新感覚アート番組『アルスくんとテクネちゃん』、第18回の放送に登場したのは現代美術家、原田郁さん。原田さんはバーチャル上に家や木、山、川などを配置した自分にとっての理想郷を作り、その理想郷のなかで出会った風景を、キャンパスに絵画として描き出している。バーチャル上の風景を、なぜあえて絵画として現実世界に生みだすのか? 原田さんが絵画に対して抱く特別な想いにせまる。
◆誰もが思い浮かべるシンプルな形と色で描く
―原田さんの絵は、どうやって制作されているんでしょうか?まず、その手順を教えていただけますか。
まず、3Dモデリングソフトを使ってバーチャル空間のなかに家や木などのオブジェクトを作っていきます。そしてそのバーチャル上の空間から、景色を切り出して、絵画として描くというやり方で制作しています。いわゆるユートピアとか理想郷と呼ばれる世界観がありますが、この空間は私のなかではそれにあたります。
-バーチャル上に空間を作るときのルールというか、コンセプトはあるんでしょうか。
自分にとっての原風景とはどんな情景だろう? というのが制作の根本になっています。
こういう景色に出会いたいな、というものをバーチャル上に自由につくりあげていくというか。あわせて、自分の日常の出来事や心情なども、なんらかの形状に変換して日記のように残していきます。
たとえば私の息子が3歳のときに突然、胎内記憶のような物語を語ってくれたことがあって、これは忘れたくないなと思い、彼と対話をしながらオブジェクトを制作して世界のなかに入れ込んだこともありました。それはピンク色の巨大な山で、てっぺんにある小さな家のなかで息子は私を待っていたという内容で。私はそこまでのアプローチを長い梯子や階段や、さらにはゴツゴツした岩肌を登って行かなければならない…というものでした。
―なるほど、個人的な記録があちこちに張り巡らされていると。おもしろいですね。原田さんの作品に出てくるオブジェクトは、姿かたちがちょっとカクカクッとしていてゲームの世界に迷い込んだような感じがします。
私が使用している3Dモデリングソフトのオブジェクトは、ポリゴンという線と面で構成された立体構造で作られるので、自然とカクカクした平面性の高い空間ができあがるんです。
私にとってポリゴンの直線的な線や面は、視覚情報としては理想的です。リアルそうでリアルじゃない、ちょうどよく記号的で作り物のような風景ができあがる。この感じであればどこかにありそうな風景だとも捉えてもらえるかなって。いろいろと試行錯誤してこの塩梅に落ち着いています。
―リアルそうでリアルじゃないラインを狙う意図というのは?
山ならこんな形、家ならこんな形、って多くの人がイメージできる形ってありますよね。あえて情報過多にせず、誰もが思い浮かべやすいシンプルな形にすることで、3歳の子どもからおじいちゃんまでが、それぞれの記憶や思い出を投影して見入ってくれるんじゃないかなと。
―自分が思い描く山や家の形を心に浮かべながら鑑賞できるわけですね。色数もあえて少なくされているんでしょうか。
色数については子どもの色鉛筆とかクレヨンのセットを意識しています。大体12色くらいじゃないですか。つまりそれだけで世界は描けるってことなんじゃないか、と。
空の色、雲の色、水の色、花の色、木の色、土の色。自然の色がこんなにも明快にわかりやすく並んでいるんです。大人にとっては当たり前すぎて馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、なんだか興奮しませんか。色鉛筆セットをもらったときに、「世界をまるごと手渡された」という気持ちになるというか。そういうポジティブな気持ちで、あえて色幅を狭めているところはありますね。
あとは、たとえばですがイエローは母性とか、ブルーは父性とか、私のなかの意味付けで色を選び出す場合もあります。いちいち言葉にはしませんが、この空間は私の心情を投影した日記的な場所でもあるので。
◆神の視点で創り、訪問者の視点で描く
―なるほど。空間のなかから、どうやって絵を描く場所を決めているのでしょうか。
あくまでわかりやすく例えるとなんですが、空間をつくるときは神の視点で手を入れていきます。
いざ絵画を制作しよう、というときは別の人格にスイッチを入れ替えて、訪問者の視点でバーチャルの世界に入っていきます。
―人格が変わるんですか。
なんというか、訪問者として世界に入るときは写生をするために出かける絵描きの視点みたいなものがあって、「いい風景に出会いにいこう」という気分なんです。
ソフトウェアでは365日、24時間、あらゆる時間に設定できるので、世界の太陽の高さや日の当たり方を決められるんですね。つまり影の長さも変化するんです。私がけっこうこだわる部分が影なんですが、伸び縮みして風景もかなり変わって見えてくるんですよ。それで納得する構図が得られるまで、一日中同じ場所をぐるぐる回ったりして。
