泉谷しげる、音楽の師匠は3つ下の忌野清志郎「存在そのものに衝撃」
6月3日(土)の『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』(BS朝日)に、シンガーソングライター・俳優として活躍する泉谷しげるが登場。
デビュー45周年を迎え、今や個性派俳優、また辛口コメンテーターとしての評価も高い泉谷に、タレントでエッセイストの小島慶子が迫る。
意外にも少年時代は身体が弱く、内気な性格だったという泉谷。そんな彼が音楽と出会ったのは1963年、15歳のときだった。友人から「ギターを持って立っているだけでいい」とリクエストがあり、ローリング・ストーンズのコピーバンドを始める。
その4年後にフォークへ転向する泉谷だが、その理由はなんと、自宅で預かっていたバンドの楽器や機材がすべて燃えてしまった“火事”だったという…。
◆名曲「春夏秋冬」は15分でできた
そんな彼の音楽の師匠は、忌野清志郎。泉谷がまだ20歳のとき、3年下の清志郎が「RCサクセション」でデビューをはたす。彼の存在そのものに衝撃を受けた泉谷は、あの手この手を使って清志郎に近づこうと試みる。
清志郎に奮い立たされた泉谷は、野外コンサートに乱入し、観客を騒然とさせる歌を披露。それは、当時勃発していたベトナム戦争への反戦歌だった。
そして、23歳でメジャーデビューをはたした泉谷は、その翌年に自身の名が全国区になる大ヒット曲『春夏秋冬』を誕生させる。
その曲は、2013年の紅白歌合戦に初出場した際に熱唱した名曲だが、実はわずか15分でできたという。同曲の誕生の舞台裏とは?
◆泉谷を役者の世界に導いた人とは?
1974年には、井上陽水、小室等、吉田拓郎とともにレコード会社を設立。当時、ミュージシャンがレーベルを持つことは斬新なことだった。
しかし、会社の経営に時間が割かれるようになると、2年後、泉谷だけが会社を去る。すると、“フォークの裏切り者”と呼ばれ、ファンが一気に激減。貯金で食いつなぐ日々を過ごすことに。
そんなときに舞い込んできたのが、役者としての仕事だった。“戦後最大の誘拐事件”の犯人役を見事に演じた泉谷は、称賛を浴びる。このとき、泉谷にオファーをした意外な人物とは一体?
フォークへの思い、被災地救援のチャリティー活動の舞台裏、そして人生を元気に楽しく生きる秘訣など、古希を前にした泉谷しげるの知られざる「裸の履歴書」が明かされる。
※番組情報 『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』
2017年6月3日(土)午後6:00~午後6:54、BS朝日