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木内みどり『元気が出るテレビ!!』のレギュラーを約2年で「辞めたい」と言った理由

©テレビ朝日

18歳のときにポーラテレビ小説『安ベエの海』(TBS系)でブレークし、数多くのドラマや映画に出演してきた木内みどりさん。

女優だけでなく、バラエティー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)では約7年半レギュラーをつとめ、ラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍するなどマルチな才能を発揮。私生活では38歳のときに結婚した夫が1年後に(株)西武百貨店の社長に就任して話題に。

©テレビ朝日

◆夫の社長就任は知らされず…

「私が結婚したときには渋谷店の店長さんで、そのあと本社に勤めるようになったんだけど、私がそういうのが嫌いだということを知っているから、社長になることも言ってくれなかったんですよね。

それであるとき、突然家に『祝・社長』って書いてある胡蝶蘭が届くんですよ。『なに、これ?』って思っていたら、また『ピンポン』って胡蝶蘭が次々に十何鉢届いて…。仕上げには木の桶に入った生きている鯛が届いちゃって(笑)。

帰ってきた主人に聞いたら、『ちょっとね、社長になったんだよね』って。『何?それ。何で言わないの?』って言ったら、『そういうの嫌いでしょう?今言ったからいいじゃん』みたいな感じで(笑)」

-結構前に決まっていたのに、木内さんには言わなかったわけですか-

「そう。逃げ出すと思ったんじゃないですか(笑)。そういうのが嫌いだから。私はそんなことがやりたいわけじゃないんだけど、覚悟を決めましたね。

社長の奥さんとして行かなければいけないことがいっぱいあるわけでしょう。パーティーとか結婚式とかね。それなのに、洋服は自分で買えって言うのよ。しかも西武で。

社員割引で2割ぐらい引いてくれてもまだまだ高いわけよ。その頃の私は稼いでいたから買えたからいいけど、本当にあの頃はずいぶん買いましたね。立場が水野令夫人であった私の名前なんか関係ない。日本の社会は立場主義ですよね」

-そのことに関してはいかがでした?―

「夫人という役割をやらなければいけないわけで、多くの人が注目している奥さんとしていなきゃいけない時間は我慢してやっていたんだけど、そのうちするりと逃げて帰っちゃうっていうのを覚えて(笑)。それは許してくれるようになりましたね。

残り時間は少ないと実感してからは、私はやっぱり自分のやりたいことをやりたいので、『あなたが健康で暮らすご飯と清潔に暮らす生活を整えることはやるけれども、それ以外はもう放し飼いにして』と話し合いました。

どこに行くとか、何をするとかいうことも構われたくないからと娘にもそう言ったの。だから、うちはどこに行くとか何時に帰るとか一切なし。それで、出かけるときは『さようなら』って言うの(笑)」

-ご主人は一時期心筋梗塞で大変だったそうですね-

「今はもう元気になりましたけど、イタリア料理を半分食べて、その後また別の会合で中華料理を食べたりとか、食生活がひどかったですからね。政治家とか同じような感じでしょう?

そんな生活をしていたから倒れたんだと思うけど、倒れた時に心臓が60%の動きになっちゃったのね。それで60%の心臓の働きに合うような食生活に変えて。歩くのが1番いいって知ったのでウォーキングを日課にしました」

-ツイッターで拝見しましたが、お料理のレパートリーが広いですね-

「料理は大好きなんです。今1番幸せなのはお気に入りのスーパーに行って、1週間分の食材を買って来て、好きな音楽なり、YouTubeで好きな人の話を聞きながら煮物をしたり、豚肉を仕込んだりとか、やっているときが何より楽しい。料理を仕込むのが本当に好きなんです。

常に何かを熟成させたり塩漬けにしたり発酵させたりしています。料理は面白いです。相手は肉とか魚とかでしゃべりかけてこないから(笑)」

海外が好きだと話す木内さんは、実業家として世界を飛び回り忙しい日々を送っているご主人と一緒に海外を旅することも多く、近々インドを訪れる予定だという。

©テレビ朝日

◆ドラマだと聞かされて出演することにした『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』

1985年から『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のレギュラーを約7年間つとめた木内さんだが、当初はドラマだと聞かされていたという。

「収録の直前、10日位前に全員集められて、『ドラマはやりません。バラエティーです。いまだかつてないようなものをやります』って言われて…。

ビートたけしさんがやっている『元気が出る商事』の秘書という役割なんだけど、私は『ハハハ』って笑っているだけ。生きている大道具みたいなの(笑)。

だから、2年ぐらい経ったときに、『そろそろ辞めたい』って言ったんだけど、『この番組が何とかやれているのは奇跡的にバランスが取れているからなのでいてくれ』と言われて。それからまた何年かして辞めたいって言ったんだけど、結局7年半もいました」

