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中村梅雀、25歳年下の女優と再婚。4歳の愛娘は「激しい遊びが大好きで…」

©テレビ朝日

代々続く歌舞伎俳優の家に生まれ、テレビドラマや映画に積極的に出演し、数多くのシリーズで知られる中村梅雀さん。ベーシストとしても知られ、定期的にライブ活動を行い、CDもリリース。ナレーションにも定評があり、『世界ふれあい街歩き』(NHKBS/総合)をはじめ、多くの番組を担当。

今月14日(金)には、津田寛治さんとW主演をつとめた映画『山中静夫氏の尊厳死』が公開になる。多忙な日々を送っている梅雀さんだが、私生活では4歳になる愛娘にメロメロの優しいパパでもある。

©テレビ朝日

◆25歳年下の妻との出会い

梅雀さんは2006年に付き人だった25歳年下の女優・瀬川寿子さんと再婚。2015年に梅雀さんにとっては第2子となる女児が誕生した。

-奥様との出会いは?—

「僕の舞台の付き人兼出演者みたいな感じでした。

半年間、僕の舞台、映画、テレビ出演を全部サポートしてくれて、何でも話せるし、すごく居心地が良かったんです。

最初の舞台でインフルエンザになったときも、しっかりサポートしてくれましたし、今もテレビ出演や取材のときに着用する服は全部選んでもらっています。僕のことを1番よくわかってくれていますからね」

-お嬢さんはまだ4歳ということで、可愛い盛りでしょうね-

「そばにいると厄介で、大変なんですけどね(笑)。本当に体力も使うし、いちいち相手をするのも大変で、でもロケなどで離れていると、やっぱり寂しいですよね」

-お嬢さんは梅雀さんの出演作品はご覧になったりします?—

「見ますよ。一緒に出ましたしね。『伝七捕物帳』(NHK BSプレミアム)に2回出ていますし、その前に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にも1回出てるんですよ。

生後5カ月のときに『徹子の部屋』に一緒に出て、それで1歳になるちょっと前に『伝七捕物帳』に出て、その翌年の『伝七捕物帳』にもう1回出ましたからね。

2回目に『伝七捕物帳』に出たときには娘も放送を見ていて、『あっ、ほら、出ている。ほらっ』って指さしていました。

それで、自分の画面を見て、指さしているところを撮った写真もありますよ(笑)」

-かわいいですね。将来は何になりたいと?—

「何になるんでしょうね。お姫さまになるみたいなことばかり言ってますよ(笑)。

家にディズニーのいろんな姫の衣装があるんですよ。それを代わりばんこに着たりして、もう大変。ディズニーのアニメを見てはお姫さまごっことかやっていますよ」

-梅雀さんが王子様役ですか?—

「王子様になってくれって。ただね、最近は幼稚園の先生が王子様になっちゃっていて。『アイ・ラブ・ティーチャー・マイケル』って言ってますよ(笑)」

-お子さんと遊ぶのも結構運動になるとおっしゃっていましたが-

「今、16㎏ちょいあるんですけど、階段の途中から『パパ行くよー』ってポンって飛ぶから受け止めたり、『抱っこ、抱っこ、抱っこ』って来て、抱っこしたあげくに肩車して、それから逆さまにして振り回してって、すごい要求が来るんですよ(笑)。

そういう激しいのが大好きなので、これはトレーニングだなと思って」

©テレビ朝日

-ブログで拝見したのですが、お父様の梅之助さんが、まだ赤ちゃんだったお嬢さんを抱っこしているお写真、とても良いお顔をされていますね-

「あのときは、父が突然来たんでびっくりしましたね。ほんとに虫の知らせなんですかね。亡くなる前の年ですから。

娘を抱っこしてジーッと顔を見て、『あぁ、この子は大丈夫だ』って言ったんですよ。

つまり、鼻がおっぴろがっていないかどうかを確かめたんですよ。僕はおっぴろがっちゃったんで、女の子だから、それが遺伝しているかどうかをすごい気にしていたんですよね(笑)」

