写真は「真」を写すのか?デジタル世代の写真家・小林健太が挑む写真表現の可能性

10月15日(木)深夜0時45分からスタートした、新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん。新しい表現に挑む現代アート作家をピックアップし、制作の裏側や、将来への展望に迫っている。テレ朝POSTでは、放送後にインタビュー完全版を公開。番組内ではお伝えしきれなかった、アーティストの想いを丸ごとお届けする。

第1回の放送に登場したのは、デジタル・アーティストとして写真表現に風穴を開ける写真家、小林健太さん。フォトショップが生み出す“歪み”を巧みに使い、ある作品では渋谷上空に幾層ものイエローやブルーの帯を生み、ある作品ではLEDの看板に書かれた漢字をぐにゃりと溶かす。その先鋭的なグラフィックは海外でも高い評価を受け、2019年には「ダンヒル」ともコラボレーションを行った。

写真を「真を写す」と解釈し、デジタルとアナログの両面で探求を続ける、若きアーティストに話を聞く。

◆シェアハウス生活に刺激を受け、写真の道へ

―普段は、どういうタイミングで写真を撮っていらっしゃるんですか?

撮りに行こう、と構えて出かけるのではなく、普段から小さいカメラを持ち歩いて、スナップみたいに撮っています。そうやって撮影した素材を溜めておいて、これは使えそうだな、これはよくなかったな、とセレクトしています。

―これは渋谷で撮影されたものだと思いますが、どういうところがセレクトの基準になるんでしょう。

造形的に凸凹していたり、色が変わっていたり、テクスチャがいっぱいあるほうがおもしろいと思っていて。この写真であれば、ビルの平らなガラスの壁面や、工事中の足場の細々としたところ、そうしたテクスチャが入り混じっているところですね。

―なるほど。そうやって選ばれた写真に、このグニャグニャとした加工を施していく。これは何というツールを使っていらっしゃるんですか?

アドビのフォトショップというアプリケーションのなかの指先ツールです。本来はモデルさんの輪郭や、肌の質感、そうした微細なレタッチを行うための目立たないツールなんですが、自分なりにパラメータを変えて、あえて過剰に使っています。

―写真から伸びる曲線が見事ですね。

写真から色の変わり目を探して、ぐーっと引き伸ばしています。筆致とか筆跡のような感じで、僕は“ストローク”と呼んでいます。

もともと絵画を学んでたこともあって、抽象画が好きだったりするんです。抽象画と写真、それぞれの画の作り方をミックスしながら作品を作りたいなと考えて、このストロークが生まれました。

―絵画から写真の世界に入ったのには、どういうきっかけがあったんでしょうか。

渋谷のシェアハウス(渋家)に住んでいた仲間のなかに、毎日の暮らしを撮影してブログにのせている写真家がいたんです。その人に憧れたのと、ライアン・マッギンレーやラリー・クラークのような、ユースカルチャーを切り取る写真家が好きで。それで僕も写真を撮ってみようと。最初は日常のスナップからはじめました。

―それが徐々にこういった、加工を行うようになっていって。

はい。撮っているうちに、何か違う展開の仕方がないかなあと。それで、小さいときにマッキントッシュに入っていたキッドピクスでお絵かき遊びをしていたなと思い出したんです。

線を引っ張ると音が出るのが楽しくて、動物とか人物を描くというより、ただ線を引いたり、スタンプツールを使って遊んでいたなあと。一緒に住んでいた仲間にフォトショップの使い方を教わりながら、小さいときの感覚を重ね合わせて今の表現が生まれていきました。

―すでに小さい頃から、デジタルでの表現が身近にあったんですね。

そうですね。今でこそインスタグラムで画像を加工するのが世界中で当たり前になっていますけど、10年以上前、僕が中学生の頃には、日本ではすでにプリクラが流行っていました。プリクラは、写真にデジタルペイントを施すツールの先駆けだったと思うんです。日本らしい写真の扱い方だし、僕が学んできた絵画の文脈のなかで表現したらおもしろくなりそうだなと。

―さらに絵画的な解釈が加わるわけですね。

はい。ゲルハルト・リヒター(※)の表現にもインスパイアされました。彼の作品に、写真の上に絵具を乗せたシリーズがあるんです。その表現を僕はデジタルのなかで完結させてみようと思って、探求をはじめてみたんです。

※1932年生まれのドイツの画家。緻密に描かれた写真を微細にぼかしながら描く“フォトペインティング”で知られるほか、実際の写真に絵の具を乗せた「オーバー・ペインテッド・フォト」作品も制作。代表作に『エマ 階段を下りるヌード』(1966)や『ベティ』(1988)など。現在公開中の映画『ある画家の数奇な運命』は彼の半生をモデルにしている。

◆風景をドット化すれば、編集可能になる

―写真と絵画の違いというのは、どういう点にあると思われますか?

