ・ロサほか全国順次公開。
製作・配給:ENBUゼミナール
監督・脚本:辻野正樹
出演:青野竜平 郷田明希 斎藤陸 近藤芳正ほか
社会現象を巻き起こした『カメラを止めるな!』を輩出したENBUゼミナール「シネマプロジェクト」最新作。
川辺の民宿で生まれ、そこで働きながら暮らしている浩二(青野竜平)の父親で社長の康夫(近藤芳正)が見知らぬ女と出て行ってしまう。途方に暮れる浩二の前に、東京から家出して来た女(郷田明希)があらわれ…。