「ふたつの祖国に根をおろしたい」現代美術家・スクリプカリウ落合安奈が問い続ける“土地”と“人”の結びつき

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第19回の放送に登場したのは、“土地と人との結びつき”をテーマに作品を生み出す現代美術家、スクリプカリウ落合安奈さん。落合さんはベトナムで出合った江戸時代の日本人の墓に着想を得て、カーテンの先に広がる大海と風の揺らぎを表現した作品を発表している。海は土地と土地とを隔てる壁であり、一方で見知らぬ種を遠い場所へと運び、命を芽吹かせる繋がりを生むふたつの顔を併せもつ。海という存在を通して、国と国、私とあなた、その曖昧な境界線をそっと映し出す、落合さんのまなざしの先にあるものとは。

◆墓のまなざしの先には海があった

―落合さんの《骨を、うめる-one’s final home》という作品は、カーテンに揺れる海の映像がなんとも言えず美しいですね。これはどちらの海なんですか?

2019年に、ベトナムのホイアンという世界遺産の港町で撮ったものです。ベトナムと日本の若手アーティストが共同生活をしながら作品をつくって発表するというアーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)の機会をいただいて、そのときに思いついたものです。

―ベトナムの海なんですね。もともとこういった作品を作ろうと?

いえ、ベトナムに行く前は焼き物の村とか、水上人形劇とか、そういったおもしろいものをチェックしていたんですけど、ちょっと気になるお墓があって。

―お墓ですか。

旧市街から少し離れた広大な畑の真ん中に、江戸時代の日本人のお墓があったんです。長崎の平戸出身の商人の方で、朱印船貿易のころにベトナムに渡った方らしくて。たしかな記録はほとんど残っていないんですけど、伝説みたいなものがいくつか残っていて。

―興味深いですね。

なんでも、ベトナムでフィアンセの女性ができて結婚しようとしていた矢先、いわゆる日本の鎖国政策がはじまってしまった。彼はやむなく一時帰国するんですが、どうしても会いたいと再びベトナムを目指したそうなんです。

帰国後に船は取り上げられてしまったけれど、時間をかけて苦心して。無事に戻って病気になって亡くなったとか、船が転覆してしまったとか、言い伝えはいろいろあるんですけど、とにかく彼のお墓というのが今も存在しているんです。

―落合さんはそのお墓を見に行ったんですね。

そうなんです。そうしたら、お墓の正面が日本の方角を向いていて。本人が遺言を残したのか家族が故郷に向けて建てたのか、本当のことはわからないけれど、いろんなことが想像できるなと感じて。とにかく墓のまなざしのその先に、何があるのか見たい。そう思ってまっすぐ歩いていったら、ちょうど地面が途切れたところに海が広がっていたんです。

―なるほど! それがあのカーテンに映る海なんですね。

そうです。墓のまなざしに導かれて、海に引き合わされたような感じでした。もし行き着いた先が山だったら、山の作品を作ったかもしれません。

◆自分の意思で「ふたつの国に根をおろす」

 

―偶然出会った海ではありますが、作品にするということは何か落合さんの思いが重なったんでしょうか。

そうですね。海というのは移動を阻むものではあるけれど、商人の彼は船に乗り、風に押され、海の上をわたってベトナムに辿り着いた。つまり、海は国との隔たりでもあるし、人が行き交うつながりでもあるなと感じました。

―ふたつの側面があると。

私には、日本とルーマニアというふたつの母国があるんです。日本では二重国籍が積極的には認められていないから、22歳までに国籍を選択しなければならず、小さい頃からずっとどっちにしようか考えてきました。

日本で生まれ育ってるんだから日本人にならなければ、という強迫観念もありました。でも同時に、海の向こうの地球半周分くらい離れている東欧から呼ばれている気がしていたんです。灯台みたいにピカピカ光って、私を呼んでいるような。

そんなふうに、常に宙ぶらりんの根なし草みたいな浮遊感があったんですけど、あるとき自分の意思で「ふたつの国に根をおろしたい!」という気持ちが芽生えたんですよ。

―“祖国”というものをあらためて考えてみようと思われたんですね。

社会通念上のルールや制度、そういった大きな力に抗って、自分の意志でズボズボッと根をおろすイメージですね。その思いが自発的に飛び出したことで、生き方も作品の方向も変わって、“土地と人の結びつき”という方向を模索するようになっていったんです。

―“土地と人の結びつき”というと?

