父は松岡修造の元練習パートナー。東京五輪代表候補・相馬勇紀、テニスよりもサッカーに夢中になった“きっかけ”
松岡修造が東京2020をきっかけに、子どもたちを明るい未来へと導く『君ならできる!2020エスコート宣言』。
今回修造が会いに行ったのは、サッカーJリーグ名古屋グランパスエイトのFW相馬勇紀。東京五輪代表候補で、去年、強豪国の有望株が集まる「トゥーロン国際大会」という大会でベストイレブンに選ばれた逸材である。
修造は相馬を見つけると「久しぶりだな〜!大きくなりましたね」と駆け寄り、相馬も「こんな小さかったですからね」と笑顔を見せる。
実は、相馬の父は元テニスプレーヤーで、現役時代には修造の練習パートナーを務めたこともある人物。そのときの縁で、2人は面識があったのだ。
修造:「お父さんとか松岡修造との関係を考えたら、サッカーではなく、もっと小さいボール(=テニス)なはずなんですよ」
相馬:「そうですよね。小学校の頃は土日にテニスをやりながら、サッカースクールに平日2日行っていました」
テニス選手だった父親の影響で、幼い頃から当たり前のようにテニスを始めた相馬。テニスよりもサッカーに夢中になったのは、小学生時代のある“感動体験”がきっかけだった。
◆初めて目にした特別な景色。「人生が変わった」瞬間
2004年のJリーグ。東京ヴェルディ1969と名古屋グランパスエイトの試合開始前。選手と一緒に入場するエスコートキッズのなかに、当時小学2年生の相馬少年の姿があった。
修造:「グラウンドに入る前に手をつなぐわけですよね。どんな感覚になりました?」
相馬:「入ったとき…ナイターゲームだったんですが、照明がものすごくついていて、ピッチはめちゃくちゃ明るく輝いていて…とにかく感動しました。エスコートキッズとしてピッチを見たときに、『ここでプレーしたい!』『プロになりたい』と初めて思いました」
初めて見る、ピッチからの特別な景色。テニスではなく、『サッカー選手になりたい』という夢が芽生えた瞬間だった。
◆負けず嫌いで這い上がり、夢をかなえる
しかし、プロを目指した相馬には、険しい道のりが待ち受けていた。サッカー選手としては体が小さく、決して目立つ存在ではなかったのだ。
「大学を卒業してプロになるまで、年代別の日本代表になったことがなかったし、そもそも小さい頃も地域の選抜とかも全く呼ばれなかった選手でした」(相馬)
それでも…あの日誓った“プロになりたい”という夢を胸に練習を積み重ね、着々と力をつけていった。
「腐ることもなかったし、たくさん練習しました。僕には“体が強い”“足が速い”といった、フィジカル的な強さがあったので、『自分の武器は絶対に誰にも負けない』と常に思っていました」(相馬)
そして、エスコートキッズの感動体験から14年。名古屋グランパスの一員としてJリーグデビュー。ついに、憧れのピッチに立つ夢を達成した。さらに、小柄ながら相手に負けないフィジカルを武器に、東京五輪の代表候補にまでのぼり詰めたのだ。
相馬がプロを目指すきっかけとなったエスコートキッズは、来る東京五輪にも参加する。
修造:「エスコートキッズというのは、チャンスがあったらやったほうがいいですか?」
相馬:「絶対やったほうがいいです!子どもの人生が変わると思うし、僕がまさに、その立場だったので」
修造:「ズバリ、子どもたちへのメッセージは?」
相馬:「エリート街道じゃなくて、負けず嫌いで這い上がってきたタイプなので『誰にでもできるんだよ』というのは伝えたいです!」
※番組情報:『TOKYO応援宣言』
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