―散歩に出かけるような感じなんですね。
そうですね。そのときのバイオリズムとか気分で、「ここをどうしても描きたい!」ってピンとくることもあります。そういうときはすぐその場所をスクショして、画面を決めて。いわゆるスナップを撮るとかスケッチを取るみたいな行為ですね。 「さあて、スタジオへ戻って描くぞー!」とほくほくした気持ちになります。
―そこからどうやって絵になっていくんでしょう。
木枠にキャンバスを張ったものに、プロジェクターでキャプチャした画像を投影してトレースし、その後パソコンの画面を見ながら絵の具で写し取っていきます。光の三原色で作られた色を絵の具で置き換えて描いていくことになりますが、色味は画面から忠実に拾うわけではなくて、風景を写生して描いている感覚です。
―なるほど。
いわゆるRGB規格の数値や#FFFFFF(カラーコード)を、厳密にCMYK規格に変換して調合して…というように置き換えるんじゃなくて、私が感じ取った色で描いていきます。
―スクショした画像をそのままコピーするわけではないんですね。
そうですね。厳密な正確さよりも、味わいとか絵心とか自分の心情を反映させるために絵の具を調合して、丁寧に色を置いていく、ということを意識的にやっています。
◆自分の描きたい風景を追い求めて
―そもそもこの3Dの世界が生まれたのは、どういう経緯があったんですか?
子どものころから絵はずっと描いていて、大好きでした。いつかは何か絵を描く人(?)になるだろうなと思っていました。生まれ育ったのは山形県のなかでもさらに田舎ののどかな場所ですが、中学生のときに、漠然と東京に行きたいなって思ったんです。つまり絵に関する情報が欲しいというか、純粋にもっといろんな世界を知りたかったんでしょうね。それで大学は東京造形大学の絵画専攻に進んだんですけど。
当然ですが、都会って自然がないところにはまったくないんですよね。その一方で情報はものすごくあるけれど、ありすぎちゃって、自分に必要な情報を選ぶのも大変になってきて。パニックです。世界を知るってどういうことかわからなくなっていました。
―田舎とはまるで違うと。
作品制作においても、これが主流だとかあれが主流だとか、いろいろな意見やトレンドがあるんですよね。そんな大量の情報のなかで自分が求めるものになかなか気づくことができない大学時代を過ごしていました。途方に暮れ、しまいには絵を描くのも嫌いになりかけて。それでホームシックにかかっていたとき、今の制作スタイルに辿り着いたんです。ここ(東京)で勝負し続けなきゃいけないんだとしたら…心のよりどころとして昔の大切な場所をバーチャル上に作ってみるのはどうかなと。
―なんだか泣けてきますね…。
青春時代の話はすごく恥ずかしいです(笑)。
実はその頃、友達に、今では世界的にヒットしているゲーム『どうぶつの森』の初期のシリーズを、ニンテンドーDSという携帯型ゲーム機で触らせてもらったんです。
まったくゲームに縁のない私でしたが、みんなが没入していくその楽しさに共感できました。そして同時にこれは制作のヒントになるぞと思ったんです。仮想の世界は思うがままだし、ちゃんとセーブをかければ半永久的にデータとして残るわけだし…とにかくそれを身に離さず抱いていればいいんだなって。はじめて自分自身を軸にした作品が、ここから作っていけそうだと予感がしました。
―なるほど、それであの空間ができあがっていったんですね。
幼少の頃は、風景をよく描いていました。絵の道具をかばんに詰めて、誰も行かなそうな秘密の場所を探したりとか。お気に入りのビューポイントはいくつかありました。
私の実家は盆地に位置していて、大きく山も見えるし、田園が視界いっぱい広がっていました。少し行けば一級河川の最上川も流れていて。
とくに思い出に残っているのは小学校の裏山から見える景色です。雪国なので冬は一帯が真っ白になるんですよ。そのあと雪解けがあり、田んぼに水が張られると水鏡ができて、そこに青空がぱんっと映る。そういう光景を眺めて育ってきたんです。
―自然が豊かそうですね。
都会と比べてしまえば自然以外何もないのですが、振り返ってみれば何もないなりの大きな豊かさがありました。
そんな原風景を想い起こしながら、自分の理想の景色に出合える仮想のユートピアを作ろうと。それからこうやって10年以上耕してきました。これは私だけのユートピアなので、他の人は踏み入ることはできない。だから絵に描いて発表することでこの世界の真相を知ってほしい、そういう想いはありますね。
◆仮想世界は、生きた証を記すお墓
―このバーチャル空間はいつまでも広がり続けるのですか。
そうですね…。たとえば「この世界はいつ終わるんですか?」と問われたら、その答えは「私が死ぬとき」です。それはもう明確ですね。なんというか、墓石を作っているような感覚なんです。
―お墓ですか?
