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女優・中島ひろ子、交通事故で血まみれ…顔にケガも。そのとき“幽体離脱”して見えたモノ

©テレビ朝日

映画『オルゴール』(1989年)で女優デビューして以降、多くの映画、ドラマに出演してきた中島ひろ子さん。実力派女優として監督やスタッフからの信頼も厚いことでも知られている。

日本アカデミー賞新人俳優賞をはじめ、各映画賞を受賞した主演映画『櫻の園』でもあどけなさのなかに漂う大人びた雰囲気が印象的だったが、お母さん役を初めて演じたのは20代前半だったという。

©テレビ朝日

◆入浴シーンのオーディション

若くしてデビューすると、大人の役への移行期に苦労する場合が少なくないが、17歳でデビューしてから30年間、映画やドラマのオファーが途切れることなく続いている中島さん。演じる役柄も実に幅広い。

-デビューから30年、ずっとコンスタントにお仕事をされてきて、いつの間にかお母さん役も自然に違和感なく-

「良かった(笑)。お母さんの役は20歳ちょっと過ぎからやっていたので。小栗康平監督の映画『眠る男』が初めてで、またそれも脱ぐんですけど(笑)。

『オルゴール』で1回脱いでいるから気分的には楽でしたけど、オーディションがあったんですよ。脱いで赤ちゃんを抱えてお風呂に入るシーンだったので、『お風呂に入りに来なさい』って言われて群馬まで行きました。

それでお風呂に入っているところを見せたら『うーん、胸がちっちゃいなあ。乳飲み子を産んだお母さんの胸じゃないな』って言われて。

赤ちゃんを産んだばかりのお母さんの役だったので、おっばいが張ってなくちゃいけなかったんですよね。それで『しょうがないなぁ』なんて言われたんですけど、オーディションに受かって。

でも、本番では胸のアップは赤ちゃんの本当のお母さんがやっていました。私じゃダメで、赤ちゃんのお母さんに代わって。でも、そのお母さん、すごくないですか。いくら顔が映らないとはいえ、赤ちゃんが我が子だとしても、おっぱいが見えちゃうわけじゃないですか。すごいなあと思いました」

-20歳ちょっとで乳飲み子のお母さん役というのは早いですね-

「そうなんです。それはちょっとイヤでしたよ。同じぐらいの年齢の女優さんがトレンディードラマとかで男の子と恋愛をしているみたいな役を演じているのに、必ず私はもう結婚しちゃってとか、落ち着いちゃっている田舎のお母さんというような感じの役が多かったので。だからトレンディードラマの恋愛ものとかそういう役を1回でもやってみたかったです」

-トレンディードラマはなかったですか?-

「私の場合は、やったといっても、結局男の人を追いかける役。追いかけて、ひっぱたいて、『私と付き合いなさいよ』っていうような強い女の役が多かったんです(笑)。ちゃんと恋愛したり、バチバチに火花を散らしたりというのをやってみたかったです。ご縁がなかったですね」

-小栗監督の『眠る男』でお母さん役をやられて以降、そういう生活感がある役が多くなりました?-

「多いです。本当にずっとそうです。あと暗い人とか、しっかりしている人とかね。私は全く真逆なのに。だからそれが払拭できない自分がすごく嫌だったりして、『どうしてそんな風に見られるんだろう?やっぱり顔が暗いのかなあ』とか『地味なのかな』って悩んでいました。

『櫻の園』のメンバーにもよく『ひろ子ちゃんはおばちゃんくさい』って言われていたんですよ。祖母とかと一緒に住んでいたので、小さい頃から大人の人の言葉に慣れていたせいかもしれないですね。

年に一度くらいは『櫻の園』のメンバーで集まるんですが、いまだにみんなに『おばちゃんくさい』って言われています(笑)」

-『櫻の園』は同年代の方たちが多かったですが、ライバルとして意識するということは?-

「多分若いときはあったと思います。20代とかの頃はお互いにね。私もあったぐらいだから。私は『櫻の園』で1番先に消えるって言われていたんですよ。前の事務所の社長さんにまで言われていましたから。『そうか。まあ下手っぴいだし、ダメだよなあ』って思っていました」

-主役もされていたのに執着心は?-

「そんなになかったです。『櫻の園』で賞をいただいて、何かひとつ区切りがあったんですよね。自分の気持ちがスッキリして、もういいかなあと思ったんですけど、考えてみたら就職活動も何もやっていないし、これからでは遅いなあとか色々思って(笑)。

前の事務所の社長さんが『これから仕事をやっていきますか?』って言うから『じゃあ是非!』って(笑)。うまいこと運ばれたのかな。導かれたのかなって思っています、今は」

