世界一に輝いたパン職人は「パンの声が聞こえる変態」!鳶職人の経験生かして大快挙
“激レア”な体験を実際にした「激レアさん」をスタジオに集め、その体験談を紐解いていく番組『激レアさんを連れてきた。』。
6月27日(土)の放送では、世界最高峰のパンコンテストで日本人初優勝を達成したパン職人を紹介した。
◆パンへの愛情がすごすぎる“パン変態”
2年に1度、20近い国と地域の一流パン職人がフランスに集い、パンの味や品質、調理の正確性や芸術的センスをかけて競い合う世界的なパンコンテスト「モンディアル・デュ・パン」。
パン界のオリンピックともいえるこの大会を2019年に制したのが、プレハブ小屋出身の異色のパン職人、オオサワさんだ。
群馬県高崎市で実家がパン屋を営むオオサワさんにとって、パンは幼いころから身近な存在。パン職人である母親がパンを作るかたわらで、乳児のときからパンを発酵させる箱のなかに寝かされていたほど、パンとともに育った。
そして、いつしかパンへの愛情が半端ない青年へと成長。
念願のパン職人となった今では、パンを作る際に「これからカットしていくけど大丈夫?」とパン生地に話しかけるほど、パンへの愛情がすさまじい。オオサワさんいわく、パンが焼きあがる「パチパチ」という音は、パンが「ありがとう」とよろこんでいる音に聞こえるそう。
◆パン職人になるつもりが鳶職人に!
まさにパン職人になるために生まれてきたような“パン変態”のオオサワさんだが、世界一の称号を得るまでの道のりは平たんではなかった。
高校を卒業後、さまざまなパン屋で修業を積んで知識とセンスを磨いたが、自分の店を開こうとしたところ、資金面で挫折してパンの世界から離れてしまう。
そして就いた仕事は、なんと鳶職人。パンへの強い想いは持ちながら生活のために転職し、パン作りとはまったく無関係な“インパクトドライバー”の使い方ばかり上達していったという。
その後、どうしてもパンへの思いが断ち切れず、あらためて自分のパン屋をもつことを決意したオオサワさん。
家賃がネックとなり店舗探しに苦労するが、知り合いの喫茶店の駐車場にある“プレハブ”の物置小屋を格安の値段で借り、ようやくパン屋を開店させる。
とはいえ、プレハブ小屋をパン屋として使うにはさまざまな問題があった。
◆過酷すぎ!プレハブ小屋のパン屋
まずオオサワさんが苦しめられたのは“灼熱地獄”。
プレハブ小屋は人が通るのもやっとという狭さで、4畳ほどの広さにオーブンを3台も置いていた。そのため、夏場にもなると室温は約50度にも上ったという。店にはクーラーがなく、オオサワさんは灼熱のなかでの作業を余儀なくされた。
また、プレハブ小屋にはトイレがないという残念な点も。
隣の喫茶店に善意でかしてもらっていたものの、喫茶店のオープン時間まではトイレをかりられなかったため、夜中の2時から仕込みをしていたオオサワさんは迫りくる尿意に耐えつづけなければならなかった。
そして、肝心の客入りも鳴かず飛ばす。プレハブとあってパン屋と気付いてくれる客もいなく、開業当初の1日の売り上げは3,000円ほど。やればやるほど赤字になる厳しい経営状態だった。
◆世界を制するための特訓
しかし、そのころから憧れの「モンディアル・デュ・パン」で世界を制すという目標を立てていたオオサワさんは、パン職人として成長すべく血のにじむ努力を重ねた。
「モンディアル・デュ・パン」は、日常パン、健康パン、菓子パン、飾りパンなど、計7部門の合計得点を競い、もっとも得点の高いチームが優勝するというルール。各部門で、味や品質はもちろん、作業の正確性やアシスタントとのコミュニケーションまで審査対象になる。
オオサワさんはこの大会で優勝するために、スピードと独創的な芸術性が必要だと考えた。それを身につけるには、本番を意識した通し練習が不可欠。オオサワさんは、毎日厳しい訓練を重ねることに。
当時のスケジュールは、7時から18時までパン屋を営業し、21時から翌朝の7時まで大会に向けて特訓するという、きわめて過酷なものだった。オオサワさんはこのスケジュールを2年間つづけ、さらに独創的な芸術性を磨くため、美術館などにも足しげく通った。
このような超過酷な日々の末、ようやく「モンディアル・デュ・パン」の日本代表選考会までこぎつける。
ところが、そんなオオサワさんに予想だにしていなかったピンチが訪れた。
◆最大の危機を救った意外なもの
世界大会「モンディアル・デュ・パン」に出場する代表チーム1組を選出するために、高級ホテルのベーカリーなど日本中の名店が参加して行われた選考会。そのなかで、プレハブのパン屋はもちろん1組だけだ。
選考会がはじまり、オオサワさんは各部門のパンを順調に仕上げていったが、最後の飾りパンに取りかかろうとしたところ、緊急事態が発生する。なんと、当日雨が降っていたため、しけったパンの土台が根元から折れてしまったのだ。
このままでは完成は難しい。もはやここまでか…とあきらめかけて下を向いたとき、持参したバッグがオオサワさんの目に入った。
すると何かを思い出し、バッグのなかを探ると、取り出したのは鳶職人時代によく使ったインパクトドライバー。
オオサワさんはインパクトドライバーでパンの土台に穴をあけ、棒状の別のパンを差し込んで安定させると、見事に飾りパンを完成させた。
パンづくりとはまったく関係ないと思われたインパクトドライバーの技術が窮地を救ったのだ。
その後、日本代表として参加した「モンディアル・デュ・パン」でも、過去の経験が大いに役立った。
大会当日、競技がスタートするやいなや、参加した世界のシェフたちが一斉にオーブンをセットしたせいで、厨房内は灼熱状態に。その場にいた誰もが暑さで満足な動きができないなか、オオサワさんは涼しい顔でいつも通り作業を進めていた。
室温が約50度まで上がるプレハブ小屋での作業に慣れていたため、まったく問題なかったのだ。
さらに、普段の厨房より狭いスペースでの作業に悪戦苦闘する参加者たちに対し、約4畳のプレハブ小屋でのパンづくりが当たり前だったオオサワさんは、一切やりづらさを感じることなく作業できた。
こうして次々と各部門のパンを完成させ、最後の飾りパンを作った際は、インパクトドライバーを使ってライバルたちの目をくぎ付けに。
会場が暑かったため、パンの接着に使うアメが固まらずに苦戦するチームのなかで、インパクトドライバーを使って組み立てる設計にしたオオサワさんのパンは、接合部もきれいに仕上がった。
いままでのすべての経験を活かし、出来上がった渾身の飾りパンは、日本の伝統的な儀式をモチーフにした「流鏑馬(やぶさめ)」。オオサワさん史上最高の作品だ。
このパンの評価もあり、見事初出場で優勝という、日本人初の大快挙を成し遂げた。それは、プレハブパン屋をはじめてから、わずか2年後のこと。
パンが好きという気持ちをもち続け、決してあきらめなかったからこそ、大好きなパンの神さまが微笑んでくれたのかもしれない。
※番組情報:『激レアさんを連れてきた。』
【毎週土曜】よる10:10~、テレビ朝日系24局(※一部地域を除く)