新感覚アート番組『アルスくんとテクネちゃん』、第28回の放送に登場したのは、朽ち果てた廃墟のような空間へと観る人を誘い、不気味さや懐かしさを想起させるアーティスト、冨安由真さん。ソファや鹿の剥製などが置かれた空間には、同じ廃墟を映した映像が流れ、壁には部屋の一角を描いた絵画がかけられている。その入れ子構造の空間を通じて冨安さんが提示する、現実と非現実の間にある“曖昧”なものの存在とは。
◆廃墟のなかに廃墟がある
―『漂泊する幻影』は、廃墟で展示されたわけではないんですよね?
いえ、KAAT神奈川芸術劇場で開催された展示です。つまり劇場のスタジオに、家具などを運び込んで作った作品になります。普段はギャラリーや美術館で展示を行うことが多いんですけど、劇場ははじめてでした。
劇場って黒く沈んでいくようにできているので、そのブラックボックスを生かした展示にしよう、というところからはじめた作品です。
―すごいですね。つまりインスタレーションという形式になるのでしょうか。
そうですね。実際には絵画と、映像作品と、あと立体というか “物”ですね。家具だったり剥製だったり、そういうものが全部交ざり合った構成になっていて。会場がすごく大きかったんですけど、大部屋と小部屋と、その間に廊下を模したエリアを作って3つのスペースに分けました。
お客さんは展示会場に入るとまず「廊下」に出る。そして次のドアを開けると、大きなブラックボックスの部屋、つまり廃墟をモチーフとした部屋に入るんです。
―まるで本物の廃墟のようですが、どのように作られたのでしょう。
舞台となっている廃墟があって、その所有者さんに交渉してお借りしてきた現物を使っています。ソファーとか机とか、ガラス棚とか、そういうものを大量に運び入れて。
―まさに廃墟にいるような気分になりますね。
そうなんですよ。さらに劇場なので、スポットライトとかすごくいい設備があるんですね。それを使って、モチーフを順々に照らしていく。照明は大体30分くらいのサイクルで移り変わるんですが、常にどこかが付いているときはどこかが見えない、というふうに、観る対象が誘導される作りになっていて。
さらに、その部屋には映像作品が投影されている。プロジェクターとブラウン管、それぞれに廃墟の映像が流れています。これも、ほかの場所にライトがあたっているときは見えないようになっています。
―廃墟だけれど、そのなかに廃墟の映像が流れている。
はい。鋭いお客さんだと、廃墟の映像のなかに絵がかかっていることに気づくと思うんです。「ああ、絵がかかってるな」と。それで、順路としてはドアを開けてまた廊下に移動するんですね。それは最初の廊下と似ているようで、よく見ると違う廊下なんです。
―なるほど。
そしてその廊下から出ると、今度は別の小さい部屋に入ります。
その小部屋もブラックボックスになっているんですが、絵画だけが飾られています。スポットライトでそれらが順ぐりに照らされるうちに、「あれっ?」と思うはずなんです。さっき映像で観た絵が飾ってあるので。そしてその絵に描かれているのは、大部屋にあった家具類や、映像のなかに出てきた景色なんです。
―ちょっとぞくっとしました(笑)。
いうなれば入れ子状になっているんです。映像のなかに出てきたものが現実にあるし、その映像のなかに出てきた絵の風景もまた現実にあって……ということが起こっている。
―廃墟を入れ子構造にするなんて、誰も思いつかないですね。その狙いはどんなところにあるんでしょう。
まず、現実世界と非現実の世界が曖昧になっていく状況というか、その曖昧な部分そのものを作りたいなということをずっと考えてきて。
入れ子状にすることで、自分の立ち位置がわからなくなる、次元の層みたいなものが曖昧になっていく……。自分が今いるのは現実なのか、あるいは絵のなかなのか、映像のなかなのか、あるいは廃墟のなかなのか、そういう足元がぐらつくような鑑賞体験を作りたいなと思いました。
―曖昧さに興味をもったのは、冨安さんのなかで何かきっかけのようなものがあったんですか?
