サッカー日本代表帯同シェフ、福島県産の野菜で“笑顔”の町おこし「新たなスタートをここから伝えたい」
テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。
現在は東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。
今回修造が訪れたのは、福島県・楢葉町にあるサッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」。“復興の象徴”とも言われている。
そこで待っていたのは、サッカー日本代表帯同シェフの西芳照さん(58歳)。
もともと「Jヴィレッジ」のレストランで総料理長を務め、2004年からは代表の専属シェフとして約200試合に帯同している。
西さんが代表選手たちに料理をふるまう際、積極的に行っているのが“ライブクッキング”。目の前で調理し、出来立てを提供するスタイルにこだわってきた。選手たちからの信頼も絶大で、自身の誕生日を盛大に祝ってもらったこともあったという。
しかし、そんな西さんの人生を揺るがす出来事があった。
それは2011年、東日本大震災による福島第一原発の事故。原発の半径20キロ以内が立ち入り禁止になり、施設内に20キロのラインがあったJヴィレッジは、原発事故処理の最前線基地となったのだ。
◆「明日の活力のために」震災半年後にレストランを再開
「原発の事故後、最初に来て、見たときはびっくりですよね。自衛隊の装甲車が止まっていました」
当時の状況についてこう振り返る西さん。緑に輝く芝生があったピッチには、使用済みの防護服やマスクが大量に積み上げられていた。
そんな壮絶な状況のなか、西さんは震災からわずか半年後にレストランを再開する。
「作業員の皆さんは非常に寒いなか、階段の踊り場とか、ダンボールを敷いて仮眠をしていました。食事は非常食しかなかったのを見て、温かいものを出してあげたいと強く思いました。
やはり料理というのは、目の前にいる人たちの笑顔を見るために、明日の活力のために作んなくちゃいけないんです。『こういう温かいご飯食べられるだけでも幸せだよ』と言ってくれたお客さんがいて、ホント忘れられないですね」
復興に向け頑張る作業員に温かい料理を振る舞いたい、それがレストランを再開した理由だったのだ。
◆福島県産の食材を使い、料理で町おこし
さらに西さんは、福島全体を元気にしようと、こだわりのカレーを誕生させる。
「震災の年、放射性物質が基準値以下だったのがタマネギでした。じゃあ、タマネギをいっぱい使って町おこしみたいなことをやろうと。
当時、農家のおじいちゃん、おばあちゃんたちの悲しい顔をたくさん見ました。『作っても売れない』『どうしたらいいんだ…』という思いに、何とかしたかったんです」
西さん最大のこだわりは福島県産であること。たまねぎをじっくり煮込んで甘味を出したカレーは特に人気に。復興が進むにつれ、福島県産の牛肉や他の野菜も具材に使った。
西さんの生まれ故郷である南相馬市(小高区)の避難指示が解除されたときには、地元の人たちにも振る舞った。食べた人々は笑顔で「おいしい!」「また食べたい!」「最高!」と口にしたという。
震災から8年、去年4月にはJヴィレッジが完全復活したなか、西さんのできる宣言は「世界中に福島の元気と新たなスタートをここから伝えたい」。修造は「さあ、ここからがスタートだ!」とエールを送った。
※番組情報:『TOKYO応援宣言』
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系