-将来、お嬢さんと共演されるのが夢だとか-

「娘が25歳になったときに僕は85歳なんですけど、ライブを一緒にやりたいなあと思って。だから、何でも良いから楽器を一つできるようになってもらいたいんですけどね」

©テレビ朝日

◆末期がん患者を演じるにあたり、父の死が…

今月14日(金)に公開される映画『山中静夫氏の尊厳死』では、津田寛治さんとW主演をつとめ、6kg減量して末期がん患者役に挑んだ。

※映画『山中静夫氏の尊厳死』
末期がんを宣告された山中静夫(中村梅雀)は、生まれ育った信州で死にたいと願い、妻(高畑淳子)にも内緒で自分の墓を自らの手で作り始める。担当医の今井(津田寛治)は山中の最期の願いを叶えさせようと決意するが、あまりにも多くの死と接し続けたことから心身ともに疲労し、うつ病に…。

-『山中静夫氏の尊厳死』のオファーが来たときは?—

「台本を読んで『すごいなこれ』って。死んでいく様をずっと撮るので、これは役者としてやらなきゃなって思いました」

-かなり体重を落としたようですね-

「6㎏落としたんですけど、津田(寛治)さんがもっと落としてどんどん痩せていったので、何にもなりませんでしたね(笑)」

-そんなことはないですけど、担当医である津田さんはうつ病にという設定でしたものね-

「そうです。こっちはね、がんで死を迎えるのにどんどん心が元気になるという、その対比を監督が出したいとおっしゃっていたんですよね。

それでも、見ている人が『こいつは絶対に死なないぞ』って思わないように、ちょっと痩せなきゃいけないなと思って」

-どのようにして体重落としていったのですか?—

「もう食べないようにして。朝バランスの良いものを食べておいて、昼は軽くつなぎを食べて、夜は絶対に食べないという風にしました。

でも、お酒は飲もうかなって(笑)。お酒のつまみはちょっとぐらいにして。

おととし、長野県の佐久で2週間ロケだったんですけど、長野に入ってからは、毎日朝4時にヘルシーなお弁当を作ってもらって。お魚、肉もささみとかを野菜でくるんで食べやすいようにしてくれたのとおにぎり2個。

朝はその野菜たちとおにぎり1個を食べて、残ったおにぎり1個とお漬物を残してロケ地に持って行ってお昼はそれを食べて、夜は一切食べないで旅館の女将さんと晩酌」

-体力的にきつくなかったですか-

「体力はそんなに落ちないですね。むしろバランスよく食べているので、その後の血液検査は最高でしたね。

先生に『どうした?いいじゃないかこれ。やればできるじゃないか』って言われました。

『いやいやただ単に食べなかったんです』って言ったら『何だ、映画か』なんて言われて(笑)」

旅館に1人で泊まって、ずっと温泉につかりながら、1人の世界に入っていけたので、とても恵まれていましたね。それに協力してくれる女将さんと、料理長がすごい良い料理を作ってくれたので。

でも、その料理長は、この映画を見る前に亡くなっちゃったんです。自分ががんであることを黙って、ギリギリまで働いていたんですよね。だから、僕に料理を出してくれている頃にはもうむしばまれていたんですね。

本当はいちばん見てもらいたかった。『おかげさまで体調も維持できたし、痩せられたし、良い作品ができまし』って言いたかったんですけどね。女将さんはこの映画見て大感動していました」

(c)2019映画『山中静夫氏の尊厳死』製作委員会

-死を描いているんですけれども、心に残る作品ですね-

「そう。あったかいものが残るじゃないですか。だから良かったなと思いますね。あの終わり方、素晴らしいですよね。ほっとしますよね。良かったなあって。あの終わり方、素晴らしいですよね。『俺も佐久で死んでみたいな』ってちょっと思っちゃいましたね」