基本的に写真は具体的なものを写し撮るので、見る人に意味が伝わりやすいんですよね。どこのビルだとか、これは誰だとか、非常にはっきりしていて記号的です。

一方でペインティングは抽象的なものが描けますから、描いた対象物が何か、というだけでなく、色の配置や線の形、その技法のなかにおもしろさを見出すことができる。

―たとえばフィルムで撮影した写真に対して、ペイントを施すというアプローチを考えたことは?

デジタルカメラには、単に写真がきれいに撮れるというだけじゃなく、目の前の現実世界をドットの塊に変換できるという役割があります。それによって、絵の具のように編集可能なマテリアルが出来上がって、僕のように指先ツールで引き伸ばすことができる。見ている世界に直接触れられるのがおもしろいところなんです。

―なるほど、ドット化することで編集しやすくすると。

僕の作品はとくに、編集作業の痕跡をわかりやすく残すようにしています。引き伸ばしたり、色味が過剰だったり。それによって、「写真には常に編集作業が間に入っている」ということを意識させる効果があると考えています。

普通の写真でも、構図をトリミングしたり、露光や色調を調整したりしますよね。実は、編集なしではどんな写真も存在し得ない。写真家はみな、さまざまな編集の重なり合いを通して、真実に触れようとしていると思うんです。

―小林さんの“写真”というものの捉え方というのは、非常に独特ですね。

写真という日本語そのものがおもしろいと思っていて。写真は「真を写す」と書きますよね。彫刻なら「彫って刻む」、絵画なら「絵を画(えが)く」。英語の photography には光画という意味があって、「光を画(えが)く」。いずれも実際の行動と表現が結びついているけれど、日本語の「写真」だけが「真を写す」で、ちょっと概念的なんです。「真実」ってなんだろう?「写す」ってなんだろう?という、禅の問答のような問いがあるんです。つまり写真っぽくないアプローチでも、真実と向き合ってさえいれば写真になる。僕はそういう意味での「写真」に向き合っていきたいなと思っています。

―なるほど。真実に向き合いたい、という気持ちがあるわけですね。

そうなんです。大人になればなるほど、観ている世界に対して知識や言葉をあてはめてしまって、この世界そのものを見ていないんですよね。

でも、世界や宇宙の真理に挑み続けてきた偉大な先人たちがいる。科学が発展したのも、彼らが常識に抗ったから。美術とかアート、写真家たちは、表現のなかでその奮闘を続けてきたと思うんです。僕も彼らに続きたい。それが作品を作るモチベーションになっています。

◆「マテリアル」として写真を扱うこと

―写真を選ぶとき、いつ撮った、誰と一緒にいた、というような記憶も重要になってくるんでしょうか。

写真を選ぶときにいろいろと思い出すことはありますが、作品としては、個人的な記憶を表現しようとしているわけではありません。あくまで画としておもしろいものを選びます。どういう色合いが入っているか、どれくらい記号的なものが入っているかという要素が、編集との相性とつながってきます。

―あくまでマテリアルとしての意味合いが強いわけですね。ではこれはどこで撮ったものでしょう。

中国の厦門で撮ったものです。コンピュータを修理するショップの看板のLEDライトからブルーとグリーンとレッドを抽出して、引き伸ばしています。まずコンピュータを「電脳」と書くのがおもしろいなと思って撮影して、あとからLEDの光の入り方が映えそうだなと。

―文字が歪んで認識できなくなっていますが、どんな意味があるんでしょうか。

そうですね。文字が崩れると、その文字自体がもつ本来の意味に加えて、どういうふうに歪んでいるか、という動きの解釈が加わりますよね。

それって書道的だなと思うんです。同じ言葉でも、書く人によって情緒が変わる。動きに意味や情緒を見出せるのは人間だけがもつ能力なんです。AIは文字情報を読み取る処理能力は高いけれど、文字の揺らぎから情緒を読み取ることはできない。それが古来から探求されてきた、美というもののひとつの正体なのかなと思うんです。

―過去にも文字を加工したシリーズを作っていらっしゃいますもんね。その探求の方向性も非常に気になります。そしてこれは、まるで渋谷に巨大な植物が咲いたような。

これは筆圧を感知してブラシの先端が変化するブラシツールを使っています。指の動かし方によって表現が変わって、まるで花が咲いているかのような有機的なテクスチャが生まれます。先に有機的なものを作ろうとイメージしたわけではなく、ツールを選んだらこうなった、という感じですね。

そもそもレタッチツールですから、予想がつかないことが起こることは折り込み済みで、探求を続けています。

―おもしろいです。そしてこれは、ちょっと最初どういう状況かわからなかったんですが、誰かがぶら下がってます…?

