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モロ師岡、人生の転機となった北野武監督の『キッズ・リターン』。撮影初日に寝坊、休もうとしていたが妻の“警告”で…

©テレビ朝日

1996年、俳優として飛躍する転機となった映画『キッズ・リターン』に出演し、注目を集めたモロ師岡さん。安藤政信さん演じる将来有望な新人ボクサーを堕落させてしまう元新人王の中年ボクサー・ハヤシ役を演じ、独特の存在感と味わい深い演技でその名を広く知られることに。

妻は女優、ピン芸人として活動し、女性ひとりコントのパイオニア的存在の楠美津香さん。今や映画、ドラマ、舞台に欠かせない実力派俳優としておなじみだが、実は『キッズ・リターン』の撮影初日に大変な事態が…。

©テレビ朝日

◆映画撮影の初日、寝坊で大遅刻の危機に妻が…

-モロさんと言えば、やはり『キッズ・リターン』が浮かびます-

「そうですね。あれがなかったら、今の僕は絶対なかったんですけど、撮影初日大変だったんですよ。7時半に川崎集合だったのに、起きたのが7時半。その当時住んでいたのは池袋だったんですよ。『これはもうダメだ』って思って。

最初にもらった台本は『SO WHAT』というタイトルで、中年ボクサーって書いてあるだけだったんです。セリフもなかったし、大勢のエキストラのひとりだと思って、『もういいや、俺きょうは休む』って言ったんですよ。

そうしたらカミさんは『風雲!たけし城』(TBS系)にも出ていて、たけしさんをよく知っているから、『殿(ビートたけし)の仕事を断ったら大変だよ。私がタクシー代を出すから行ってきな!』って言って。それでタクシーで高速に乗って川崎に向かっていたら、途中でロケバス追い抜いて、それが北野組のロケバスだったんですよ。

それで、監督が到着する5分か10分ぐらい前に現場に到着して、急いで着替えたからバレなかったんですけどね(笑)。遅刻にはならなかったわけですよ。川崎駅で待ち合わせをしていたら遅刻になっていたんだけど、僕は現場に直入りだったので、何とか間に合って本当に良かったです。あれがなかったら役者として何もなかったですからね」

-きわどかったですね-

「もう本当に間一髪というか。あのときはまだストリップ劇場に出ていて、『俺はもうこのままストリップ劇場に埋もれていくのかなぁ』っていう感じもあって、毎晩カミさんと飲み歩いていましたね。

それで遅刻間際に行ったにも関わらず、助監督の清水さんが『きょうの分』とか言ってセリフを持って来るんですよ。助監督が手書きで書いたセリフで、『これ午後から撮るから覚えておいて下さい』って言われて『えーっ!?』って(笑)。

それから次々にセリフを渡されちゃって。練習する間もないけど、なんとなく覚えてやったらOKになるし。俺がセリフのある役になったら、他の役者さんが『いいなあ』みたいな感じで近づいてくるんですよ。どんどん近づいてきて、夕方になると、『いいだろう?俺』ってなっちゃって(笑)。

『じゃあ、みんなで飲みに行くか』ってなって、池袋に8時か9時ぐらいに着いて、カミさんも呼んで3時くらいまで飲んで、次の日にまた遅刻しちゃって(笑)。どうしようもないですよね(笑)」

-ずっと撮影が入っているわけですよね-

「そうです。次の日はもう二日酔いでギリギリだったのか、ちょっと遅刻したぐらい。またタクシーで行ったと思うんですけど。それで次の日もまたセリフがあって。これは大変だと思って、それからはさすがに飲んではいられないっていうか、体調を整えていこうみたいな感じで」

-どんどん役が大きくなっていったわけですが、ご自身ではいかがでした?-

「何も考えてなかったです。監督が撮影の前の晩に考えるのかどうかわからないけれども、セリフとかを考えてきて、次の日に渡されるんですよね。

だから、スタッフも誰も台本を持ってないから、どうなるのか先を知らない。安藤(政信)君は主役だから、やっぱり心配になったんでしょうね。監督に話を聞いたりしていたから、『熱心だなぁ、あの新人』って(笑)。

俺は何も考えてないから、『明日行けばいいか』って感じでした。芸人なので、その場で覚えてパッてやる瞬発力はすごくあったんですよね。それが北野さんの演出とうまくマッチしたらしくて、役を大きくしてくれたみたいです」

-撮影で印象に残っていることは?-

「安藤君に『酒を飲んでも食べても吐いちゃえばいいから』って言うところがあるんですけど、撮る直前に監督から直々に5行ぐらいのセリフを渡されて、『じゃあ、すぐやろうか』って言うんですよ。

