テレ朝POST

次のエンタメを先回りするメディア
menu

『しくじり先生』屈指の号泣回!荻原次晴先生が涙で語った過去の地獄と反省

過去に大きな失敗を体験した“しくじり先生”が、「自分のような人間を増やすまい!」という熱意とともに自身のしくじった経験を教える反面教師バラエティー番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)。

6月11日(日)に放送された同番組には、スキーノルディック複合元選手でスポーツキャスターの荻原次晴が登場し、“涙の授業”を展開した。

©テレビ朝日

◆「地獄から這い上がってきた」

1998年に開催された長野五輪で6位入賞を果たした荻原次晴。

番組では、この入賞直後のインタビューで次晴が、「“次晴”という名前もアピールできた。どうにか地獄から這い上がってきた」と話している場面が流されたが、次晴が今回展開した“涙の授業”では、ここに至るまでの苦悩や葛藤が存分に語られた。

◆双子の兄は金メダリスト、その頃弟は…

次晴は、「双子の兄と比較にならないぐらい差がついちゃった先生」として番組に登場。

この“肩書き”の通り、次晴の双子の兄である荻原健司は、1992年のアルベールビル五輪、1994年のリレハンメル五輪で2度の金メダルに輝いたばかりか、ワールドカップで19勝の偉業を成し遂げた“キング・オブ・スキー”の異名を持つ人物だ。

そんな兄・健司と幼少期からスキー人生をともにしてきた次晴は、子供の頃は器用さで勝る自分のほうがスキーの成績は優秀だったと振り返る。

しかし、健司はコツコツと努力するタイプ。次第に成績は抜かれ、高校時代に2人で国際大会に出場し揃って惨敗した際の気持ちのあり方で、双子の間に圧倒的な差がついてしまったそうだ。次晴いわく、健司は「世界で勝ちたい」と本気になったが、自分は「世界はレベルが高すぎる、無理だ」と思い逃げてしまったとのこと。

ここが分かれ道となり、大学4年の頃には、健司はアルベールビル五輪出場決定、次晴は同じ大学の同じスキー部でありながら“単位が大幅に足りず留年決定”という、大きく差がついた状況になってしまう。

そして、このアルベールビル五輪で健司は金メダルを獲得し、一躍日本中のヒーローとなった。

 

◆母親に「なんで俺を双子に産んだんだ」

ここで大きな問題となったのが、世間はこのときまだ、「健司には双子の弟がいる」という事実を知らなかったことだ。日本中に荻原健司フィーバーが巻き起こるなか、同じ顔をしている次晴は、“健司と1万回間違えられ地獄”に陥ることになったという。

「ウソつくな」「健司のニセモノかよ」と心ない言葉も浴びせられる日々のなか、次晴は健司に対して「余計なことしやがって」という気持ちを持つようになり、母親にはつい、「なんで俺を双子に産んだんだよ!」とあたってしまったそうだ。このとき母親は、ただただ泣いて謝っていたという…。

そうして、双子の兄である健司と“比較すらされない”辛い時期を経て、次晴は地獄の状況を抜け出すため、「自分も有名になって次晴の存在を知ってもらう」ということを思い付く

そこから、次晴もあらためて本気でスキーと向き合うことになる。

©テレビ朝日

◆初めての「悔しい!」

次晴はまず、94年のリレハンメル五輪出場を目指したが、落選。(※健司は出場)

次晴は、このとき初めて「悔しい!」という気持ちになったと振り返り、「心から悔しいと思えたら本気を出せた証 その悔しさは必ず次につながる」と教訓を語る。

ただ、この五輪でも健司は金メダルを獲得し、次晴はまたも同じ“地獄”を味わうことになるが、その4年後に自国開催される長野五輪になんとしても出場するため再度本気を出し、なんとか双子揃って同大会に出場できることに!

次晴は、この過程の中で「健司と比較してもらえるようになった」と振り返った。

 

◆涙の反省、そして教訓。屈指の号泣回に!

そして、98年長野五輪で行われたスキーノルディック複合の2日目・クロスカントリー。番組では、実際の競技のVTRも見ながら、双子が並ぶ場面もあったこの“伝説”の戦いを振り返った。

結果は、健司は4位、次晴は6位。ともに入賞した。そうして競技後、次晴は、本記事冒頭で紹介したインタビューに答えることとなったが、番組ではこのときの気持ちについて、あらためて以下のように語った。

「僕は決して、ちやほやされたくて有名になろうとしたんじゃないんです。ただ、“健司もいれば次晴という人間も存在しているんです”、“僕は偽物でもなんでもないんです”、“嘘をついているわけでもないんです”、ただそれだけを知ってもらいたかった。そのためには、健司と同じように有名になるしか方法がなかったんです」

さらに、それまでは時おり笑いもまじえながら語ってきた次晴だったが、最後には自ら号泣しながら“ある反省”を語った。

それは、“地獄”に陥っていたとき、自分を産んでくれた母親に対して、「なんで俺を双子に産んだんだよ!」とあたってしまったことへの反省だ。次晴は、泣いて叫びながら、次のように話した。

「僕はかつて、うちの大事なおふくろに、“なんで俺を双子に産んだんだよ”って、こんな愚かな…。本当に僕はバカでした。(長野五輪が終わって)すぐにおふくろのところに飛んでいって、謝りました。本当にごめんなって。いま自分は子育てをしている最中ですけど、もし子供にそんなこと言われたらどうしたらいいんですか…。本当に僕は愚かだったと思います

そうして次晴は最後、視聴者に向けて、“一度でも本気になって頑張った経験があれば、必ずいつか何かで生きてくる”と、そして、本気を出せば“まだ知らない自分と出会えて次の本気で人生は晴れる”と、自身の名前「次晴」とかけてメッセージを送り、授業を締めた。

この“涙の授業”には、生徒として出演していた女優の内田理央や、次晴と同じく双子である三倉佳奈も涙を流し感動していた。

◆次回は森田正光先生&サスケ先生!

・荻原次晴先生の“涙の授業”は、テレ朝キャッチアップで無料で視聴可能!

しくじり先生 俺みたいになるな!!次回の放送は、6月18日(日)よる9時58分から、気象予報士の森田正光先生と、2004年にデビュー曲『青いベンチ』がインディーズ年間シングル売上1位を獲得して注目を集めた男性フォークデュオ・サスケ先生が登場!