山口良一、欽ちゃんの芝居を“再現”して合格!『欽ドン!』出演後、風呂なしのアパートから…
『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)のヨシオ役で人気を博し、ワルオ役の西山浩司さん、フツオ役の長江健次さんとユニットを組んだ「イモ欽トリオ」のメンバーとしても知られている山口良一さん。
佐藤B作さん率いる「劇団東京ヴォードヴィルショー」に41年間所属し多くの舞台に出演。31年間レギュラーをつとめる『噂の!東京マガジン』(TBS系)をはじめ、俳優、歌手、リポーター、MC、落語など幅広いジャンルで活躍。4月17日(金)からは、大森カンパニープロデュース『更地SELECT~SAKURA IV』の公演が控えている山口良一さんにインタビュー。
◆バイトに明け暮れるなか、「お金はかかりません」という一文に引かれ…
広島で生まれ育った山口さんは高校卒業後、落語家になりたくて全国チェーンの大手呉服店に就職。大阪で半年間、広島で半年間勤務して辞め、半年間アルバイトをしてお金を貯めて上京したという。
「相当反対されましたけど、周りの人に『男の子なんだから大学に行かせるつもりで、1人でちょっとやらせてみるのもいいんじゃないか』って言われて、そのとき19歳だったので、おふくろとしては、22、3歳ぐらいまでの期限付きのつもりだったんですよ。
でも、こっちとしてはOKが出れば、もうこっちのもの。しめしめと思って(笑)」
-上京されてからはどのように?-
「高校のときに仲が良かったやつが東中野に住んでいたので、その近くにアパートを借りて、最初の半年間くらいは、たいして演技なんて教えないのにお金だけ取るようなところに行ったりしていましたね。それで22歳まではアルバイト。いわゆるフリーターの生活をしていました」
-どんなアルバイトをされていたのですか?-
「いろいろやっていました。全国の本屋さんに本や雑誌を送る会社、お茶の配達、新聞輸送、ビルのガラス清掃とかね。短期では、お正月のガードマン、工事現場のガードマンもやりましたし、お祭りでたこ焼きを焼いたり、お正月の喫茶店のウエイター、築地でもバイトしました。
どこのバイト先も結構楽しくて(笑)。でも、お芝居の公演があると、休まなくちゃいけないからそこで続けられなくなって変わったりはしましたけど、どの職場も楽しかったですね。
あまり仕事がつらいとかなくて。早起きがつらいとかいうのはありますけど、仕事自体が嫌で辞めるということはなかったですね。
中華の出前もやったことがあって、30年位前だから麻雀屋さんにもよく届けに行きましたね。面白いもので、勝っているお客さんは文句を言わないんだけど、負けているお客さんは怒鳴るんですよ。そういうのも経験しましたね」
上京して約5年、アルバイトに明け暮れる生活を送っていた山口さんは、東映演技研修所に2年間通った後、佐藤B作さん率いる「劇団東京ヴォードヴィルショー」に入団する。
「1979年にたまたま見た演劇雑誌に劇団東京ヴォードヴィルショーの新人募集の案内が載っていて、『養成所ではなく劇団員募集なので、お金がかかりません』て書いてあったんですよ、ご丁寧なことに(笑)。
当時、もう東京ヴォードヴィルショーはちょっと有名になっていて注目されていましたけど、僕は見たことがなかったんです。
2月に劇団の公演があって、3月に試験だったので、見に行ったんですよ。そうしたら、本当にくだらなくて(笑)。
今はわりかし台本に沿ってお芝居をやっていますけど、当時は、役者が稽古場で相談し合ってギャグで作るようなのを積み重ねて2時間の芝居みたいな作り方だったので、とにかくパワーはあったんですよ、くだらなさの(笑)。それを見て面白くて受けることにしました」
入団試験は水道橋にある会館を借りて行われ、30人あまりの男女が来ていたという。応募者は4グループに分けられ、山口さんは第4グループ。だが、なかなか順番が回って来なかったという。
「ようやく僕たち最終グループの番になったと思ったら、会場を借りている時間がなくなってきたから、テスト5項目のなかでやりたいのがあったら言ってくれって。やる気がないんですよ、明らかに(笑)。時間も短くて。
でも、合格した4人は最終組だったんですよ。後で聞いてみたら、B作さんたちもこういうところで審査するのに慣れてなくて、最終組しか印象に残ってなかったみたいで。
最初のほうのグループにすごく上手(うま)い人がいたんだけど、そういう人はほかでもできるだろうと思って取らない。要するに、劇団に入って仲良くやっていけそうな人を取ったって言うんですよ。『上手い下手じゃないんだったら、テストいらないじゃないかよ』って(笑)」
※山口良一プロフィル