©テレビ朝日

◆ハンドルに顔を突っ込んで血まみれに…

1994年には主演ドラマ『雪』(NHK)が第31回ギャラクシー賞・テレビ部門大賞を受賞。若手演技派女優として着実に歩んでいくが、その撮影期間中に大変な事故に遭っていた。

「そのとき実家から通っていたんですけど、ようやく車で通ってもいいと言われた矢先の交差点事故でした。1対1の事故で、向こうは右折してきたんですけど、こっちも前方不注意で少し悪いということで8対2でした。

向こうはケガがなかったので良かったですけど、私は鼻の皮がベロッと剥けて血まみれだし、顔も腫れてボコボコに打たれたボクサーみたいになっていました。エアーバックなどもなかったからハンドルに顔突っ込んだんですよね。『フロントガラスに顔を突っ込まなくて良かったね』って言われました。あと、筋を切っていて小指の骨折と打撲」

-大変な事故だったのですね-

「でも、事故の直後は痛いとかいう感覚はなかったんですよね。だからそのままポンとあの世に行っちゃっていたのかもしれないと思いました。

そのときに幽体離脱をしたんですけど、その間はすごく気持ちが良くて自分の家で寝ているような感じだったんです。フワーッと浮いた感じがしたら自分が引っくり返っている姿が見えて…。

『怖い、怖い、イヤだ、何か事故したんだ』って思ったのを覚えています。真っ暗闇だったから怖くて、『死にたくない』っていう思いが大きくて戻っちゃった(笑)。あれがお花畑だったら、あっちの世界に行っちゃっていたかもしれないです。

それで、『とにかく車のドアを開けて出なくちゃ』と思ってドアを開けて外に出て、2、3歩で倒れたみたいです。助けて下さった方は顔中血まみれでビックリしたと思いますよ。ただ、助けてもらった瞬間からもうあちこちが痛くて『先生、あそこが痛い。ここが痛い』って言ってました」

-女優さんなのに顔のケガも-

「自分では鼻血程度だと思っていたんですけどね。でも、たまたま当直の先生が形成外科の先生で、きれいに縫ってくださったので良かったんです。4針縫うところを細かく8針縫ってくださって。『大丈夫、(中島さんが女優なのは)知っているから4針縫うところを8針縫うからね』って。

はじめは3カ月入院って言われていたんですけど、2週間で退院して撮影にも支障ありませんでした。顔の腫れも引いたし、コルセットみたいなのをして撮影現場に行ったらはずすという感じで。若かったんですね(笑)」

-ご両親も驚かれたと思いますが-

「そうですね。そのときも親に本当に心配をかけてしまいました。ああいうときって病院はどういう状態か言わないんですね。『とにかく病院に来てください』って言うだけで、どういう状態かわからないので心配でたまらなかったって言っていました。

私が親の車で事故っちゃっているから、家に車がないわけですよ。だからタクシーを拾うのに国道まで出なきゃいけなかったし、当時はまだそんなに頻繁に車が通ってるような通りじゃなかったので、誰かの車に乗せてもらってタクシー乗り場まで連れて行ってもらったって言っていました。だから本当に心配かけて悪いことしちゃったなあって思いました」

-それにしてもよくマスコミに知られずにすみましたね-

「病院に記者の方が来ていたみたいですけど、名前も変えて個室に入れてくださっていたんですよね。それこそたまたま、記者の方がうちの父と母に『こちらに女優さんが運び込まれたみたいですけど』って聞いたんですって。だから『知りません』って言って、バレずにすんだみたいです(笑)」

©テレビ朝日

◆テレビ番組で離婚していたことを告白、そして29年ぶりの主演映画に

30年間コンスタントにずっと仕事を続けている中島さんだが、昨年1月30日に放送されたテレビ番組『こんなところに日本人 偶然の出会いと波瀾万丈の日本人 3時間スペシャル』(テレビ朝日系)に出演した際、2012年に離婚していたことを告白。周囲を驚かせた。

-事故もそうでしたが、結婚も離婚もマスコミにバレずに-

「そうですね。普通に生活していたんですけどね。33歳で結婚して41歳で離婚しました。結婚に憧れはありましたけど、特別結婚願望はなかったんですね。だけど、30歳を過ぎた頃から『いつ結婚するの?』って両親も騒ぎ出して、お見合い話もきましたからね。

結婚する気もないのにお見合いするのは相手の方に失礼なのでしませんでしたけど、親はやっぱり焦るんだなあって思いました」

-テレビ番組で突然の告白に驚きました-

「異国の地でお酒も入っていましたし、何かそういう気分にさせられたんですよね。結構色々大変でしたけど、いろんな人生がありますからね。私もそうだけど、人間はみんないろんな思いを抱えながら生きてるんだよねって。

