テレビ朝日が“withコロナ時代”に取り組む『未来をここからプロジェクト』。
『報道ステーション』では、多岐にわたる分野で時代の最先端を走る「人」を特集する企画「未来を人から」を展開している。
今回紹介するのは、主にミドリムシを素材としたヘルスケア製品を販売するバイオベンチャー企業の株式会社ユーグレナ。
2005年に創業され、健康食品や化粧品などで知られる同社だが、じつはバイオ燃料の開発にも尽力してきた。今年(2021年)6月4日にはユーグレナ社製のバイオジェット燃料を使用した国土交通省航空局の飛行機の初フライトが実施。
さまざまな業界でサステナビリティの意識が高まり、SDGsに関する事業も数多く展開されている昨今。ミドリムシを一部素材としたバイオ燃料は、脱炭素社会への大きな貢献が期待されている。
巨大なエネルギー産業を変えようと奮闘するベンチャー企業において、先陣を切る副社長の永田 暁彦(ながた・あきひこ)氏は、どのような未来を見据えているのか――。
◆“CFO=最高未来責任者”とは
オフィスに足を踏み入れると、入り口付近に設置されたブクブクと泡立つ緑色の液体が目に入る。「これが私たちの社名にもなっているユーグレナ。和名はミドリムシという生き物です」と永田氏が語る。
藻の仲間であるミドリムシは体長わずか0.05mmの微生物。59種類の栄養素があり、細胞壁がなく人間の体内で栄養が吸収されやすい性質を持つため、ユーグレナはこれまでヘルスケア製品を主に販売してきた。
さらにここ数年はバイオ燃料を製造し、一般に販売を開始。本来、バイオ燃料を燃焼させると石油と同じようにCO2が排出されるが、生物資源を原料とするバイオ燃料の場合は生物が成長途中でCO2を吸収するため、利用時の排出量を実質ゼロに抑えることができる。
ユーグレナのバイオ燃料は既に都市バスにて使用されているが、「飛行機に乗ることは、ものすごく地球環境を汚染する」(永田氏)といい、飛行機用のバイオ燃料の開発も継続してきた。
地球温暖化対策として脱炭素社会を目指す動きが国内外で加速するなか、日本も加盟している国際民間航空機関では、2020年以降、国際線でCO2の排出量を増やさない合意がなされている。その対策として有望視されているのが、バイオジェット燃料の導入なのだが……。
「世界では、私たちの100歩先を進んでいる会社はたくさんあります。日本は環境先進国のようなイメージがあるかもしれませんが、このバイオ燃料の領域では完全に後進国です」
現在、フランスや中国など21カ国でバイオジェット燃料が既に使用されており、日本は世界から後れをとっているなか、ユーグレナは2018年に総額約60億円かけて工場を建設しバイオ燃料事業を進めてきた。
現在はコスト面などの兼ね合いから、海外で主流である使用済みの食用油を主に使用して製造しており、ミドリムシ油脂は最大10%としている。
「バイオ燃料に変えていくことで、使う石油量を減らすけどみなさんの生活は変わらないという状況を目指している。究極的には原料はなんでもよくて、いちばん優先するのはCO2の削減を実現したいという姿勢です。
ミドリムシがいちばんの武器であって研究も継続しているけど、ミドリムシをやってるおもしろい会社だから応援されるのではなくて、社会を良くする活動をしているから応援される会社にならなくちゃいけないと思っています」
これは彼らが掲げる企業理念「サステナビリティ・ファースト」に通ずる考えだ。
「私たちが考える“サステナビリティ”とは、決して経済活動と環境に関する部分だけではありません。たとえばいまの世代と未来の世代のバランスに関して、年金の金額を上げれば未来に負担がかかる。ではどうすればいいのか…と二項対立にならずに、どうすればどちらも幸せにできるのかを考え続けることが、サステナビリティの根本だと思っています」
いまも未来も犠牲にしない真のサステナビリティを体現するべく、ユーグレナは組織体制を変更して新たな経営幹部の役職“CFO”を作った。その役職に就いたのは、当時18歳の高校生、小澤杏子氏だった。