1955年3月27日生まれ。広島県出身。1974年、19歳のときに上京。1979年、「劇団東京ヴォードヴィルショー」に入団。1981年、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』にヨシオ役で出演。ワルオ役の西山浩司さん、フツオ役の長江健次さんと「イモ欽トリオ」を結成。デビュー曲の『ハイスクールララバイ』が100万枚を超える大ヒットを記録。舞台を中心に俳優として、ドラマ、映画に多数出演。『クイズところ変れば!?』(テレビ東京系)、『噂の!東京マガジン』や旅番組のリポーター、ラジオのパーソナリティ-、落語の高座もつとめるなどマルチな才能を発揮。4月17日(金)から大森カンパニープロデュース『更地SELECT~SAKURAIV』(下北沢 小劇場B1)に出演。
◆オーディション合格よりも大好きな欽ちゃんに会える喜びに興奮
「劇団東京ヴォードヴィルショー」に入団した山口さんは、ドラマに端役で出演させてもらうこともあったというが、1980年、『大進撃!おもしろ組』(フジテレビ系)にレギュラー出演することに。
「『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の横澤(彪)さんがプロデューサー。レギュラー漫才師がツービート(ビートたけしさん&ビートきよしさん)、お茶の間コントのお父さんが魁三太郎さんという劇団の先輩、お母さんが松金よね子さん。
隣の未亡人が岡本麗さん、下宿人がシティーボーイズ(大竹まことさん・きたろうさん・斉木しげるさん)。松金さんと魁さんの子どもが春やすこけいこさんと僕と角替和枝さん」
-豪華なメンバーですね-
「でしょう?今集めようと思ったら集まらないすごいメンバーなんだけど、当時はみんな売れてなかったんで視聴率が悪くてね。半年でおしまいになっちゃった(笑)」
1981年3月に『大進撃!おもしろ組』は終了するが、その年1月、山口さんは、劇団の先輩女優と結婚する。
「ささやかなパーティーをやったときに横澤さんもいらして下さって、『番組は終わってしまいますけれども、山口さんにはまたちょっと考えている番組もあるので、よかったらまた出演していただけたらと思っています』なんて、リップサービスで言っていただいたんですけれども、その番組が『オレたちひょうきん族』で、それにはもちろん呼ばれなかったですけどね(笑)」
-そして『欽ドン!良い子悪い子普通の子』ですか?-
「はい。3月にオーディションがあって。それもたまたまみたいなもので、僕はあまりオーディションとかに行ったことがなかったんですけれども、松原敏春さんが大学の頃、欽ちゃんのお笑いグループのなかにいて、コントとかをお書きになっていたらしいんですよ。
それで、松原さんが脚本を書いた東京ヴォードヴィルショーの芝居を欽ちゃんの番組のディレクターさんが見に来ていて、僕のことを覚えていてくださっていて、呼ばれたということなんですよ。
いきなりマネジャーから電話がきて『欽ちゃんの新しい番組があるんだけど、お前ちょっと行ってくれ』って言われて。その日は奥さんと映画を見に行く約束だったんですよ。だけどしょうがない。
『どうせすぐ帰ってくるから、その後で映画に行こうよ』って話をしてフジテレビに行きました。僕は欽ちゃんの大ファンだったんですよ。中学2年生の頃『コント55号』の大ファンで。生徒手帳に切り抜きを入れていた位の大ファンだったので、オーディションに行くというよりも、欽ちゃんに会える喜びのほうが勝っていたんです(笑)。
だから欽ちゃんを見たら『ワーッ、欽ちゃんだ!』って。もう受かろうなんていう色気がないので、みんなで順繰りにオーディションをやっていったときも、全然プレッシャーもなかったんですよ。
良い子、悪い子、普通の子、全部やったんですけど、楽しくできて。で、たまたま良い子の役をやっているときに欽ちゃんが『ちょっとそこキザな感じでやってみて』って言ったんですよ。
そのときに僕は、本を小脇に抱えて『お父さん?』って首をかしげたんですが、それって『コント55号』のときに欽ちゃんがやっていた芝居なんですよね。
劇団にはいるんですけど、たいして芝居なんてうまくないわけですから、キザな芝居って言われたら大好きな欽ちゃんの芝居しかできないんです。
でも、欽ちゃんとしてみたら、『あっ、それそれ』って感じで(笑)。だから、『こいつは飲み込みの早い奴だ。自分の言ったことがすぐわかる』って思ったみたい。そこはちょっとした欽ちゃんの誤解もあったと思うんですけどね(笑)」
-それで良い子(ヨシオ)に決まって、トレードマークのメガネは?-
「良い子=ガリ勉のイメージなのでメガネをかけようかって素通しのメガネをして。いくつかのタイプのメガネを小道具さんが持ってきてくださったなかから決めて、辞書も持つことにしました」
-良い子はガリ勉のイメージなのに身体能力が高くて驚きました-
「運動神経はそんなに良くないんですよ。バク転はその当時できたんですけれども、それも僕が入った頃の劇団は、台本なんかはうっちゃっておいて、みんなで相談してやるから、若手の出番というのはゲリラ的な感じなんですよ。
急に『お前たち出てこい』的なことを言われると、おじさんたちにできないことで勝負するしかなくて、若手はからだを使うしかない。
それで、一緒に入った若手や先輩と、体操マットがあったので、マット運動をやっていたんですよ。『体操競技』という本を買ってきて、バク転の分解写真を見て膝の角度を研究したりするんだけど、誰もできないんですよ(笑)。