ひとつには、よく寝るんですけど、私(笑)。夢をすごく見るんですね。それで、現実と夢と「どっちが本当の世界かわからないな」という思いがずっとあって。今でもわからないし、もしかしたらそれ以外の世界があるかもしれない、とも思うくらい。そういうものに小さいころから惹かれていた部分があったんです。
―よくありますよね。寝て起きたあと、今が夢かどうかわからなくなることって。
今はこうやって喋っていますけど、もしかしたら夢かもしれない。この“かもしれない”という不安定さを、思い出してほしいというか。
―思い出す?
この世界が本当の世界なのかどうか、疑問に思ってみてほしいといいますか……。現代の社会のなかでは、曖昧なものって排除されがちですよね。科学的に解明されていないことは正しくないことかのように扱われがちで、見過ごされている部分があると思うんです。
―いわゆる心霊とかオカルトとかスピリチュアルなこととか……?
それもありますね。たとえば、はるか昔、電気というものがまだ解明されていなかった時代って、電気は霊的なものだと思われていたわけです。だけれども、それが科学的に解明されると、みんな当たり前のように使いはじめた。そういうふうに、今はわからなくても後にわかることがある。
「ない」と排除してしまうのはいいことじゃないんじゃないかなってずっと思っていて。そういうところに目を向けるきっかけにしたいな、と。
◆心細く、懐かしい、あの感覚を呼び覚ます
―展示に際して、映像がとても効果的に用いられていたと思うのですが、ほかにも考えられた点はありますか?
音でいうと、スピーカーで流しているようなBGMや効果音は一切ないんです。ただ古いラジオに電波を飛ばして、キャッチした音だけが流れている。ほかにブラウン管が発する音とか、お客さんの歩く音、ドアを開け閉めする音、そういう音が作品の構成要素になっています。
匂いに関しては、そもそも廃墟からもってきているので、その独特な、廃墟特有の匂いがあるんですよね。かび臭さとか、土臭さみたいな。匂いは、インスタレーションを作るときに私のなかで大事に思っている部分でもあって。
―なるほど。でも、それだけリアルな空間だと、「怖い」という感想をもたれる人もいるんじゃないでしょうか。
いらっしゃいますね。それでいうと私は怖くしたいと思って作ってはいなくて。どちらかというと、「怖い」というより「不気味」のほう。怖いと感じるものと、不気味な感情を引き起こすものは違うと思っていて、不気味に感じるものにしたいというのがあって。
―ああ、なんとなくわかるような気がします。
反応はさまざまなんです。「怖い」という方もいれば「癒やされる」という方もいて。私としては、さきほどのとおり「曖昧なものがあるかもしれない」と思い出してほしい部分があるんですね。だから、ちょっと懐かしさを感じさせるというか。「ああ、何かこういう思い、したことある」みたいな。
たとえば「あ、小さいころ、夕暮れ時にひとりで部屋でお留守番していて、何かこういう思いしたことがある」という心細さとか、懐かしさとか、そういうものを表現したいなと思っていて。
―ひとりきりだった心細さは、寂しいけれど懐かしくもある感情ですよね。
私の作品のなかで思い出したその気持ちを、もって帰ってほしいんです。そして、普段の生活のなかでちょっと不思議なことに気づくようになるとか、何か変わったことが起きたときに心に留めておくようになるとか。そういうふうに物事の捉え方が少し変わるきっかけになったらいいなと思いますね。
―人生が豊かになりそうです。
それはあると思いますね。曖昧なところに目を向けることが増えれば、それだけ人生が豊かになるというか、ものの見方が広がっていくんじゃないかと。
昔の体験って忘れてるじゃないですか。でも、それを思い出すことで、ものを見たときの感性というか、心で感じ取る解像度が高くなるというか。
―子どものころって、もっと自由に何かを感じてましたよね。その感覚に、みんな本当は陥りたがっているような気もします。インスタレーションという手法が、いちばん物事を伝えられるなと思われますか?
そうですね。これまで絵画作品もずっと作ってきているんですけど、絵の場合、基本的には視覚で感じることがほとんどになると思うんです。でも、インスタレーション作品だと空間全体を認識しようとするんですよね。
匂いとか、音とか、風をふっと感じることもある。観る人によっては「第六感的なものを感じた」みたいなことをおっしゃる方もいたりして。そういう全身の感覚を使って体験できるのはインスタレーションならではだと思います。
―作品のなかには誰もいないけど、どこか人の気配を感じる部分がありますよね。
その“気配”というのも、言葉としてはわかるんですけど、曖昧ですごく感覚的じゃないですか。何もいないはずなのに気配を感じる、そういう部分も感じ取ってほしいと思って、あえて物音をさせる仕掛けを入れることもあります。
◆曖昧さを表現するための“箱”
―小さいころから絵を描くのが好きだったんですか?
