坂本花織、第二の人生に指導者を選んだ理由「それに自分も惹かれて…」追いかけ続ける偉大な背中
現役引退を発表したフィギュアスケート・坂本花織(26歳)。
五輪2大会連続のメダル獲得、そして日本女子最多となる4度の世界選手権制覇と、長年にわたりフィギュアスケート界を牽引してきた。
しかし、21年に及ぶその競技生活は、葛藤の連続だった。
テレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』では、引退会見の1週間前におこなわれたトークイベントの模様を紹介。会見では明かされなかった坂本の本音や、激動のスケート人生の裏にあったさまざまな思い、さらには第二の人生である指導者の夢に迫った。
◆21年の現役生活を支えた恩師と盟友との出会い
5月6日、イベント会場となった東京ドリームパークには、多くのファンが詰めかけた。ステージに登壇し、会場を埋め尽くした客席の景色を見渡した坂本は、「本当に嬉しい限りです」と晴れやかな笑顔を見せた。
インタビュアーが「引退後、どんな日々を過ごされていますか?」と尋ねると…。
「自分の練習は今まったくしていない状態なので、体が超なまってます。『引退したらお母さんが作るコロッケを食べたい』って言っていたので、さっそく作って持ってきてくれて、いきなり5個食べましたね(笑)」
さっそくこれまでの坂本の歩みを振り返ることに。会場には、小学生時代から坂本を知る盟友であり、坂本と同じく昨シーズン限りで現役を引退した樋口新葉も登場した。
――坂本さんがスケートを始めた7歳の頃の写真があります。もうこの頃には大会に出ていたのかな? かわいいですね。
坂本:「こう見ると、フェンスよりも小さかった頃から一緒にやってたんだなって感じですよね」
――子どもの頃の花織さんから見て、中野コーチはどういう存在だったんですか?
坂本:「めちゃめちゃ怖い先生でした。褒められることもあったんですけど、褒められると言っても『うん、いいんじゃない?』ぐらい。怒られた印象が強すぎて、怖い先生っていうイメージでした。でも、技術面は中野先生の言うことが正しいので、そこは真面目に聞いて、それ以外のところは『うんうん』ってやや聞き流すみたいな感じだったんですけど(笑)。尊敬していますね」
――坂本さんと樋口さんが初めて出会った頃のお話を、お2人で振り返っていただきたいです。
坂本:「新葉がすでにトリプルルッツを組み込んでやっていて、自分は逃げてダブルルッツにしたら、先生から『いつまで経っても樋口新葉には勝てないやん!』ってめちゃめちゃ怒られました。もう本当に新葉には勝てない。すごすぎる人っていうイメージでした」
樋口:「5分間走という測定があって、私は全力で走っても先頭の人と2周差がつくぐらい走るのが苦手だったんです。でも、そこでかおちゃん(坂本)が爆走しているのを見て、『すごっ!』と思いました」
◆2度目の五輪でつかんだ栄光、そして次の目標へ
同世代のトップだった樋口を追いかけ、努力を重ねた坂本。シニアデビュー後も切磋琢磨は続き、五輪出場を先につかんだのは坂本のほうだった。
初めての夢舞台となった平昌五輪で坂本は6位入賞。翌シーズンには初の全日本女王となり、確固たる地位を築いていった。そして北京五輪では、ついに盟友・樋口と揃っての代表入りを果たした。
――代表選考会の前に、2人で「一緒に行こう」という話はしていたんですか?
坂本:「北京五輪を決める全日本選手権で、『2人で絶対行こう』っていう話をしていました」
樋口:「したね。なんとか2人で乗り越えて」
坂本:「乗り越えたね。頑張ったから終わった瞬間、2人でブワーって泣いて。『よかったー』って」
選手村でも同部屋だった2人は、メダルを狙う団体戦に向けて調整を続けた。本番では、先陣を切った樋口がノーミスの演技でチームを勢いづけ、フリーを滑る坂本へバトンを渡す。すると、坂本もそれに応えるように会心の演技を披露。日本フィギュア初となる団体メダルに貢献した。
さらに、続く個人戦でも坂本は銅メダルを獲得。2度目の五輪は満足のいく結果となった。
――北京五輪の後、「ここで引退しよう」とかは頭にはなかったんですか?
