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余命半年の青年が、闘病中に感じた“スポーツの力”。「僕みたいな人もきっといっぱい…」

©テレビ朝日

テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。

現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。

今回修造が訪れたのは、栃木県にあるセブンハンドレッドクラブというゴルフ場。ティーイングエリアに行くと、サッカーボールを大きく蹴り上げようとする人物がいた。

「すみません!ここはゴルフ場なので、サッカーはダメなんですよ」

思わず修造は声をかけると、「フットゴルフという、ゴルフ場でもやれる競技をやっています」という答えが返ってきた。この人物の名は軍司和久さん。実は、フットゴルフという競技の日本代表なのだ。

フットゴルフとは、サッカーボールを蹴ってゴルフをする競技。2009年にオランダでゴルフ場活性化のために生まれた。欧米を中心に急速に普及し、ワールドカップも開催されている。

ゴルフと同じようにティーからキックを放ち、いわゆるラフの位置に、サッカーボールがすっぽり入る大きなカップが設置されている。

カップまでおよそ30メートル離れたところに立った軍司さん。なんと、そこから傾斜を使いながら見事にカップイン! まさに日本代表のスゴ技を見せてくれた。

©テレビ朝日

「この広大で、整備されたきれいな芝生の上で、サッカーボールを蹴られる。サッカーをやっていた人なら、絶対喜ぶシチュエーションですよ」

フットゴルフの魅力をこのように語った軍司さん。実は2020年、フットゴルフを通じて、大きな目標を抱いていた。

軍司さん:「がんサバイバーが活躍できるような、がんサバイバーのためのオリンピックを作るきっかけを、2020年にできればと考えています
修造:「がんサバイバー?」
軍司さん:「がんで闘病した人のことを、がんサバイバーとみんなで言っています」
修造:「がんを経験したなかで生き抜いていくということですか?」
軍司さん:「そうです。実は僕、22歳のときに精巣腫瘍、いわゆる睾丸のがんになりました」
修造:「え!軍司さんもがんになられたんですか?」
軍司さん:「はい。オリンピックは健常者のスポーツ、パラリンピックは障がい者の方のスポーツですが、オリンピックとパラリンピックの両方を目指せない、僕みたいな人もきっといっぱいいると思いました

軍司さんが考える「誰でも参加できるオリンピック」。そのひとつがフットゴルフの世界大会だった。しかし、なぜそんなことを考えたのか。夢を抱いたきっかけは、がんの闘病中にあった。

◆病床で感じたスポーツの偉大さ

22歳だった2004年。余命半年と宣告され、絶望の淵にいた軍司さん。そのとき目にしたのが、アテネオリンピックのサッカー日本代表だった。

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初戦はパラグアイに4対3で負けて、まだあと2試合勝てば決勝トーナメントに行けるという状況でした。そのとき、次のイタリア戦がすごく楽しみになったんです。

余命半年と言われ、180日という数字が減っていくのが怖くて眠れなかったのに、3日後が楽しみだと思いました。早く寝て3日後を迎えたいと、そのとき思えました

『オリンピックってすごい!』『スポーツってすごい!』。そう感じ、将来的には大きなスポーツイベントに関わりたいと思いました」

闘病を経て、がんを克服した軍司さん。フットゴルフに出会ってわずか3年で、日本代表に選ばれた。そしてフットゴルフ協会に協力し、2020年9月、史上初となる日本でのワールドカップ開催を可能にしたのだ。

「病気になって、今までと同じ生活ができないと思っていたので、みんなと同じフィールドで競い合えて、それが世界につながっている。頑張って闘病してよかったです」

軍司和久さんのできる宣言は「作るぞ!がんサバイバーのためのオリンピック!」。修造は「そうだ!目指せ!ホールインワン!」と力強くエールを送った。

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※番組情報:『TOKYO応援宣言
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系