そうですね。卒園アルバムとかを見ると、将来の夢「画家」って書いていたくらい。今思うと、何かを作りたい、表現したい、という気持ちはずーっとありました。
小学校に入ってからも絵は描いていたんですけど、絵じゃなくてもいいと思うようになって、詩を書いたり、音楽をやったり。何か表現をしたいというのはもう、ずーっと思っていましたね。それ以外のことは選択肢になかった。それで最終的に美術に落ち着いたというか。
―今の作品を作ることになったきっかけ、タイミングはありますか?
結構長いことイギリス・ロンドンに留学していて、向こうで修士を取得したんですね。その修士の修了制作展で、絵だけで見せるんじゃなく、もっと空間を通して絵を見せられないかと思いはじめて。
それで、壁にウォール・ドローイングをして、図形なんかを描いて、その上にまた別の絵をかけて展示して……みたいなことをしはじめたんです。それが2012年ですね。当時はまだインスタレーションといっていいのかわからなかったですけど。
―片鱗が少し見えたわけですね。では廃墟を作ったのは?
今回の『漂泊する幻影』がはじめてなんです。
―そうだったんですね。それまではどういう作品を作られていたんでしょう。
私、自分のインスタレーション作品のことを、“部屋型”と呼んでいるんですけど(笑)。
―部屋型?
たとえば洋室だったら、普通に人が住んでいるような部屋を作るんです。壁を建てて、天井を作って、壁紙を貼って、フローリングを敷いて、家具を設置する。そして“仕掛け”を入れるんです。
たとえば急にドアが開くとか、急に引き出しが開くとか、ノックされるとか、電気が明滅するとか幽霊屋敷的なもの。またはドアを開けて部屋に入って、またドアを開けて……という迷路状になっている空間を作ったりとかいろんなことを模索するようになって。
2015年ぐらいから部屋のかたちをとるようになりました。部屋のなかに私の絵がある、という状態ができあがってきて、そして今に至るという感じですね。
―今後はどういった作品を作りたいと思われますか?
急激には変化しないと思うんですけど、ただ同じことをやっていても飽きてしまうので、部屋を作りながら、徐々に変化させていきたいと思いますね。
基本的なテーマは、曖昧さとか、現実と非現実の狭間であって、それを表現するにあたって部屋というかたちが適しているからやっているだけで。将来的には違うかたちになることもあるだろうなと思いますね。
―ずっと聞いていると、曖昧っていいものだなと思えてきますね。
わかってないことだからこそ楽しかったり、わくわくしたり、興味をもてたりするということってあると思うんです。だから、もう決まってしまっているもの、わかりきっていることより、何だかわかってないことを扱うほうが私自身も楽しいですし、見てくれた人も楽しいんじゃないのかなって。そう思いますね。
<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>
<撮影協力:アートフロントギャラリー>
冨安由真
現代美術家
とみやす・ゆま|1983年、東京都出身。2012年ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ、ファインアート科修了。2017年東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻修了、博士号取得。主な個展に「漂泊する幻影」(2021・KAAT神奈川芸術劇場)、「Midnight Visitors 真夜中の来訪者」(2019・西武渋谷店 美術画廊・オルタナティブスペース)、「くりかえしみるゆめ Obsessed With Dreams」(2018・資生堂ギャラリー)、「guest room 002 冨安由真:(不)在の部屋――隠れるものたちの気配」(2018・北九州市立美術館)など。主な受賞歴に第12回shiseido art egg 入選(2018)。第21回岡本太郎現代芸術賞、特別賞受賞(2018)など。
「房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス2020+」(2021年)、個展「アペルト15 冨安由真」(2021年10月23日~2022年3月21日・金沢21世紀美術館)、個展(2021年12月17日~2022年1月23日・アートフロントギャラリー)を開催予定。
※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん』
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)
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