坂本:「ありました。大学3年生の年だったので、もう1年やって辞めたらちょうどキリがいいかな、くらいに最初は思っていました。大学卒業とともに引退してもいいかなって」
樋口:「私もまったく同じ予定でした」
坂本:「その予定で過ごしていたけど、ちょっと計画が狂ったというか、メダルを獲ったことによって、良いほうに狂いましたね」
次こそは金メダル――。坂本に新たなモチベーションが芽生えた。
坂本:「ミラノ五輪のシーズンは、自分の中で確実に見えていたゴール。ゴールが見えている4年間って頑張り甲斐しかなくて、いろんなことを取り組むにあたっても『これをやるのは今しかない!』みたいな感じで気持ちが乗ってくるようになりました」
そこから女子フィギュア界は、坂本を中心に回っていく。2022年の世界選手権で初の金メダルに輝くと、2023年はグランプリファイナルを初制覇。2024年には、日本人史上初の世界選手権3連覇を達成。金メダル有力候補として、3度目の五輪シーズンに向かった。
――ラストシーズンを控えたオフに、2人で旅行に行ったというお話を伺いました。
樋口:「喋りまくって、喋りまくったよね(笑)」
坂本:「喋りまくって寝不足になって、『ヤバい!あと15分でチェックアウトだよ!』ってくらいまで寝てた。喋り倒しすぎてね(笑)。この時には2人とも引退の話は確実にしていたので、『どういう終わり方がいいかな』『あと1年頑張りたいよね』って喋ったり。今後のスケート界について話したりしました」
樋口:「それはめちゃくちゃ印象的だった」
坂本:「スケートの話ってやっぱりシビアなので、話し相手は選ばないといけないんですけど、新葉なら隠さずに思ってることを全部伝えられるし、それに対して新葉がどう思っているのかっていう意見もほしいから、いちばんに話すかな」
樋口:「私もそうかも」
◆五輪直前に襲った不安と、りくりゅうがくれた勇気
2025年12月、ミラノ五輪出場をかけた全日本選手権。坂本は堂々の5連覇を果たし代表切符をつかんだ一方、樋口は脚のケガの影響もあり、代表3枠に届かず。これが現役最後の試合となった。
――坂本さんは樋口さんが最後まで戦い抜いた姿も受け取って、五輪代表に決定しましたね。
坂本:「でも、『一緒に行きたい』ってめっちゃ言ってたんですよ」
樋口:「私ももちろんその目標はずっと持ちながら戦っていたんです。一緒に五輪には行けないかもしれないけど、同じような気持ちで終えられるようにっていうのは、すごく思いながらやっていました」
坂本:「その気持ちを受け取って、私は頑張りました!」
樋口:「めっちゃ『頑張ってね』って言ったよね(笑)」
迎えたミラノ五輪。最初に臨んだ団体戦で、坂本は前回以上の重責を担うことになった。
――団体戦のショートとフリーは別の選手が演技をすることが多いなか、坂本さんは今回両方行きましたね。
坂本:「そうですね。全日本選手権が終わったぐらいのタイミングで連盟からアンケートがあったんですよ。『団体戦に出る意思はあるか。出るならショートとフリーどちらに出たいか、それとも両方出たいのか』みたいな。私は『どんな連盟の判断でも受け入れます』って書いたら、返ってきた返事が『両方出てください』だったんですね」
その期待通り、ショートで1位になると、続くフリーでも再び1位を獲得し、日本の2大会連続銀メダルに大きく貢献した。
しかし、集大成となる個人戦を前に坂本に「異変」が起きる。当時、メディアの前で張り詰めた表情のまま、切実な不安をこう吐露していた。
「正直、ここまでの頑張りが、ここにきて報われなかったらどうしようっていう不安が、今めちゃくちゃ襲いかかっています」
――メディアの前でも「怖い」とおっしゃっていた。どういう心境だったんですか?
坂本:「その言葉のまんまですね。銀メダル以上とは言いつつ、金メダルを目指して練習してきたので、その結果が出るかどうかが、本当にわからなくなっちゃって、自分を見失ってしまったんです。
いつもの攻める姿勢で挑んでいたらそんなことは考えなくて済むんですけど、やっぱり長期間同じ(五輪会場の)場所にいるとフレッシュな気持ちを保つのが難しくて。どんどんマイナスなほうに陥って限界がきて、『怖い、怖い』ってめっちゃ泣いていました」
そのきっかけは、金メダル候補が次々と見舞われた波乱にあった。男子では、絶対王者イリア・マリニンがフリーで失速し、8位というまさかの結果に終わり、ペアでも世界王者の「りくりゅう」こと三浦璃来・木原龍一組がショートで信じられないミス。金メダル候補ゆえの計りしれない重圧を目の当たりにしていた。
坂本:「あのマリニンの演技で『ああ、ヤバい』ってなって、りくりゅうのショートのミスを見て『もうこれはちょっとヤバいかも』ってなりました。この人たちが金メダルを獲らなかったら誰が獲るのっていうぐらいの練習のクオリティだったから、その人たちでもこんなミスをするんだって思ったら、もう全然自信がなくなってしまって、そこでメンタルが崩れました」
――それをどう乗り越えて、どうメダルにまで繋げていったんですか?