それで、ランスルーとかはしないでいきなりカメリハを始めて、『じゃあ本番いこうか』という感じで、パッと覚えてカメリハのときにはやったんですけど、本番のときにセリフを噛んじゃったんですよね。

そうしたら監督が『やっぱり長かったかなぁ』って(笑)。それで二行ぐらい削ってくれたんですけど、役者ってそういうときになると、『削られた。俺がいけないんだ』って思って、ちょっと落ち込みました(笑)」

-完成した映画をご覧になっていかがでした?-

「俺は試写会でドキドキしちゃって何をやっているのか全然わからなかったんですよ。そうしたら、カミさんが、『あんた、すごいいい役』って言うから『えー、そうなんだ』って思って(笑)。周りのスタッフとかも『すごいね』って言うんですけど、どこがすごいのか、それでもわからなかったですね」

©テレビ朝日

◆勘当された父親に夫婦でコントを見せたら…

映画『キッズ・リターン』で東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞したモロさん。受賞を知ったのは、奥様と一緒にレギュラー出演していた名古屋の東海テレビに向かうため、立ち寄ったJRの駅の売店だったという。

「売店にモロ師岡って書いてある新聞があって、『何?これ』って思ったら助演男優賞って書いてあったんですよ。もうビックリして」

-ご両親も喜ばれたでしょうね-

「そうですね。おふくろなんて助演男優賞って言ったら『2位か』って(笑)。『主演が1位で助演が2位とかじゃなくて助演男優賞です』って言ったんですけどね。

賞金を50万円ぐらいいただいたので、父親と母親におこづかいをあげたんですけど、しばらく自慢していたらしいですよ(笑)」

-それからはずっと応援してくださるように?-

「そうですね。おやじもおふくろも大正生まれで、コントなんて見たことがないだろうし、ましてや一人コントなんて見たことがないと思うんですけど、結婚して間もない頃、『お前の家に行ってみるよ』って1回家に来たことがあったんです。

そのときに女房が『二人でやっているコント見る?』って言って、うちのおやじに見せたんですよ。

俺は、見たってわからないだろうと思ったんですけど、みんなシーンとしているのに、うちのおやじだけがゲラゲラ笑っていましたね。

-勘当されていた時期もあったそうですが-

「勘当されていたというか、後で兄貴から聞いたんですけど、『大学まで出したのにストリップ劇場に行くとは何事だ』って相当怒っていて、『勘当だ!』みたいなことも言っていたって。

末っ子で可愛がられていたせいか、俺には言わないんですよね。それで1年ぐらい帰らなかったんですけど、そうしたら、さすがにおふくろから電話があって、『帰って来い』って言われて。

大学を卒業して3、4年ぐらいしたらテレビに出るようになったので、『頑張ってるんだなあ』って思ってくれたみたいです。『キッズ・リターン』で賞ももらったし、最後は親孝行できたかなぁって思います」

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◆隅田川の辺りで歌っていたらホームレスに間違えられて…

今年還暦を迎えたモロさん。俳優としてドラマ、映画、舞台に、そして芸人としての活動に加え、今年は還暦コンサートもあり、超ハードスケジュール。

-ネタを作ったり、セリフなどはどのように?-

「こんなことを言うと、カッコつけみたいなんですけど、芸一筋で生きていていいやと思って。年がら年中ネタのことを考えて、年がら年中セリフのことを考えているんですよね。

だからと言って、ずっと1日中同じことだけをやっているわけではなく、朝起きてちょっとネタを考えておこうとか、このセリフの練習をしておこうとか、移動中ちょっとスマホを見て練習をしておこうとか。スマホで台本を書いたり、歌詞を考えたりとかして。

ただ、ギターだけは電車のなかではできないので、ギターは家で30分とか1時間とかね。すごく時間がある時は3時間弾いておこうとかっていう感じで」

-家でギターを弾くのは奥様に反対されたそうですが-

「カミさんに『うるさい』って言われて(笑)。レポート用紙に『うるさい』って書かれて、ギターに貼られたことがありますよ。

それでしばらくは隅田川の高速道路の下で弾いていたんですけど、ホームレスに間違えられて、おばちゃんたちから『これ食べて』って言われて、パンのクズだとかビスケットのクズを渡されて(笑)。

家に帰ってカミさんに言ったら、『やっぱり、あんたは役者ね。アンダー・ザ・ブリッジの人にとけこんでるね』って言われて。そのアンダー・ザ・ブリッジという言い方がすごく面白くて、2人でゲラゲラ笑ったんですけど」