-ご出産のときにも休まずに出演されていたそうですね-

「はい。一回も休みませんでした。妊婦としてお腹が目立たなかったので、収録が終わって家に帰って、翌日の夜に陣痛が来て、朝まで待って病院に行って産んで2日病院にいて帰宅。次の日が収録の日だったので、自分で車を運転して行きました(笑)」

-すごいですね。チャレンジ精神旺盛で昨年は『私にも絵が描けた!コーチはTwitter』を出版されました-

「私は4歳のときに絵を描いたら、『なんだ、それ、りんごのつもりか?』って言われてから絵が描けなくなってしまったんですよね。

でも、2017年の元旦に娘におちょくられて鳥の絵を描いたんだけど、私が描いた鳥の足は4本だったの。足は2本なのにね。それを見て吹き出した娘が『毎日描いてよ。毎日笑いたいから』って。

悔しいからその挑発に乗ってやろうと思って、1日1枚描くことにして、ツイッターに載せることにしたの」

-365日間続けたというのがすごいです-

「ツイッターに載せたことで、色々な方々からコメントをいただいたりして励みになりました。それに描いていくことは発見の連続でしたね。

最初の4本足の鳥もそうだけど、ずっと見てきたはずの猫や犬もなかなか描けない。いったい私はこれまで何を見てきたのかって…。それから少しずつ変化していって、絵を描く時間が楽しくなっていったんです。

人の評価はどうでもいい。私が描けば、それが私の絵なんだからって。描くことは楽しいことだったので、記念に一冊の本にしたいと思ったんです」

-出版も独自のスタイルのようですが-

「私はWEBラジオ『木内みどりの小さなラジオ』というインターネットで聴くラジオ番組を制作・公開しているんですけど、そのために創立させた『小さなラジオ局』という任意団体に『出版部』を作ってそこから出版しました。

そうすると誰にも遠慮や気兼ねせずにできるので。自由で気ままです」

-「木内みどりの小さなラジオ」は現在8本アップされていますね-

「スタジオもスポンサーも持たず、スタッフも抱えていないまま、やってみたら面白いの。スポンサーがないから何でも言えるし(笑)。この頃は、1時間半から2時間しゃべってるんですよ。それをそのままアップできるじゃないですか。

ある有名なキャスターさんが連絡をくれて、『これ以上色々圧力があるようだったら、自分もWEBラジオを始めようかな』って言っていました。

私は聴いてくれる人が3人でも5人でもいいからやろうと思って、無謀にもやり始めたんだけど、この間YouTubeの視聴回数を全部合計したら16万回以上だったんですよ。

しかも嬉しいのは、聴いてくれる人がメールや手紙で自分のことを語り出してくれているんですよね。1番嬉しかったのは、『みどりさんという友だちが私にはいる。1人だとしてもみどりさんという友だちがいると思える』って。

今の日本、自殺する人が多いし、本当に苦しんでいる人が多いでしょう?だから、たったの1人にでもそういうふうに届いたのなら本当にうれしい」

-浅田美代子さん、井浦新さんも出演されていましたが、とても自然な感じでした-

「ひとりでやっているからですよね。私と喋っていると、ついつい番組で公開するということを忘れちゃってしゃべるというか(笑)。だから『小さなラジオ』なんです」

いつでも何回でも聴けるというのがインターネットラジオの強み。様々なジャンルのゲストのフランクな何の制限も忖度もなく繰り広げるトークが面白い。

(C) 2019長島大陸映画実行委員会

◆新作映画でロケ先の鹿児島・長島町にとけこめた

今年は『こはく』と『エリカ38』に続き、11月8日(金)には最新出演映画『夕陽のあと』が公開される。

この映画は、鹿児島県の最北端にある長島町を舞台に、7歳になる里子・豊和(松原豊和)の特別養子縁組をめぐり、夫のDVに身も心も傷ついて母親であることを手放したが、子どもを取り戻したい“生みの親”(貫地谷しほり)と、赤ん坊のときから育ててきて本当の母親になると決心した“育ての親”(山田真歩)、それぞれの願いと葛藤…。現実社会でも後を絶たないDVや乳児置き去り、不妊治療や養子縁組制度などの問題に正面から挑んだヒューマンドラマ。木内さんは育ての父親(永井大)の母・日野ミエ役で出演している。