ただ、それを言うか言わないか、それを良いとか悪いとか判断するのではなくて、それはそれぞれ個々の生き方なのかなぁって思いますね。色々大変でしたけど、私は離婚してからお芝居が楽しくなってきたので。

それまでも一生懸命お芝居はしていたんですけれど、何が楽しいとかって、あまりわかってなかったみたいなんですよね。だけど何か離婚したことで、転機なのかな。芝居って面白いなぁって思うようになりました。離婚が成立するまでは余裕がなかったのかもしれないですね」

10月12日(土)には『櫻の園』以来、29年ぶりとなる主演映画『いつかのふたり』が公開される。

お互いに本音を言うことができない母娘が、レザークラフトを通して気持ちがつながっていく様をコミカルに描くこの映画で中島さんは、いつまでも大人になりきれないシングルマザーをリアルに体現している。

(C)2019 DMCS

※映画『いつかのふたり』
シングルマザーの麻子(中島ひろ子)は高校3年生の娘・真友(南乃彩希)と二人暮らし。高校卒業後、小説家に弟子入りをするため家を出る予定の真友の部屋探しを別れた夫(岡田義徳)に託し、帰宅する途中、麻子はふと見かけたレザークラフトに心魅かれのめり込んでいく…。

-29年ぶりの主演映画『いつかのふたり』もまもなく公開ですが、プレッシャーは?-

「ないです。あまりそういうふうに意識したことがないんです。主役だからとかいう意識はあまりなくて、作品はみんなで作っていくもので、できあがったものは監督のものになるって思っているので。

私はちょっと古いんですかね?若いときに散々言われたから、ずっとそう思っているんですよね。ただ、責任はありますよね。だから現場をとにかく楽しくしたいなとか、それはいつも心がけています。どんな現場でも」

-別れた夫役は岡田義徳さんですが、ダメ男ぶりが良い感じでしたね-

「岡田さんとは久々のお仕事だったんですけど、彼も変わってなくて楽しかったです。ダメ男がよく合っていましたね、怒られちゃうけど(笑)。実際は全然そんな人じゃないんですよ。だから、役で付いたイメージってすごいですね」

-レザークラフトにハマっていく、どこか大人になりきれないお母さんがとてもナチュラルで合っていました-

「人ってもしかしたらそうなのかなって。要はお母さんという役割はあるけど、お母さんであり、麻子さんという一人の人間なんですよね。だからそこに娘という存在が出てくると、またそこで葛藤もあるし、色々と変わってくる。

みんな本当にリアルにこうやって、この世の中を生きているんだろうなあと思います。ある意味、夢中になれることがあるのは良いことだけど、人の迷惑もちょっと気にしなさいって言いたくなりますよね(笑)」

-劇中ではレザークラフトにのめり込んでいますが、実際にハマったりは?-

「難しいけど、細かいのだったら作れるかなと思って、大崎さんというクラフトの先生のところにみんなで行きました。映画のポスターで私が持っているバックは、私が自分で作ったんです。結構大変でした。

岡田さんがこういうのが好きで、結構マメに台本カバーとか、バッグや筆箱も作っていて。好きな方は上手に作りますよね。男の人のほうが、皮好きが多いみたいですね」

-カメラが壊れるというアクシデントもあったそうですね-

「そうなんです。この映画は11日間で撮ったんですけど、最後の日に俳優パートをすべて撮った後、カメラが壊れてしまって。まだブツ撮りが残っていたので大変だったみたいです」

-30年という長いキャリアがありながら真っ白いキャンバスのように、どんな役にも染まれるということはステキですね-

「本当ですか?うれしいです。おっしゃって下さったように、常に真っ白の状態でいたいし、私らしくいたいと思っています。どこまで役に寄り添えるかがチャレンジだと思っているので、常にフラットでいたいですね。

私は『女優』というのが職業だと思っているんですね。だからみんながそれぞれ職業を持っているように、自分の職業を全うしたい、頑張りたいって気持ちで常にいます」

大変な経験も明るく話してくれた中島さん。明るい笑顔、クルクルと変わる表情がとても魅力的な人。私生活では5歳年下の一般男性との熱愛が発覚したばかり。主演映画に大人の恋、公私ともに絶好調。これからもさまざまな役にチャレンジして楽しませてほしい。(津島令子)

(C)2019 DMCS

※映画『いつかのふたり』
10月12日(土)より新宿K’s cinema にて“愛情”モーニングショー
監督:長尾元 出演:中島ひろ子 南乃彩希 仁科貴 田中隆三 霧島れいか 岡田義徳
配給:トラヴィス

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