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「保育士になって24歳で結婚する予定だった」低リスク志向女子大生からアイドルになった少女<白石真菜>

秋元康プロデュースによる、『ラストアイドル』(テレビ朝日系、2017年8月に放送開始)で活動を開始した、ラストアイドル2期生アンダーの白石真菜(しらいし・まな)。

ラストアイドル2期生アンダーの白石真菜

ライブでも出番の少ないアンダーメンバーとして活動してきた彼女だが、4月15日(水)発売のシングル『愛を知る』の選抜入りをかけたオーディションバトルで、見事選抜上位18人の座を手にした。

幼少期はボーイスカウトやクラシックバレエに励み、高校ではアルバイトに明け暮れる日々を過ごした白石。心配性でプレッシャーにも弱いため、高校受験は推薦で大学までエスカレーターで進学できる学校を選び、「将来は保育士位になって24歳で結婚する予定だった」そうだ。

そんな“平凡な考え”をもつ普通の大学生だった彼女は、なぜアイドルを目指したのか。

アイドルになって、望んでいたものを得ることはできたのかーー。『ラストアイドル』に賭けた少女たちの、ビフォーアフターに迫る。

◆「私、みんなでステージに立つのが好きなんだと思います」

1998年4月、神奈川県で生まれた白石真菜。

当時0歳

当時1歳

小さい頃は外で遊ぶのが大好きで、小学1年から中学1年まで、ボーイスカウトを経験した。

「昔は男の子の友だちが多かったので、仲いい子に誘われてはじめたんです。多い時期は週に1回キャンプに行っていましたね。いろんな経験をしたので、今でもA型テント、ドームテントを立てたり、アルミ缶でご飯を炊いたりできるんですよ。その経験が役立ったことはあんまりないですけど(笑)」

当時4歳。遠足での1枚

当時5歳

約6年間続けたなかで印象に残っている思い出は、グループのリーダーに就任したことだったという。このエピソードは「他人の顔色を伺ってしまう」という彼女の性格を象徴する出来事のひとつである。

「これ、恥ずかしい話なんですけど…。女の子だから珍しいって理由でリーダーに選んでもらったことがあるんですけど、私、みんなをまとめるのが苦手で、役目を全然はたせなかったんです。結局1年半くらいで他の人と交代することになっちゃいました。自分の意見を言えずに、どうしても周りに合わせてしまうんです」

当時7歳。いちご狩りに行ったときの1枚

自分の意見を出せない彼女が、なぜアイドルのオーディションバトルという過酷な道を選ぶことになったのか。ステージに立ちたい気持ちの萌芽は、幼稚園ではじめたクラシックバレエにあったのかもしれない。

バレエをはじめた4歳のころ

「バレエは幼稚園の年中から中学2年までつづけていました。覚えていないんですけど、バレエの衣装を指差して、『あの服を着たい』ってスタジオまでムリやり親を連れて行ったらしいんです。一緒に練習していた子たちと仲良くなって、レッスンが終わったらみんなでおしゃべりしたり、わいわいするのが楽しかったんです。一番思い出に残っているのは、『くるみ割り人形』で精をやったとき。私、みんなでステージに立つのが好きなんだと思います」

だが、コンクールにも毎年出場していたものの、常に参加賞止まり。結果も出ず、徐々に気持ちがもたなくなっていった。

「バレエは楽しかったんですけど、コンクールに出るたび、レッスンでずけずけ指摘されてしまって。人生で、辛辣な言葉を受けたことがなかったので、厳しい言葉をかけられるたびに、踊れなくなっていって…。一緒に練習していた友だちも、受験などいろんな理由で辞めていったので、自分ひとりになったとき、心が折れてしまいました」

