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LINEグループで孤立し不登校に。締切5分前の応募でアイドルになった少女<町田穂花>

秋元康プロデュースによる、『ラストアイドル』(テレビ朝日系、2017年8月に放送開始)で活動を開始したアイドルのひとり、ラストアイドル2期生の町田穂花(まちだほのか)は、壮絶な中学校生活を経験した後にアイドルとなり、いまステージに立っている。

ラストアイドル2期生の町田穂花(まちだほのか)。

もともと、小学生の頃にアイドルを好きになり、学校でも友だちと一緒にマネして踊っているうち、自分もアイドルになりたいと思うように。

だが、中学では、ささいなもめごとから学校が怖くなり、不登校になってしまった。

学校に行きたいのに、朝になると、怖くて体が動かない。なにもやる気が起きずに、このまま消えてしまいたいーーそんな思いを抱くこともあったという。

しかし、そんなときでも、アイドルを見ているときだけは、彼女はつらい気持ちを忘れられた。

そして、いつしかアイドルのオーディションに挑戦してみようという気持ちが芽生えたのだった。

はたして彼女は、アイドルになって望んでいたものを得ることはできたのかーー。

『ラストアイドル』に賭けた少女たちの、ビフォーアフターに迫る。

◆「私は大好きな玉井詩織さんのポジションでした」

2003年3月、埼玉県で生まれた町田穂花。

当時0歳。

今でこそふんわりかわいいスタイルのファッションが好きな彼女だが、幼少期はそこまで女の子っぽい趣味ではなかったという。

「外で遊んだり、友だちのお家でゲームをやったりしていました。当時好きだったゲームは『大乱闘スマッシュブラザーズ』や『スーパーマリオブラザーズ』のシリーズ、ネットゲームの『ピクトさんをさがせ!』です。そんなに女の子っぽい趣味ではなかったと思います」

当時2歳。母親と撮った1枚。

当時3歳。

当時5歳。

そんな町田がアイドルにハマったのは小学5年生の頃。休み時間には友人たちと一緒にダンスに励んでいたという。

「ももいろクローバーZさんが大好きになって、同級生の子たちと一緒に振りコピして遊んでいましたね。『行くぜっ!怪盗少女』や『Z伝説~終わりなき革命~』を友だち何人かの前で披露したのを覚えています。担当メンバーをそれぞれ決めて、私は大好きな玉井詩織さんのポジションでした。踊るのが楽しかったので、一緒に踊っていた友だちと一緒に、ダンススクールに通うことになりました」

当時8歳。

その後、友人からの薦めでモーニング娘。の動画を見て、さらにアイドルという存在に憧れるようになっていく。

「ダンスを習いはじめた頃、YouTubeでモーニング娘。さんのMVを見て、フォーメーションダンスのすごさに驚いたんです。小田さくらさんと佐藤優樹さんに憧れて、オーディションを受けたこともあったんですが、いちばん良かったときでも二次審査止まりで…。中学からは乃木坂46さんや欅坂46さんも含め、いろんなグループをどんどん好きになっていきました」

◆同級生のLINEグループの揉めごとから孤立する

その後、さらにさまざまなグループのオーディションを受けた結果、晴れて町田はアイドルになるのだが、その前に人生の大きなターニングポイントが訪れた。

中学1年から、不登校になってしまったのだ。

「中学1年生から3年間、不登校になってしまって…。朝が来るのが怖くて、ちゃんとした時間に起きられなくなって。私は覚えていないんですけど、ベッドに横になって、『このままベッドの下まで、もっともっと深くまで落ちていって、土のなかに入っていっちゃいそうな感じ』と母に言ってたらしいんです。こんな自分なんか、消えてしまいたい、死んだほうがいいんだと思って、毎日を過ごしていました」

当時13歳。中学に進学すると同時に不登校になった。

なんとか学校に行きたい気持ちはあった。しかし、怖くて体が動かなかった。

「登校の準備をして玄関に立っても、ドアを開けられないんです。そのまま夕方まで、学校へ行くか、行かないか…と玄関で悩み続けたこともありました。なんとか頑張って学校の門の前まで行ったり、日によっては、なんとか保健室まで行ったりして。この気持ちを親にもわかってもらえず、母親と取っ組み合いの衝突をしたこともありました」