祖国に根をおろすとは、と考えたときに、まず日本とルーマニアを中心とした土着のお祭りや儀式なんかを調べてみたんです。そういう行事ごとって土地の哲学が凝縮されていて、地球の回転や季節感とも関係しているから、土地と人とが結びつきが色濃く表れている。

結びついていることで育まれることもあれば、結びついていないから自由になれることだってある。そういったことを身体で感じて考えて、作品にしていきたいなと。

―その先に生まれたのが『骨を、うめる-one’s final home』なんですね。カーテンに映像を投影したことで波の揺れがよりリアルに見えます。

境界の揺らぎみたいなものを意識しています。国と国、私とあなた、見えるもの見えないもの、人が勝手に引いたボーダー的なもの、そういったさまざまな輪郭の意味を、揺らぎのなかに何か見いだせる気がしていて。そこに可能性があると感じているんです。

◆阻む海と、つなぐ海

―そういえば、長崎側の視点を描いた作品もあるんですよね。

新作の映像作品『Double horizon』ですね。これは、長崎の平戸で見つけた「じゃがたら娘の像」がヒントになっています。

―ふたつは関連しているんですか?

まず、『骨を、うめる-one’s final home』の着想の元になった商人が、長崎の平戸出身だったんですね。墓に刻まれていて知ったんですが、じゃあ彼が生まれた土地に行ってみようと。1年越しで、昨年の夏に平戸へ行きました。

生家や痕跡を辿ってはみたんですが、残念ながら何も見つからなくて。でもそこで「じゃがたら娘の像」に出会ったんです。

―商人を追いかけて平戸へ行ったら、新たに気になるものが。

そうなんです。長崎は貿易都市だったので、江戸時代にも国際結婚があったそうで。オランダ商館もあったから、外国の人と日本人女性が結婚して子どもが生まれたりして。

でもいわゆる鎖国政策が進むなかで、外国人と結婚している女性とその子どもを国外追放にするという幕府のお達しが出たんです。

―ひどい法令ですね。

それで泣く泣く数十名の女性と子どもが船に乗せられて、島流しに近い形で追放されてしまった。彼女たちが辿り着いたのは、じゃがたら、つまり今のジャカルタでした。

日本に帰れないじゃがたら娘たちは、「日本恋しや」と布に書いて親族に文を送った。平戸に今も残っているものは、紙だと水で破れてしまうから、更紗のような布をパッチワークのようにして手紙を書いたそうです。それが「じゃがたら文」という歴史的史料になっていて。

―悲しい話……。

一方で、平戸の港には小さな小島が浮かんでいて、そこには遠くから流れ着いたさまざまな植物が自生しているんです。生態系を守るために立ち入り禁止になっているんですけど、それくらい植物が生き生きと生い茂っている。

じゃがたら娘たちは海を越えて異国の地に渡らざるを得なかったけれど、こうして波にのって土地に打ち寄せられて根をおろす種がある。そのコントラストが不思議だなって。

―ここでもやはり、隔たりとつながりが浮き上がってくるんですね。

商人の足跡はわからなかったけれど、ベトナムと平戸、そのふたつの視線が交錯するような作品を作ってみようと。そこで平戸からホイアンの方角を向き、墓のまなざしを見つめ返すような形で海を撮影しました。

―ベトナムと平戸、まるで落合さんが何かに導かれているようです。ところで作品名の「骨を、うめる」は落合さんがさきほど仰った「国に根をおろす」につながる気がしますが、現時点ではどこに骨を埋めたいと考えていらっしゃるのでしょうか。

作品を見るひとにそれ自体を問うている側面もあるのですが、私自身は日本にもルーマニアにも根をおろしたいので、両方に埋めたいですね。ただ、死ぬまでそう思ってるかはわからない。アイデンティティはちょっとずつ変わるし、今後も変わっていくもの。揺らぎ続けることは生きて行く上で自然なことだと思っています。