-奥様の感性がすごいですよね-

「本当にね、うちのカミさんと酒飲んで話しているのが1番面白いんですよ、どんな人と飲んでいるよりもね。

返しがやっぱり芸人なんで、シャレがすごいきついんですよ。どこがシャレで、どこが本音なのかわからないんだけど、それがまた面白いからね。いいセンスをしているし」

-奥様は色々と名言も残されていますね。「愛は憎しみに変わるが、憎しみはいつか愛に寝返る」というような-

「言ってましたね(笑)。だから諦めずに戦い続けることなんて言ってましたけど、もしかしたらそれもシャレなんですよ(笑)」

-ご結婚されて25年、一緒においしいお酒を飲んで、お互いに仕事を高めあって刺激して…良いですね-

「人間だから機嫌の悪いときもありますけどね。ある程度距離をおきながらですけど、やっぱり良かったなと思いますね」

-奥様はモロさんのドラマはご覧になります?-

「テレビはあまり見ないですね。まだ子どもが小さい頃、俺が刑事ドラマをやっていたら、カミさんが娘に、『ほら、ブラッドピットが出ているよ』なんて言うから、『お前、俺が一生懸命やっているドラマなんだから、ちゃんと見ろよ』って(笑)」

©テレビ朝日

◆人生初体験の人間ドックで余命5年と宣告されて…

今年の春、『名医のTHE太鼓判!』(TBS系)で人生初の人間ドックを受けたモロさん。腎臓、心臓、血圧に問題があり、微小脳出血があったことも発覚。このままでは余命5年と宣告されてしまう。

-ショックだったと思いますが、それでもジョークが言えるのはすごいと思いました-

「『収入は低いのに、どうして血圧だけ高いのでしょう?』なんて言ったりしてね(笑)。やっぱり最後に『面白い人生だった』って言いたいですからね」

-体調はいかがですか?-

「色々な器具を買って毎日検査をしているし、食生活も気をつけるようになりました。血圧が高いので、心配して薬も飲んでいるし、先生(医師)に聞いたら、脳のほうも60代では何でもないことで大丈夫だって言われました。

前はドラマをやっていると、必ず血圧が上っちゃったんですよ。でもこの間、大学病院でドラマのロケをして、いたるところに血圧計が置いてあって、しょっちゅう測っていたんですけど正常値だったんですよ」

-結構興奮して怒鳴っていましたね-

「そう。常に怒鳴っているから、『大丈夫かな?』って思ったんですけどね。監督も『いいですね』って言うから、『監督、僕はこんなに平常値の血圧で役者失格ですね』って言ったら『いや、それでいいんですよ』って(笑)」

-奥様はおからだのことで何かおっしゃっていますか-

「最近本当にあいつが俺のことを色々心配するんですよ。俺、昨日、家の廊下でギターを抱えていて転んじゃったんですよ。

幸いなことにケガはしなかったんですけど、カミさんに『いま転んだ』って言ったら、ものすごい心配するんですよ。『お前、俺に今までそんな心配したことある?』って(笑)」

-俳優としての仕事を始めた頃のことを振り返ったりすることはありますか?-

「振り返るっていうか、覚えていますからね。最初は死体役で現場に置いていかれたこともあったなぁとか(笑)。

撮影が終わったのに、誰も言ってくれなくて置いて行かれちゃったんですよ。『おい、終わったって言ってくれよ』って(笑)」

-そういうこともあったんですね。今は主役もされていますが-

「長くやるもんだなぁと思いますね。談志師匠が、『売れねえとやっぱりダメだ』って志らくさんによく言っていたそうなんですけど、『そうだなあ。やっぱり売れないとダメだなあ。売れてなんぼの世界だな』って思います。

ここまで仕事をいただけるようになったから、今まで通りネタもやって、芝居、役を考えて。それでも『今日うまくできたかな』、『今回うまくできたかなぁ』なんて、めったにないですからね。

舞台でも、『コントうまくいったかな』、『歌うまくいけたかな』なんてめったにない。いつも、『あそこはこうすればよかったなぁ』ってことばかりですけどね。

芸一筋で今後もやって、役という表現、お笑いという表現も考えながら、どっちも一生懸命やっていけたらなあって。それで最後に笑いながら、『いい人生だったなあ』って言えればいいかなと思っています」

仕事に対する真摯(しんし)な姿勢、奥様のお話をされるときにひときわ優しくなる眼差しが印象的。舞台、ドラマ、映画と忙しい日々が続く。(津島令子)

※舞台『タクシードライバー』
11月7日(木)~10日(日)中目黒キンケロ・シアター
出演:モロ師岡 中村繁之 セヨン(CROSS GENE) 杉本彩
10年前のある事件をきっかけに堅気になった元ヤクザの倉田鉄男(モロ師岡)。今は無事故無違反10年勤続のタクシードライバーだが、過去の過ちにとらわれて生きる鉄男の奇跡の3日間を描く。

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