その当時の気持ちを、彼女はこう振り返る。

「学校に行けないとみんなと同じ生活ができない。朝になったら、みんな学校に行くはずなのに、自分はそれができないから、朝が来るのが怖いんですよ。朝日が昇ってくると、登校しなきゃいけない不安で押しつぶされそうになる。逆に、みんなが下校する夕方になると起きられるんです。家にいても、不自然じゃない時間帯が来るから。でも夕方まで寝ていると、夜は眠れないから、生活リズムも狂って、また朝は起きれない。そんな悪循環でした」

彼女が不登校になってしまったきっかけは、ささいな揉めごとだったという。

「同級生のLINEグループがあったんです。私もそのグループに入っていて、クラスメイトのちょっとした勘違いから、揉めごとが起こってしまって。私も勘違いさせてしまう振る舞いがあったと思うんですけど、それ以降、クラスで孤立してしまいました。それと同じ頃に、先生から理不尽な扱いを受けてしまって、『先生まで、そんなふうにしなくても…』と思ってさらに孤独を感じてしまったんです」

孤立した彼女に、さらに追い打ちをかける出来事が起こってしまった。

「休み時間にひとりで過ごしていたら、あるクラスメイトが『クラスのみんなから嫌われてるよ』って、わざわざ言いに来たんです。それから学校と人が怖くなって、学校へいけなくなってしまいました。なんとか頑張って学校まで行けた日もあったんですが、結局馴染めていない自分がいやになって、周りの目が怖くて、誰を信じていいかわからなくなって。家にひきこもるようになってしまいました」

そんなつらい状況で、唯一、希望の光を見いだせたのが、アイドルの存在だった。

「学校にも行けず、自分なんか、消えてしまいたい。そんな毎日で、大好きなアイドルさんたちの映像を見ているときだけは、楽しい気持ちになれたんです。ダンスのマネをして、いろんな曲を覚えて踊っていました。見てくれるのは、お母さんだけだったけど(笑)。学校に行けないことでお母さんとケンカばかりしていた時期もあったけど、歌って踊る私を見てもらっているときだけは、ふたりで一緒に笑えたのが嬉しかったですね」

◆締切時間の5分前に応募し、アイドル合格を勝ち取る

やがて、町田は家でアイドルの映像を見るだけにとどまらず、ついにはコンサートや握手会へ出かけるように。学校に向かうと足がすくんでしまうが、アイドルに会うためなら、玄関のドアを開け、自分の足で歩けたという。

「モーニング娘。さんのライブや握手会、乃木坂46の川後陽菜さんの握手会にも行きました。そこで、あらためてアイドルって素敵だなと感じて、だんだんと自分もアイドルになってみたいって思うようになったんです。お母さんにそのことを話したら、『夢をもてるようになったんだね』ってすごく喜んでくれて。こんな自分でも、夢を見ていいんだって認めてもらえた気がして、もう少し生きてみよう、と思いました」

このままじゃダメだ。できることからはじめよう。

そう感じた彼女は、少しずつ前進しはじめた。

「まずは家から出ることを目標にして、その次は支援学級へ行く。さらに、学校の前まで行く、門をくぐる、校舎に入る…というステップにわけて、がんばることにしました。日によっては結局家を出られなかったり、学校の前まで行って帰ってくることもありました。そんな成功と失敗を繰り返して、少しずつ、いろんな人との交流ができるようになっていったんです。今でもトラウマが少し残っていて、学校の前で、急に怖くなって入れなくなってしまうときもあるんですが、少しずつ、それもなくなってきています」

学校に向かうほかにも、彼女は大きな挑戦に一歩踏み出した。

それは、憧れのアイドルとして、ステージに立つことだ。

「中学2年の頃、友だちが地下アイドルグループのメンバーになって、ライブを見に行ったら、すごく素敵だったんです。私も同じステージに立ちたいと思って、同じグループに入ることになりました」

当時14歳。グループ卒業のときの1枚。

当時15歳。メイク室での1枚。

地下アイドルグループの小規模な会場ながら、ステージに立つことで町田は新しい自分に出会えたのだった。

「メンバーやファンの皆さんたちから認めてもらえたり、頼りにしてもらえたことで、自分は生きていてもいいんだって思えるようになったんです。人を信じることができるようになったし、心も強くなりました」