はい、物干し竿にだらんとぶら下がった友人です(笑)。これは海外の「SSENSE(エッセンス)」というファッションメディアのために制作したイメージです。一緒に住んでいた友人をモデルに、依頼された洋服を着てもらって、ビルの屋上にある洗濯物ゾーンで撮りました。

先ほど話したキッドピクスの話じゃないですけど、僕が作品作りで大切にしているもののひとつが“遊び”なんです。

ファッションの仕事だからって、プロのモデルにポーズを指定して、カッコよく撮るのではなく、友達とラフに遊びながら撮ろうと。そのほうが僕らしい作品が作れると思うんです。

◆作品には身体性を取り入れる

―加工もまた、かなりダイナミックですね。

この線は、トラックパッドで指を動かした軌跡なんですが、指の動きの連続性を表現できないかなと思ったのが出発点です。ブラシの濃度を変えたらこの表現が生まれました。

―小林さんが線を描くときに使うのは、マウスやタブレットではなく、“指”なんですね。

はい。指で何回かなぞって、いちばんしっくり来る形を選んでいます。

―気持ちいい瞬間があるんですか?

デジタルにも質感があると僕は考えていて。パソコンの処理速度は、どうしても自分の指のスピードより遅くなるので、モニタ上では実際の指の動きを追いかけた軌跡ができますよね。指の動きに対して、軌跡がゆっくりと変化していく。

すると視覚的な重みや質感が感じられて、まるで重たい液体をかき混ぜているような感覚になるんです。

―へえ〜!おもしろいですねえ。

ラグができて、軌跡を見ながら次の動きを決めていると、数秒前の自分と対話しているような気分になるんです。それも不思議な感覚で、楽しいですよ。

―デジタルだからこそ、アナログのことを考えるというか。

そうですね。身体性をどうやって作品に取り入れていくか、というのは大きな課題でもあります。

抽象絵画でも、大きなキャンパスに全身を使って描く線と、小さなキャンパスに正対して描くときの線とでは違ったよさがありますが、とくにデジタル空間では線を自在に拡大縮小できてしまうだけに、どう作品に反映するのがベストなのかは考えていきたいなと思っています。

今、友達のプログラマとコラボレーションして、パフォーマンス用のアプリケーションを開発してもらっているんです。スマートフォンを持って全身を動かすと、それがマウスカーソルの動きとして認識されて、編集作業ができるという。

―それによってまた表現が変わってくるわけですね。

自分の動きを、もっといろんな形で作品とリンクさせていきたいです。さっきの書道の話のように、人間は動きから物事を読み取る力がある。動きを追求することで、新しい真実にたどり着けるんじゃないかなと。

◆真実を追求する先に、新しい表現がある

―「真を写す」という言葉も出ましたが、真実を追求したいというのが小林さんのなかの大きな原動力なんですね。

はい。今は写真やアートというのがその手段なんですが、そうした視覚的な表現だけじゃなくて、音楽的、空間的、身体全体を使った動きでも、真実や美に向き合っていきたいなあと。

いまは身体表現の師匠に東洋的な舞いを教わっていて、「レクイエム神楽」という作品を一緒に作らせていただいています。そのなかで、自分で音作りもはじめました。師匠からは、東洋の文化のなかで、いかに身体の動きが大切だったかを教わっています。歴史から学ぶこともとても多いです。

―そういった探求も、アートと等しく大切なことだと。

上野の特別展でラスコーの壁画を見たときに、あの有名な牛の絵の下に、9つのグリッドが 描かれていたんです。グリッドとは、ドット化するときの形です。

それが描かれた理由はわからないけれど、躍動感のある有機的な絵と、幾何学的で人工的な模様が描かれていたことに僕は感激して。遥か昔に、生命的な情緒を描く人間と、概念的な幾何学を描く人間がすでに存在していた。そして彼らは、1万年以上前から現代まで、互いにぶつかりながら文明を築き上げてきたんだなと。

壁画に描かれた有機的な線と幾何学的な線のなかに、人間の本質と、歴史が表現されているなと。

―その視座が、デジタルのこの世界観に反映されていると思うとさらに魅力的ですね。これからの小林さんの写真表現が、どう変わっていくかも楽しみです。

最近ではコロナによって海外での撮影が難しくなって、現地の写真家が撮った作品を加工することを試みています。

以前は、「写真と編集はセットで引き受けたい」というこだわりがあったんですが、世界情勢が変わるなかで僕もいろんなことに挑戦しようと。

いままでやってきた編集方法と簡単にマッチしない作品が送られて来ても、それならこうしてみようかな、とアプローチを変えてトライしています。これもひとつの写真の可能性の広がりだと思いますから。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>

小林健太
こばやし・けんた|写真家&デジタル・アーティスト。1992年、神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。2016年に初個展「#photo」を開催し、写真集『Everything_1』を発行。2019年ファッションブランド〈ダンヒル〉の2020年春夏コレクションでコラボレーションを行った。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

テレ朝動画 では最新話を配信中!

Art Sticker では、小林健太の作品を詳しく紹介!

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