「ヒーローになりたい」油揚げ職人が起こした“奇跡”。SNSきっかけで特撮ドラマのヒーローに!
子どものころの夢やあこがれは、大人になるとたいがいは現実的な方向へ変わっていくもの。しかし、あきらめきれず中年になって思いが“爆発”した人間もいる。
“激レア”な体験を実際にした「激レアさん」をスタジオに集め、その体験談を紐解いていく番組『激レアさんを連れてきた。』では、そんなあきらめない男のサクセスストーリーを紹介した。
5月16日(土)の放送に登場したのは、子どものころから大の特撮ヒーローファンというホシさん。1970年代に放送された『鉄人タイガーセブン』というヒーローにあこがれ、自分もいつの日か…とヒーローを夢見る少年時代を過ごした。
やがて大人になると、油揚げ職人として家業を継ぎ、妻のキヨミさんと二人三脚で店を切り盛りするように。幼いころの夢など忘れてしまったかのような忙しい日々を過ごす。
しかし、そんな生活のなかでもホシさんの心にあったのは「ヒーローになりたい」という想い。夢をあきらめず、ずっと抱きつづけていたのだ。
その思いは日を追うごとに強くなり、44歳のとき、ついに“沸騰”。
なんと「自分がヒーローだったら」という妄想に1日の大半を費やし、助けを呼ぶ子どもの声まで聞こえるようになる。
妄想に取りつかれ、幻聴まで聞こえるほどヒーローへのあこがれをもてあましてしまったホシさん。せめて恰好だけでも、と44歳のときにヒーローのスーツづくりをはじめる。
元々図工が得意だったというホシさんは、ここで意外な才能を開花し、手作りには見えない高クオリティなヒーロースーツを完成させた。
そしてスーツを着てヒーローの姿になると、さっそく地元の保育園へ。ボランティアでヒーローショーを開催し、大よろこびする子どもたちに囲まれるという、いままでの人生では味わったことのない快感を味わう。
そのときの子どもたちの笑顔が目に焼き付いて離れなくなったホシさんは、その後もヒーロー活動をつづけ、地元の名産であり家業でもある油揚げ「栃尾揚げ」をモチーフにした「トチオンガーセブン」というオリジナルヒーローまで考案。
手作りのスーツを身にまとった特撮写真をフェイスブックで公開し、特撮ヒーローへの熱い想いを発信していた。
すると、このスーツがきっかけで運命的な出会いをはたすことになる。
◆特撮ドラマ愛が呼び込んだ意外すぎる“誘い”
ある日、ホシさんのフェイスブックを見た地元のテレビ局から、旅番組の出演オファーが舞い込んだ。素人ながら本格的なヒーロースーツを作っているホシさんに興味を持ったのだ。
この番組にトチオンガーとして出演し、有名タレントと共演したことで、ホシさんを取り巻く状況は一変。地元のヒーローショーから出演依頼が届くなど、トチオンガーの知名度はどんどん上がっていった。
そしてついに、地元のテレビ局のプロデューサーからドラマのオファーが届く。
そのオファー内容は、1話30分の手作りドラマを6夜連続で放送するという、ホシさんにとって夢にまで見たもの。しかし、テレビ局にはお金がないため「制作費はお願いします」といわれてしまう。
ドラマ制作にはおよそ200万円ものお金が必要だとわかり、さすがに躊躇するかと思いきや、ホシさんは迷うことなくこのオファーを快諾。「地上波で70年代の泥臭い(特撮)ドラマをやりたかった。そのためなら命をとられる以外はいいか!」という熱い想いでドラマ制作をはじめた。
制作費は全額自腹という事情ゆえ、原作・脚本、主演、主題歌、制作、美術など5役をほぼ1人で務め、お金を節約。さらに、敵も含めすべてのキャラクターのスーツをひとりで手がけるなど、まさに手作りの制作現場となった。
ハードな日々を過ごしながら、ホシさんの努力の結晶はついに完成。いよいよ放送にこぎつける。
すると、ドラマは深夜2時台の放送にもかかわらず大好評となり、翌日には店に大勢の客が詰めかけるなど、トチオンガーは一躍人気キャラクターとなった。
ホシさんのあきらめない想いが、ついに実を結んだのだ。
番組では、トチオンガーのその後の躍進と映画化されるまでの道のり、舞台挨拶でのホシさんの感動のあいさつなどを紹介。がむしゃらに夢を叶えたホシさんのミラクルストーリーが明らかになった。
※番組情報:『激レアさんを連れてきた。』
【毎週土曜】よる10:10~、テレビ朝日系24局(※一部地域を除く)