―他の作品を見ると、たとえばこの『The backside over there』もまた、海がモチーフです。

これは2015年に制作した、今も続いているシリーズです。トルコにフィールドワークに行ったとき、夕方になると住人と思われる人たちが旧市街から海辺に出てくる習慣があって。みんな海辺で思い思いの過ごし方をしていたんです。

海辺にテトラポッドが折り重なったような防波堤があって、ちょっとした遊び場のようになっていて。音楽を奏でる人もいれば、ただ海をぼーっと眺めている人もいたり、語り合ったり。いいなあと思って、遠くからカメラを向けたんです。

そうしたら海が壁のように立ち上がってくるような写真が撮れたんですね。これは遠くから望遠レンズで撮影すると発生する、機械的な現象なのですが。

―遠くのほうがうわっと盛り上がって、合成みたいに見える現象ですね。

そうです。この写真を見たとき、今まで自分自身が海に感じていた“移動を阻む壁”としての顔と、潮流にのせて種を届ける“出会わせる・つなぐ”という顔が、急にビジュアルになって現れた感覚があったんです。

そこから何日も通い続けて撮影をし、その写真をプリントした高さ2m、横幅2m、そして奥行き50cmの分厚い壁をつくりました。

この前で写真を撮ると、実際に本物の海を見つめているのと同じような写真ができあがるんですよ。さらに展示のときは、作品を体験した方がネット投稿もできるようにしています。

―なぜそうしたインタラクティブ型の作品にされたんでしょう?

時間的にも空間的にも離れている人々がイメージ上でつながり合うことが重要だと思っていて。ネット上に投稿されると、どれが誰かも、いつの写真かもわからなくなるけど、全員が同じように海の前にいる、不思議なつながりが生まれている。

今回は最初期に制作したトルコの海だけど、世界中の海でやれたらなって思っています。いろんなつながりが感じられるようになった作品ですね。

◆境界のない「大きな存在」を生みだしたい

―おもしろいです。落合さんは昔からこういった写真表現をされていたんですか?

最初は油絵です。美大の油絵科を目指していて、美術予備校で絵を描いていたときに、「あなたが得意なのはコンセプトを絵にすること」と見出してくれた先生がいて。それで思想をビジュアル化する方法を考えはじめました。

育ってきた背景が違うと周囲とわかりあえないし、言葉で共有できない難しさや苦しさがあるけれど、ビジュアルランゲージとして表現すれば伝わるかもしれないと思って。それで素材にとらわれず、大型のインスタレーションを作るようになりました。

―それで写真という手段を使うように。

ここ近年はずっと、写真と映像の中間のような表現が多かったですね。最近興味をもっているのは焼き物。何年か取り組み方を考えている表現方法です。やっぱり土なので、土地との結びつきを考える意味でも興味がありますね。

―“土地と人のつながり”というテーマは今後も継続されていくわけですね。

コロナ禍の今は少し難しいですけど、やっぱりいろんな土地に移動して、いろんな人や文化に出合うことが好き。ですから写真や映像のように自分の体を動かさないとキャッチできないフィジカルな表現は、これからも大事にしていくと思います。

あと、作品はどんどん大きくなっていくと思います。それこそ境界がないくらい「なにか大きな存在」といったような作品を生みたいと思っています。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>

 

スクリプカリウ落合安奈

現代美術家

スクリプカリウおちあいあな|1992年、埼玉県生まれ。2016年に東京藝術大学大学油画専攻を首席、美術学部総代で卒業。2019年に同大学美術研究科グローバルアートプラクティス専攻を卒業。主な個展に、「Blessing beyond the borders- 越境する祝福 -」埼玉県立近代美術館(2020)、「Imagine opposite shore ― 対岸を想う」銀座蔦屋書店(2020)。また主な展示に都美セレクショングループ展2019 『星座を想像するように-過去、現在、未来』東京都美術館(2019)、『Y.A.C. RESULTS 2020』ルーマニア国立現代美術館(2020) など 。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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