最高未来責任者と呼ばれるこの役職は、未来のことを考えて組織戦略を提言する経営のトップ。彼女が昨年、「2021年のうちに、ユーグレナ社が商品に使用する石油由来のプラスチック量の、50%削減に挑戦します」と宣言。その施策として、ペットボトル製品を廃止、全て紙パックの飲料に変えたのだ。
「“CFO”とは『Chief Financial Officer』ではなく、『Chief Future Officer』の略。未来のことに対する最高意思決定者。彼女がプラスチックを半分にすると決めたので、私たちは半分にするんです」(永田氏)
◆未来のことを決めるのは… 変えるべき社会構造
ユーグレナがこの新しい役職を作った背景には、建て前と本音が交錯しているという。
「まず建て前からいうと、経営者はどうしても短期的な明日、半年後の利益を考えます。間違えではないけれど、サステナビリティ・ファーストを本当に実現するためには、短期的な目線をまったく持たない、未来のことだけを考える人が経営のなかにいることで、制御されるのではないか、という考えです。
そして個人的な本音としては、未来のことを、その未来に生きているかわからない人を中心に決めている社会構造を変えるべきだと思っています。いろいろな会社で2030年、2050年の目標を作るけど、それを決めた人がずっといるのかは分からない。日本政府も同じですけどね。
結局ところ、SDGsやEGS投資が注目されているが、まだまだファッション的で、やらなくちゃいけないからやっているという側面が大きいんだと思います」
世間からのSDGsへの注目は表面的であると指摘しながらも、この潮流を基本的には良いことだと捉えているという永田氏。
「未来のためにと考える人もいれば、儲かる、株価が上がるからという人もいる。究極的には理由はなんでも良くて、社会が変わる力学が働いているのであればそれは望むべき方向であると。
たとえばサッカーのワールドカップで盛り上がると『にわかファンだ』って揶揄する声もあるけど、観客がひとりもいないスタジアムより、にわかファンで埋まってる方が良いじゃないですか。そのなかかから10%が本当のファンになったらそれは最高なこと。
本質的価値は時間差でやってくるので、質よりも量とスピードが重要です。それを追い続ければ、質はあとからついてくるものじゃないかと思います」
◆“徹底する力”が信用につながる
サステナビリティを追い求める永田氏の原点は幼少期までさかのぼる。1982年に山口県下関市で生まれ、裕福ではない家庭で育った。
「父はソーシャルワーカーとして働いていて、障害や疾患を持った方のデイケアで、バスを運転して遊びに連れて行ったりする仕事をしています。父はその仕事に誇りを持っていて、母もその仕事をする父を誇りに思っている。でも、想像通りの安月給で、家庭として大変なこともありました。そこで疑問を持つわけです。目の前の何十人、何百人を救っているのに、なぜ僕たちはこんなに苦労しているんだろうかと。
僕は中学、高校、大学と偏差値が高いところに通いましたが、そういった場所はモノカルチャー的な側面が非常に強い。自分の両親を通じて見聞きした、実際に会っていた人たちがまったく登場しない世界観でした。高学歴な世界というある種のメインストリームで、お金を稼ぐことが“正解”になっていることに違和感や不安な感覚を覚えていた。
もっと社会は多様で、いろいろな人が関わっていて、仕事に貴賎があるのだろうかという問いからスタートしています」
社会に疑問を持ちながら、大学卒業後は投資会社に就職。最初に担当した起業が、ユーグレナだった。
「ユーグレナとは、僕にとってスタートでした。いまや『ミドリムシが人を健康にする、エネルギーになるって素晴らしいね』って言われる。でも僕が最初に出会ったときはミドリムシを誰もが鼻で笑って、投資家たちも投資をしてくれない。まさに本質的価値と社会的価値に大きくギャップがある状態でした。
彼らを世の中に出すんだ! というのが僕の一気通貫した思いです。ユーグレナを通じて、個人の活動を通じて、やりたいと思っている、本質的価値と社会的価値のギャップを埋めていくことができるんじゃないかと思っているんです」
幼少期に抱いた父への思いとユーグレナの置かれた境遇が重なったことで、永田氏は2008年にユーグレナの社外取締役へ就任。そして2018年に副社長になった。