約1年半活動を続け、充実した日々を送りながらも、徐々に新たな挑戦をしたい。そんな気持ちが芽生えていく。

「もっと自分の力を試してみたいって思うようになったんです。そしてグループから卒業した頃、同じ時期にラストアイドル2期生暫定メンバーのオーディションの開催が発表されました。応募の締切は、私が前のグループを卒業する日の3日後でした。実は1期生のオーディションを受けて落選したこともあって、どうせまたダメだろうなって思ったけど、締切の30分前に『やっぱり応募する!』って決めて、大慌てで写真を撮って、締切時間の5分前に応募したんです」

その結果、念願叶い、町田のラストアイドル2期生としての活動がはじまったのだった。

町田はラストアイドルに加入した。

◆ファンたった3人から3,000人に

町田は「前のグループにいた頃から感じていたこと」と言うが、ラストアイドルとして活動がスタートしてからは、より強く感じることがあった。

それは、自身を応援してくれる人たちへの感謝の気持ちだ。

「ライブや握手会があるたびに、こんなにも私のことを応援してくれる人がいるんだって思うと、嬉しい気持ちになります。会いに来てくださって、『大好きだよ』って愛情を注いでくれるのが本当に嬉しい。アイドルになってよかった、って思います」

実は町田、過去にはステージに立っても自身のグループのファンがたった3人だったこともあったという。

現在は、2,000〜3,000人が入る会場でワンマンライブを開催できる事実を噛みしめている。

「昔は、たとえお客さんが少なくても、見に来てくれるのが嬉しいと思ってました。だからこそ、より多くのファンの方たちが、私の名前を書いたタオルやうちわをもって来てくれる光景を見ると、すっごく嬉しい。会場の後ろのほうでも、2階席でも、意外と遠くまで全部見えてるんですよ」

4月15日(水)にリリースされた8thシングル『愛を知る』では、初の選抜入りを経験。総勢41名が参加したオーディションで、2期生のなかで最上位の9位を獲得。自身の名前が呼ばれた瞬間は、どんな思いだったのか。

「自分の名前が聞こえた瞬間は、頭が真っ白でした。でも、今回の選抜に入れなければ、自分はそれまでだし、辞めることも考えたほうがいいのかなって思っていたんです」

その決死のパフォーマンスは、審査委員長のプロインタビュアー・吉田豪からは、「ダンスも歌も、今のところ一番やりきっていた」とのコメントもあったほど。

「自分に自信があるわけではないんですけど、曲がはじまったらいつもの自分とは違う感じになれるんです。私は他のメンバーに比べて、ルックスがいいわけでもないし、スタイルがいいわけでもない。トークもできないので、パフォーマンスを頑張るしかない。自分が一番活きるのはステージの上だと思い込んで、精一杯頑張るようにしています」

つらい過去もあるが、その経験が糧となっている。そう実感できる瞬間があった。

「選抜メンバーに選んでいただけた『愛を知る』という曲の歌詞が、中学時代の自分にそっくりで本当に驚きました。<自分のことがずっと嫌いだったんだ 死んでしまいたいと思ってた>というAメロの頭から、<ずっと探していた生きがいがそこにはあった これが幸せなんだ>ってラストまで。アップテンポな曲調が、過去の自分から変わることができたんだって嬉しい気持ちに重なって、運命を感じました。だからこそ、大切に歌っていきたいし、この曲を通して、ラストアイドルの存在を、もっとたくさんの方に知ってもらいたいです」

つらいとき、アイドルに救われた。だからこそ、次は自分が誰かの励みになる存在になりたい。

「つらくてどうしようもなかったとき、きらきら輝くアイドルさんたちから、生きる気力をもらいました。次は自分が、誰かの励みになったり、誰かの記憶に残るようなアイドルになりたいと思っています」

<取材・文/森ユースケ、撮影/スギゾー。>

※町田穂花(まちだ・ほのか) プロフィール
2003年3月、埼玉県生まれ。中学時代に不登校を経験するも、大好きなアイドルの存在に励まされ、徐々に克服。ラストアイドル加入後、SNS上で当時のクラスメイトの投稿を発見したこともあるという。「『私の友だちがテレビに出ている、スゴい!』ってツイートをみつけて、私のことを友だちだと思ってくれているんだ、嬉しいと思いました」

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