東京ドームはガラガラ、空港見送りは0人…第1回WBC戦士・里崎智也が明かす“期待ゼロ”の2006年大会
11月14日(金)深夜に放送されたスポーツバラエティ『オフレコスポーツ』には、日本代表が初代王者に輝いた第1回WBC(2006年)の優勝メンバー・里崎智也がゲスト出演し、同大会の裏話を語った。
【映像】「空港の見送り1人もいませんでした」里崎智也が語る、2006年WBCの舞台裏
今でこそ国民的イベントとして高い注目を集めるWBCだが、第1回大会が開催された当初は、そこまで注目されていたわけではなかったという。里崎は当時を振り返り、「初めての大会だったので、みんなどういう大会かわからなかった」と語る。
世間の関心度を示す指標として、東京ドームの観客動員数を挙げ、「前回2023年のWBCの観客は約4万人です。2006年の開幕戦、東京ドームの対中国戦。観客はなんと1万5000人。5万人収容ですよ」と驚きの事実を明かした。
期待されていない状況だったため、出国時の空港の様子も寂しいものだったといい、「見送り1人もいませんでした」と振り返った。航空会社のグランドスタッフとプロ野球関係者が数名いただけで、一般の見送り客はゼロだったという。
「(大会が進んでいくなかで)日本が沸いていることは気づいていました?」と質問されると、「まったく気づいてないんですよ」と返答。「当時はスマホもSNSもなかったので、アメリカに行った瞬間、日本の状況は1ミリも入ってこなかった。帰ってきて盛り上がっていたから、もう浦島太郎状態ですよ」と驚きの実情を明かした。
さらに、当時の練習環境も今とは大きく異なっていた。練習場所はなんと大学のグラウンド。「えっここ!?」と驚くほどの環境だったそう。
日本代表のスタッフも充実しているとはいえない状況で、「宮本慎也選手とか、控えになってしまったベテランのスーパースターたちがバッティングピッチャーしたり、守備のスタッフがいないのでトレーナーさんも球拾いしていた」とのこと。
今では考えられないほどすべてが手探りの状況だったが、「全員でいろいろ準備を手伝ったりして、一丸となってやった印象です」と懐かしそうに語った里崎。チームの団結力が初代王者を生む原点になったようだ。
そのほか番組では、大谷翔平との対戦秘話を語る場面も。里崎が明かした、“出塁率10割”という驚異の数字のからくりとは?
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※番組情報:『オフレコスポーツ』(バラバラ大作戦)
毎週金曜 深夜2:43〜、テレビ朝日(※関東ローカル)