当時10歳。引っ込み思案な性格だった

◆「私、イチかバチかが苦手なので、安定を求めてました」

そんな白石がはじめてアイドルの存在に触れたのは、同じく中学生の頃。体育の授業で、ももいろクローバーZの楽曲を踊ることになったときだ。

「一緒に踊ることになった子から『ももクロの曲を踊ろう』って言われて、動画を見ることになったんです。それまでは、アイドルについて何も知らなかったんですけど、『行くぜっ!怪盗少女』の動画を見たら、一気にハマっちゃって。私はあーりん(佐々木彩夏)、妹はももか(有安杏果)推しでした。妹と一緒にいろんな映像を見るようになって、日産スタジアムや国立競技場のライブにも行きましたね。そこからは、エビ中(私立恵比寿中学)さんにもハマって、いろんなグループに興味をもつようになりました」

アイドルが大好きになったが、それはあくまで趣味の話。中学では3年間吹奏楽をつづけ、高校ではアルバイトに励んでいた。

「地元のコンビニで毎日のようにバイトして、最高で13連勤したこともありました(笑)。働いている人たちもご近所さんで、毎日何かをおごってもらったりして楽しかった。オープニングスタッフだったので、先輩として後輩に接していました。みんなで仲良くできるのが楽しかったので、仕事というより、部活みたいな気分でつづけていました。当時一緒に働いていた人たちとは今でも仲良くて、ラーメンを食べに行ったり、ディズニーに行くこともあるくらいです」

高校卒業後、白石は大学へ進学。

保育士になるための勉強をし、資格を取得して安定した生活を送りたい。そう考えて、日々キャンパスに通っていたという。

「私、イチかバチかが苦手なので、安定を求めていました。高校も一般入試じゃなくて推薦で入ったし、大学はそのままエスカレーターで上がって。妹は頭がいいんですけど、私は頭も良くないので、お母さんから『あなたは資格を取りなさい』って昔から言われていたし、将来の夢もとくにないので、どの資格を取ろうかなって考えて。保育士が不足しているってニュースを聞いたとき、それなら私もなれるかなと思ったんです。子どもも好きだし、ちょうどいいかなと」

安定を求めていた白石だったが、大学2年生のときに、ラストアイドルのオーディションバトルへの挑戦を決意した。

それは、人生ではじめてのオーディション参加だった。

「アイドルは大好きだったし、大学生のうちに色んな経験をしておきたいと思ったんです。自分に自信もないので、オーディションバトルで勝てる気がしない。そこで終わるだろうと思っていたので、最初はまさかアイドルをつづけられるとは思ってなかったですね」

自身の予想どおり、バトルには敗れはしたものの、アンダーメンバーとして活動を開始することに。

「パフォーマンスしたときに、観覧の方たちの反応がすごく優しくて。こうやって、応援してもらえる存在になれるかもしれない、こういうのもありなのかも知れないと思って、アンダーユニットに入りました」

◆「将来ちゃんと年金とか健康保険を払えるのかなって不安もあります」

憧れの存在であったアイドルになり、彼女はいまどのような心境なのだろうか。

「ライブで声援を聞いたり、自分の名前のタオルをもってくださるのを見たりするたびに、本当に嬉しい気持ちになります。2階席でも、目に入ってくるんです。握手会でも、私と握手するために、CDを買って、列にならんでいただけるなんて、いまだに不思議な感じです。

『応援してるね』って声や、言葉がなくても、毎回来てくださる方も、本当に応援してくれているんだなって実感ができる。もしかしたら、現場には来られないけど、応援してくれる方だっているかもしれません。いつも楽しくて、ずっとつづけていきたいって思います」

ずっとつづけたい。そう思いながら、どうしても慣れないことがあった。それは、仲間たちと競争することだ。

「アイドルって競争の世界だし、とくにラストアイドルはバトルの番組だったから。私はみんなで楽しいのが好きだし、仲間意識が強いので、ときに敵になるのが本当につらかったです。オーディションがあるたびに、辞めたいなって思う気持ちもありました」

