“ゴッドハンド”でメダリストも魅了。79歳のレジェンド理容師が明かす56年前の秘話
テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。
現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。
今回修造が訪れたのは、東京・麻布十番にある理容室。夫婦で店を切り盛りしている遠藤澄枝さん(79歳)にヘアカットをお願いした。
オリジナルのフェイスマッサージもおまけしてもらい、修造は「すげぇゴッドハンド!」とご満悦だ。
すると出来上がったのは、なんともレトロな角刈りスタイル。
「すごいぞ!こんな修造見たことないぞ!ありがとうございます。自分じゃないみたい(笑)」(修造)
このヘアスタイルは、前回の東京五輪が開催された1964年に流行っていたカットだという。なぜ1964年なのかと言うと…実は澄枝さん、東京五輪の選手村にあった理髪室で世界中の選手のヘアカットをした“レジェンド理容師”なのだ。
◆各国のメダリストが集結。選手村の理容室
1964年、東京オリンピックの選手村は、現在の代々木公園に作られ、およそ7000人の選手が生活していた。そこには各国代表の胃袋を支えた食堂や、お土産が売られていたショップなどたくさんの施設があり、理容室もあったという。
澄枝さんは、当時髪を切ったお客さんの中でも、特に思い出深い選手について話してくれた。
それは“オランダの巨人”と呼ばれたアントン・ヘーシンクさん。身長197センチ、体重120キロの巨体を活かし、日本勢以外でただ1人、柔道の金メダルを獲得。東京五輪で、瞬く間に世界のスターとなった選手だ。
修造:「ヘーシンクさんには『何カットにしてくれ』と言われたんですか?」
澄枝さん:「ミディアムって言われました」
修造:「ミディアム?!お肉じゃないんですから!」
澄枝さん:「いや、あの頃はハーフロングとか、ミディアムとか、スポーツ刈りとか…そういう言葉しか、言い方がなかったんですよ。ミディアムというのは、中くらいに刈ることですね」
忘れられないのはヘーシンクさんの紳士ぶり。小柄な澄枝さんがつま先立ちしてカットしているのに気づいて、低く低くかがんで、切りやすくしてくれたという。
さらに、澄枝さんのもとに何度もやってきたのが、重量挙げフェザー級の三宅義信さん。東京五輪で日本人金メダル第1号として知られるレジェンドだ。
修造:「どうでした?三宅さんが金メダルを取った時」
澄枝さん:「いや〜、もうみんなで『おめでとうございます!』って部屋中で拍手しましたよね。だってメダル見せに来てくれたんですから。『ありがとうございました!おかげで金メダル取れました』って言っていました」
選手村では、毎朝9時から夜は8時まで、世界中の選手たちをカットし続けた澄枝さん。「あの頃はまだ、私なんか未熟だったと思うんですけど、みんなが喜んで帰っていく。それが嬉しかったですね」と当時を懐かしむ。
それから56年。澄枝さんは2020年の東京五輪に向けて夢があるという。そのできる宣言は「2度目の東京オリンピック、現役としてみんなを喜ばせたいです!」。修造は「澄枝さんのゴッドハンドを感じよう!」とエールを送った。
※番組情報:『TOKYO応援宣言』
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系