-死についてお考えになったことはありますか?—

「父の死とかを見ていて、『あぁ、苦しそうだなぁ』って思いました。

肺をやられちゃうと、こういう風になるんだというのが、すごいいやだなあと思いましたね。苦しむのは嫌だなぁって。

だからもう自分が死ぬんだったら、もうこれ以上働けない、動けないってわかったら、さっさと殺してもらいたいなとかね、思っちゃいますね。

それで、ちょうどこの作品を撮っている最中に、母が危篤だったもので、母がいつ死ぬか分からない状態で長野にいましたからね。

そういうことで母の死とか、父の死んでいく様とか、自分が死ぬときはどうなんだろうとか、いろんな死を考えながら集中できたので、環境的には良かったのかなあって」

-おじいさまの翫右衛門さんが、「人が亡くなるときの様子をちゃんと見ておくように」とおっしゃっていたそうですね-

「あれは祖父が亡くなるとき、父に『よく見ておけ』って言ったんですよね。

父は2016年1月18日に85歳で亡くなったんですけど、亡くなる瞬間は、僕は大雪で行けなかったんです。亡くなってからしか行けなかったんですけど、苦しんでいる様を見ていましたし、どんどんどんどん顔が変わってきましたからね。

父は『役者は見ておけ』って言ってました。つまり、演じるときに役に立つからって。それは、十分に役に立ちましたね。あの父の息遣いをそのまま使いましたから。

父はもっと苦しそうでしたけどね。父の場合は20代の結核で肺が癒着して小さくなっちゃっていて、おまけに誤嚥から肺炎を起こして、もう本当に肺がきかなくなっていたんです。

そこに強制的に空気を送り込んでいたので、本当に苦しそうでした」

-それでもお父様は前進座の85周年公演の舞台に立ちたいっておっしゃっていたそうですね-

「はい。5月のね。脳が鮮明でしたから。それはかわいそうでしたね。主治医の先生が命を1日でも延ばすなら肺に管を通すと言われたんですけど、会話ができないのであればこのままでいいと言ってました。舞台に立ちたかったんでしょうね」

-役者魂といいますか、執念はすごいですね-

「すごいですよ。でも、最後のほうは自分自身で観念したっていう感じでしたね。もう無理だって」

-闘病で苦しんでいるときでも、お嬢さんにキスをしてもらってご満悦だったそうですね-

「そうです。来年30になる最初の娘に。父にとっては、可愛い可愛い初孫ですからね。

父の最期をみとれたのも彼女なんです。ずっとそばにいて。それで『チューしてくれ』ってやったんですよ。それで、娘がほっぺにキスをしようとしたら、『そうじゃない、口にしてくれ』って。

それが叶(かな)えばオッケーなんですよ。僕なんか関係ないんです(笑)。『来たよー』って言ったら、『うるさい』って、僕をはねのけたんですよね。『ああ、親父と俺ってこうなんだよなあ』って。それが最後になっちゃいました」

©テレビ朝日

◆スタミナつけようと、舞台初日の前夜に食べて飲んで…あわや

祖父・翫右衛門さんと父・梅之助さんと同じく、お酒が大好きだという梅雀さん。1番飲んでいたのは30代~40代で、連日のように、ビール、ワイン、ウイスキーと何種類ものお酒を大量に飲んでいたと話す。

「1番飲んでいたときは、ビールをジョッキで飲んだ後はワインを1本空けて、その後ウイスキーを6、7杯はロックで飲んでいました。すごかったですね、本当に。祖父も父もものすごく酒は強かったですからね」

-さすがにその生活を続けていたら具合も悪くなりますよね-

「そうですね。一過性の虚血をやって。あのときは気をつけていたんですよ。お酒の量も減らして、普段の生活も気をつけていたんですけれども、あまりに稽古がハードで休みがなくて厳しくて。