彼はサステナビリティを企業活動だけでなく、私生活にも取り入れている。都内から車でおよそ1時間半の自然豊かな場所にある自宅を案内してもらった。
「家の庭でヤギを飼っていて、柵があります。雑草を食べて糞になり、この庭のなかで循環が起こっている状態です。いまはインターネットの世界なので、人とつながったり、ビジネスをしたり、買い物をしたりとすべてネット上で完結できることが多いです。でも山や海、川など自然は動かせないので、自分たちで近づいて行ったという感じです」
この場所に引っ越してきたのは4年前。その理由は、単に自然が好きだからということではないという。
「会社を含め僕自身、人生のテーマにサステナビリティを置いている。その目標を決めた人間の“徹底する力”は、真実味や信用につながると思っていて。都会のど真ん中でプール付きの高級住宅の屋上に住んでスポーツカーを乗り回してたら、いまの自分がやってる活動を誰も信じてくれないでしょう。自分のテーマを徹底することはすごく大切だと思います」
自分の日常生活を変えてまでサステナビリティを追求する強い信念の先には、ある目標を見据えている。
「中学3年生のころ、小論文で『人は死ぬときにガッツポーズするために生きているんだ』と書いたのをいまでも覚えていて。死ぬ直前になにを思うのかを考えたとき、従えた部下の数を数えるのか、自分が向かいたいと思っている社会の方向にどれだけ近づけたのかを考えるのか…。
なにかの結果というよりも、自分がなにかの目標に向けて抗えたかどうかが自己肯定感につながるだろうと思って、日々生きています」
◆ベンチャーがエネルギー産業を変える…「正直めちゃくちゃ」
社会課題の解決にこだわる永田氏は、投資家としての顔も持つ。地球と人類の課題を解決するための研究開発に投資する「リアルテックファンド」の社長でもあるのだ。
これまでにも、太陽光パネルを自動で掃除するロボット、効率的に電力を蓄積する風力発電などのエネルギー事業、巨大で精密な製造が可能な3Dプリンターを扱うベンチャー企業などに出資。
かつて『報道ステーション』でも取り上げた、水道につなげずに使えるWOTAの独立型手洗器の一部も、この3Dプリンターで製造されている。
ユーグレナでも本質的価値を追い求めながら、同時に起業を選択した背景にはこんな思いがあった。
「最初の出会いがユーグレナというサイエンティストの集まりだったことが大きいです。自分の原体験と、社会的価値が認められない研究領域の人たちの状況が重なったことで、その人たちを助けたいという思いが生まれて。さらに文化や成功モデルが生まれることで、継続的に発展していってほしいという思いから作ったのが、リアルテックファンドです」
リアルテックファンドを立ち上げたころ、ユーグレナは全日空や横浜市とともにバイオ燃料の実用化計画を発表。その事業において先陣を切ってきたのも永田氏だった。
「この15年間、僕はおそらくバイオ燃料の事業化にたいして誰よりも努力してきました。でも遠い未来の話や社会的インパクトの話は、テレビなどのメディアを通じては『良いね』と思ってもらえても、お金を投資したり、人生を懸けてくれる人は少ないわけです。ただ、成功事例が増えていけば、人はどんどん信用してくれるようになるはずだと思っています。
正直、ベンチャーがエネルギー産業を変えようなんて、めちゃくちゃですよ。10億から100億円を売り上げる会社を作るという話と、エネルギーをなんとかする、貧困をなんとかしたいって話はまったく違う。もう、国連か!って話じゃないですか。
でも、日本人がメジャーリーグに行くなんて信じられない…って時代に、ひとりの成功者が生まれたことで多くの人が信じるようになる。野茂英雄さんが大リーグで成功したことは、彼自身の成功と幸せでもあったけど、そのあとに何十人と続く日本の野球選手の人生を変えたと思っています」
メジャーに挑戦する野球選手が増えたように、バイオ燃料で飛行機を飛ばす成功例をつくることであとに続く人が増えるだろうと信じているのだ。
◆航空会社が“当たり前に”バイオ燃料を買う未来へ
今年6月、長年に渡って開発してきたバイオジェット燃料がついに完成し、初フライトの日を迎えた。バイオ燃料で動く車に乗って空港まで移動する最中、創業から現在までを振り返って永田氏はこのように語っていた。