安定した生活を望んでいたうえに、競争も苦手。これ以上つづけられないと思ったこともあるという。

「今年で22歳なので、同い年の子たちは就活をしているんです。アイドルって、誰もが成功できる世界じゃないから、正直、将来ちゃんと年金とか健康保険を払えるのかなって不安もあります。一応、活動と両立して、教育実習に行ったりして、幼稚園の免許は取れるようにしてあるくらい。今回のオーディションバトルで選抜に入れなかったら、もう辞めなきゃいけないかもという気持ちはありました」

そのバトルとは、8thシングル『愛を知る』の選抜入りを賭けた戦いだ。競争が嫌いな彼女だけに、立候補への迷いはあったのだろうか。

「仲間と戦うのはやっぱり嫌だけど、応援してくれる人たちがいるから。『応援しているからね!』ってメッセージをたくさんいただいて、自分のためというより、その人たちのためにがんばりたいって思ったんです。だから、参加を表明したのは、全体2番目で、意外に早かったんですよ。そんなふうに思えるようになったのは、自分でも意外でした」

バトルでは、昔から大好きな私立恵比寿中学の楽曲『禁断のカルマ』を披露。そのパフォーマンスは、審査員のひとり、ゆうこすこと菅本裕子から「目に力が入って、憑依された感じ」と高評価を受ける。この選曲には、ある狙いが秘められていた。

「歌もダンスも本当にダメダメなので、賭けに出るしかなかったんです。表現力をアピールするしかない。自分の印象を変えるために、シリアスな世界観の楽曲を選んで、そこに入り込むことを意識しました。

練習をはじめた頃は、ギャップをアピールしようとしすぎで、心に響かないと言われたんです。そこからは、見てくれる人の目をじっと見たり、色んな工夫をしたりした結果、やりたかったことが伝わったので、ホッとしましたね」

◆24歳で結婚、26歳で第一子出産…と描いていた人生設計

迎えた結果発表では、白石は18人中18位に滑り込むことになった。

直後のコメントでは、「ずっとポンコツって言われていて、やっぱりずっと悔しかったし、(選抜入りが)現実だと思えない」と語っていたが、この結果をどのように受け止めていたのか。

「歌もダンスも下手で、ずっとポンコツって言われていたから、選抜に入れたことよりもまず、パフォーマンスが評価されたことが本当に嬉しかったです。そして、応援してくれた人たちが喜んでくれるのも嬉しかった。このオーディションの結果次第では、就職活動をはじめないといけないと思っていたので、まだアイドルをつづけられるって安心した気持ちもありました」

さらにアイドルをつづけられるーー。

その事実を喜ぶとともに、あらためて両親の支えのありがたみを感じていたとか。

「私がこんなに気持ちを入れて頑張ることってなかったから、すごく応援してくれているんですけど。私のことを心配しているからこそ、『このオーディションがダメだったら、将来のことを考えたほうがいいよね』って言われたこともあって。でも、結果がどうなってもいつも支えてくれて、結局は『やりたいことをやればいい』って言ってくれるので、本当にありがたいと思っています」

低リスク志向の女子大生だったとは思えない、刺激的世界で生きることになった彼女は今、何を目指しているのか。

「大学に入った頃は、資格を取って就職して、24歳で結婚、26歳で第一子出産。いいお母さんになって、老後は…なんて未来を描いていたんです。今は、応援してくれる人たちを笑顔にするためにがんばっていきたいと思っています。あとは、強いて言うなら、個性がないので、胸を張って披露できる特技を身につけたいですね」

<文/森ユースケ、撮影/スギゾー>

※白石真菜(しらいし・まな)プロフィール
1998年4月、神奈川県生まれ。特技は最高13連勤のコンビニバイトで培った速いレジ打ちと、ボーイスカウトで取得したキャンプの知識やスキルなど。周りの顔色を伺ってしまう性格で、「クラスで何か発言をしようと思ったら手汗をかいちゃうくらい、緊張して。この性格は今でもあんまり変わってないと思います」

※番組情報:ラストアイドル『ラスアイ、よろしく!
【毎週水曜】深夜1:56~2:21、テレビ朝日(※一部地域を除く)

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