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アマゾン川でピラニアと泳いだ赤井英和。「あれ以上しんどい思いをしたことはない」と振り返る“ある経験”

©テレビ朝日

「浪速のロッキー」世界タイトル前哨戦で意識不明の重体となり、開頭手術を受け、ドクターストップで選手生活を退いた赤井英和さん。ボクサー引退後、母校である近畿大学のボクシングコーチを3年間つとめ、1987年には全日本大学ボクシング王座決定戦優勝に導き、指導者としても手腕を発揮する。

ボクサーを引退してから3年が経った1988年、赤井さんは出版社から自伝的本を出さないかと持ちかけられ、『どついたるねん』を出版。『どついたるねん』は阪本順治監督によって映画化され、赤井さんは主演をつとめることに。

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◆『どついたるねん』で映画初主演

-ボクサー引退後、映画『またまたあぶない刑事』(1988年)にも出演されていますね-

「高校の先輩の笑福亭鶴瓶さんのところに近畿大学のコーチをやっているときにあいさつに行ったら、そこの社長さんから『ちょっと出てみないか』って言われたんです。それで、『何でもやりたいです』って言って出たのが、『またまたあぶない刑事』でした。セリフはないし、1シーンで2カットくらいだったかな」

-知名度もありますし、カッコ良かったので芸能界から誘いがあったのでは?-

「いやいや、あまりなかったですね。いくつか出たのはありましたけど、別に俳優としてではなく、テロップでも赤井英和ではなく『浪速のロッキー』というのが表に出ていたものですから、『浪速のロッキー』で出ているんだという意識でした」

-俳優になろうというお考えは?-

「全然ありませんでした」

-自叙伝のお話があったときはどう思われました?-

「そのときは、『今は何でもせなあかん』と思っていましたから、絶対に何とかしようと思っていて、それで『どついたるねん』を出版しました」

-そして映画化されて主演することに-

「『どついたるねん』を読んだ阪本順治監督が『映画にしたい』って直接会いに来てくれたんです。何でもそうやって声がかかったら絶対にするべきだと思っていたのでやることにしました。

それから30年経ちまして、ずっといろんな仕事もさせてもらいました。アフリカのジャングルで1週間先住民と一緒に暮らしたりとか、アラスカのマイナス40度のなか、スノーモービルでシロクマから逃げたりだとか、ブラジルのアマゾン川でピラニアと泳いだりとか…色々なことがありましたけど、『どついたるねん』を経験したからこそ、つらいとかきついとか思ったことはないですね」

-『どついたるねん』の撮影はかなり過酷だったようですね-

「そりゃそうですよ。予算もない映画でしたから、早朝から深夜、早朝から深夜という撮影で、私は出ずっぱりですし、学生時代から鉛筆を持ったこともないような人ですからね。セリフを暗記するという最も苦手なようなことをしなければならない。でもこれはやらなきゃあかん。

それにボクサーを引退してから節制とは縁遠い生活をしていたので、ボクサーのからだに仕上げるのも結構しんどかったですね」

-見事な肉体美でしたね撮影をしている日々のなかで俳優としての意欲は芽生えてきました?-

「いえ。もう本当に毎日、1日1日をこなして、『ああ、きょうも終わった』って泥のように眠って、翌日に備えて、また勉強して…という感じでした。

撮影は1カ月ちょっとの期間でしたけど、それはそれはもう大変でした。あれがあるから今があるんだなと。あれ以上しんどい思いをしたことはないですね」

-出来上がった作品をご覧になったときはいかがでした?-

「完成披露試写会を東條会館でやったんですけれども、お客さんも結構入っていただいて、監督と一緒に1番後ろの手すりのところで立って見ていたんです。

ラッシュとかも見せてもらわなかったし、そんな余裕もなかったので、初めて作品としてつながったのを見て、あのとき監督に『もっともっとテンション上げて怒れ、あと12倍怒れ』とか言われたけど、なるほどなって思いました。

映画はストーリーの順番ではなく、ブツブツ撮るじゃないですか。だから、よくわからなかったけど、完成した映画を見て、『ああ、そうか。だから監督はあのときこう言ったんだ』って納得するばかりだったですね。

『あのシーンのときはこうだったなあ』とかって思い出すばかりであって、内容を吟味することはできませんでしたけど」

-凄(すご)い迫力でしたね話題にもなりましたし、赤井さんも賞をたくさん受賞されました-

「色々大変ではありましたけど、監督のおかげで評価されたというのは本当に良かったと思いました」

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◆賞を多数受賞するも仕事はなく?

赤井さんは『どついたるねん』で、第35回キネマ旬報賞・新人男優賞、第44回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞、第14回報知映画賞・新人賞を受賞。俳優としても注目を集める。

「東條会館で『どついたるねん』の試写を見たときに、監督が現場で演技指導してくれて撮ったことが繋がってみて初めてわかって、『もっとしたい、もっとやりたい』という気持ちはそのときからありましたけど、残念ながら次の仕事までは時間差がありました」

―『どついたるねん』以降、コンスタントにお仕事をされているイメージがあったのですが-

「すぐには全然仕事もなく、だいぶ経ってからです。幸い実家暮らしをしておりましたので何とか生活はできましたけど、実家はもう私の大学時代に商売を辞めて父は勤めていましたし、母は家事をしていました」

-仕事が順調になるまでにはどのくらい時間がかかりました?-

「仕事がわりと来るようになるまでは2、3年ぐらいはかかりました。仕事が順調になったのは、事務所の鷲尾社長と出会ってからです。

今の嫁さんの佳子ちゃんが学生時代から鷲尾社長にかわいがっていただいていて、『ご飯を食べに連れて行ってくれたりしている社長さんがいてるんやけど』って紹介してくれたんです。それからですね。ちょっとずつ年を重ねて仕事が増えてきたと言う感じです」