坂本:「いちばん大きかったのは、りくりゅうの金メダルを見たこと。最後まで諦めない気持ちをもう一度気付かせてくれた場面でした」
――勇気が湧きましたか?
坂本:「だいぶ復活しました」
それでも、悲願だった五輪の金メダルには、わずかに届かず。試合後は涙が止まらなかった。
坂本:「五輪が悔しさで終わるのは、正直予想していなかった。金メダルを持って『イェーイ!』って喜んで引退している自分を想像していたので、想像と違ったなっていう印象。こんなに悔しい気持ちで最後終わっちゃうんだって、その時すごく思いました。でも、せっかく世界選手権に出られるチャンスがあるのに、ここで辞めるわけにはいかないと思って、最後の力を振り絞って、やりきって完全優勝することができました」
◆第二の人生・指導者としての勝負
世界選手権4度目の優勝で、現役生活に幕を下ろした坂本。引退後は指導者の道を選び、すぐに見習い修行が始まったという。
坂本:「自分の教えた子たちが、自分のような実績を残してくれたらすごく嬉しいなと思います。でも、そこに行くには絶対に長い年月がかかると思うので、こっちもこっちで勝負だなっていう感じがしますね。いろんな子の成長が見れるのは楽しみなので、自分の経験も活かしつつ、その子その子に合わせた指導ができたらいいなと思います」
――指導者になりたいと思った理由は何かあるんですか?
坂本:「怒られ続けているけど、やっぱり中野先生が大好きなんです。中野先生の指導法は本当に意味のあるものが多くて、スケートだけじゃなく、人間性も育ててもらったと言えるぐらい、心に響くものがたくさんありました。それに自分も惹かれて、『中野先生みたいになりたい』と言いました。先生の指導に憧れたことが、インストラクターになりたいという夢を持ったきっかけです」
20年以上もの月日をともに歩んできた中野園子コーチ。時に厳しく、時に温かく、どんなときも支えてくれた。今回、その中野コーチからこんなビデオメッセージが送られた。
「かおちゃん、引退おめでとう。『これから指導者になります』と言ってくれて嬉しかったです。もし金メダルを獲っていたらどうだったかなと思いますけれども、きっと頑張って良いコーチになってくれると思うので、頑張ってください。何度か挫折はあるでしょうけど、その時に生きていられるように頑張ります」
恩師からのサプライズメッセージに、坂本は「すごーい!珍しい」と喜びをあらわにした。
坂本:「花織に向けてメッセージをくれるなんて…初めてかも。(中野コーチから)『嬉しい』って言葉を聞いたのは、本当に今が初めて。いつも『あらそうなの』みたいな感じなので」
樋口:「恥ずかしいんじゃない?」
坂本:「ツンデレだから『ふーん』みたいな感じなんです(笑)。でも、本当に嬉しいですね。中野先生を目指して頑張ります」
――実際に今どうですか? 子どもたちを教えてみて。
坂本:「『花織から見てどう思う?』という感じで意見を聞いてくれるようになったので、そこがすごく自分にとっても勉強になります。でも、めちゃくちゃ小さい3歳児を見ることがあって、中野先生がメインで動いて私がアシスタントに入ったんですけど、先生が言った動きをやったはずなのに、どうやら私が間違えてたみたいで、『花織、それは違うから!もっとできない子の気持ちになりなさい!』って怒られて、『すみません』って(笑)。コーチになっても怒られそうです」
――そこは変わらないのかもしれない?
坂本:「変わらないですね」
清水:「樋口さんはどうですか? 指導者・坂本花織さんのイメージは」
樋口:「かおちゃんはスケートのことはめちゃくちゃ真剣に考えているんですけど、すごく優しいから、怒ったりしなさそうだなってめちゃくちゃ思います」
坂本:「いや? 怒る怒る(笑)。怒るイメージないですか?」
樋口:「ないない」
坂本:「えー! じゃあいつか世に出るかもよ、花織が怒ってるところ。その時は言ってな、『中野先生みたい』って(笑)」
※番組情報:『GET SPORTS』
毎週日曜 深夜1:55より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)