だから指導者がいないまま、柔道の帯をして、そこにロープをくっつけて両側から持って、みんなで持ち上げてバク転の練習をして。
それで長い月日をかけて、ようやくバク転ができるようになったので、『欽ドン!』なんかでもやるようになったんです。
できなさそうに見えている人がやるとみんな驚くでしょう?西山(浩司)君がやると、『そうだよね。あの人できるよね』って思うけど、おっさんがやると『おーっ!』ってなるじゃないですか(笑)。
そんなに凄(すご)くないんですよ。バク転はちゃんと練習すれば、誰でもできると思いますよ。問題は恐怖心だけなんですよね。子どもなんかはよくやってるじゃないですか」
-山口さんのバク転は本当にびっくりしました-
「そうですよね。誰もできると思ってないしね(笑)。『おーっ!』って、客席がどよめいたときにはうれしかったですよ」
◆新婚の妻と『欽ドン!良い子悪い子普通の子』出演で風呂付アパートへ
1981年4月から『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の放送がスタートするが、すぐには大きな変化はなかったという。
「最初はそんなに視聴率が良くなかったんですよ。3カ月ぐらいは。僕は新婚さんだったんですけど、うちの奥さんと風呂なしのアパートに住んでいて、銭湯に通っていたんです。
それでバイトもしていたんです。『欽ドン!』をやっているけれども、テレビ局のギャラってすぐには入らないでしょう?
だから、『欽ドン!』をやりながら、ガラス掃除のアルバイトをしていたんですけど、全然バレない(笑)。もちろん普段はメガネをしていないし。
それが、6月ぐらいから声でちょっとわかられるようになったのかな。だから銭湯に行って着替えていると、『うん?あの人は』って、チラッと見られるようになったのが6月、7月くらい。その頃から視聴率もだんだん良くなってきて。
それでしばらくしたら、ちょっとギャラが入ってきていい気になって、風呂ありのアパートに引っ越しちゃうんですけどね(笑)」
-お顔が知られるようになっていかがでした?-
「人から見られるうれしさはありましたけど、これは皆さんが通り過ぎる道じゃないかな。どこに行っても見られているという感じがあって、見られるということが負担になる時期があるんです。
でも、それを過ぎると、『見られてなんぼの商売だし、それでいいのか』って思うようになって。それからは全然平気ですけど。
-「イモ欽トリオ」を結成してからはほんとにすごかったと思いますが-
「ただ、『イモ欽トリオ』は健ちゃんと西山君、あの2人がアイドルなんですよ。3人いますけど、僕はどっちかっていうと、『アイドルグループにいた人』っていう感覚で(笑)。
よく『冗談でしょう?』って言われるんだけど、本当に、健ちゃんが高校生なんで、東京には土日月しかいないんですよ。
土曜日に東京に来ると雑誌の取材で、スタジオ5、6カ所ぐらいを1日のうちに回るんだけど、追っかけみたいな人が来るわけですよ。
それで、マネジャーさんと警備員さんと一緒になって、僕もあの2人を追っかけの人たちからガードしてスタジオのなかに入れて、『すみません。次があるのですみません』ってやっていたくらい、あの2人の人気はやっぱりすごかった。
ちょうど女子高生ぐらいの人からしたら、同い年だったり、ちょっと年上のお兄さんだから。
それで、僕の場合はもうおじさんキャラなので、いただくファンレターにも、『私は山口さんのファンです。大好きです。でもクラスのみんなは健ちゃんがいい、西山君がいいって言います。それで私のことをなんであんなおじさんがいいの?って言います。でも、私は山口さんのファンです』って、グサグサ刺さるようなファンレターをたくさんいただきましたね(笑)」
-年齢とキャラもありますよね-
「そうですね。健ちゃんが16歳、西山君が20歳で僕は25、6歳でしたからね。僕のファンというのは、ちょっとコアな笑いが好きだという感じで。
あの2人は凄かったですよ。バレンタインデーのとき、『段ボール箱が何箱もあるので事務所に送ります』ってADさんが言いに来てましたからね。それで、『山口さん、はい』って、僕は紙袋を一袋渡されて。『山口さんはこれです』って(笑)。それぐらい、あの2人はすごいなとは思いましたね。人ごとながら」
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「イモ欽トリオ」の『ハイスクールララバイ』は大ヒットを記録し、歌番組にもひっぱりだこになっていく。次回後編では『欽ドン!』の舞台裏、結婚の公表、長寿番組『噂の!東京マガジン』の収録裏話などを紹介。(津島令子)
※大森カンパニープロデュース『更地SELECT~SAKURA IV』
2020年4月17日(金)~4月26日(日)下北沢 小劇場B1
演出:大森博
出演:山口良一 ラサール石井 大森ヒロシ 本間剛 石倉良信 森内翔大 かんのひとみ遠山景織子 鈴木ゆか 依里
http://ameblo.jp/hiroshi-omori/