しかも、同じ場面ばっかりやっていたんですね。僕は若手に付き合わされて、怒鳴る黙る、怒鳴る、黙るみたいなことをずっとやっていて、本当に疲れちゃって。

このままじゃ体力的にもたないから、やっぱり飲んでスタミナ食を食べようみたいな感じになって、それが2012年の7月、食品衛生法に基づいて、牛の生レバーが出せなくなるという日の前日だったんです。

それで、劇場のお偉方に誘われて、『梅雀さん、明日から初日です。肉食って頑張りましょう』って言われて、『食べてください、飲んで下さい』って。どんどん食べて飲んで…もうドロドロですよね(笑)。それで、初日に虚血をやっちゃったんです」

-何日か休むことになったんですか舞台は?—

「いや、休演はしなかった。朝2時間半の点滴をやって舞台に出て、終わったらまた2時間半の点滴をやるというのを続けました。

初日の1幕目のおしまいから2幕目全部がセリフ出なかっただけで、2日目からはちゃんと出たんですよ。

ただ、2日目の朝、相手役の中村福助さんに、『治ったよ』ってメールを打とうとしたら、文字変換のボタンがわからなかったので、『あーダメだ、病院に行こう』って行ったら、『それは虚血だね』って言われました」

-大事に至らなくてよかったですね-

「舞台だったから良かったんですよ。日常会話はできていましたから、舞台に出てなかったらわからなかったでしょうね。

それで、あの生活を続けていたら、僕は間違いなく脳梗塞か、心臓かなんかで死んでいますね」

-まだお嬢さんも4歳ですし、将来一緒にライブをするという夢もあるわけですからね-

「本当ですよね。今はお酒も1種類にして、ワインならボトル半分にしていますし、食事にも気をつけていますよ」

-ドラマシリーズ、映画、舞台、ナレーションと幅広い分野でお仕事をされていますが、今後はどのように?—

「2時間ドラマが少なくなりましたから、今はほとんどシリーズものはないですけど、一時期5本ぐらい同時進行でやっていましたね。

またね、よくしゃべらされるんですよ。監督や作家がこのしゃべりを聞きたいらしくて、延々としゃべるシーンが必ずあって、それはきつかったですね(笑)」

-ナレーションのお仕事もされていますけれども、とても聞き心地が良いですものね-

「山田洋次さんが『日本人独特の塩から声』という表現をされていて、なるほど、そういうことなのかなって、ちょっと思いましたね。

ナレーションは自分に向いていると思います。いろんな声が出せるし、テンションを作ることができる。

それからしゃべりのテンポ、やっぱり歌舞伎とか、義太夫とか、そういう基礎を積んだおかげで、テンポを変えられて、ゆっくりしゃべることもできるし、早口もできるし、女の声とか、子どもの声とか、何でも変幻できるので、それは僕には向いているんだなと思いました」

-俳優としてやってみたい役は?—

「やったことがない役をどんどんやりたいと思います。犯人方面をあまりやってないんです。

一度、刑事で殺人犯という役をやりましたけど、もっと極悪人をやってみたいんですよ。情状酌量の余地ありみたいな雰囲気の犯人はやったことがあるんですけど、本当の悪人をまだやってないので。

この間、林海象監督の『黒蜥蜴』という江戸川乱歩の作品で悪役をやりましたけど、ああいうのは楽しいですよね。もっとリアルで嫌な悪人とか、誰もが安心する人間が実は殺人犯で何人も殺しているとか、そういうのもやってみたいし。

やっぱり人間の心の奥底に潜んでいる何かを、スーッと垣間見せる、そういうのがやりたいですね」

見るからに人の良さそうな雰囲気を封印しての悪役…想像がつかないだけに見てみたい気がする。今年中にはありそうだというから期待したい。(津島令子)

(c)2019映画『山中静夫氏の尊厳死』製作委員会

※映画『山中静夫氏の尊厳死』
2月14日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開
配給:マジックアワー、スーパービジョン
監督:村橋明郎
出演:中村梅雀 津田寛治 石丸謙二郎 田中美里 浅田美代子 高畑淳子

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