「最初に出てくる言葉は『しんどかった』ですね。始めたときは全員から反対されて、お金もなく、赤字だった。インフラ産業でベンチャーが頑張るのって、信じられないくらい大変だったんです。
『いよいよ飛行機が飛びますね、嬉しいですか?』と聞かれれば、『遅くなってすみません』という気持ちの方がはるかに大きいです。まだ原料におけるミドリムシの量も少なくて、社会の期待に応えられているのかとも思います。
ただ、飛行機が飛ぶという物理的な現象で人の考えが変わったり、行動が変わったり、誰か救われたりする“人”が出てくると、自分としての喜びにも変わっていくんだろうと思います」
飛行機が飛ぶ瞬間、永田氏はメディアに対してフライトの説明をしていた。その会見が続くなか、ユーグレナが作ったバイオジェット燃料の給油が完了し、飛行機は滑走路へ走り、空へと飛び立っていった。
実際の初フライトを見ることは叶わずに終わったが、番組クルーが撮影した映像を見た永田氏は「いや〜めちゃくちゃ嬉しい。やろうと決めてからもう13年? まだみんな25〜26歳だったし。全部で100億円くらいかかりましたからね。一生懸命サプリと食品を売って、やっとスタートできました」と感慨深い様子。
「これで日本中の人が『バイオ燃料でも安心だ』と思ってくれたら良いですね。15年間、『サギだ』『ウソつきだ』って言われることもあるなか、同じことを真正面から言い続けるのって普通はできないですよね。社長をウソつきにせずに済んで良かったなと思います」
そして、バイオ燃料事業に携わったこの15年を振り返り、ある思い出が蘇ったという。
「昔、まだ世の中の論調が『石油からバイオ燃料に変わるべき』だとなっていないころ、ある省庁の方と話していたんです。世界はどんどんその方向に進んでいるから、日本も一緒に変わっていこうと。ベンチャーとして僕たちもチャレンジすると話したら『永田さんの気持ちはわかるが、いまは日本を出て海外でチャレンジされた方が良いかもしれません』と言われたことがありました。
霞が関のビルのなかで、机を叩いて怒ったんですよ。当時僕らはまだ30歳そこそこで本当にお金がないベンチャーでも、全力だった。日本の未来、次の世代、新しい産業雇用を変えるために、僕たちみたいな小さな存在が戦ってるのに、あなたたちが逃げないでくださいと話したとき、熱が伝わったと感じた瞬間があったんですね。
あそこから大きく変わっていったと思っていて。エネルギー産業のような規模が大きい話だとしても、最後は一人ひとりの熱がどのように広がっていくのかが重要なんだと、あのとき改めて思いましたね」
悲願の初フライトが無事成功したいま、永田氏が考える未来とは――。
「サステナビリティ、継続性のためには、やっぱりビジネスがしっかり回っていることが必要です。環境意識が高い人にバイオ燃料を高く買ってもらって満足するのではなく、航空会社が当たり前に買いたくて買う状況を作る。そうじゃないとサステナブルな事業になりません。
そして次の起業家や研究者が、『自分たちにもできる』と思うような良い循環を作ることで、日本にとって、社会にとっての一歩になっていけば良いと思います。物を作る、社会の構造を変える。本当に本当に、若者の、力がないベンチャーにはそれはものすごく難しいことなので、その一点において、後輩たちにひとつの未来を示すことができたのでは、と思っています」
さらに、学生時代に感じた“エリートたちのモノカルチャー”や現在の資本主義の限界について、このように語っていた。
「人類が増加し続けることで、自分たちが住む場所すらも破壊して終わっていく未来もある。これまでの価値観で優秀だと思われた人だけで社会を救おうとしても、おそらく限界がある。
人類の生きようとする力や好奇心が、これまでの単純な資本主義的な発想の範疇から離脱したときに、人類におけるまた違った希望が生まれるだろうと思っています。だからこそ、テクノロジーで世の中を変えていこうと思っている。その可能性をどう広げられるのかを、考えています」
<構成:森ユースケ>
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