そうです。この作品を作りはじめる前に、自分の生きた証とか、私が現実に存在したという情報を、どうやって残していけるかと考えたんですね。そうしたら、必然的に終わり方も考えていました。
その、お墓っていうとあれですけどね(笑)。ポジティプに捉えてはじめたものだし、それは今もこの先も変わらないです。
絵画を描くことでももちろん情報は残せます。絵画はもともとそういった役目や能力をもっているものです。ですが、優れた環境下で保護されなければ意味がなかったりもして。それを補完する観点からいうと、この仮想世界はデータとしても残せるところがもうひとつの強みだと思っています。
私の最期はクラウド上にぽんとデータを預けておき、後々ネットの考古学者に拾ってもらえたらうれしいな…なんて。遠い未来に想いを馳せるといろいろおもしろくなってきますね。
―たしかにそうですね。
最近は、さらに情報の残し方について考えることが増えました。
実際は、私だけでなく多くの人が考えているところではないかなと。テクノロジーが発達して万能感を得ながらも、いまの日本は天災大国のようなところがあって、自然界の脅威には人間の非力さを痛感させられます。
私も実感しているのですが、当たり前の日常や思い出が奪われたとき、壊れたとき、人は深く心を痛めます。何かが起こってしまったときに物質的に弱いもの、たくさんありますよね。もちろんデータの世界もかなりもろいです。電力供給が遮断されたら何もできませんし。それでも人はどうにかしてそれらを取り戻したいと願います。
近年、そういった場面に日本は何度も直面していますよね。経験から私たちは情報の残し方や繋ぎ方をそれぞれの場合と方法で、編み出しはじめているのではないかと思います。
―何がリアルで何がバーチャルかさえ区別しにくい時代になってきている気がします。原田さんの場合、バーチャルがとても身近にあるような気がするんですけど、どう向き合ってらっしゃいますか?
バーチャルのよさは現実世界の臨場感をうまく演出してくれるところかな、と思っています。
リアルとバーチャルは相互補完関係にありますけど、コロナ禍中の今時期はとくにこの関係に助けられていますよね。美術業界ではVR展覧会など、よく見受けられるようになりましたし。
私の感覚ではバーチャルの世界は現実世界に出ていくための、扉を開けて進む前の準備の場所でもあるし、希望を捨てないための救済の場所でもあるというか。
―なるほど。希望を捨てないための場所がこつこつとつくられていると。原田さんはこれからもバーチャル空間のなかの風景を描き続けていくわけですね。
そうですね。この先も何十年もかけて耕していきたいな、拡張していきたいなと思っています。それとともに、作品をいかに展開していけるかという挑戦もあります。最近では絵画作品のほかに立体作品や動画、そして錯視を利用したインスタレーションなども生みだしてきました。これからもどんな形式であれ、私の見ている景色を描き出していきたいと思っています。そこにずっと変わりはありません。
<文:飯田ネオ 撮影:You Ishii>
原田郁
現代美術家
はらだ・いく|1982年、山形県生まれ。2007年に東京造形大学大学院美術専攻領域絵画科を修了。「群馬青年ビエンナーレ 2010」に入選し、『GEISAI#14』(2010)でリキテックス賞を受賞。主な個展に「Within Without」(2021)、「TaipeiDangdai」(2020)、「もうひとつの世界 10年目の地図」(2019)、「NEW DIMENSIONS」(2018)など。現在、府中市美術館で開催されている「メイド・イン・フチュウ 公開制作の20年」(2021年2月28日まで)、NTT ICCで開催の「多層世界の中のもうひとつのミュージアム——ハイパーICCへようこそ」(2021年3月31日まで)に参加中。
※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん』
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)
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