その後、赤井さんは映画『119』(1994年・竹中直人監督)で第18回日本アカデミー賞・優秀主演男優賞、映画『十五才 学校IV』(2000年・山田洋次監督)で第24回日本アカデミー賞・優秀助演男優賞を受賞。俳優として高い評価を受け、『奇跡のロマンス』(日本テレビ系)、『最高の食卓』(テレビ朝日系)など主演ドラマも多くなっていく。

-色々なお仕事をされていますが、今振り返っていかがですか-

「何か舞台でも賞をいただいたり、映画でも賞をいただいたりしているんですけれども、もうがむしゃらに走っているばかりで…。

ありがたいなあという感謝の気持ちしかありません。やっているときは、人よりセリフ覚えも悪いので毎回必死です(笑)」

-印象に残る作品がたくさんありますね。2006年には阪神・淡路大震災を題材にした映画『ありがとう』に主演されました-

「阪神大震災の1月17日はちょうど大阪でロケをしていまして、翌日東京で仕事があるので、ロケバスで東京に移動中だったんです。

それで『大阪に地震があったらしいぞ』って聞いて、大阪で地震は珍しいなって言ってたんですけど、あんな大変な状態だとは思いもしませんでした」

-『ありがとう』では家屋が倒壊してカメラ店を廃業し、プロゴルファーになった実在の古市忠夫さんを演じられました-

「あの状況のなかでこんなすごい人がいらっしゃったんだということに驚きました。そういう方を演じるにはそれだけの心積もりで取り組まないといけないと覚悟を決めてやらせていただきました。

実は、『ありがとう』の映画以来、13年ぶりに古市さんに会ったんです。8月17日が私の誕生日なんですけど、8月18日に大阪のリーガロイヤルホテルで還暦パーティーをしたんですけど、1000人集まってくれましてね。

古市さんも奥様と一緒に来て下さったんです。久々に会うことができて本当にうれしかったですね。お世話になった方たちがみんな来てくれました」

©テレビ朝日

◆主演舞台で死神と共演?

2019年12月25日に大阪松竹座で舞台『大阪環状線』の公演を終えたばかりだが、2020年1月10日(金)には主演舞台『伯父の魔法使い』(本多劇場)が初日を迎える。

「今まで小劇場には縁がなかったんですけど、下北沢の本多劇場に立てる日が来るとは思ってもいませんでした」

-どんなお話なんですか?-

「劇中の私の仕事が通信販売のMCなので、商品説明もあってセリフが膨大なんですよ。年末年始返上で頑張っています。

私が演じるのは大学を出てからも仕事につかずに公園で詩を書いてそれを生業にしようとしている男の子の伯父さんなんですけど、その甥(おい)に色々アドバイスをしたり、彼の両親、つまり私の妹夫婦など家族の話も色々盛り込まれているんです。

それに私にしか見えない死神が出てきたりして、コメディーではあるんですけど、繊細な心理描写も凝縮されている見ごたえのある人間ドラマになっていると思います」

-色々なことに挑戦されていますね。2015年にはRIZAP(ライザップ)でダイエットをされて、ボクサー時代を彷彿(ほうふつ)させる肉体美も披露されていましたね-

「あれは自分の筋力に合わせたウェイトでトレーニングをするので、無理はなかったですね。トレーナーの方にずっとマンツーマンで付いてもらって1時間ぐらいトレーニングをするという感じだったので」

-あまりリバウンドはされていないみたいですね-

「あの頃に比べると筋力が落ちましたし、その分、贅肉(ぜいにく)がついていますけど、体重はそんなには変わってないかな」

-食事制限などもされているのですか?-

「あのときはかなりやりましたけど、もともと私は見かけによらず、そんなに大食漢ではないんですよ。多少気をつけてはいますけど」

-2020年は舞台で始まりますが、どのような年に?-

「継続ですね。このまま舞台、バラエティー、ドラマ、何でもやっていきたいと思っています。それと、2019年に理事長から辞令をいただきまして、近畿大学のボクシング部の総監督をやっているんです。

『仕事が結構忙しくてそんなに頻繁には行けない』と言ったんですけど、『そんなことはあまり気にしないでください』と言われて引き受けしました」

かつてボクサー引退後、3年間コーチをつとめ、日本一へと導いた赤井さんの母校近畿大学ボクシング部は、2009年に部員の強盗致傷事件を受けて廃部となったが、2012年に赤井さんが総監督となって復活。2016年に赤井さんは総監督を退任したが、2017年にコーチが女子部員に対するセクハラ行為などで処分されるという不祥事が勃発した。

「王者近大を取り戻そうというときでしたからショックだったし、怒りと残念だという思いと、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私の母校ですからね。私にできることは一生懸命やりたいと思っています。生徒も指導者も頑張っていますよ」

温かな人柄が伝わるステキな人。赤井さんを公私ともにサポートされている奥様とのやり取りも愛情にあふれ、見ているだけで幸せな気分になる。主演舞台の初日も控え俳優として、そして母校のボクシング部総監督として、2020年も多忙な日々が続く。(津島令子)

※TOMOIKEプロデュース第5回公演『伯父の魔法使い』
1月10日(金)~13日(月・祝)
下北沢・本多劇場
作・演出:友池一彦
出演:赤井英和 白石隼也 安田聖愛 大沢逸美ほか
破天荒な人生を歩んできた「伯父」(赤井英和)には秘密がある。それぞれの思惑を抱えながら一世一代の生前葬が始まる。

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