「『夕陽のあと』では小さな漁村のそこだけで生きてきた漁師の奥さんでばあちゃんなのね。撮影しているときに待ち時間が長いから、その扮装のまま地元の人とずっとしゃべっていたの。

そうしたら、地元の人が私のことを見ながらスーッと前を通り過ぎて、バタッと足が止まったの。それでバッと私の顔を見て、『あんた、木内みどりじゃないの』って言ったのね(笑)。通り過ぎたときにはわからなかったわけ」

-完全にとけ込んでいたわけですね-

「そう。島のばあちゃんだと思われていたわけで、『あー、とけこめてるな、私』って思って。そういうのが面白くなってきたんですよ。前はそんなこと思わなかったけど」

-ロケ地ではどのように過ごされていたのですか?―

「1週間ぐらいいたんですけど、私はいつも通り誰ともつるまずひとりでレンタカーを借りて、あっちに行ったりこっちに行ったりして、川内原発を見に行ったりしていました。

それと島の漁師の方と仲良くなって、毎晩そこの家でご飯を食べさせてもらって、その家のおばあちゃんの服を借りて劇中で着ていたんですよ。すごい小柄な人なので、借りたカーディガンもサンダルも私には小さすぎたけれど、カーディガンの方に自分をあわせたりして」

-本当に島の空気になじんで撮影をされていたわけですね-

「そうね。みんな長島という地域に生きているって誇りを持っているんですよ。風力発電で電気を全部まかなえるといい、魚は豊富で十分獲れるし、果物も豊富。長島でしか売っていない焼酎があって、全国的に人気だし。長島はいいところだって。

しかも子育て支援が充実しているので、都会からIターンしてきて子育てをしている人がいっぱいいるの。だから、東京にしがみついてキュウキュウとした暮らしを、貧弱な暮らしをするぐらいだったら、こういうところに行ったほうが絶対にいいと思う」

-『夕陽のあと』で豊和(トウワ)君を演じた松原豊和君は、地元のオーディションで選ばれたそうですね。演技は初体験だったとか-

「そうなの。あの子が成功するかどうかのカギですよね。すべてが初めてだったのに、すごいでしょう?

最初はやっぱり不安定になっちゃったみたいなのね。島で自由に生きてきたのに、朝から晩までおとなが、『ああしろ、こうしろ』って言い続けて構うわけじゃない?それでちょっと情緒不安定になって、すぐに泣くようになっちゃったんだって。

それからはスタッフ側も、ひとりの人として尊重しようと。彼も彼でクリエイトしているんだから、子供扱いしないとか、ちょっと態勢を変えたみたいなの。そうしたら彼も居心地が良くなったんじゃない。後半はものすごい乗っちゃって、ラップをしだしたんだけど、ものすごくうまいの。天才的よ」

-今年は映画が3本公開ですね-

「ここ1年ぐらいはちょこちょこっと仕事をしているけれども、その前の4、5年は本当にしていませんでしたね。私の人生は2011年の3.11で大きく変わったので。

前は小さいながらも自分の事務所をやっていたんですけれども、そこにいた人たちに行くところを決めてもらって閉めたの。そこの電話番号を転送にしていたんだけど、引っ越しをしたら転送が不可能になっちゃった。つまり私芸能界、役者の世界から消えちゃったわけなんですよ。

たまたま連絡がきたり、頼まれたことをやっていたんだけど、これで消えるんだったらそれだけの実力なんだからそれでいいやと思っていました。

やっぱり役者って旬の役者と過去の人ってあるじゃない。私なんて過去の人だから、私のことを知っている人は50代から70代。若い人は知りませんよ。知らない。それでもちょこちょこっといただける仕事を丁寧に丁寧にやっていこうって思っています」

WEBラジオを立ち上げたり、海外やロケ地の探索など精力的に活動されている木内さん。この日着用していた洋服は、モスクワに行かれたときに購入したゴーシャラブチンスキーのもの。帰国してから右腕部分に書かれているキリル文字が「ウエイクアップ」という意味だと知り、自分にピッタリだと思いゾクゾクしたという。長身でスリムな木内さんに良く似合う。やりたいことを着実に実行する行動力、凛とした姿が本当にカッコいい。(津島令子)

(C) 2019長島大陸映画実行委員会

※『夕陽のあと』
11月8日(金)より、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー。
配給:コピアポア・フィルム
監督:越川道夫 出演:貫地谷しほり 山田真歩 永井大 松原豊和 木内みどり

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